燦燦【前編】

伏見奉行所が俄かに騒がしくなったのは昼過ぎのことだった。
「敵襲ー!敵襲ーー!」
兵の叫び声が聞こえ、俺は刀を携えて詰所を飛び出した。近くにいた永倉や原田も同じように目つきを変えて駆け出し、隊士たちが続いた。
(白昼堂々と攻め込むとは)
薩長に押し切られる形となった王政復古の大号令は朝廷の中では今や撤回寸前と耳にしていた。兵力、領地で及ばない徳川を敵に回すべきではないとの論調が高まり、このまま復権できるのではないかという話すらあるのだ。ここで強引に戦を仕掛けたところで何の得もない…そこまで考え至ったところで現場に辿り着き、それがただの無意味な推測だったことに気がついた。
「局長!局長ー!」
「誰か医者を!」
「局長が撃たれたぞー!!」
薩長の敵襲などではない。暴れ馬の池月が運んできたのは、右肩を撃たれて意識が朦朧とした近藤局長だった。先に到着していた土方副長は我を忘れたようにかつての呼び名を連呼するが近藤局長の反応は鈍い。
「…っ、左之助!隊士を率いて敵を追え!」
「任せろ!」
副長の代わりに永倉が指示を出し「行くぞ!」と熱くなった原田が数人の隊士を連れて先陣を切り、奉行所を出ていく。そうしていると医学方の山崎や山野、居合わせたらしい伊庭が駆けつけてきた。
俺は永倉に
「南部診療所へ人を呼びに行ってくる」
と手早く告げた。組長である俺自身が医者を呼びに行く必要はないのかもしれないが、今必要ことを自分なりに選択したつもりだ。永倉がわかったと頷いて俺を見送った。
俺は奉行所を出て北上する。人目につかないように抜け道や近道を駆使しながら河原町まで走り続けた。
(敵は…薩長か、土佐か、それとも…)
心当たりが多すぎて絞り切れないが、不意に御陵衛士ではないかと思い至った。真正面から戦わず、不意の襲撃という手段を選んだのは伊東暗殺の報復としてこれが最適で適切な方法だったのではないか。
(だとしたら…俺に責任の一端がある)
やりすぎたのだ。
「くそ…」
俺は息を切らし、駆けながら呟く。考えすぎだ…そう自分に言い聞かせて段々賑やかになっていく人混みに紛れ、河原町に辿り着いた。
息切れした俺が駆け込むと女医の加也が迎え入れた。
「どうかされましたか?」
「…すまない。南部先生を頼めないか。伏見で近藤局長が撃たれて重傷だ」
「近藤様が?!なんてこと…」
加也は驚いて眉を顰めたが、すぐに頭を下げた。
「…申し訳ありません、南部は今朝方、弟子とともにすでに大坂へ向かいました。わたくしもこの診療所の後始末を終えたらあとを追うつもりなのです」
「…そうか…」
俺はいつも賑やかだった診療所がガランとしていることに気がついた。会津お抱えの医者として彼らが大坂へ向かうのは当然のことだが、一歩遅かったようだ。
加也は躊躇いなく申し出た。
「あの斉藤様。わたくしは薬師ですが…」
「いや。それは…」
「俺がいくよ」
加也の後ろから暖簾をくぐり顔を出したのは英だった。被り物をしてハタキを手にしていたので片付けを手伝っていたようだ。
しかし加也は引き下がらなかった。
「いえ、わたくしが参ります。南部の代わりにお連れください」
「姉さん、伏見は戦地だ。男ばかりの根城におなご一人で向かうなんて馬鹿な真似させられるわけないだろう」
「新撰組の方とは懇意です。あなただって傷の手当てなんてさほど経験がないでしょう」
「姉さんだって薬師が専門だ。それに姉さんの身に何かあったら南部先生にどう言い訳すれば良いんだよ」
英は強情な加也を諌める。彼女の正義感は常に揺らがず信頼が置けるものの、今回ばかりは英が正論だ。俺もおなごの加也を連れていくつもりはなかった。
「…英、悪いが頼めるか?」
「ああ。ここまで来たら付き合うよ。それに山さんがいるんだろう?傷の処置は山さんが手慣れてるから安心だよ」
英は被り物とハタキを置き、支度に取りかかる。しかし加也が食い下がった。
「駄目よ、だったら他に傷の処置ができる者を探すわ」
「姉さん、時間がないんだよ」
「駄目。醒ヶ井の沖田さんの看病ならまだしも…だって貴方だって、何があるかわからない。いくら男でも…力では敵わない者ばかりなのに…」
加也は歯切れ悪く引き止める。俺は彼女が言いたいことが何となく察せられた。
英は目立つ。男とも女ともわからない麗しい顔立ちで戦地に入れば、混乱のなかで慰み者として扱われるかもしれない。英の過去を知っているからこそ加也は彼の身を案じたのだろう。
勿論、加也の言い分は英にも伝わった。彼は少し驚いていたがその形の良い唇で微笑んだ。
「…ありがとう。でも俺がそうしたいんだ。南部先生の代わりにはなれないかもしれないけど…」
「英…でも…」
「そんなに姉さんが心配だというなら…」
英はちょうど近くに準備をしていた剃刀を手に取ると、頭上に持ち上げて引き留める間もなく自分の髪一房を引っ張って剃ってしまった。
「な…っ」
加也は小さな悲鳴の後、両手で口を塞いだ。俺もあまりに唐突な行動に正直驚いてしまったが、本人はなんてことない顔だ。
「剃髪したらそういう目で見る輩が減るだろう。火傷の痕も目立つし、食指が動く悪趣味な奴もそうそう居ないよ。…安心した?」
「っ、もう!驚かせないでちょうだい!」
「剃髪した医者なんて珍しくないだろう?松本のおっさんとお揃いなのは癪だけど。…だから俺に任せて、姉さんは大坂へ行ってよ」
英が笑い、加也は困惑しながら
「…わかりました、貴方がその決意なら任せます。…わたくしは支度を」
「うん。じゃあ斉藤さん、頼むよ」
「…何を?」
二人の息の合ったやり取りを呆然と見ていた俺は、英が何を意図しているのかわからなかった。英の行動はいつも俺の予想の範疇を超えているのだ。
彼は俺に剃刀を渡すと
「髪、全部切り落としてよ、急いでね」
とまた笑った。

加也に支度を任せ、俺は剃刀を手に躊躇っていた。英の髪は彼自身が切り落とした部分が少し穴が空いた程度でまだ目立たない…
「何?急いでいるんでしょ?早くやっちゃってよ」
「…まだ、やり直せるが…」
「今更、撤回すると思う?」
思わない、と俺は内心わかっていた。けれど彼の髪を剃る前に聞いておきたいことがあったのだ。
「…医者の道を生きると決めたのか?」
以前、英は南部先生とともに大坂へ行くつもりはないと語っていた。自分がその立場ではないと遠慮し医師であるこそさえ投げ出してもおかしくはない雰囲気だったが、今はその真逆に見えた。
英は苦笑した。
「斉藤さんが言っていたじゃないか。俺が良いって」
「…それはあくまで沖田の病のことを…」
「沖田さんの師匠の怪我なら、見て見ぬ振りはできないよ」
「…」
「いいから」
英に急かされて俺は仕方なく剃刀を持つ手に力を込めた。
昔、父が自分の月代を整えるのを手伝っていたことがある。元々足軽だった父は月代が美しく剃り上がっていることこそが誇り高い武士にふさわしい姿なのだと信じていた。日常は母に剃らせ、いずれお前も剃るのだからと時々俺にも手伝わせた。幼い俺は自分もこうして髪を剃るのだと思っていたが、結局は面倒になって見た目の誇りをあっさりと捨てた。父は何も言わなかったが、心の奥では落胆していたことだろう。
ビリビリビリ、と英の美しい髪が切られていく。座った彼の膝下に落ちていく様は花弁が散るようで儚くあったが、潔くもあった。英は目を閉じて静かに舞っている…俺は彼の決意をひしひしと感じながら剃刀を動かし続けた。
ようやく剃り終えた頃、
「…斉藤さん、やっぱり器用だね」
「…そうか」
「ありがとう」
英は手鏡でぐるりと自分の頭髪を確認したあと、俺の方へ振り返った。
「ねえ、似合ってる?」
「…」
英の茶化した問いかけに、俺は言葉を詰まらせた。
剃髪というものは女子の懲罰もしくは僧侶か医者の印象だったのだが、英はそのどれにも属さなかった。剃髪したおかげで目鼻立ちは余計ハッキリし、まるで麗しい深窓の令嬢が尼僧に出家したような神秘的な雰囲気を纏っていたのだ。しかしそれと同時に火傷の痕はよく目立ち、色々な意味で人間離れしていて真正面から見るのも憚られるような顔立ちだ。
「…斉藤さん?」
「似合っている…と言って良いのかわからない」
「…ハハ、斉藤さんらしいや」
英は苦笑して、俺から剃刀を受け取った。
「さっきの話だけど」
「話?」
「医学の道を歩むのかって。…南部先生を見ていたらわかる、これは生活を営むための商売じゃない。人の命を左右する…だから半端な覚悟じゃダメだとずっと決めかねて…でも斉藤さんが俺がいいって言ったから、俺は求められる限りは新撰組に付き合うよ」
「…」
「まあ、俺が望んでいなくてもこうなる巡り合わせだったんだろう。歳さんに南部先生の代わりにお抱えにしてもらうように頼むつもりだ」
以前、俺は沖田の見舞いのために診療所を訪れ、その時に大坂へ行くべきか迷う英にこのまま沖田を診てほしいと伝えた。英は珍しく驚いた顔をして「考えておく」と答えたのだが、まさかその言葉が英の人生の道を選ばせたとだとしたら
(軽薄すぎる…)
深い意味があったわけじゃない。そうあってくれれば助かる、と勝手な都合だったのだ。俺は思わず加也の元へ向かおうとする英の肩を掴んで引き止めた。
「俺の言うことは聞かなくてもいい。戦場に出ることになれば…命に関わる」
「命なんて固執したことはないよ」
「それでも…あれは俺の考えだ。お前は…他人の意見に左右される必要はない」
「…」
英は怪訝な顔をして俺を見た。そして深く、長いため息をついたあとに俺の顔に両手を伸ばし、両頬に触れて挟むようにしたあと自分の顔を近づける。見慣れない剃髪姿ではあったが当然顔立ちは変わらない。むしろ余計なものが削ぎ落された生け花のように洗練されている。
俺は顔を逸らそうとしたが彼が力を入れたのでなかなか逃れられない。
「なんだ?」
「わかっていないみたいだから補足しようと思って」
「補足?…っ」
…突然、英は唇を重ねた。それは事故ではなく彼の意思によるもので、息も付かせぬ口腔の交わりは俺を混乱へと誘っていく。
「…、おい…っ」
俺は英の肩を押して距離をとった。彼は呆然とした俺を見て微笑み、
「やっぱりわかっていない」
と言った。いつもと変わらない口調だったが、英は揶揄うような言葉の裏に寂しさを滲ませているようにも見えた。
(わかってない…?)
英が言いたいことが分からずに俺は沈黙する。彼の脈絡のない言葉遊びのようなものを理解しろというのが無理な話だ。…しかし何故か俺の過失なのだろうとは思った。
しかし英はまた少しだけため息をついて
「急ぎだったね。…支度しよう」
と困惑したままの俺を置いて加也の元へ向かったのだった。