わらべうた




817


「王政復古の大号令」によって、徳川慶喜の将軍職辞職は勅許され、幕府・京都守護職・京都所司代の廃止となった。続いて新たな政の形として、摂政・関白が廃止され新たに総裁・議定・参与の三職をおく。当然その中に徳川の名前はなかった―――。


いまだに天満屋事件の疲れが抜けない斉藤だったが、さすがにこの政変でのうのうと休むわけにはいかず、あちこち伝手を頼って情報を得たがそのどれもが不確かな情報ばかりだった。
同じく監察方の情報を集約していた山崎と話し込んだ。
「慶喜公は言葉少なくおられるが、自らを『上様』として、征夷大将軍が廃止されたのちもこのまま采配を振るう意向があるそうだ。異国の使者とは国を代表して面会している」
「…そら、その上様が今後巻き返しを図り、政権を取り戻されるお気持ちがあるということで?」
「おそらく…」
斉藤は曖昧な返答をした。実際、二条城は混乱しているようで正確に上層部の様子を把握している者は少ない。人伝いに耳に入るだけだ。
対して山﨑のもとに集まっているのは諸藩の対応だ。
「王政復古の大号令なんてたいそに宣言してるけど、まだ揉めてるようや。薩長のあまりに強硬な動きに反発して、肥後や筑前は御所から兵を退くように要求してるとか…まだ一枚岩というわけでもない」
「ああ。土佐のご隠居はまだ慶喜公の新政府入りを諦めてはいないらしい」
「せやけど二条城の兵は戦をする気満々や。今回のことでいつ爆発してもおかしゅうはあれへんからと、寄宿先から城内に入るように命令されてるそうや」
「賢明な判断だな。小さな諍いが開戦の火種になる」
…二人の難しい会話を耳にしながら、総司は山崎が煎じた漢方の苦い苦い茶を啜っていた。もともと山崎は総司の様子を診に来ていたのだが、そこに斉藤もやってきて自然な流れで話が始まってしまったのだ。彼らの深刻な表情には口出しできず黙って聞いていたが、
「…つまり、薩摩は慶喜公を排除するつもりで兵を挙げたけれど、実際はまだ揉めていてどうなるかわからないということですか?」
「よくできました、正解です」
山崎が茶化して頷いたので、総司もつられたが、しかし斉藤はまだ険しい表情のままだった。
「…だが、薩摩が徳川の勝手を許すわけがないだろう。兵を挙げたということは必ず戦になるということだ」
「そうやろうな」
「戦に…」
総司は実感が沸かなかったが、クーデターが起こってからの数日、近藤や土方が忙しなく出入りし、激しく議論しているのを聞くといよいよという気持ちになる。
山崎はふう、と小さくため息をついた。まだ彼は疲れているように見えた。
「…そういえばご友人の件は、土方さんには?」
「ハハ、この非常時に個人的なことはとても…」
「友人?」
斉藤が何の話かと首を傾げたので、総司は山﨑の友人であり協力者が突然姿を消していることを話した。するとすぐに話が通じた。
「相良のことか?」
「さがら?」
「ああ。…相良直之進、俺は直と呼んでますけど」
友人の名前を口にすると、お喋りなはずの山崎の口が途端に重くなる。
しかし斉藤は怪訝な顔をした。
「相良なら、以前俺のところに挨拶に来たが」
「…は、挨拶?いつのことや?」
「監察方への協力から手を引くと聞いた。…確か御陵衛士として善立寺にいた頃だ。詳しい理由は話さなかったが、皆が承知のことかと思っていた」
「あいつ…俺にはなんも言わんと…!一体どういうつもりや」
山崎は苛立ちを隠せなかった。幼馴染で長い付き合いのある山崎には何も告げず、他の関りのあった斉藤には律儀に身を退く挨拶をしているとは思いもよらなかったのだ。
「斉藤さん、他に何か聞いていないのですか?」
「何も…誰かに見られては支障があるためにあまり長く立ち話もできなかったんだ。普段と変わらない様子だったが」
「ああ、腹が立つ。不義理にもほどがある…!」
山崎は感情を抑えきれなかったのか、「ちょっと失礼」とそのまま部屋を出て行ってしまった。いつも冷静で鬼副長を前にしても自分のペースを崩さない彼が、そうやって怒りを露わにしているのを総司は初めて見た気がした。それは斉藤も同じだったようでしばらく唖然としていた。
「…どういう方なんですか?相良さんという方は…」
「ああ…優秀な協力者だった。名字帯刀を許された家柄で、もともとは山崎と同じ大坂に住んでいたらしい。都の地理に明るく人脈があるそうで、壬生にいた頃から何かと気の利いた情報を流していた」
「へえ…壬生の頃から」
山崎は初期の隊士募集で入隊しているので、相良もまた長く協力者として新撰組を黎明期から支えていたのだ。総司はその存在すら知らなかったが、斉藤が『優秀だ』と言うくらいならその通りなのだろう。
「穏やかで人望があって、義理堅い印象だ。山崎に何も言わず姿を消すなんて考えられない。…しかしわざわざ挨拶に来たのだから、何かに巻き込まれたというわけでもあるまい」
「…何があったんですかねぇ…」
総司は考え込むが当然答えに辿り着けるわけがなく、ゴホゴホと少し咳き込んでしまった。斉藤は俄かに表情を変えて
「あまり関わるな」
と総司のお節介を控えるように言ったところで、バタバタと騒がしい足音が聞こえて来た。血相を変えて顔を出したのは井上だった。
「どうしました?おじさん」
「広間に召集しろとのお達しだ」

広間には先日の天満屋事件での負傷者も含め、新撰組隊士が勢揃いしていた。ずらりと並ぶその光景は壮観ではあるが、怪我人や病人の総司まで呼ばれているのだからよほど重要な話があるのだろう。
(険しい顔だな…)
斉藤とともに幹部の末席に座りながら、総司は近藤と土方の表情を窺う。土方が不機嫌そうに顔を顰めているのはいつものことだが、近藤には悲壮感が漂い腕を組んだまま俯いて微動だにしない。
「一体何事だ…?」
総司の隣に座ったこっそり原田が耳打ちするが、首を横に振るしかない。
「斉藤さん、わかります?」
「…大体想像がつくが…」
斉藤は慎重でむやみに口に出そうとしなかった。
この重々しい空気に耐えかねて、年長の井上が「局長、揃いました」と促すと、近藤はようやく固く閉じていた瞼をゆっくりと開けた。
「…皆に重大な知らせがある。異論はあるかと思うが、これは決定事項故に覆すことはできないものと心得てほしい」
いつになく重たい前置きに、隊士たちがごくりと唾を飲み込み耳を澄ませて、居住まいを正し身構える。近藤は深いため息の後にようやく口を開いた。
「知っている者もいるだろうが、昨日の王政復古の大号令で正式に幕府は廃止された。上様は内大臣を辞すとともに領地の返上も同意した。…それに伴い、京都守護職、京都所司代も無くなったため…新撰組はこの度新設される新遊撃隊に編入することとなった」
近藤の話の意味を、総司はすぐには理解できなかった。
幕府はなくなった、京都守護職、京都所司代も廃止になった。だったら京都守護職の下部組織である新撰組が無くなるのは当たり前のことだ。
(そうか、どうして思い至らなかったのだろう)
政変はもっと身近なところで起きていたのだと、どうして気づかなかったのだろう。
「…それは、つまり…我々は新撰組ではなく新遊撃隊とやらの一員になったということでしょうか?」
永倉が訊ねると近藤が躊躇いながら頷いたので、隊士たちはサッと顔色を変えて、騒然とした。浪人から幕臣に昇進したあとに幕府がなくなり所属が変わった…この半年ほどで足元が揺らぎ続けている分、動揺するのは当然だ。するとようやく黙っていた土方が立ち上がった。
「新遊撃隊の頭は見廻組の佐々木只三郎殿だが、都の治安を維持するという働きには変わりない。皆、そのように心得ろ」
土方が語気荒く一喝し、隊士たちはサッと平伏するしかない。
(相当怒っているなぁ…)
総司は内心苦笑しつつ、隊士たちと同じように頭を下げた。
近藤は
「皆、安心してくれ。新撰組の名を捨てるつもりはない」
と隊士たちを慰めるように、励ますように口にした後、土方とともに退室した。
緊張の糸が切れたかのように再び広間は改めてざわつき、島田が総司と斉藤の元へやって来た。
「先生、今のお話は…」
「…ハハ、残念ながら私も初耳で、青天の霹靂というやつです」
「不要だから解散しろと言われなかっただけマシだ」
「解散…」
島田は青ざめるが、斉藤はもっと最悪の事態を想定していたらしい。
「…自分はまだ信じられませんが、仕方がないのでしょうね…」
最古参の島田は壬生狼と蔑まれた頃に『新撰組』という名を与えられた時の感動を味わっている分、その名前に愛着があるだろう。
「島田、これからは見廻組と合同で巡察になるだろう。指示があるまでは屯所に待機するように伝えておけ」
「承知しました」
島田は表情を引き締めて頷き、隊士たちの元へ戻っていった。












解説
なし


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