山竝に風は鳴る
16
幽閉というものの過酷さを長輝はじわじわと感じていた。
外の様子が分からず聞こえてくるのは雑然とした状況のみ。最低限の衣食住だけが与えられ、隙間から洩れる光を頼りに大体の時間を知ることができることが唯一の救いだろうか。
(長州の吉田松陰先生は長らく投獄されたそうだが…僕はいつまで持つのか…)
書物でも差し入れてもらえれば暇を潰せそうだが、そのような手厚い対応など期待できないだろう。なんせ彼らは長輝を戦犯だと信じているのだから。
そうしているとガタガタと音がしてつっかい棒が外され、ギギギ…と重たい扉が開いた。まだ食事の時間ではない。
「…佐川」
「…」
現れたのは佐川だった。不機嫌そうな顔を隠そうとせず、長輝を一瞥してため息を付くと、ゆっくりと長輝の前に腰を下ろした。
「まさか、僕を捕らえたのは佐川の指示か?」
「…このような真似をして何の意味がある」
「冗談だよ。…佐川がこんなことをしないとはわかっている」
長輝の戯言に、佐川は心底嫌そうな顔をした。
「…殿に様子を探ってこいと命じられたが、どうやら快適に過ごしているようだな」
「ああ、悪くないよ。ここしばらく忙しくしていたから休むのにちょうどいい。ただ朝晩の寒さは堪える、お前の力でどうにかならないか?」
「…」
佐川はそれを冗談と思ったのか、強がりに聞こえたのか…難しい顔をして話を続けた。
「…このような顛末になったことに心当たりはあるか?」
「勿論ある。…僕は鳥羽伏見であまりに一方的に蹂躙される戦を目の前にして、これは勝てぬと思い江戸への帰還を進言した。上様がそれをどう受け取られたのかはわからぬが最悪の形で大坂城を脱出され、江戸に戻るや全てを覆して恭順するとおっしゃった。そしてその責任はすべて会津、そして僕に在る…巷ではそのように広まっている。ここに僕を監禁している者たちは本音では僕を甚振って殺したいと思っているだろうが、僕は家老の息子で公用人、軍事介添役である。勝手な真似をしては責めを負うことになると恐れ、ひとまず手を拱いている…そんなところだろう」
長輝はあくまで客観的に俯瞰して自分の立場を理解しているつもりだったが、冗長に話すと佐川は不快そうに眉間に皺を寄せて腕を組んだ。
「…そこまでわかっていて何故身を隠すことなく目立つような真似をした。こうなることくらいわかっていたはずだ」
「僕が身を隠したところで父や妻に危害が及ぶ。それに殿の責にもなる…それだけは避けねば」
「それでもやり方はある。職を辞するなり、謹慎するなり…反省の意を示せば収まったかもしれぬ」
「反省か…」
佐川なら何もかもを辞任して髪を剃って仏門に入ってしまうかもしれない。長輝には思いもつかないことだと苦笑した。
「…僕なりの責任の取り方だ。恭順を口にしたことも、江戸への帰還を提案したことも…嘘ではない。もちろん僕の考えが上様を動かしたわけではないし、僕は江戸での再起を心から信じていた…だから少々脚色された噂ではあるが、僕が潔白だとも言いきれない。そして残念ながら、いまだに僕は自分が間違っていたとは思えない」
「神保」
佐川は少し睨むように長輝を見据えた。この期に及んでまだ考えを変えていないのか、と叱るような眼差しだったが、長輝はそれでも口を開いた。
「…佐川、よく考えてくれ。鳥羽伏見でどれほどの犠牲を出した?大坂城に残って本当に勝てたのか?…もし負けていれば、会津は江戸に戻ることすら叶わなかった」
「もうそれ以上は口にするな」
「ああそうだな、これ以上はただの想像で机上の空論どころか意味がない。…だが、上様は敗戦濃厚となった時、鳥羽伏見の戦は徳川は関係がない、会津の私戦とまでおっしゃったのだ。恭順を決意され、もし官軍にもそのように主張されたとしたら…そして会津がまだ官軍に歯向かうとしたら、鳥羽伏見で起きたことが会津でも起きるのだ。…佐川、勝てるのか?」
「…」
「我々が戦で死ぬくらいは構わない。だが、会津にいる無辜の民はどうなる?女は、子供は?藩校の若者たちは?殿は…?」
「もう良い!」
佐川は長輝の話を強い口調で遮った。
「…貴様はあまりに遠い場所を眺めているようだ。確かに我々は鳥羽伏見で大敗した…だからこそ、もう一度再起するために江戸に戻ったのだ。敗残兵として惨めな目に遭い、命からがら逃げ延びた…怒りと悔しさで振り上げた拳をどこかへ下ろさねばならぬ」
「それが、戦ですか…勝てるとでも?」
「負けることを考えて戦う者などいない」
「…そうだな」
長輝は決して佐川の考えが理解できないわけではなかった。けれど交差することがないのだ。根っこのところで会津を思う気持ちは同じでも、進んできた道と見えている未来が違うのだろう。
二人はしばらく沈黙した。常に顔を合わせれば犬猿の仲、あれやこれやと口論し周りの者が引き離すまで喧嘩をしていた二人だが、今はどんな罵声も思いつかない。
「……これから、どうするつもりだ?」
佐川は長い沈黙を破って訊ねた。
「…僕は今まで殿が懸命に徳川に尽くされたことをよく知っている。それなのにこんな不名誉な形で何もかも失ってしまうなど…どうしても受け入れられぬ。だからそのために会津だけが責められるべきではないと訴えてきた…いまはどうかそれが実り、会津と殿が貶められることがないようにとそれだけだ」
「殿のことは皆が案じている。…だから、お前の身のことを聞いている」
「僕か…」
佐川にそんなことを聞かれるのは意外だったが、長輝は正直に答えた。
「…そうだな、雪子のことは心配だ。妻は思いつめるところがあって…」
「わからぬ奴だな、だからお前自身のことを聞いていると言っているだろう」
「僕の身がどうなるか…佐川、わかっているだろう?僕もとっくにわかっているよ」
「…」
長輝の返答に佐川は唖然とした。無骨な彼がそうしているのを見たことがなかった。
「願わくば、殿にもう一度お会いしたい。それだけだ」
「……わかった」
佐川は「もう話はない」と切り上げてさっさと出て行ってしまった。佐川の無骨で揺らぎない真面目さと誇りのために命を賭して戦う姿は会津の侍に相応しいものだ。戦場でも文句ひとつ言わず別撰組を率いて駆け回り、生き延びた…それだけで称賛に値する。
(あとは頼む)
長輝はそれを口にはしなかった。口にしたところで佐川はその言葉を受け取らないとわかっていたからだ。
再びギギギ…と扉が閉まっていった。
翌日、会津公と浅羽の元へ佐川が状況を伝えにやって来た。
「神保修理の幽閉は主戦派の有志による共謀というだけで、首謀者はわかりません。彼らはあくまで神保修理の目立つ行動が会津に不利益をもたらすため幽閉している主張していました」
佐川は淡々と語った。
主戦派の一人で長輝と敵対関係にあると思われている佐川が和田倉屋敷に向かうと、案外あっさりと長輝に面会できたらしい。長輝の方は取り乱すことなく周りの状況や親族の身の安全について尋ねて来たそうだ。
「…手荒く扱われてはいないのか?」
「おそらく。本人は冷静にこの状況を受け止めているようです」
「そうか…」
会津公は少し安堵した。
長輝は中屋敷前で捕縛された時も状況を理解して、暴れることなく彼らに従った。浅羽にはいつかこんな日が来ると覚悟していたのだろうと思ったくらいだ。
佐川は長輝との詳しいやり取りは明かさなかったが
「主戦派に探りを入れ、できるだけ早く事態を収束させます」
と言って席を立った。
会津公は佐川を見送ったあと、脇息を身体を預けてゆっくりと息を吐いた。浅羽は羽織を手にして背中に回り、肩に掛けた。
「殿、お風邪を召されます」
「…うん、いま倒れるわけにはいかない」
そう言いながらも会津公は筆を取り、事態を穏便に済ませようと身体を休ませようとはしなかった。こうなると梃子でも動かないことをよく知っている浅羽は、せめてすぐ近くにと傍に控えた。
(昨晩は…よく眠れなかった…)
再び近くで仕えることができる安心感はあったものの、会津公の言葉を反芻して一体どんな意味だったのかと思い返しては眠気が覚めた。藩主の座を降りて、次の藩主に従えと言われたはずが昨夜は『私の小姓』と言った。
(…いや、殿は私を庇うためにそう言われただけのこと。それ以上の意味などあるはずがない…)
けれど、会津公の言葉の節々は意味深に浅羽に響き続け胸を高鳴らせてしまう。さらにすぐ近くで会津公が静かに眠られていたのだから全く落ち着かない。
(期待してはならぬ…)
浅羽が己に言い聞かせながら書物を整理していると、会津公がこちらをじっと見ていることに気が付いた。
「…どうかされましたか?」
「いや、百面相のようだった。…何か考え事か?」
「い、いえ…何でもありません」
この胸の内のことなど打ち明けるわけにはいかず、浅羽は笑ってごまかした。
するとそこへ江上がやって来た。
昨日の会津公の助言通り、新撰組が屯所にしている鍛冶橋を訪ねたところ預かり物をしたのだという。
「近藤局長が勝安房守からお預かりして、殿へとお渡しするように頼まれていたそうです。ちょうど自分が出向きましたので引き受けました」
「安房守が…?」
江上が恭しく書状を会津公へ渡すと、そこには上様の名が記されていた。会津公は複雑な表情を浮かべながら書状を開き目を通したところ、表情が驚きへと変わった。
「…殿?」
「上様より…神保修理を引き渡すようにとのお達しだ。これ以上の混乱を招くべきではないとのこと…」
長輝は勝と旧知の間柄でたびたび訪ねていたのですぐに彼の幽閉は耳に入ったのだろう。勝は長輝の置かれた立場を憂い、上様に働きかけてこの書状を届けさせたのだ。
「それは妙案ですな!上様のご命令ともなれば会津も引き下がるしかありませぬ故、この事態はすぐに収まりましょう」
江上は手を叩いて喜んだが、会津公は曖昧に頷き判断に迷っていた。
恭順を決め込み隠居・謹慎状況の上様と、今や徳川の軍事を握り最高権力者である勝の命令を、導火線に火が付いた主戦派の会津藩士たちが聞き入れるだろうか。ますますその怒りに火をくべて長輝の立場が悪くなるのではないか…。
「…江上、この件はまだ内密に頼む」
「はっ」
江上は頭を下げて去り、会津公は書状をもう一度読んだ。
「…安房守からの働き掛けがあったとはいえ、これは上様のご命令だ。背くわけにはいかぬが…」
会津公は呟きながら書状を畳み文机の上に置くと、また脇息に身体を預けながら深く考え込み始めた。