わらべうた




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総司は騒がしい広間を出て二人を追ったのだが、近藤の部屋から出てきた土方に
「今はそっとしてやれ」
と止められた。隣室の土方の部屋に入るのは気まずいので、そのまま少し離れた総司の自室へ移動した。
「…近藤先生、落胆していらっしゃるのでは?」
「ああ。まあ…落ち込んでいるというよりか悔しがっている。今まで見廻組よりもよほど新撰組の方が貢献してきたはずだと自負してきたからな。…あの佐々木の下なんかにつきたいものか」
「…佐々木さんですか…」
幕臣の佐々木只三郎はその昔、清河八郎と江戸で浪士組の結成を主導した人物だ。近藤と芹沢が都への残留を決めた時は彼の仲立ちのおかげで京都守護職のお預かりとなることができたが、その後江戸へ戻った彼は清河を暗殺し再び上洛して京都見廻組を率いることとなった。恩がある人物だがその活動は新撰組とは対立することがあり、管轄も違うためあまり共同戦線を張ることはなかった。また彼らは結成当時から身分が保証されており、隊長は旗本、隊員は御家人だったので、土方は気に入らなかった。
土方は深いため息をついた。
「新撰組と名乗れないどころか、いわくつきの奴に上に立たれるなんて真っ平ごめんだ」
「いわくつき?」
「…土佐の坂本龍馬を暗殺したのは佐々木だと複数耳にした。俺はおそらく間違いないと踏んでいる。見廻組ならやりかねない」
「へぇ…」
総司にとっては顔すら知らない無関係の要人の暗殺だが、最初は新撰組の仕業だと噂され、御陵衛士との対立する原因の一つになり、天満屋での奇襲事件も起きた。それが結局、見廻組の仕業なら随分振り回された気分だ。
土方も同じだったのだろう火鉢の炭を弄りつつ、不機嫌な様子でぶつぶつと続けた。
「これから巡察は見廻組と合同で行うことになるだろう。…だいたい『新遊撃隊』っていうのが気に入らない。伊庭の居る遊撃隊と同じ意味合いで都版の遊撃隊として組織されたらしいが、何で俺たちが二番煎じなんだ。伊庭の野郎の高笑いが聞こえてくる」
「気に入らないのはそこですか?」
「当然だろう」
冗談なのか本気なのか、土方は「こっちに来い」と総司を引き寄せてその膝に頭を乗せた。ここは鬼の副長の住処ではなく、だれかれ構わず足を運ぶ総司の自室だ。
「ここ、屯所ですけど」
「別にいい」
「…まあ、土方さんが落ち込んでいないなら良いんですけど」
「…」
土方は何も答えず、ムスッとしたまま目を閉じた。もちろん土方も今回の組織変更には思うところがあるだろうし、近藤ほどではなくとも『新撰組』の名前に愛着があるだろう。心の奥底では意気消沈していてそれを誤魔化すためにあれこれ八つ当たりしているのかもしれない。
しかし総司はさほど落胆していなかった。
「きっと近藤先生が必要とされる時が来ます。その時は新遊撃隊ではなくて新撰組として呼ばれるはずですから、私は心配していませんよ」
「楽観的だな…」
「私は詳しいことはわかりませんから」
「…ああ、そうだな」
総司の根拠のない励ましで、土方の眉間の皺が一つ取れた。現状に不満はあっても混乱した徳川では致し方ない状況なのだということは本心では良くわかっていたのだろう。たとえ根拠がなくとも今はそう信じるしかない。
これ以上話を続けては気が滅入るので、総司は話しを切り上げた。
「そういえば、相良直之進さんをご存じですか?」
「…山崎の元協力者だろう?なぜお前が知っているんだ」
「元…」
斉藤と同じように土方も相良が新撰組を離れたことを知っていた。やはり相良は敢えて山崎にだけ何も話さずに姿を眩ませたのだろう。
「山崎さんが何もご存じないようで所在を知りたがっていました。彼らは幼馴染なんですよね、土方さんは相良さんのその後のことは知らないんですか?」
「…」
土方は総司を見上げながら、少し沈黙した後に総司の耳元の後れ毛に手を伸ばした。そして言葉を選ぶように続けた。
「…お前が関わらなくていい話だ。相良には会ったことがないのだろう?」
「ありませんけど、山崎さんが心配してましたから」
「わかった。…気に留めておく」
(知っているんだ)
その返答を聞いて、総司は土方が相良の所在や事情を知っているのだと察した。けれど土方はそれを口にするのを躊躇っているようだったので、それ以上は聞けなかった。


翌日、朝早くに伊庭が訪ねてきた。彼は高笑いをしているわけではなく、気難しい表情で
「今夜、下坂することになりました」
と報告した。
近藤は相変わらず二条城へ足を運んでいたのですれ違いとなり、土方と総司が出迎えた。
「大坂へ?」
「ええ、二条城では会津や桑名の兵が今にも戦を仕掛けようと前のめりになっています。上様のご指示で万一のことを考えて物理的な距離を取るために大坂城へ入ることになりました」
「…本当に騒がしくなってきましたね」
総司自身は屯所と別宅を往復するくらいで代り映えのない日々だと思うが、実際は慌ただしく世間は移り変わっている。兵が集い、戦を始めようとしていて、新撰組もその一部になる―――その最中に自分はどこに身を置けば良いのだろう。
(…結局僕は自分のことばかりだな…)
総司は内心自分に呆れたが、落胆している場合ではない。
土方は鼻で笑った。
「この時機に、しかも夜中に大坂へ退くなんて、王政復古を聞いて夜逃げしたのだと笑われるに決まってる。征夷大将軍様なら恥だとお感じになるはずだが、一橋様は外聞を気にされないんだな」
伊庭は土方の悪態を聞き、頷いて苦笑した。
「そういう風に言う者もいます。なんせ、逃げ腰の徳川に失望して上様の前で自害した者もいますからね」
「…そんな」
「身を賭しての抗議だったのでしょうけど…上様がどう思われたのかわかりません」
土方とは違い、伊庭はその端正な顔が言葉では言い表せない感情に押しつぶされていた。彼は自分の主義主張など必要なく、恩恵を受けたその身は徳川のものだと割り切っていたが、本心では葛藤があるのだろう。
何となく無言になってしまったが、伊庭は気を取り直すように続けた。
「…でも、そう悲観することはないです。大坂城の方が広いし、軍艦とも近い。戦となった時も勝てる見込みがありますから実際のところ戦略として悪くはありません」
「ああ。それに万一の時は大坂を抑えれば京への物流を止めることもできる。そうすれば薩摩や朝廷も困るだろう…一橋様は遠い先を見越している。まあ遠すぎるけどな」
伊庭も頷いて湯呑みに手を伸ばした。
「…ところで伊庭、幕臣は二条城に詰める命令が出ているんだろう?こんなところに来ていいのか?」
「こっそり抜け出してきたんですよ。だからこの茶をいただいたら戻ります。俺は大坂へ向かう前にお二人の顔を見たかっただけなんです」
伊庭は名残惜しそうに茶を飲みながら、目に焼き付けるように不動堂村の屯所を見回した。
「勝てる戦だとか徳川が滅ぶわけがないとか…どんな綺麗事を並べたってこれが今生の別れになるかもしれない。だから約束してください…必ずまた会いましょう」
伊庭は寂しさを噛み締めながらも気丈に微笑んだ。揺れ動く心の奥底に何があっても曲げられない信念があるからこそ、彼は決して弱気なことは言わなかった。
「沖田さん、しっかり養生してください。前線で待ってますから」
「…伊庭君もどうかお元気で」
三人は揃って頷いた。
伊庭は部屋を出て永倉と原田、井上に一通り挨拶したあと「近藤先生にも宜しく」と言って屯所を出ようとしたが帰り際、外出していた斉藤に遭遇した。
彼らは二、三言話したあと、
「斉藤さんはしぶとそうだからどこかで会えそうですね」
と悪戯っぽく笑う。すると斉藤は相変わらず淡々としていたが「お互いにな」と返して餞別の言葉とした。
伊庭は軽く手を振りながら去っていった。別れの挨拶だけはしたものの、まるで明日もまたやってくるような気軽さだった。














解説
なし


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