わらべうた




813


英は改めて朝比奈の脈が途絶えてことを確認すると目を閉じて手を合わせた。
「…この者を知っているのか?」
「いや、知らないよ。でも死に際には何度も立ち会ってる…俺を誰かと間違えていたとしても最期に『人違いだ』なんて言えないからね。嘘も方便ってことだよ」
医者としての英の言い分に斉藤は納得した。嘘でも誤魔化しでも朝比奈が穏やか表情で逝けたのは英の返答のおかげだろう。
「それより、こっちの方が大変だ」
英は近くでぐったりしている梅戸の元へ向かう。傷口は右頬から首へ続いており、あと少しで首が切れて大惨事になっていたと言う。
「いてて…」
本人が強がるせいで軽傷のように見えたが、英は真剣な表情で止血に努める。
「深い傷だから傷跡が残るだろう。早く山さんを呼んで縫合してもらった方がいい」
「わかった」
そうしていると、屋根上に避難していた紀州の三浦たちが降りてきた。三浦は軽い怪我を負っていたが周囲の凄惨な光景に言葉を失いながら、朝比奈が息絶えている姿を見て、目を見開きふらふらと近づいて力無く膝をついた。
「朝比奈は…死んだ、のか…」
「…申し訳ない」
情人を守り切れなかったのだから怒鳴られる覚悟だったが、意外にも三浦は沈痛な面持ちで唇を噛み、これまでの振る舞いが別人ように興奮することはなかった。
「いや…これはずっと死にたがっていたのだ。父君に捨てられた時から…この世に絶望していた。ようやく苦しみから解放されただろう」
「…ご存知でしたか」
三浦は頷いた。
朝比奈は陰間の夜鷹をしていた頃に拾われてからの関係だと言わんばかりだったが、三浦は違ったようだ。
「一部では知られた話だ。…これの家は、何不自由ない家柄なのに一体何があったのか、ある時から豹変し狂ったそうだ。両親が訳のわからぬ祈祷師にのめり込み、金をつぎ込んで、世継ぎの兄が妖に遭い呪われたのだと触れ回って…その代償に世にも美しい少年が弟と共に捨てられたと聞いていた。私は夜道で朝比奈に出会った時に、あの捨てられた少年だと気がついたのだ」
「…弟、ですか」
朝比奈は妹だと言っていた。しかし三浦は首を横に振った。
「弟だ。三兄弟だと確かに記憶している。…あまりに過酷な過去ゆえに記憶が錯乱していたのだろう。私は朝比奈が妹だと言っても否定はしなかった。私が過去を知っていると知れば、手元から去る気がしてな…」
三浦は朝比奈の死に顔に手を伸ばし、血を拭ってやった。
「…朝比奈を拾ったのは美しいからではない。あまりに不憫だったからだ…だが、私も決して良い主人ではなかったな…」
三浦は唇を噛み、目尻を滲ませる。それはやがて嗚咽へ変わり、友人たちに促され部屋を出て一階に降りていった。
(美しいからではない…)
三浦がもし、朝比奈にそう伝えていたら―――もう少し彼は救われたのだろうか。
英は
「もう大丈夫」
と梅戸の応急処置を終えてぐるりと見渡す。ぼろぼろの畳、倒れた襖に破れた障子、あちこちに散乱する血飛沫…そして朝比奈と船津の死に顔を順番に見た後「そういうことか」と呟いた。
「なんだ?」
「この人…亡くなっている人、船津だっけ?何度か俺のところに来たんだ。歳さんから診療所から出るなって訳の分からないことを言われてうんざりしていた時に、書付をもって訪ねて来た。送り主は朝比奈という人だった」
「…なに?」
斉藤は驚いた。朝比奈は英のことを気にしていたので念のため彼には身を潜めるように土方から伝えたのだが、既に朝比奈が英に辿り着いていたとは思わなかった。
「さっきのお偉い人が話していたような身の上のことも書いてあった。自分は紀州の武家の次男で、人攫いに遭って生き別れになってしまった弟がいると…」
「お前には弟と言ったのか?」
それでは先ほどの三浦の言い分とは異なる。斉藤が困惑していると英が答えた。
「…記憶が曖昧な人は大抵、思い出したくない苦痛がある。だから本当は弟だとわかっていたけれど、弟だと話すと自分の過去を直接的に思い出してしまう…だから切り離すためにあえて他人には妹だと言い張って自分を守っていたのかも知れないね」
「…」
英が語ると、それがまるで朝比奈の本心だったような気がしてくる。それは姿形が瓜二つのせいなのだろう。
英は続けた。
「俺に実際に会って確かめたかったのだろうけれど、生憎紀州なんて記憶にないし、陰間茶屋に売られる以前のことはわからない。会っても無駄だと返答はしなかった。何度も書付が来たけど、妙なことに関わり合いたくなかった」
英は少しため息をつきながらもう一度朝比奈の前で膝を折って、その顔をまじまじと見た。
「…でも確かに、よく似ている。一度会ってみても良かったかな…」
「…」
英にも、朝比奈自身にも本当のところはあやふやで、答えは誰にもわからない。『もしかしたら』という意味では朝比奈と英は兄弟だったのかもしれないが、そうだとしても互いに混じり合うことのない人生だっただろう。ここで再会したことはあくまで偶然で、でも朝比奈の人生の終わりに英に会えたことは悪くない最期だったのではないか。
(そんな風に思うのは勝手だな)
斉藤はため息をついた。月明かりが部屋に差し込んで、眩しく感じた。

しばらくして土方が応援の隊士とともにやって来た。英は山崎に梅戸を引き渡すと「これ以上は御免だ」と入れ替わりで診療所へ戻っていった。
土方は三浦たちを別の宿へ移して安全を確保し、隊士たちには逃げた残党を追わせて斉藤と島田に事情を聞いた。
「自分の判断が間違っていました」
島田は肩を落として報告した。
爆竹の音が響き、島田が数名の隊士とともに旅籠を離れた隙に裏口から中井たちが侵入した。敵の数は十五名を超え、島田たちが戻った時にはすでに戦闘が始まっていてなかなか二階へ駆けつけられなかったらしい。
しかし斉藤は島田だけの失敗だとは思わなかった。
「敵は想定を超えた数でした。島田が警備を離れていなくともおそらく厳しい乱闘になったのは間違いありません。…二名の討ち死に、負傷三名を出したのは俺の落ち度です。申し訳ありません」
斉藤は頭を下げた。
警戒を怠らなかったわけではないが、ここまでの被害を出すとは思わなかった。想像が足らなかったのは組長である自分の責任だと斉藤は痛感していた。
けれど土方は「もういい」とそれ以上は責めなかった。
「先ほど、三浦殿から『宴を催した自分の引き起こしたことだ』と話を聞いた。怪我も軽く、飫肥藩士のお二人も無事に逃げ果せている…結果として三浦殿の警護は遂行された。それで良しとする」
「…わかりました」
斉藤としてはそれを鵜呑みにはできなかったが、死力を尽くして戦い疲弊していたため、土方に従うことにした。いまだに落ち込む島田の肩を叩き「休め」と言って二階への階段をゆっくりと昇る。怪我を負った梅戸が
「いててててててっ!」
と山崎に縫合されている声が響いていて、山崎は「元気そうやな」と笑いながら器用に手先を動かしていた。そして隊士たちによって十津川郷士中井庄五郎の遺体を戸板に乗せて運び出され、負傷して倒れていた中条は意識を取り戻して医学方として駆けつけた山野の治療を受けていた。
そして廊下に投げ出された宮川の遺体の傍に、総司が立っていた。土方とともに別宅から駆け付けていたのだ。
「…信吉君、死んでしまったんですね…」
「…」
宮川信吉は近藤の従弟で試衛館の門弟だ。決して特別な扱いをされていたわけではないが、近藤は己の身内が活躍していることを喜んで可愛がっていて、宮川もそれに応えようと健気に働いていた。
総司はゆっくりと膝を折って宮川の開いたままの目を閉じ、手を合わせて拝んだ。そして気分を変えるように何度か頷いて、
「ご苦労様でした」
と斉藤をねぎらった。総司の穏やかな表情を見て、斉藤はどこか日常に戻ったような気がした。
「…ああ。この有様だ」
「仕方ありません。十五名以上もいたのでしょう?きっと池田屋より多いですよ」
総司の言う通り、確かに池田屋よりも過酷な戦闘だったかもしれない。暗闇のなか中井に締め付けられた時、梅戸が庇うように飛び出さなければ死んでいたはずだ。
(一生足を向けて眠れないな)
斉藤はそんなことを思いながら、懐に仕舞っていた短銃を総司に返した。
「どうでした?」
総司は興味深そうに斉藤の反応を見ていた。警護任務に就く前、総司は『刀と銃のどちらが役立つのか試してほしい』と言って見送ったのだ。
斉藤は少し考えたあと正直に答えた。
「咄嗟の時にはやはり刀の方が手に馴染んでいるが…銃が無ければ生き延びられなかっただろう」
敵の数が多く囲まれ、このままでは危ないと思い銃を発砲した。その発砲音だけで予想以上に敵が怯み、混乱したことで切り抜けられたことは確かだ。
総司は
「そうですか…」
と少し残念そうに微笑んだ。彼としては鍛え続けた刀よりも引き金を引くだけの武器が有効であることが淋しかったのかもしれない。だが斉藤はそう悲観しているわけではない。
「刀であっても銃であっても武器というものは人を殺し、自分を生かすための手段でしかない。だがどちらも共通して己の意思が必要だ。…どっちが上というものはない、己が納得するものを使えば問題ないだろう」
「…斉藤さんらしいですね」
刀を振るうのも、引き金を引くのも、自分自身だ。だったら命の重みを感じるのはどちらでも構わないだろう。
斉藤の出した結論に、総司は納得したようだった。
するとようやく長かった夜に終わりを告げる朝陽が差し込んできた。誰が死んでも、何が起こっても、朝はやってくる。
斉藤はこの朝ほどそれを実感したことはなかった。












解説
天満屋事件について、新撰組は十名ほどに対し、襲撃犯は陸奥・中井を含めて十六名の激闘だったと言われています。
二階で酒宴中(おそらく新撰組も加わっての大宴会)に襲撃に遭い、明かりが消され敵味方判別できず、屋根から路上での斬り合いになったようですが「三浦討ち取ったり」と新撰組の誰かが叫び、難を逃れました。
結果的に近藤の従弟である宮川信吉が死亡、船津釜太郎は重傷→死亡、中村小次郎・中条常八郎が軽傷を負っています。斉藤は敵の襲撃に遭い命を落としかけたところで梅戸が敵を羽交い絞めにし(本編とは少し異なります)顔に傷を負いましたが、その後鳥羽伏見では旗役として復帰しています。三浦休太郎(のちの三浦安)は顔に傷を負うも命に別状はありませんでした。天満屋事件は王政復古の大号令の二日前の出来事です。



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