「うーん」
俺、島田魁は思い悩んでいた。
屯所としている五兵衛新田の金子家は申し分ない。広い土地と立派な屋敷には新撰組の噂を聞きつけた入隊希望者が続々と集まり、近所に分宿までするほど日々大きくなっている…永倉先生たちが脱退して一度瓦解しそうになったものの、立て直し始めていると言って良いだろう。
(順風満帆とは言えないが、先行きは明るい)
そんな風に思っていたのだが。
「……」
俺はちらりと相方である山野の様子を伺った。一番隊の隊士と医学方を掛け持ち、伏見から忙しそうに駆け回っていたが、このほどようやく落ち着きいた。特に昼夜問わずに負傷者の面倒を見ていたが会津へ向かったことで手が離れて、ようやくまともな生活ができるようになった……はずなのだが、本人の顔が冴えない。
(何かあったのか…?)
俺の方はと言えば、江戸に戻ってから古参隊士として土方先生から命令され、永倉先生たちの様子を伺い報告したものの全て徒労に終わり、昔馴染みの隊士も数人脱走した…そんな日々に少しうんざりしていた。新しい屯所で新しい日々が始まっても大坂と甲府で敗戦を喫したことが、当然ながらどこか新撰組に暗い影を落としている。
(山野も新撰組に見切りを…?いや、そんなはずはない。山野は新撰組に愛着を持っているはずだ)
ぐるぐると考え込む俺に「先輩」と張本人が話しかけてきた。
「おっおう、どうした?」
「…あの、今日は副長に許可をいただいて小姓衆とともに千駄ヶ谷へ行くことになりました」
「あ、ああ…沖田先生のところだな」
「はい。お引越しの手伝いで、遅くなるかも知れませんが…」
「大丈夫だ、先生によろしく伝えてくれ」
俺たちの師である沖田先生が今日、浅草から千駄ヶ谷へ越すことになったことは耳にしていた。俺も山野と共に手伝いたい気持ちがあったが、新入隊士たちの訓練を任されているのでそうはいかない。
山野はじいっと俺の顔を見た。
(お…もしや…)
いま周囲には誰もいない。ご無沙汰だが、接吻を求めているのでは―――?
しかし俺のそうした期待はあっさりと裏切られ、山野は少し笑って
「じゃあ行って参ります」
とあっさり顔を背けられてしまった。…俺が邪なことを考えていたことに気づかれてしまったのか?
「お、おう…」
未練がましく伸ばした右手を誤魔化して山野を見送った。
五兵衛新田の屯所では、金子家の女中や近所のうら若き女子たちが品定めするように遠目から隊の様子を伺っていた。
言わずもがな一番人気なのは土方副長だ。元々端正な顔立ちで男女問わず惚れ惚れとさせていたことに加え、今は洋装を見に纏いよく目立つ。隣に沖田先生がいた頃ならおなごとはいえ引き下がるしかないが、今はお一人で颯爽と三日月に乗って出入りされるので注目の的だ。
「斉藤先生や原田先生がいればまた人気は二分されたでしょうが、いまは副長の一人勝ちですよねぇ」
一番隊の後輩である野村が俺の隣でスルメを齧りながらそんな世間話をする。俺は小荷駄方の手伝いで刀の手入れをしていた。
「…暇なのか?」
「全然暇じゃありませんよ。次々入ってくる隊士の名前を覚えたり世話したり、隊のことやら大砲やら銃やら教えなきゃなんねぇし…ちょっと逃げて来たところです」
野村は愚痴っぽく言ったがその気持ちはわかる。新しい隊士が加わるのは良いことだが、指導する側はてんてこ舞いだ。
そのあとも野村は隊内の美男番付のような話を続けた。ああだこうだと根拠のないぐだぐだとした話を俺は聞き流していたが、山野の名前が出た時は手を止めてしまった。
「そういや山野さんもおなごに囲まれてましたよ」
「な、なんだと…?」
俺は野村に詰め寄って「どういうことだ」と先を促すと、野村はにやっと笑った。
「そんなに驚くことじゃないっすよ。なんだっけ、昔は美男五人衆なんて言われてたんですよね。今まで新撰組の屯所に近づくおなごなんていなかったし、山野さんも花街に行くような人じゃなかったから気が付かなかったけど、あんだけ整った顔なんだから不思議じゃないっすよ」
「そ……それはそうだが…」
「山野さん、ちやほやされてまんざらでもないんじゃないっすか?」
「…!」
俺の頭は急に真っ白になって手にしていた刀をカラン、と足元に落としてしまった。野村が半ば揶揄って大袈裟に言っているなんてことにも気が付かず愕然とした。
(そ、それで今朝も俺を拒んだのか…!)
山野の心境の変化があったとすれば新撰組ではなく、俺に対してだったのか!
俺は文字通り頭を抱えるが、野村はさらに追い打ちをかける。
「島田伍長、なぁんか心当たりでも?」
「…心当たりなんていくらでもある…」
「ははぁ、浮気っすか?」
「そんなものするか!」
俺は怒鳴ると野村は笑った。
山野と衆道の関係になってから数年が経ち山野はますます男ぶりが上がったが、俺はただ年を食っただけ。さらに天満屋の騒動や墨染で近藤先生が襲撃された時には失態を犯し自己嫌悪の日々だった。山野は励ましてくれたが俺の情けない姿を見て見切りをつけてもおかしくはない。
俺はすっかり弱気になった。
「野村…男なら未練がましく縋るのは良くないよな…」
「…良くないっすけど、それでも好きなら仕方ないんじゃないですか?」
「そうか…」
散々揶揄ったくせに野村が急に真剣な声で励ましたので、俺は落とした刀を拾い上げて手入れを再開する。
(万が一、万が一そんなことがあったとしても…俺は隊務を疎かにしてはならぬ)
俺が誇れることは数少ないけれど、新撰組の古参隊士としての誇りは失ってはならない。仕事まで手を抜いてはどうしようもない。
失意の俺が黙々と手入れを続けていると、野村はふっと息を吐いて笑った。
「俺はいい男だと思ってますよ」
冗談でもなく、真剣すぎるほどでもなく野村が口にした褒め言葉を、俺は苦笑しながら受け取った。
山野が小姓衆たちとともに千駄ヶ谷から戻って来たのは夜が更けた頃だった。俺が物音に気が付いて出迎えると、山野は「起きていたんですか?」と素直に驚いていた。俺は早寝早起きの男だ。
「あ、ああ…。どうだった?」
「はい、滞りなくお引越しは終わりました。沖田先生もお元気そうで」
「そうか…それはよかった」
俺は先生がご壮健であることに安堵したが、同時に山野の表情が晴れやかであることに気が付いた。この数日の憂鬱な表情はすっかり吹き飛んでいて、先生にお会いしたことが山野にとって大きな出来事だったのだろうと思う。
(俺じゃなくて…か)
山野が沖田先生のおかげで復調したことにほんの小さな嫉妬心を覚えたが、山野は先生に心酔しているので妬いても仕方ない。
俺は日中の野村との会話に背中を押され彼と話をしようと待ち構えていたのだが、山野の方が先に
「先輩、少しお時間宜しいですか?」
と屋敷の外へと誘った。日頃は大砲の訓練を行う場所だがいまは皆が寝静まっている。
今日に限って明るい月明りの下で俺は山野と向かい合う。ほのかな灯でも彼が端正な顔立ちしていて、何年経っても見惚れてしまうのだがそんな彼の口からどんな話が打ち明けられるのかと思うと恐ろしい。
(たとえ別れ話でも、冷静に…冷静に…)
俺は心臓のあたりに手を当てて自分に言い聞かせるが、山野は急に頭を下げた。
「山野…?」
「先輩、申し訳ありませんでした。ずっと僕…先輩を遠ざけるような態度を取ってしまい…」
「え?あ、ああ…そんなこと…」
(気が付いたのは最近のことだが…)
真摯に謝る山野に対し、暢気なことはとても言えない。山野は続けた。
「僕はずっと…怖かったんです。戦で死ぬことが…僕が死ぬことだけじゃなくて、先輩に何かあることも…ずっと…」
「え?」
「医学方に力を入れるようになって一番隊から離れて任務をすることが増えました。僕自身が望んだことなのに…死んだ隊士や負傷者たちに向き合う時間が増えたせいもあるかもしれませんが、先輩に何かあったらどうしようと考えこむことが増えました。最悪の場合ばかりを考えて…だったら、いっそこれ以上深い関係にならない方がいいんじゃないかって…」
「山野…」
俺は自分自身の浅はかな思い込みを恥じた。山野は医学方に重きを置くようになってから『生』と『死』を見つめる時間が増えたことで思い悩むようになってしまった…けれど俺はそのことに気が付かなかったのだ。
山野は続けた。
「沖田先生に打ち明けて励ましていただきました。それでようやく気が付きました、先生はもっと深刻で重たい病を抱えているというのに…僕が一人で思い悩んでくだらないことで身を引いて、自ら不幸せになってどうするのかって。そうしたら急に悩むことが馬鹿らしくなって靄が晴れました」
「…晴れたのか?」
「はい。不束者ですが、今後もどうか先輩の念者として共に生きてくださいとお願いを……先輩?」
俺は腰を抜かしてしまった。俺が勘違いしている間に、俺の知らないところで山野は悩みを昇華した…それはとても望ましいことであったが、別れ話をされるものと思い込んでいた俺はただ力が抜けてしまう。山野は慌てて膝を折った。
「ど、どうしたんですか?」
「いや…うん、正直に言うと山野が悩んでいるなんて気が付かなかったし、今朝までさほど距離を置かれていることすら気に留めていなかった」
「あ…そうだったんですか?」
「まったく…俺は愚鈍だな」
俺は自分自身に呆れるしかないが、山野はその形の良い唇を緩めて笑った。
「はは…先輩はそれでいいんです」
「良いのか?」
「はい」
「…俺は良くないと思う。今度から悩んでいることがあったら教えてくれ。俺も隠さぬ」
俺は自分が鈍い自覚はあったので山野に頼む。すると山野は俺の手に自分の手を重ねて頷いた。
「そういうところが僕は大好きです」
「だ、だだ……」
いつも、俺は山野の言葉ひとつひとつに翻弄され、彼の仕草や表情で俺の人生はまるっきり変わってしまう。
(まったく…)
この月明かりの下で山野は極上の笑みを浮かべていたように見えたのだ。