夜中に目が覚めた。
俺は総司が深く眠りに落ちていることを確認したあとに寝床を出た。そして着崩れていた襟を正して帯を結びなおし、燭台の灯りを手元の蝋燭に移して適当な綿入れを着込んだ。衣擦れの音が響いたが、疲れ果てた総司は気が付く気配すらなく規則的な寝息を立てている。
俺は安堵しながら足音を立てないようにゆっくりと部屋を出たところ、凍てつくような朝の寒さで一気に目が冴えた。空は白みつつあり、間もなく日が昇るだろう。
(やるべきことをやるか…)
忙しなく伏見に移ってから気がかりだった件を片付けようと思っていた。この別宅にはそもそも仕事を持ち込むつもりはなかったが、屯所には気軽に置いておけない文や書類の類を多く保管していて、一時的でもここを離れるからには処分しなければならないと思っていたのだ。俺は隣室の物置から行李を取り出して、その中身の一部を庭に投げ捨てた。そして蝋燭の炎を移して少しずつ燃やしていく。
煙がゆらゆらとたなびく…それをぼんやりと眺めながら昨夜のことを考えていた。
「…絶対か…」
俺が発した言葉が、どうやら総司の忌憚に触れたようで酷く動揺させてしまった。絶対なんてどこにもない―――近藤先生が襲撃され、血塗れで運び込まれる姿を見ていつ誰がそうなってもおかしくないのだと思い知ったのだろう。
絶対に大丈夫なんて、俺にも本当は言えない。
(俺が死ぬかもしれない。お前がもたないかもしれない…)
だが、そんな気弱なことを言って何が変わるのか。互いを不安にさせて、苦しませてしまうだけだ。だったら絶対に変わらないと言い切れる自分の気持ちを信じるほうがいい。
俺の返答に総司が納得したのかどうかはわからないが、穏やかな寝顔をしていたのである程度は受け入れたのだろうと思う。
俺は文や書類を次々と薪のように焚き火にくべていく。また行李に手を伸ばし、次の文を拾い上げたところで手が止まった。
「……」
それは山南さんの筆跡だった。犬猿の仲だと噂された俺と山南さんが交わした文などほとんどないが、これは彼が死に際、俺に託した隊編成が書かれたものだ。山南さんは己の命の終え方を考えながらも、死んだ後の新撰組のことを気にしていた。新撰組に追い詰められたというのに…矛盾しているとも思えるが山南さんらしい行動でもあった。
俺は折りたたまれたそれをしばらく眺めていた。本人の性格が顕れているような穏やかで優しい筆跡は懐かしく感じたが、目に焼き付けたあとは焚き火のなかにそっと入れた。この文はある意味、山南さんの遺言で遺品とも言えるものであり、焼き捨ててしまうのは惜しくもあったが、俺が肌身離さず持ち歩くような物でもなく山南さんもそのつもりではないだろうと思ったのだ。
「…こんなことになるなんて思わなかったよな」
俺は山南さんに語りかける。
ようやく幕臣になったと思えば、たった半年で幕府は解体され、長州や薩摩が朝廷を乗っ取った。徳川が追い詰められ、その真っ只中に新撰組がいる…こんな展開、あの賢い山南さんでも想像できなかっただろう。
(あんたがいれば…平助は死ななかっただろうし、御陵衛士と対立して近藤先生も怪我を負わなかったかもしれない。まったく…何で死んだんだ)
今更、だなんてわかっている。だが、いまなら彼ともう少しまともな話ができそうな気がしたのだ。
山南さんの文がすべて焼けて灰となって消えたのを見届けたあと、俺は続けて他の文を処分し、行李がもう少しで空になる頃に総司が起きて来た。
総司は身体は重く怠そうだったが、まるで憑き物が落ちたかのようにすっきりとしていた。あれだけ拒んでいた大坂行きも受け入れて、発句集を持っていきたいなどと冗談を言うくらいには気が楽になったようだ。
やがてすべて燃え尽きて、焚き火から火種が消えてゆらゆらと煙だけが舞っていくのを寄り添いながら眺めていた。その頃にはもう日が昇り、辺りは明るく照らされている。
ふと総司が口を開いた。
「この家…どうするつもりなんですか?」
「…もし都に戻って来られないときは、みねさんに譲渡するつもりだ。住んでもいいし、売って金にしてもいいだろう」
「いい考えですね」
総司が同意したので俺は安堵した。総司が彼女を親か祖母のような存在に慕っているだろうから、恩返しになるはずだ。しかし総司は少し遠い目をして続けた。
「でも…できればまた…こうしてゆっくり過ごしたいですね」
「…ああ、そうだな」
俺は総司の横顔を眺めた。ほっそりとした輪郭に高い鼻梁、長い睫、上品な唇…そして人懐っこい眼差しがこちらを見て「なんですか?」と笑った。いつもと変わらない、いつもと同じ笑みを見て…俺は急に胸が締め付けられるような、逸る気持ちが昂って総司を引き寄せて口づけた。
俺は初めて、儚いものに触れるような、別れ難い気持ちが抑えられなくなる。
(ずっとこのままでいたい…)
「…歳三さん…?」
「…何でもない。何でもないから…しばらくこうしていてくれ」
俺は総司を抱きしめた。
総司の右手には俺が贈った指環が嵌められている。遠く離れても、お前は俺のものだという所有欲とともにこの小さな形ある証明がお前の支えになるといいと思う。そして俺はこのぬくもりを忘れずに、生き延びる。
きっとこの家でまた過ごせると信じて、このどうしようもない気持ちとともに噛み締めた。