わらべうた




814


翌、十二月八日。
屯所に戻った斉藤は土方同席のもと改めて近藤に事件の詳細を説明した。近藤は任務の完了には安堵していたものの、従弟の宮川信吉が命を落としたことに酷く落胆していた。
「信吉が…」
近藤はしばらく目を伏せ目頭を押さえたが、私情を挟むまいと深呼吸したあとに「ご苦労だった」と斉藤を労った。彼の最期は背後から襲撃を受けると言う決して褒められたものではないが、彼が近藤の身内であっても今まで真摯に貢献してきたのは誰もが知っていることだ。
近藤が言葉に詰まったので、土方が代わりに続けた。
「身を隠すために三浦殿は紀州藩邸に籠るそうだ。しばらくは監察方に見張らせるが、時が経てば海援隊も陸援隊も別の犯人を捜すだろう。浅羽には俺から報告しておくが、今回の任務はこれで完遂になるだろう」
「…では、一番隊は通常の任務に戻ります」
「そうしてくれ」
近藤が頷いたので、斉藤は頭を下げて退席しようとする。しかし「待て」と土方が引き止めたのでもう一度姿勢を正した。
「何か?」
「今回の件、やはり三浦殿の居場所が敵に筒抜けだったようだ。先ほど大石が情報元を突き止めた」
「どこからですか?」
「相馬に聞いたが、旅籠を変わるたび朝比奈が茶葉を買い求めていたそうだな。そこの主人が朝比奈が来ると下男を尾行させて土佐の連中に居場所を伝えていたそうだ」
「…」
朝比奈は何かの拍子に店の主人へ『ご挨拶の品だ』とでも漏らしたのだろう。旅籠の場所までは口にしなかっただろうが、朝比奈は目立つので尾行が簡単だったはずだ。
斉藤は自分がいかに見当違いだったのかと思い知らされるようで、自分に苛立った。
「そうですか」
淡々と返答し、近藤が「休んでくれ」と労わったので今度こそ部屋を去る。
早朝の冷たい冬の風が頬を掠める…感情的になってしまった自分にはちょうど良かった。近藤には休むように言われたがそのような気になれず怪我人が休む大広間へ向かうと、重傷を負った者たちのなかに梅戸がいた。顔の半分以上が包帯に巻かれているが
「斉藤先生!」
と手招きされた。『山口だ』と言い返したくなる言葉をぐっと飲み込んで
「傷はどうだ?」
と傍らに腰を下ろした。
「十数針縫ったみたいっす」
「…そうか。悪かった」
あの薄暗闇のなかで、中井に羽交い絞めにされたときはこのまま死ぬと覚悟したが、梅戸が身を挺して飛び込んだおかげで何とか命拾いした。梅戸は顔面に大きな傷を負ったもののすこぶる元気そうに見えた。
「しばらくは安静にってきつく言いつけられちまいました。傷に障るから喋るなとも」
「…じゃあ黙って寝ていろ」
さっさと退散しようと腰を浮かそうとしたが、梅戸が「待ってくださいよ」と苦笑して引き止めた。
「疼いて眠くないんすよ。ちょっと付き合ってください」
「…変わってるな」
無口で愛想のない斉藤を引き止めるなんて逆に疲れそうだが、梅戸にはその様子がない。彼はそれから天満屋で起こったことを彼なりに振り返り明るく語ったので、斉藤はそれに耳を傾けた。
すると彼は急に声のトーンを落として斉藤から視線を背けた。
「あの…俺、あの時『平気だ』って言いましたけど、実は死ぬかもしれないと思っちまいました。だから…その弱気になっちまって…」
「なんだ?」
「変なことを口走っちまったような気が…ハハ、忘れてください」
「…何か言ったか?」
あの時は誰がどこにいるのかさえ分からない手探りのなかで常に緊張していた。梅戸ほどその当時のことを覚えておらず、彼が口走ったということも記憶にはなかった。
それを聞いた梅戸は少し唖然としたあと、
「あっ、ああ!じゃあ、なんでもないっす!全然、なんでも…イテテッ!」
「…もう黙って寝ろ」
斉藤は今度こそ腰を浮かし、部屋を出た。



昼になって総司はゆっくりと目を覚ました。天満屋から引き揚げ、激戦を生き抜いた隊士たちはまだ休んでいるはずなので、屯所は妙に静かだった。
総司は傍らに人の気配を感じて視線を向けると、そこにいたのは山崎だ。彼や山野が総司の様子を見るために顔を出す機会は多々あるが、彼はどこか遠い場所をぼんやりと眺めながら物思いに耽り、手元でぐるぐると匙を回していた。
「…お疲れですか?」
総司が声をかけると、山崎は少し驚いた顔をした。
「ああ、吃驚した。お目覚めでしたか、気づかへんかったな…」
「昨晩のことでお疲れでは?」
「いえ前線に立ったわけやないし、大石や他の監察を顎で使ってましたわ」
冗談めかした山崎は、総司の額に手を伸ばし「熱はないな」と確認した。
山崎は監察方としてではそうでなくとも医学方として忙しかったはずだが、彼のなかでは前線に立たない裏方の仕事は疲れたという部類には入らないようだ。
「少し休まれたら良いんじゃないですか?紀州警護の件はもう引き揚げたんでしょう?」
「へえ、お咎めなしで何よりです。…まあそれはそれとして見逃せへん動きがあちらこちらにあって…気ぃ休まれへんのです」
山崎は苦笑いを浮かべた。
新撰組にとって紀州要人警護は大きな山場であったが、世の情勢の変革に比べれば些細な出来事に過ぎない。山崎がすでに監察方から離れているはずなのにいまだに情報収集を怠らないのは、目まぐるしく世間が変化しているせいだろう。
しかしそれにしても、総司の目には山崎は参っているように見えた。
「この通り、私は暇人ですからお話を聞くならいくらでも聞けますけど」
「…ハハ、まあ沖田せんせに話してもしゃあないんですが…今回の件、結局陸奥や中井の居場所を突き止めるに至らんと、襲撃に遭うてしまいました。これは監察…俺の責任や思うてます」
「でもそれは仕方ないでしょう。そういうこともありますよ」
確かに陸奥や中井の動きを事前に察知することはできなかったが、監察方が万能ではないことは皆わかっているはずだ。
しかし山崎は落胆していた。
「いや…実はそういう情報に強い協力者がおったんですが、行方不明になってしもうて。その者の力が借れず今回のような顛末になってもうたんです」
「…いつからです?」
「もう半年ほど」
山崎は目を伏せてため息をつく。
「俺が入隊してからずっと力を貸してくれとった奴で、池田屋の時や長州征討の時もあらゆる情報を流してくれましたが…俺が医学方に移る言う話をしたくらいから顔を見せへんくなって…他の隊士にあいつのことを引継ぎもでけへんまま中途半端なことに」
「…」
山崎の口調はいつも通りの流暢な物言いだが、その表情は険しい。言葉以上に深刻な話なのだろう。
「…土方さんに話して探し出してもらったら良いのでは?」
「いえ、いまはそれどころちゃうし私情にすぎまへん。それにあいつも…なんも言わんと去るような不義理な奴ちゃう思うんで、気が済んだらそのうち顔出すと思います」
「お知り合いなんですか?」
山崎にしては慣れ親しんだように語るので訊ねると、彼は少し居心地悪そうに答えた。
「…子供のころからの幼馴染です」
「へえ、幼馴染ですか」
総司は驚いた。
山崎は監察方という仕事柄のせいかあまり自分のことを話そうとせず、常に他人と距離を取っているように見えた。その彼が重要な情報元として幼馴染を協力者にしているのは意外だったのだ。
「俺が急に医学方に移動になったんが気に入れへんのやろうと思います。この仕事が楽しかったんか、やりがいがあったみたいなんで…へそ曲げんと他の監察に協力してくれたらええんやけど」
茶化しながらも山崎は手元の匙を再びくるくると回しはじめ、落ち着かない様子だった。山崎は相手が納得するまで待つつもりだったのだろうが、こうして任務の失敗が起こると気が急くのだろう。
するとドカドカと足音が聞こえてきて
「沖田先生!」
と威勢よく泰助が顔を出した。山崎がいるとは思わなかったのだろう、「あっ」と思わず口を手で覆った。
「も、申し訳ありません。出直します!」
「いや待て待て、かまへん。話しは終わったとこや。…それで沖田せんせに何の用や?」
「そのう…稽古を見ていただこうと思って。銀や鉄も待ってます…けど、具合が芳しくないなら…」
泰助はちらちらと総司に視線を向ける。確かに小姓たちの稽古の時間は過ぎていたのだ。しかし医学方の頭である山崎の前で病人を稽古に誘うのはいささか勇気が必要だろう。
山崎はため息をつきながら総司に
「…決して無理はせえへんでください」
と釘を刺した。
「わかってますよ」
「俺はこの辺で。…先ほどの話は副長には伏せとってください」
山崎は少し寂し気な笑みを浮かべながら去っていった。









解説
なし


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