数年ぶりの試衛館から戻った総司は、近藤の部屋を訪ねていた。近藤は寛永寺の警護任務を務めていたため一緒には来られなかったのだ。
「おつねやおたまは息災であったか?」
「はい、変わりない様子でした。おふでさんともお話しして、大先生に手を合わせることができました」
「そうか。義母上は随分老け込まれたそうだが…どうだった?」
「でも相変わらず口は達者でしたよ」
「ハハ…それは何よりだな」
ふでの厳しさを知っている近藤と総司は顔を見合わせて笑いあう。今はすっかり角が取れて穏やかな再会となったのだ。
総司は話を続けた。
「それで、近藤先生がおっしゃっていたように土方さんが住まいを移すようにとお話したところ、おつねさんは承知されました。親戚の伝手を頼るとおっしゃっていましたが」
「そうか。…実はもう宛てがあるんだ。門人に福田平馬君という者がいたのは覚えているか?」
「ええ…何となくは」
「彼が成願寺の所縁があるらしくてな。住職は信用のできる御坊だそうで、皆を預けようと思っているんだ。万が一、官軍が江戸に攻め上り試衛館や親戚の家を襲撃するようなことがあってはならぬからな」
「そうですね」
成願寺なら試衛館とも左程離れていないのでつねも安心して身を寄せることができるだろう。こうしてみるとやはり都より江戸には所縁があって頼れる者が多く、恵まれていることを実感した。
総司は改めて居住まいを正し、本題を切り出した。
「それで…あの、先生にお願いがあるんですが」
「お願い?」
「先生にいただいた…この、加州清光のことです」
「うん?」
総司は加州清光を近藤の前に置いた。
浪士組出立前にひと悶着あって、近藤から贈られる形で加州清光を手にした総司はずっとこの刀を愛用してきた。しかし数々の激闘を経て河上彦斎と対峙した時に大きく損傷してしまい、使い物にならなくなってしまったのだ。もちろん近藤はそのことを承知していて
『形あるものはいつか壊れるさ。お前が良く働いた証拠だ』
と励ましてくれたのだ。その後は斉藤から受け取った大和守安定を手元に置いているが、既に病に臥せっていたためあまり使用していなかった。
「実は江戸に戻ってから島田さんに頼んで加州清光を何とか鍛え直してもらったんです。と言っても、刃こぼれは酷いし長く耐久出来るものではないと思いますが…」
「そうだな。いざという時に折れてしまっては元も子もない」
「はい、私は銘柄にこだわりなく斬れ味が良く実戦で使えるものが名刀と言われるべきだと思います。でも、先生から頂いた大切な刀を使えないまま置いておくのは忍びなくて」
「うん、お前の好きにしたら良い。俺の虎徹はまだまだ現役だが…それで、何が望みだ?」
「…はい、その…」
総司があまりに言い難そうにしているので、近藤は首を傾げた。
「どうした?」
「…その、加州清光を芳次郎に譲りたいと思っているんです」
「芳次郎に…」
総司の甥の芳次郎は何度か鍛冶橋の屯所にやってきて、稽古に加わっていた。近藤もその様子を何度か見たことがあったが、芳次郎の立ち姿や構えが幼少期に稽古に励む宗次郎の姿に重なり懐かしさに目を細めていたのだ。土方から芳次郎が入隊を望んでいるとは耳にしていたが、近藤は口出しせず叔父である総司の判断に一任することを決めていた。だが、総司は決意したようだ。
「やはり入隊させないんだろう?確かに芳次郎はよく鍛えているがまだ実戦で使えるような段階ではない。戦が目前に迫っているなかで、お前の甥だからと妙に期待されるのも気の毒だ」
「私も先生と同じ考えです。…でも本心を言えば、芳次郎が凛と竹刀を構えている姿を見て、私が手とり足取り鍛えてみたいって思ったんです。きっと良い剣士になる…だから自分ができなかった剣の道を芳次郎に極めてほしいと、そんなふうに想像してしまって。もしかしたら誰よりも期待しているのは私なのかもしれません」
「総司…」
「でもそんなことを口にしてしまえば、芳次郎はその期待を遺言のように生涯の重荷と感じて生きていくでしょう?だから私は何も言いたくはなくて…でも餞別というつもりはないんですけど、この刀を渡したいんです。この刀は私がそうしてもらったようにきっと芳次郎を強くしてくれるし、守ってくれると思います」
総司は上手く言葉にできないと目を伏せたが、近藤にはその気持ちが痛いほどよくわかった。言葉にできない思いを刀に託して、芳次郎に渡したい…加州清光はその役目に相応しいだろう。
近藤は加州清光に触れてひと撫でした。
「…お前はこれを贈った俺のことを気にしているのだろうが、そんなことは気に留めなくていい。俺もお前と血がつながった芳次郎が受け継ぐのならこんなに嬉しいことはない…お前の気持ちを尊重していい」
「はい…ありがとうございます」
近藤は加州清光を手に取って、総司に渡した。あの日の約束のように。
総司は両手でそれを受け取った。この刀を手放すことにもちろん躊躇いがないわけではないが、ずっと傍に置いて眠らせておくような物ではないこともわかっていた。
「きっとこの刀も喜んでいると思います」
「そうだな」
二人は頷きあった。