天満屋の宴が気になりつつもそろそろ休もうかという頃、土方の別宅に大石が現れた。息を切らして気配を消すことなく駆け込む姿を見て、土方も総司も状況を察した。
「襲撃に遭いました。紀州藩士は無事ですが、負傷者が多数出ています」
「…わかった。応援を呼んで来い」
「はい」
大石の端的な説明で状況を察する。土方は険しい表情を浮かべながら羽織に袖を通して外出の準備を始めたので、総司は
「私も行っていいですか?」
と訊ねた。土方が「休め」と叱ると思ったがすでにそのつもりだったようで頷くだけだった。
総司も急いで身支度を整える。土方が(山野を介して)贈ってくれた襟巻を身に着けて外に出たが思った以上に凍えた。しかし今更置いて行かれたくなくてその素振りを隠しつつ土方の後ろを歩き、天満屋を目指した。
「…斉藤さんが無事だと良いんですけど」
「あいつはこういう事態には慣れているはずだ。一番隊の隊士も粒揃いでそう易々と死にはしない」
土方は総司を励ますため、というよりもそれが本心であるように話す。しかし実際に確かめなければ気が済まず、逸る心を抑えながら早足で歩いた。
天満屋は目と鼻の先というほどには近くないが、思った以上に早く到着した。
「これは…」
薄く積もった雪があちこち泥と血が混じり真っ黒に染まっている。旅籠に足を踏み入れるとさらにそこは修羅場となっていて大石が言ったとおり怪我人が多い。
「副長、沖田先生…」
二人に気が付いてやってきたのは相馬だった。彼は大きな怪我はないようだが血塗れだった。土方は
「今の状況は?」
と説明を求めると、相馬は軽く頭を下げた。
「はい、逃げて行った敵を追いましたが、甲斐なく見失い引き返しました。怪我人が多く出ていますが、二階が主戦場で重傷者はいま先んじて駆けつけられた医学方の山崎先生と山野先輩が手当てをしております。このように、一階で待機している者は皆、軽傷です」
総司は一階を見渡した。あちこち建具が倒れて一続きになった部屋には、見慣れた顔や応援に来た他の組の隊士が疲れたように腰を下ろしている。しかしその中に斉藤の姿はない。
「斉藤さんは?」
「二階にいらっしゃいます、ご無事です」
「そうですか…」
総司が安堵していると、ちょうど屯所から駆けつけた隊士たちが息を切らせてやって来た。土方が隊士の半分には残党狩りを命じ、もう半分は旅籠の警備を命じたところで、二階から島田の案内で紀州の三浦たちが降りて来た。
「ご無事でなによりです」
「ああ…話がある」
覇気がない三浦と共に土方が話し込み始めたので、総司は近くにいた島田に声をかけた。彼は呆然として総司が来たことに気がついていなかった。
「怪我は?」
「あ…お、沖田先生、いらっしゃっていたのですか。…自分は無事です…が、自分が不甲斐ないせいで…隊士が死にました」
島田は眉間に皺を寄せて悔しそうに唇を噛む。そんな島田の肩を叩き、総司は尋ねた。
「…死んだのは?」
「船津と宮川です」
「信吉ですか?」
「はい…」
宮川信吉は近藤の従兄弟で、天然理心流の門人だ。齢が近かったが、総司があっという間に免許皆伝まで駆け上がってしまったので宮川は恐縮して『先生』などと呼んだが、総司は同期のような気持ちで接していた。そんな彼の訃報に言葉が出ずにいると、階段が軋む音が聞こえた。
(斉藤さん…)
斉藤が降りてきた。怪我などはないようだがその返り血のせいで凄惨な現場だったのだと察することができる。彼にしてはあまり見たことのない疲れた表情を浮かべていて、一瞬総司の方を見たがそのまま土方と合流して話し込む。
総司は島田に「少し休みなさい」と声をかけて、入れ替わりで二階へ向かった。階段を昇るとあちこちの建具が壊されて障子紙が破れ、刺客が土足で踏み込んだせいで泥が撒かれたように汚れていた。
そんな二階の廊下に宮川の遺体があった。
「…信吉…」
彼は背中を一閃されていた。おそらく背後から奇襲を受けたのだろう、刀を抜くことさえできずに即死したはずだ。
総司が無力感に苛まれていると、「こら」と背後から声をかけられた。振り返るといるはずのない彼が憮然とした様子で立っていた。
「…あれ?英さん?」
「こんな寒い夜に歩き回ったら風邪をひくじゃないか」
「すみません、非常事態で…。それより何故ここに?」
「俺が聞きたいよ。深夜に急患だって叩き起こされてこの近くに来てようやく終わったと思ったら、新撰組に捕まって怪我人がいるから診てくれなんていわれてさ…ほんとついてない。関わりたくないと思えば思うほど関わらざるを得ないんだからさ」
英が遠慮なく愚痴るので、総司はつい笑ってしまった。彼の言う通り彼は不本意に巻き込まれ続けているのだ。
英は「笑い事じゃないよ」とため息をつきつつ、不意に横に視線を向けた。その先は血だまりのような部屋で荒れたおそらく主戦場となったのだろう。三人の遺体が横たわっていたが、その一人は英とそっくりの顔をしていた。
「…お知り合いでしたか?」
「いや…わからない。本当に記憶にないんだ。ただ…懐かしい感じはした」
「懐かしい?」
「…でももう知りようもない。この人が俺に会って満足して逝けたのならそれで良いよ」
英は少し自分に言い聞かせるような言い方をしつつ、改めて風呂敷を持ち直した。
「じゃあ、もう山さんに任せたから退散するよ。これ以上は御免だ」
「はい、ありがとうございました。土方さんにも伝えておきますから」
「診察代はちゃんと請求する」
英は笑みを浮かべて去っていった。
総司は朝比奈が横たわる場所に近寄った。目を閉じても尚、麗しさと美しさを保ったままで肌艶から髪の毛の色まで不謹慎ながら英にそっくりだ。しかし英の言う通り彼らの間に何があるのか、知りようもない。
そしてその死に顔の口元は穏やかな笑みを浮かべていた。
(僕が死んだ時…笑って穏やかに死ねるだろうか)
総司は船津に視線を移した。凄惨な死にざまで、朝比奈とは違い苦痛を浮かべたまま命を落としている。宮川はまだ目を見開いたまま、魂だけが抜けている。
(…僕は酷いな)
こんな風に死ねたらいいのにと、心のどこかで思ってしまう。
病に蝕まれるよりも敵の刃に屈する方が良い。君たちが羨ましい―――そんなことを考えてしまう。
「…嫌な夜だな…」
総司は呟いたとき、ひゅっと隙間風が入り込み寒さを感じた。肩を竦めると土方から贈られた襟巻がなんだか温かく感じた。