わらべうた




819


「身分、罪状問わず入隊できる壬生浪士組ぃ?…本気か?烝」
相良直之進は怪訝な顔をして、幼馴染の顔を見た。山崎は鍼医者の倅であったが少年期から好奇心が強く薬に興味が向けば薬問屋に入り浸り、書を鍛えたいと思えば書家に弟子入りする…しかもそのどれをも極めた頃に「飽きた」と言って戻ってくる、少々落ち着きのない男だった。
相良の家は代々、鍼医師の山崎の家に客として世話になっていて、同い年の山崎とは幼いころから気が合った。相良は名字帯刀を許された商家の次男であったが、優秀な兄が立派な跡継ぎになり父に気に入られていたため、相良自身は兄の予備でしかなく…毎日が手持無沙汰だった。それ故に山崎が興味の赴くままにふらふらしているのを羨ましく思っていたが流石に浪士組に参加するとなれば話が変わる。
「なんや、面白そうやろ?」
「そんな単純な話ちゃう。…江戸から来た浪士組の噂話は聞いたことある。素行の悪い者を集めて将軍警護になんて妙な話で集まった挙句、結局その大半がおめおめ江戸へ戻ったやろう」
「そうそう。ほんで、都に残ったのは気骨のある浪人たちや」
「…阿呆か」
相良は残った者たちもろくでもない集団に決まっている、と呆れたが、山崎はいつもの好奇心丸出しの表情をして
「なあ、お前もどうや?」
と誘った。
「…なんで俺が」
「このまま家におったって店は兄さんが継ぐし…暇やろう?」
「…」
山崎は気楽に誘っているように見えて、実は次男で行きどころのない相良のことを心配していたのだろう。その気持ちはありがたかったが。
「…考えとく」
相良はそう口にしながら、当然その気はなかった。
(俺は兄の代用品でええ)
そういう人生の方が穏やかに暮らせるに決まっている。何の浮き沈みのない日々の中でたまに山崎の冒険を傍で楽しく眺める…それくらいの方が性に合っている。生きるか死ぬかわからない地獄に飛び込むなんてありえない。
(…と、思うとったのに)
相良は数日後、再び山崎に会い「入隊してきた」と言って荷物をまとめる姿を見て唖然とした。山崎の父は当然反対したが
「こうなっては手が付けられへん」
と、既に諦めていた。
せっせと身支度を整えていく山﨑を見て、相良は内心、焦った。
「ほんまにどあほ者やな。都に行ってどないすんつもりだ、ちょい棒術を齧ったからって身を守れるとは限れへん。…今からでも遅ない。頭下げてやっぱやめるって言うてこい」
「いや、もうやめられへん。局を脱するは切腹らしい」
「…は?」
「それにそないに悪い人たちちゃうみたい。…まあどうにか生き延びる。心配すな」
山崎がいつも通り笑って出ていこうとした。何の気負いも躊躇いもない…穏やかで安定した生活がそこに在るのに、意にも介さずに捨てていこうとする。いつもと同じようにその好奇心が満たされるまで帰ってこないだろう。
けれど、今度は違う。命を賭けてそのまま戻ってこられないかもしれないのだから。
相良は思わずその手を取った。
「…直?」
「烝が死んだら…困る」
「死ぬつもりはあれへんけどな」
「俺には浪士組に参加できるような才はあれへんし、きっと父も兄も許してくれへん。…そやさかい、できることあるなら協力する。せやから…たまには帰ってこい」
(烝がおれへんようになったら…おもろない)
幼馴染は自分では見ることのできない場所へ連れて行ってくれる。…相良は山﨑を失うのが怖かった。
「おおきにな、その時は頼むわ」
山崎は喜んで手を握り返し「ほな」とちょっと近所にお使いでも行くように去っていってしまった。


山崎が口にした『その時』は案外早く訪れた。
数か月後、新撰組隊士として相良の前に現れた山崎は雑談もそこそこに「話がある」と誘い、人気のない路地で立ち話をすることになった。
「頼みたいことがあるんやけど」
「…」
相良はまじまじと山崎を見た。数か月離れていただけなのに人が変わったように落ち着いていて大人びていた。
「直?」
「…雰囲気変わったな。なんかあった?」
「そんなつもりはあれへんけど…まあ毎日楽しい。次々思わなぬ出来事に出くわすし、予想がでけへん。…今までどれほど退屈な人生歩んどったか、実感してるな」
「…」
彼の好奇心が満たされ眼差しは輝いて見える。しかし相良には眩しすぎた。
(烝がそんなんを言うたら俺の人生はなんやねん)
誘いに乗らず相変わらずの代わり映えのない日々を送っているとを蔑まれたような気がして、相良はあまり良い気分にはならなかった。
「…悪いけど、協力でけへん。他を当たってや」
「まだ何にも言うてへんやん…それに直にしかこんなん頼まれへんねん、なあ頼むわ」
「ほな…話だけ聞いたる」
山崎が珍しく懇願するので相良は仕方なく耳を傾けた。
山崎は都の地理に明るいことから、壬生浪士組の『監察方』を任されることになったらしい。討幕を目論む浪士の偵察が主な任務で潜入や情報収集を行うが、それはその身一つではとてもこなせる仕事ではなく信頼できる協力者を仕立てなければならない。
「こっちの知り合いには何人か声をかけたけど、なかなか色よい返事があれへん。なんせ『壬生狼』やからな、関わりたない思うんが当たり前やろ」
「…まさか俺に協力者になれって?」
「そう。お前やったら大坂や都の商家にツテがあるし顔が利くやろ?都の商人は特に長州贔屓やさかい何とか情報を得たいっちゅう上の意向なんや」
「ツテがあるっていったって、俺は父や兄の代わりに出向いて届け物したり、用済ましたりその程度で…」
あくまで次男の相良は邪険に扱われず愛想よく対応されるものの、要の商談や取引の席にはいない。世間話程度で、山崎が求めるような『情報』を得られるとは思えなかった。
「様子を伝えてくれるだけでええんや。世間話でもしたらその商家が攘夷やら佐幕やらそんな話は聞こえてくるやろ?」
「き、聞こえてはくるけど…」
「ほんまに頼む。直に身の危険があったら守るし、危ないことはさせへん」
相良は山崎に両肩を掴まれて揺さぶられた。
(こんなに強情な奴やったっけ?)
好奇心旺盛で気の向くままに日暮し…そんな山崎が必死に頼み込む懸命な姿を見て、相良の心は揺れた。そもそも『協力する』と言い出したのは相良であり、幼馴染がこうして助けを求めているのだから手を差し伸べたいと思う。それに、
(断ったら…もう俺のとこには戻って来えへんのかもわかれへん)
充実した幼馴染の顔を見ると彼の見つけた『道』は探し求めていた場所なのだろう。そしてその先は相良との将来には繋がらず、このまま袂を別つことになってしまうかもしれない。
相良は鼻の先が触れ合いそうなほど近い山崎を真っすぐ見据えた。
「烝…俺は刀は差してるけどお飾りで、抜いたこともない腰抜けだ。次男坊でのうのうと生きてきて何の取り柄もあれへん。…そんな俺に頼んだら自分の足を引っ張るかもわかれへんのや」
だから考え直した方が良いと相良は促したが、山崎は首を横に振った。
「この任務は信頼関係が重要や。俺と直ならそれがある」
「…」
「…それにほんまは俺は直と入隊したかった。せやけど浪士組は厳しいし、局を脱するんは許されへん…直には不向きな場所かて思たから強引に誘われへんかった。…せやけどちょっとは、直が世のために役立てるってわかってほしい。直はほんまは賢いのに世間知らずの次男坊の扱いのままなんは俺が嫌やねん」
山崎の正直な言葉に、相良は目を見開いた。彼は楽観的な気持ちで相良を誘っていたわけではなく、背中を押してくれていたのだ。もしかしたら相良自身が気が付かなかっただけで、いままで何度もそんな機会があったのかもしれない。
山崎の一途な思いが胸にしみて絆される。もうその時には後先考えずに相良は彼の手を取り
「しゃあない…付き合うたる」
と答えていた。山崎の表情は一気に綻んだ。
「ほんまか?恩に着る!取り分はちゃんと交渉するから安心しぃや!」
「金なんかどうでもええし、烝に任せる」
「お坊ちゃんはこれや…。なんか礼でもせんと落ち着けへんな、なんかないんか?」
「なんかってなあ…」
これと言って物欲のない相良は考え込む。しかし山崎が気が済まないと言うので仕方なく答えた。
「礼っちゅうなら…何でも言うこと一つ聞くっていうはどうだ?」
「それがええな。何でも聞く」
「…今は思いつけへん。いつか願い事が決まった時に頼む」
「ああ、わかった。いつか…約束な」
山崎は小指を差し出してきた。子どもっぽい仕草に相良は噴き出して笑った。
「なんやねん、これ」
「子供の頃はようやったやろう?自慢ちゃうけど俺は指切りして約束を違えたことはあれへんからな」
「わかったわかった、信じるよ」
相良はもう良い大人だと言うのに、と恥ずかしがりながら山崎と指切りをした。













解説
なし


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