わらべうた




812


「何の音だ?!」
誰より悲鳴のような声をあげたのは三浦だった。酔いつぶれて上機嫌になっていたはずが急転直下、顔面蒼白となって腰を抜かしている。そして友人や郎党たちは身構え、事情を知らない客人たちは一体何事かと盃を持ったまま周囲の様子を窺っていた。
斉藤は窓辺に近づき、外の様子を窺うために耳を澄ませた。爆発音はそれから続かずパタリと止みやがて数人の足音が旅籠から遠ざかって行った。おそらく外の見回りを務めている隊士たちが様子を見に行ったのだろう。
朝比奈が神妙な顔つきで斉藤へ近づいた。
「山口先生、これは…」
「…爆竹のような音だった。報告が来るまで部屋に待機する」
「ハイっ!」
酔いがさめた梅戸が頷き、船津は刀を抱えて震えているように見えたが、それ以上に動揺しているのは三浦だった。
「お…おい!さっさと確認してこい!」
「ここを動くわけにはいきません」
「刺客が迫っているならここから逃げねばならぬだろう!」
「下手に逃げ出すのは危険です。誘き寄せられている可能性が…」
「ええい、黙れ!」
三浦は斉藤に詰め寄るが、朝比奈が間に入って「どうかお静かに」と宥める。しかし恐怖に取りつかれた三浦は唇をわなわなと震わせてやたらと「うるさい!」と怒鳴り散らすので、斉藤は仕方なく
「私がここを離れれば敵に襲われ貴殿は死にますが、よろしいか?」
と断言した。あまりにはっきりとした物言いに驚き、三浦は息を呑んだがおかげで少しだけ冷静さを取り戻し、朝比奈と友人たちに促されてようやく黙って座り込んだ。
そうしていると急ぎ足で階段を駆け上ってくる足音が聞こえて、応援に来ている宮川が顔を出した。
「失礼いたします。…山口先生、どうやら爆竹の類のようです、燃えカスが旅籠から南へ少し下ったところに残っていました」
「誰の仕業だ?」
「島田伍長らが探っているところですが…悪戯ではないかと」
「まさか」
斉藤は鼻で笑う。このタイミングで、この場所で、悪戯なんて偶然があってはたまらない。
(悪い予感がある)
「厳重に警戒に当たれ。敵襲の可能性が…」
高い、といいかけた時、宮川の背後に白鉢巻をした若者が抜刀した状態で突然姿を現した。足音もなく忍び寄っていたのだ。
「宮川ッ!!」
(遅かった!)
叫んだ途端にそう悟った。宮川は背中を一閃され血を吐き、その場に斬り伏せられたのだ。おそらく本人は何もわからないまま絶命しただろう。
梅戸はすぐに刀を抜き、船津も怖々と続いた。飫肥藩士たちも素早く構え、朝比奈と友人たちは三浦とともに後ずさる。
「ヒィィッ!」
三浦が誰より怯え悪目立ちしていた。若い男は視線を三浦へ向けて「三浦氏は其許か」と刃先を向けて名指しすると三浦は一層怯えたので、確信したようだ。
斉藤は抜刀しながら飛び込んだ。男は受け止めて突こうとしたがそう簡単に跳ね返すことはできず避けるので精一杯となり、さらに狭い廊下ではどうしても動きが緩慢になる。結果として部屋から少しだけ遠ざけることができたが、同時に階段から男の仲間と思われる七、八名が駆けあがってくるのが視界に入った。
「梅戸、窓から逃がせ!」
「無理です、階下にも敵が…!」
おそらく爆竹の音につられて探索に向かったため表の警備が薄くなってそこを狙われたのだろう。斉藤はずらりと並んだ白鉢巻の刺客たちと距離を取りながら、
「陸奥か?」
と問いかける。すると一番最初に現れた血気盛んな若者が前に出た。
「ハハ、俺は中井だ、中井庄五郎!お前たちは新撰組だな?」
「ああ、そうだ」
斉藤はこの男が、と思った。確かに宮川を斬り伏せた手並みは鮮やかで隙が無かった。若く勝気な性格なのか、腕に自信があったのだろう一人で飛び込んできたのだ。
「私は坂本を殺してはおらぬぞ!」
三浦は震えながら声を荒げたが、すでに血走った眼を向けている中井には通じない。
「紀州が裏で手ェ引いとるんは間違いない!」
「い、言いがかりだっ」
「ハハッ紀州と新撰組が揃うなんてちょうどええな!お前ら、全員坂本先生の仇や!」
中井の言葉を合図に襲撃者たちが一斉に斬りかかってきた。斉藤はまず中井の刀を払い、その勢いで隣の男の腕を掠めた。血飛沫が舞い、敵は怯む。
怖気づいている三浦と紀州の関、三宅は部屋の隅に身体を寄せ合うだけで役立たずだが、三浦の郎党たちは主人を庇いながら敵を蹴散らしていた。客人の長倉と甲村は己の身を守ることに専念し、「我らは飫肥の者だ」「無関係だ」としきりに繰り返して退避の機会を探っていた。加勢して怪我を負っても面倒なので斉藤としてもその方が助かる。
「梅戸、屋根に逃がせ!」
「ハイっ!」
こんな時だけ梅戸の大音声が有難い。斉藤は狭い室内で数人を相手にしながら状況を把握しようとするが、何分人数が足りない。
(少しだけ持てばいい)
時間を稼げばそのうち島田たちが状況に気が付いて加勢に来るだろうし、それは長くはかからないはずだ。あちこちから降りかかる刃を避け、致命傷を与えると手間がかかって消耗するので身動きを取れない程度に痛めつけていく。敵とも味方とも分からない絶叫があちこちで響き、室内は混沌としていった。
「っ、山口先生!」
「!」
駆け寄ってきたのは朝比奈だった。彼は慣れない刀を抜いてどうにか三浦の盾になっていた。血しぶきを浴びたその端麗な顔は三浦の侍者としての務めを果たそうと懸命にもがいている。
(裏切っていたのではないのか?)
この者たちを誘き寄せたのは朝比奈ではないのか…斉藤は彼の横顔を見て本能的に自分の推察が間違っていたのだと気が付いたが、彼を問い詰める暇はない。目の前には白鉢巻姿の数名の敵がいるのだ。
「微力ながら、私も…!」
「無理だ、お前も逃げろ!梅戸に従い、三浦とともに行け!」
―――その途端、部屋の灯りが消えた。
「くそ…」
おそらく消されたのだろうと思った。彼らはそのつもりで暗闇で目立つ揃いの白い鉢巻をしていたのだろう。頼るべき月明かりは窓辺のみとなり、そこから梅戸が必死に紀州の三人を逃がそうとしている姿がはっきり見えてしまい、これでより一層狙われやすくなってしまった。
「おい船津、梅戸を助けろ!」
しかし返事はない。逃げたのか死んだのか…斉藤は確認できない。そこで仕方なく朝比奈を背にしてともに後退し、脱出口を守るように刀を構えた。
「ヤァぁぁッ!」
「ウオォオオォ!!」
薄暗闇の中で響く怒号。この場にいるのは斉藤と朝比奈、三浦の郎党数名たちだが足音と気配だけで敵味方の判別をするのは難しく、斉藤は慎重に自らに降りかかる刀を払い避けた。刺客のほとんどは凡庸な腕前だったが自ら名乗った中井は総司から聞いていた通りさすがに強敵だ。抜きん出て強く、素早く、胆力がある。
「狼のくせに、やるやないか!」
中井の挑発には乗らず、斉藤はその声の在処を探した。白の鉢巻が薄闇のなかで揺れるのが見えて、中井が振り落とした刀を受け止める。上から体重をかけて押さえつけるような力だったが、重心を逸らすと簡単にバランスを崩した。だがそれも中井の計算内だったのだろう、すぐに彼の突きが斉藤の耳の横を掠め、ブンっという音とともに薙ぎ払われた。斉藤はぎりぎりで避けた上でその音で中井の体の位置を把握し、払いのけて逆に刺すと、
「グッ…!」
手に肉塊を刻んだはっきりとした感触があった。おそらく脇腹のあたりを深く掠めたはずで、中井は離脱せざるを得ないだろう。だが行灯が消されたせいで敵の数は不透明であり、全容が把握できない。
(不本意だが…)
己の信条を優先し、作戦を失敗に終わらせるわけにはいかない。斉藤は懐から短銃を取り出しそれを足元に打ち込んでパァン!という銃声を響かせる。突然の銃声で敵が一気に怯んだ。
「短銃が?!」
「どこじゃぁ?!」
敵味方わからないがとにかく戦意が沈む。
するとようやく新たに数人が階段を駆け上がる音が聞こえた。敵の加勢でないことを願っていると、
「山口先生!」
と聞き慣れた島田の声だったので安堵した。
「島田、屋根に上れ!」
「わかりました!」
島田はすぐに状況を察し、数名を連れて別の部屋から屋根の上を目指す。
「加勢します!」
「俺も!」
聞こえてきたのは相馬と野村の声だ。威勢の良い二人が敵の背後から切り込み、刺客を囲む体制となり状況は好転した。あちこちで刀の劈く音が聞こえ、敵がじりじりと後退していく。
すると梅戸が屋根上から戻って来た。
「斉藤先生、退避完了です!」
「お前も行け、朝比奈」
斉藤は朝比奈の腕を引くが、彼はふらふらと立ち上がって足元が覚束ない。言葉を発することもなく痛みに堪えるように唇を噛んでいた。
「斬られたのか?」
「か、かすり傷です。大事ありません…」
彼の過去を考えると刀を抜いて戦う経験はなかっただろう。そんな彼がこんな修羅場に放り込まれ何人もの敵を相手にできるわけがなく、即死しなかっただけましだ。彼が苦痛に顔をゆがめている姿が…不意に英と重なった。
「…っ、すまない」
余裕がなく朝比奈まで庇いきれなかった。
斉藤が謝り、朝比奈が目を見開いたとき、
「お取込み中悪いな…!」
と斉藤は急に背後から羽交い絞めにされた。
(中井…!)
傷を負って後退しているだろうと思ったが、気配を消して近づいていたのだ。中井は息絶え絶えの様子だったが全体重をかけて最後の力を振り絞るように背後から斉藤の首を締め上げる。その強さは骨を折られそうなほどで斉藤は身を捩るが、どうにか窒息を避けるのに精いっぱいで上手く身体を拘束され身動きが取れない。
「ぐっ…」
「やれ!」
中井が仲間に向かって叫ぶ。格好の標的となってしまう―――と思った時、
「斉藤先生!」
梅戸が叫びながら斉藤の目の前に躍り出た。そしてそのまま庇う様に襲い掛かって来た敵の刀を真正面から浴びてしまった。
「アッ!」
「なにぃ?!」
予想外の出来事に中井の腕の力が一瞬抜けた。斉藤はその隙に拘束から逃れ、振り返りつつ蹴飛ばし今度こそ中井に渾身の力でトドメを刺した。即死した骸はその場に倒れ込み、斬り付けた刺客もすぐに仕留めて、蹲る梅戸の元へ駆け寄った。
「梅戸!」
「ァ…クソ、いってぇな、何も見えねえ…」
梅戸は顔を手で押さえていた。顔を遣られたようで顔面は真っ赤になっている。
「傷口を押さえていろ」
「…大丈夫っす。向かい傷は男の勲章…惚れてる御方のためなら猶更…」
「冗談を言えるなら良い」
斉藤は梅戸を安全な場所に移しつつ、周囲の状況を探った。幾人かの負傷者がいるがまだ戦闘は続いている。まだ階下から上がってくる気配もあり不利な状況であることは変わりない。
しかし
「三浦、討ち取ったりー!三浦、討ち取ったりィー!」
その声で状況は変わった。白鉢巻の刺客たちは示し合わせたように身を退いて階下へ逃れていき、中には二階の窓から一階へ飛び降りて逃げる者もいた。まるで潮が引くように敵が去って行ってしまったのだ。
梅戸が傷を押さえながら尋ねる。
「…やられちまったんすか?」
「いや…相馬の声だ」
この状況を打破するために相馬が一計を案じたようだ。暗闇のなかであるからこそ、声の主が誰であるか判別がつかない。その中で「三浦を討った」と聞き、刺客たちは目的を果たしたと勘違いしたのだろう。相手の作戦を逆手にとって状況を一変させた。
(賢い)
斉藤は感心しながら極度の緊張状態を解く。すると屋根を下りた島田がどこからか灯りを調達して戻って来た。
「御無事ですか?!」
「ああ。…状況は?」
「はっ、三浦殿、三宅殿、関殿はかすり傷程度でご無事です。郎党たちは軽い怪我を負っていますが命に別状はありません。階下では敵三名を捕縛しています」
「そうか。…医者を呼んで来い。梅戸と朝比奈が傷を負っている。あと屯所に知らせて応援を頼め」
「はっ!」
島田はすぐに踵を返して行った。
斉藤は改めて修羅場となった部屋を見渡した。廊下で無残に殺されているのは宮川で目は見開いたまま仰向けに倒れている。途中から返答がなくなった船津は部屋の入り口で骸となり、隣室で中条という平隊士が倒れていた。敵はほとんどが逃げ果せたようで中井が仰向けで倒れて絶命しているだけだ。
(失態だ…)
爆竹の音に気を取られ宿の警備が手薄になったところを侵入してきたのだろう。
三浦は助かったが、刺客の人数が想像以上の数だったため犠牲が多かった。
斉藤は部屋の隅で壁を背にもたれかかる朝比奈の元へ向かった。浅い息を繰り返している朝比奈は、傷の具合はわからないが腹のあたりの出血が多く血溜まりの中にいた。
「…ご無事…ですか…?」
「三浦殿は無事だ。…何故逃げなかった?」
「わかりません…どうして、だろう…」
朝比奈は自らに問いかけつつ苦笑する。斉藤は彼の前に片膝を折って、止血のために傷口を強く押さえつけた。
「…俺はお前を疑っていた」
「ええ…知っていました…でも、疑われる…ような、行動をしていました…から」
「何故だ?」
「…」
朝比奈は答えなかった。かわりに止血する斉藤の手に自らの血まみれのそれを重ねた。
「…山口先生…最後の頼みなら、私に口づけてくださいますか…?」
こんな時に何を、と斉藤は最初は呆れたが、朝比奈の表情は今までで一番穏やかな笑みを浮かべていた。母というものとは縁遠い斉藤だが、慈しみというものはこのような形をしているのかと思うほど、朝比奈の微笑みは慈愛に満ち、血で染まっていながらも麗しい。
「いや…すまない」
最後だと言うのなら彼の願いを叶えてやればいい。遠慮すべき存在なんていないのだから、彼を疑った詫びだと思ってくれてやればいい。
けれど
「悪いが…俺は、お前より美しい者に惚れている。その者に操を立てている」
きっと朝比奈はその答えをすでに予感していたのだろう。微笑んだまま満足げに頷いた。
「私は美しいと、言われるのが…嫌いなのです…。あなたを試して、いました…」
「…そうだと思っていた」
「その御方を大切に、なさってください…」
朝比奈はゲホッと吐血する。
「しっかりしろ、すぐに医者が来る」
「…ふな…つ、さんに申し訳ないことを…」
「船津は名誉ある戦死だ」
「そ…う、…」
そうですか、と朝比奈は安堵したようだ。すると階段を島田が駆けあがって来た。
「お連れしました!ちょうど近くを往診なさっていて…」
「そうか、この者の傷が重い。たの…」
斉藤が振り返ると、何の因果なのかそこには往診用の風呂敷を抱えた英がいた。斉藤は久方ぶりに顔を合わせるような気がしたが、彼は相変わらずでこの凄惨な光景を見渡して
「急な患者がいて近くの家に呼ばれたんだけど…また巻き込まれた」
と嫌そうな顔をしながら朝比奈の前に座った。英は朝比奈が血まみれのせいか自分にそっくりであるとは気が付かず、傷口と出血量を見るや厳しい顔で首を横に振った。朝比奈の息はかろうじて浅く繰り返されている。
だが、朝比奈の方は英を見て「ああ…」と感嘆のため息を漏らした。そして力を振り絞るように英の方へ手を伸ばして
「…元気そうで、良かった…」
と微笑んで、涙を流した。英は一体何のことか理解できないだろう。けれど
「ああ、元気だよ」
と答えた。すると朝比奈は満足げに笑ってゆっくり手を降ろすと目を閉じて、そのまま静かに息を引き取ったのだった。










解説
なし

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