山竝に風は鳴る
15
浅羽は長輝から引き離されるように中屋敷に連行され、そのまま屋敷内の一室に閉じ込められた。主戦派たちは長輝と行動を共にした同罪人として浅羽の存在を危険視しているが、会津公が信を置く小姓であるためあまり手荒な真似はできなかったようだ。
浅羽は部屋の外にいる見張りへ向けて怒鳴った。
「長輝を…神保修理をどうするつもりだ?!」
「会津を奸臣へと陥れる裏切り者だ!屋敷に閉じ込めて沙汰を待つ!」
「何も罪を犯していないというのに誰の沙汰を待つというのだ、佐川を呼んでくれ!」
「佐川殿は無関係である!」
見張り役は取り付く島もない。浅羽は苛立ったが、ここで食い下がっても良いことはないだろうと諦めて、一旦冷静になるべく膝を折った。
長輝は自分の行動が藩内の怒りを買っていることを重々承知していたが、己の信念を曲げず藩内外の批判を一身に受けても隠れはしなかった。むしろいつかこんな日が来るとわかっていたのではないか…そう思うくらい堂々と振舞い、無抵抗のまま彼らに従った。
(きっと佐川はこのような真似はしない…)
むしろ義に篤い佐川が勝手に家老の倅を幽閉するような真似をするはずがない。佐川は長輝の身を案じ、彼らはいがみ合っていても互いを認めていたのだ。
浅羽は暗闇の中で目を閉じた。感情が静まっていくのを感じなら考える。
会津のなかに不満と苛立ちが募っていた。怒りは視野を狭くし、一人の人間を悪役に仕立ててしまう。藩士たちは己の主君である会津公を標的にすることはできず、『神保修理』というわかりやすい敵を作った。
(…来るべき時が来てしまったのだろうか)
長輝と行動を共にしてきた浅羽は、覚悟を決めたのだが。
俄かに、監禁されている部屋の外が騒がしくなった。浅羽は襖に耳を寄せて様子を窺ったところドタドタと大きな足音がこちらに近づくとともに言い争う声が聞こえて来た。その声の主はすぐにわかった。
「…殿、殿!お待ちください、ここは殿のような尊き方が足を踏み入れるような場所ではございませぬ…!」
「ここは私の屋敷だ。どこへ行こうと勝手だろう、何か不都合があるのか?」
「ご、ございませぬが、いまは、その…」
「この物々しい騒ぎは一体何事だ!私の許可なく、戦でも始めるつもりか!」
「殿!お待ちください!」
「殿!」
会津公の凛とした声は、しどろもどろの家臣たちを叱り諫めながらこちらに近づいてくる。浅羽は緊張のあまり胸の音がドクドクと響くのを感じながら、その場から一歩も動けなかった。
(殿が来てくださったのか…?)
足音が止まる。息遣いを感じる―――浅羽は襖一枚隔てた先に、会津公がいることを確信した。きっと会津公もそうだったのだろう。
「開けよ」
「…できませぬ。ここにいるのは会津を乱す罪人です、殿はお会いしてはなりませぬ」
最後の砦である見張り役はひるまず、頑なに通そうとしなかった。けれど殿はそれを許さなかった。
「罪人などではない。…私が、私の小姓に会いに来たのだ、何の不都合がある」
「…」
「開けよ」
今まで耳にしたことのないような会津公の厳しい物言いが響き、ようやく観念した見張り役は襖を開けた。真っ暗な部屋にゆっくりと差し込んだ、淡い蝋燭の灯り。けれどたとえそんなものがなくとも浅羽には会津公の姿が良く見えた。
「…殿…」
「…浅羽、一緒に来い」
会津公は腰を抜かした浅羽に手を差し出した。浅羽は呆然としながらほとんど無意識に手を伸ばして重ねると、会津公は強く引いて立ち上がらせた。そしてそのまま手を重ねたまま部屋を出て廊下を進む。
「殿、お手をお放しください…」
「いや、どこかへ行かれては困る」
「…い、行きませぬ…」
浅羽を閉じ込めた者たちは会津公の迫力に呑まれてすっかり意気消沈し、事情を知らない家臣たちが一体何事かと道を開けた。浅羽は周囲の目を気にしたが、会津公は全く気にせずむしろさらに強く握りしめて歩く…それはまるで取り戻したお気に入りのおもちゃをもう無くさないようにしている幼子のようだ。会津公は堂々と振舞っていたが、浅羽は羞恥のあまり俯いてただ従うしかできなかった。
そしてそのまま会津公の自室に戻り、浅羽も久しぶりに部屋に足を踏み入れた。
「…殿、何故…」
「表で騒ぎがあったと聞いた。ちょうど傍にいた佐川に事情を探らせたところ、お前が懲罰の部屋に連れ込まれていると聞いたのだ」
「…殿自らこのような真似をせずとも」
「私が出向いた方が話が早かった」
浅羽は今回の件に佐川が関わっていないことを知って安堵したが、会津公はまだ浅羽の手を握ったままだ。
「…殿、お放し下さい」
「いや…お前の本心を聞くまでは離さぬ」
「本心…で、ございますか…」
浅羽は顔が強張った。会津公に隠している本心など一つしかない―――それを生涯打ち明けないと決めたばかりだというのに、会津公の眼差しはあまりにも近い場所で真っすぐと見据え決して逃げることなどできようもない距離にある。
「…私の質問に正直に答えよ」
「は…」
「お前は本心では…私に愛想が尽きたのだろう」
「…な、なんと…?」
(何をおっしゃっているのか…)
浅羽はどこか現実味がなくて理解ができないが、会津公の表情は真剣だった。
「此度のことで…私は自分の浅はかな考えで家臣を置いて江戸に戻り、その後は表舞台から姿を隠して逃げることで責任を取ろうとした。己で動かず、日和見となり…結果として修理が代わりに皆の非難を浴び、このような事態を招いてしまった。お前はずっと小姓として藩主を支え続けている家柄で先代にも仕えている。…私のような不甲斐ない藩主にほとほと呆れたのではないかと…」
「そのようなこと、一度たりとも思ったことはございません!」
「…だが…」
会津公の表情は愁いを帯びる。今度は浅羽が会津公の腕を掴んだ。
「前も申し上げました。殿は常にその時にできる最善を選んでいらっしゃいます!たとえそれが不本意な結果を招いたとしても、殿が選んだことに従うのが家臣の役目であると考えます。…いまはあまりにも世情が揺れ、混乱し、皆の意見が割れ、会津がその標的となっていますが、必ずや会津の生き方が認められる日が来ましょう!」
「…だったら、お前はその時まで傍にいてくれるか?」
「勿論です…!」
浅羽が即答すると、会津公はようやく穏やかな笑みを浮かべた。しかし会津公は浅羽の手を離そうとはしない。
「…殿、手を…」
「もう一つ、聞きたいことがある」
「は…」
「………」
長い沈黙の後、会津公は一旦目を伏せて迷うような仕草をしたが、意を決したように口を開いた。
「根付は、どうしたのだ?」
「……あ…ね、根付でございますか…」
唐突な質問に浅羽は動揺した。これまで何度も根付が盗まれたことを話そうとしてはタイミングを失っていたが、会津公がそのことに気が付いているなど微塵も思いつかなかったのだ。会津公は少し拗ねたように唇を噛んでいた。
(まさか…根付の件で、私を遠ざけられたのか…?)
浅羽は唖然としたが、肌身離さず身に着けていた根付が大坂城を脱して江戸で再会した途端に姿を消したとなれば会津公が気を揉むのは当然かもしれない。
「も、申し訳ございません。実は…松阪に向かうため長輝と共に大和路を馬で駆けていた時に、盗賊に襲われまして」
「何?聞いていない」
「殿がご心配されるようなことは何も…私も長輝も怪我はありませぬ。…ですが、その際に御宸翰の入った風呂敷とともに根付を落とし、盗賊に奪われ…御宸翰を取り戻すことはできたのですが、根付の方はそのまま…」
「……」
「申し訳ございません…!勝手に御宸翰をお運びし、一時でもあのような汚らわしい盗人に奪われるなど…万死に値します。隠し立てするつもりは微塵もありませんでしたが、報告の機会を逸し…!」
あの時、浅羽は御宸翰を取り戻すので精いっぱいで頭が回らなかったのだが、今となっては御宸翰が一度でも奪われたことの方が大問題であり、小姓たちが『勝手に持ち出した』と責め立てるのは当然なのだ。浅羽は急にゾッとして全身に冷や汗を掻きながら深々と頭を下げた。
「このような粗相…!私の方こそ殿を失望させてしまいどうお詫びすれば良いか…」
「浅羽」
「やはり私は小姓には相応しくありませぬ」
「よい。…御宸翰は取り戻したのだから、なんの問題もない、そのことは黙っておればよい」
浅羽が恐る恐る顔を上げたところ、会津公は笑っていた。
「と、殿…?」
「浅羽がそのように焦るのを初めて見た」
「は、はあ…」
「…根付はなくなってしまったが、無事でよかった」
「は…はい、本当に、御宸翰がお手元に戻り何よりでございます…」
「お前が無事でよかったと言っておるのだ」
「……はい」
会津公はようやくすべてを理解して安心したのか、それまで握っていた手を離した。浅羽の掌はじんわり汗をかきつつ急に寂しくなった気がしたが、会津公の誤解を解くことができた安堵の方が勝った。
二人は向かい合って座り、改めて話し始めた。
「…それで修理のことだが、捕らわれたというのは本当か?」
「はい。おそらく藩兵たちの話ぶりで、和田倉屋敷へ向かったかと思います。ここには殿がいらっしゃいますから」
「私がいたら不都合があるのか?」
「…殿は長輝の能力を見込み仕事を任せてきましたが、周囲には贔屓のように見えてしまうものです。特に長輝はご家老のご子息ですから、殿が庇われるのではないかと危惧して和田倉屋敷へ向かったのではないでしょうか…」
「…」
会津公は不満そうな表情であったが、長輝へのやっかみは今に始まった事ではない。本人がどれほど誠実に仕事をしたとしても常に付き纏うものなのだ。
「…では、私が強引に長輝の解放を求めたところで逆効果になるか」
「おそらく…。すでに神保修理が上様を唆して江戸へ引き上げさせたという道筋が出来上がってしまっています。これが落ち着かない限りは…」
「…また何もできぬのか…」
会津公は己の無力さにため息を付いたが、長輝と同類とみなされてしまっている浅羽にもできることは少ない。
「…佐川に頼んで様子を探らせましょう。家老の倅に手荒な真似はしないはずですから、すぐすぐに状況は変わらないかと思います。…今宵は休まれてはいかがでしょうか?」
すっかり夜は更けている。明日になれば和田倉屋敷の状況や藩内の動きも耳に入るだろうと、浅羽は提案したのだが
「わかった。…お前もこの部屋で休め」
と命じられてしまった。
「し、しかし…」
「また強引な真似をする者がいるかもしれぬが、ここならば流石に連れ去られるということはないだろう。…遠慮することはない、私はもう家督を譲った隠居の身だ、以前ほどとやかく言う者はいないだろう」
「は…はい…」
会津公の物言いは少し強引であったが、何もかも浅羽の身を案じてのことなのだろう。浅羽は頷くことしかできなかった。