燦燦【後編】

伏見へ到着すると話はとんとん拍子に進み、英はあっさりと新撰組お抱えの医者として戦地に留まることになった。もちろん医学方として山崎や山野も働くが、やはり実際に戦となれば彼らも前線に立つことになり、負傷者も多く出るだろう。英の存在は新撰組にとって有難いのは間違いないのだが。
「………」
夜、俺は奉行所内のある無人の茶室をひっそりと訪れていた。伏見奉行所は他の奉行所とは異なっていて奉行所の機能とは別に居住空間や茶室がある。庭も見事なもので戦時でなければ趣のある立派な大名屋敷のように見えるだろう。
俺は誰もいない茶室の縁側で厚い雲に覆われた夜空を見上げながら、考え事をしていた。
大坂の上様から見舞いの品が届き、局長は明日早朝に発つこととなった。大坂で療養することは決して局長自身の望みではないだろうが、命を狙われ大怪我をしたのだから指揮を執ることは難しい。
(今後、竹刀すら握れないのではないか…)
右肩を撃ち抜かれた局長は人前では『平気だ』と強がっていたが、実際は動揺しているだろう。武士として刀を持てなくなったら、積み上げて来た誇りは粉々に打ち砕かれるはずだ。自分だったら…と考えると身震いしてしまう。
そしてその襲撃はやはり御陵衛士によるものだったらしい。島田が実際に内海や阿部の顔を見たというのだから間違いないだろう。彼らは局長を待ち伏せして襲撃した…衛士たちはわかりやすく、やられたことをやり返したのだ。
そしてその引き金を最初に引いたのは俺だった。
局長に…局長を心酔する彼らに何と言って詫びるべきなのか。いや、詫びたところで彼らが何と答えるのかわかっている。わかっていて詫びるのは、自分の罪悪感を慰めたいの自己満足で、だとすれば都合が良すぎるのではないか。
『やっぱり、わかっていない』
「…」
英の言葉が不意に蘇った時。
「あれ?先客がいた」
ガサガサと足音が聞こえると同時に顔を出したのは伊庭だった。直前まで気配に気が付かなかったのは彼の力量なのか俺がぼんやりしていたせいなのかわからないが、とにかく
(面倒な)
と思った。しかし伊庭は見抜いていて
「そんな嫌な顔をしなくても。お隣良いですか?」
と笑みを浮かべ有無を言わさず隣に座った。伊庭の手には酒壺と盃があって、盃は何故か二つだ。
「どうです?ご一緒に」
「…そのつもりで来たのか?」
「いやぁ、誰かお相手してくれるといいなぁと思って念のためですよ。そうしたら山口さんがいたから」
「…そうか」
伊庭の言い分が本当なのか嘘なのかわからないが、しかし都合が良いことに俺も飲みたい気分だった。
「伏見は酒所ですから、旨いですよ」
俺はなみなみと注がれた酒を一気に煽った。カッと喉が焼け付くようだったが、その感覚がいまは心地良い。伊庭は「どうぞどうぞ」と続けて注ぎながら話す。
「夜半に茶室で酒を酌み交わすなんて、土方さんに知られたら叱られそうですけど、まあ誰しも飲みたい気分の時だってありますよね。本当は土方さんも誘いたかったんですがとてもそんな雰囲気ではなくて」
「…何が言いたい?」
腹の探り合いをする気分ではなく、俺は直接尋ねた。すると伊庭は笑った。
「言いたいことなんてありませんよ。いろいろあってお疲れでしょう?……そんな風にこの世の不幸を全て背負ったような顔しなくてもいいじゃないですか」
「…」
「何を思い詰めているのかは大体想像がつきますが、起こってしまったことは仕方ありません。あれこれ考えても現実は変わりませんから、せめて反省して酒に流してしまうべきでしょう」
「…無責任だな」
伊庭はあまりに楽観的な言い方をしたが、今の俺には気に障る。結局伊庭は無関係な場所に立っているからそう言えるのではないか…しかし彼は意見を変えなかった。
「責任なんて感じる必要がありますか?たとえ何かのきっかけであなたがこの事態を招いたとしても、引き金を引いたのは間違いなく敵ですよ。その弾丸が当たってしまったのは敵の射程内に近藤先生がたまたまそこにいたからです。偶然が重なっただけで、それを自分のせいだとするならば、貴方は神かなにかですか?」
「…」
「考えたところでどうしようもならないのなら、答えを出さないことも答えでしょう。それより目の前の自分にできる範囲の変えられることだけに目を向けた方が生産的ではないですか?」
伊庭は酒を呑みながら「旨い」としみじみ口にする。
英が言っていた通り、伊庭はお喋りで遠慮がなく励ましたいのか貶したいのかよくわからないが、彼の言いたいことはわかる。むしろ伊庭の言い分はかつて自分が沖田へ説教していたことでもあるのだ。
(…やめだ)
不本意だが伊庭の言う通りだ。彼らに許しを乞うたところで慰められるだけならば、行動で示すべきだろう。
俺は伊庭が持ってきた酒を再び飲み干して息を吐き、「相手をしてくれ」と砂利の庭に立って刀を手にした。伊庭は
「こんな夜に、互いに酒を飲んだ上に立ち会いですか?危ないなあ…怪我をしたらどうします?」
と呆れながらも表情をほころばせた。伊庭にとっても悪くない誘いだったのだろう。
そして彼が手元の酒を飲み干して庭に降りて刀を抜くと、刀身がゆらりと月明かりに照らされる…名門道場の御曹司であり若き剣豪だという伊庭は確かに刀を構える立ち姿は一分の隙が無く、砂利の上であるのにまるで水面に降り立った水鳥のように背筋が伸びて足音がしない。
(この男には特別な才能がある)
俺は二、三手打ち合っただけで気が付いた。伊庭はそれまで饒舌に物事を語っていた口が引き締まり、鷹のような眼差しで俺を見据えている。少しでも油断すれば一気に形勢は傾き、その切っ先に捕らえられる…沖田以外にこのような感覚に陥ることはないだろうと思っていた。
しばらく刀を合わせた後、伊庭は距離を取って口を開いた。
「斉藤さん」
「…山口だ」
「そうだった、山口さん。…気は晴れましたか?」
「…どうかな」
伊庭は不満そうに顔を顰めたので、俺は彼に投げ掛けた。
「さっき言っていた…答えを出さないことが答えだろうと。そんな曖昧な態度が許されると思うか?」
「…むしろ白黒はっきりできることなんて、実際には少ないでしょう?俺だって…随分時間がかかりました」
伊庭が何のことを言っているのかはわからないかったが、彼の表情を見るとこれまでの人生のなかで葛藤があったのだろうという想像はできる。伊庭は真剣を構えなおした後、
「許されないと思うなら答えが出るその日が来るまで、悩んだらいいんじゃないですか?」
と無責任に笑って、また踏み込んだのだった。



朝陽が昇る。冬の晴れ間を予感させるような眩しい朝が訪れた。
「武士って言うのは本当に手のかかる生き物だな」
嫌味を通り越して呆れたように英はため息をついた。
…あれから伊庭との撃ち合いは明け方まで続いた。真剣勝負というほどではなかったが、互いに無心になって撃ち合うことに夢中になってしまい、時間の経過や多少の切り傷は気にならなかった。(酒で酔っていたせいもある)
明け方、伊庭は
『またやりましょう!』
と悪びれもなく新たな仲間を見つけたような清々しい顔で去り、俺も何故かすっきりした気持ちで詰め所に戻ったのだが、鉢合わせた英に傷だらけの姿を見られて驚かれてしまい有無を言わさず部屋に引き込まれ、膏薬を傷口にやや強めに塗り込まれていた。事情を聞いた英はわざとらしいため息をつく。
「酒に酔って手合わせした挙句、組長が傷だらけだなんて大騒ぎになるよ。まったく…貴方たちは手加減ってものを知らないのか」
「…そんなに酷くはないだろう」
「…」
英の蔑むような眼差しで見られて俺は口を閉じた。
手首や脹脛、足の甲…確かに傷の場所は多岐にわたるが数日で治る程度で全部目立たない場所だ。伊庭が受けた傷はどうだったのか…彼のことだから周囲に問い詰められても上手く誤魔化すだろう。
俺は足指を手当てする英をじっと見ていた。剃髪した姿は最初は見慣れなかったが、もう馴染んでいる。彼の美貌がそうさせるのか、彼自身が何も気にしない素振りだからそう思うのか…とにかく彼の長い睫と眼差しががただ一点に集中し、白く細い指で手当てを続けている姿から目が離せなかった。
「……なに?」
視線を感じたのだろう、困惑した英が顔を上げて俺を見た。
「いや…何でもない」
「この間の意味…わかった?」
「…なにが?」
「……やっぱり何でもない、忘れて」
俺の答えに少し不満そうにしながら英はまた膏薬を傷口に塗りつける。
不本意な形で火傷を負い、いやいや医者になって、新撰組に関わりたくないと言っていたくせにいつも仕方ないと受け入れて、戦場だと止めたのに剃髪までして乗り込んで、挙句の果てにはお抱えの医者になってしまった。それはかつての思い人である土方副長のためではない。友誼を結んだ沖田の病のためでもない。
(俺は…わかっていても、わかっていると言いたくはない)
俺はそこまで鈍感ではない。
だから、本当はわかっている。
英が何故、ここにいるのか。彼がどうしてここに居たいと思っているのか。
『お前はきっと、俺のために来たのだろう』
そう答えたら、英は頷くだろうか。淡々と『そうだよ』と肯定してしまうのだろうか。彼は俺に気づいてほしいのだろうか―――。
…何もかも、答えがない。
曖昧で不確かで、英を見るたびに心にずっと靄がかかるようだ。
(俺はお前を拒むことも、受け入れることもできない)
この花のかんばせが歪むところを見たくはないが、自分の気持ちを曲げて嘘をつくこともできない。だから英の負担になったとしても気づかれずに済むのなら、鈍感なままでいたい。
答えが出せない。
「…ふっ」
俺は思わず笑ってしまった。
英と出会った頃、彼が新撰組に害をなすのではないかと疑い、監視をしていた。その時は事情があってあっさりと一線を越えてしまったのに、いまや触れるのさえ憚られるようになった。
「なに笑ってるの」
「いや…変わったものだと思っただけだ」
「…ねえ、頭までおかしくなった?」
英は顔を顰めつつ、まじまじと俺の顔を見たので俺は彼の火傷の跡に手を伸ばした。もう痛みはないそうだが、指で触れるときめ細やかな絹のようで少し引っ張ると柔らかい。英は急に頬をつねられて困惑していた。
「なに…?」
「戦場にいる限りは必ずお前の命は守る。お前が要らないと軽んじても、俺や周りににとってはそうではない」
「斉藤さん…」
『山口だ』と訂正しないのは、沖田と英だけだ。
「…俺にはわからないことが多いが…お前が他の誰かと同じでないことは、わかる」
触れそうで触れない、近づきそうで近づかない。知人というには知りすぎて、友人というには足りないが、それ以上を望むことはない。だが、いざとなれば命だけは守りたい。
こんな答えでお前は満足するだろうか。
英は少し呆然とした後、火傷の跡に触れていた俺の手を取って重ねた。そして
「俺もそう思うよ」
と言った。
穏やかでいて周囲を恍惚とさせる微笑みは、燦燦と差し込む陽の光のようだった。