山竝に風は鳴る

18


―――その後のことは、浅羽にはわからなかった。
結局、浅羽は同役に知らせず大坂を離れて江戸へ向かったこと、その際に御宸翰を勝手に持ち出したことで罪を問われ、国元での謹慎を命じられた。そして三日後の今日、二月十三日の夜に出立することとなった。
また、時を同じくして会津公は江戸城へ登城を禁じられた。つまり上様は敗戦の責任を問われる会津に手を差し伸べることなく、むしろ梯子を外すように会津を断ってしまったのだ。会津公の落胆ぶりは職を離れた浅羽には想像するしかできないが、このことで官軍の標的が会津に向けられるとともに徳川の仕打ちに失望した主戦派の勢いは増すこととなるだろう。会津公の恭順の思いは儚く無視されてしまうのか…浅羽はこの先のことを思うと暗澹たる思いだ。
(長輝は…どうしているだろうか…)
先日、会津公と父が涙ながらに長輝を切腹させることを決め、佐川に伝えた。長輝はとっくに己の命など投げ捨てて固執せず会津のことばかり考えていたが、せめて武士として切腹をさせることが彼への餞になるのだろうか…。
そんなことを考えていると「入るぞ」と佐川のぶっきらぼうな声が聞こえた。浅羽が返事をすると佐川は重たく立て付けの悪い木戸をギギギ…と開けて顔を出した。
「…何故このような物置部屋に?」
佐川は眉間に皺を寄せて部屋を見回した。
浅羽はこの数日、物置部屋で謹慎していた。空の行李が積み上げられており、埃っぽく光の入らない陰気な部屋だ。確かに板張りの床は冷たく風通しが悪いが佐川が顔を顰めるほど悪い場所ではない。
「良いのだ。ここならば何か不測の事態があっても殿の元へ駆けつけられる」
「…お前らしいな」
佐川は呆れたように言いながら、ドカッと重たい帷子を身に着けた格好で浅羽の前に座った。厳しい表情は戦時のような緊張感が漂い、ただならぬ用件で尋ねて来たのだとすぐにわかった。
「…なにかあったのか?長輝は?」
「その件で来た。…神保は斬首となった」
「斬首…?」
浅羽は青ざめた。何の心の準備がないまますでに長輝が死んでいる…という報告を告げられたこと以上に、その最期は想像したものと違うことに衝撃を受けていた。
「と、殿のご命令で切腹になるのでは…!」
「ああ。大殿様に命じられ切腹の沙汰を和田倉屋敷に伝えようとしたが、既にもぬけの殻であった。俺の知らぬ間に下屋敷へ移していたようで残念だが間に合わなかったのだ」
「……そんな…」
浅羽は両手をついて力無く項垂れた。
長輝の咎とは一体何だったのか…彼のように国に尽くした若者が殺人か強盗のように罪人として死なねばならなかったのか。あまりの理不尽さに浅羽は吐き気さえ感じていたが、
「…というのが、大殿様に伝えた話の筋である」
と佐川が言ったので浅羽は顔を上げた。
「…どういうことだ…?」
「いま会津は徳川に見限られ、ついに背水の陣となった。大殿様と若殿様は各藩へ和平の周旋を懇願しているが返事はなく、主戦派はますます昂り、こうなっては玉砕もやむなしと戦に向けて動き始めている。それが官軍からすれば会津が恭順ではなく戦支度をしているのだろうと見なされ、殿の恭順姿勢が疑われてしまう…そんな悪循環に陥っている。この状況で会津が一致団結するために、どうしても神保を殺すしかなかったのだ」
「それは…殿もご理解されていた…!だが…!」
会津公は無力な自分を嘆きながらも家臣を切り捨てる悲しい決断を下した。涙を流しながら書にしたためた切腹を申しつける藩命がどうして不本意な斬首を招いたのか。浅羽がその理由を促すと、佐川は淡々と答えた。
「…大殿様の藩命による切腹では兵が納得せぬ。そう考え、俺が独断で命じたのだ。神保を大殿様の目の届かぬ下屋敷に移し、斬首するようにと」
「佐川…!」
あまりのことに浅羽はカッと熱くなり、佐川の胸倉を掴んだ。しかし一回り体格の良い佐川はそれくらいではびくともせず、涼しい顔のままで表情を変えない…浅羽に謗られることもわかっていたのだ。
「大殿様と神保内蔵助殿には斬首を伝え、兵たちも知っている。だが大殿様から神保修理の名誉のため切腹として扱うようにとお達しがあり、暗黙の了解で、表向きは切腹したと他藩には伝わっている」
「…実際には斬首されたと皆が知っているというのに、表向きは切腹だと?そんなことをして一体、何の意味があるというのだ!長輝は十分に働き、十分に責められた。その死に方さえ曖昧でままならぬというのか…?!こんなに不名誉なことはない!佐川、そんなにも長輝のことが気に入らないのか…!」
「浅羽、大殿様に聞こえる」
「構わぬ。長輝だけではない、お前は殿のお気持ちさえ踏み躙っているのだぞ…!」
浅羽は長輝の最期を想像して涙が溢れた。
長輝は若い時分から才気あふれ、会津を背負う人材だと誰もが認めていたのに、あの日々が嘘のようにあっという間に悪者として祭り上げられ悲惨な最期を遂げてしまった。そんな理不尽なことがたとえ事実であろうとも易々と受け入れられるはずがない。
佐川は襟をつかむ浅羽の手をゆっくりとしかし強く掴み、離した。そして急に声を潜めた。
「…浅羽。お前は、大殿様に隠し事ができるか?」
「え…?」
「生涯、誰にも話さず墓場まで持っていく秘密を抱えられるか?大殿様に頼まれても決して口にせぬ…それができるのなら、本当のことを話す」
「…本当のこと…だと…?」
これ以上、どんな真実があるというのか―――浅羽は強く知りたいと思ったが、同時に心が揺れた。
佐川の真摯な眼差しからは彼自身がすでに『墓場まで持っていく覚悟』を抱えているのだとわかる。それは会津公にさえ隠すべき真実なのだ。
浅羽が長輝を葬り会津公を裏切った佐川を憎むことは簡単だろう。このまま話を切り上げて彼と絶縁して違う道を歩むこともできる…その選択を彼は提示したのは彼の優しさだろうけれど、すぐに決断した。
「…本当のことを、教えてほしい」
「大殿様には決して悟らせてはならぬ。できるのか?」
「ああ…!」
このまま佐川の話を聞かずに逃げると一生後悔するだろう。だったらその片棒を担ぎ、苦しむ方が良い。
(たとえ殿を騙すことになっても…!)
浅羽が頷いたので、佐川はゆっくりと息を吐いて居住まいを正した。そして先ほどまでの淡々とした事務的な話し方をやめた。
「…神保は幽閉される前から、様々な場所に顔を出し目立つ真似をしていた。俺が何度咎めててもやめようとはせず…そのせいで兵たちの不満はすべて神保に向けられた。あれは頭が良い…こうなることがわかっていて敢えてそのように行動していたのだろう。それはすべて大殿様のため…大殿様へ兵たちの不満を向けないためだ」
「それは…長輝もそのように言っていたし、私もわかっていた」
『僕はこれより先、決して殿が責めを負うことがないように…必ず、お守りします』
大坂にいるときから、江戸に戻ってからはそれ以上に長輝は自分の責任を痛感し自省してきた。江戸城西の丸で会津公と再会してその苦悩に触れ、長輝は強い決意をしていた。
「俺は神保が幽閉され、一度会いに行った。奴は相変わらず自分の考えは曲げられないようだったが、すでに死を覚悟していた。何を言ってもその決意は変わらぬ…俺はそれが別れと思い、その後使者を送ったのだ。俺が文で奴を斬首することを伝えると『ありがとう』と使者を通じて返って来たのだ」
「…長輝は何故礼を…」
「俺は神保とは気が合わない、考え方が違う…それは今でも思う。けれど肝心な所では考えが同じだった。…どうせ死ぬのなら、無駄死には御免だということだ」
死後に与えられる名誉など必要ない。今目の前にあるものを守りたい。
悪者のまま葬り去ることが会津の団結に繋がる…長輝は自分の死すらもその手段として使ったのだ。
長輝の強い思いが浅羽にも伝わった。
「……長輝は己の斬首こそが会津のためになると考えていたのか…」
「…最期まで芝居の上手い奴だった。下屋敷で兵たちに囲まれた時には『自分には罪はない、ただ君命を奉ずるが臣の分である』と自嘲して死んだ。おかげで兵たちはすっかり騙されている…不本意な形で殺してやったのだと。これで兵たちの憎しみに一旦区切りがついた。奴の死は…決して無駄ではない」
佐川は「これがすべてだ」と話し終えたが、浅羽は言葉に詰まった。
(私の考えが及ばなかった…)
散々対立していた長輝と佐川だったが、最後の最後に手を結び、長輝を斬首するの道を選んだ。おそらくそのような明確な打ち合わせはなく、佐川が長輝の覚悟を察し、長輝もそれに応えたのだ。そして今度は佐川が長輝を殺した張本人となって、長輝の家族や恭順派の兵たちの憎しみを一身に受けることになる。彼らが本当にいがみ合っていたのかわからなくなるほど二人は一致団結して、会津のために動いた。
浅羽は一度深呼吸して、佐川の話を受け止めた。
「…何故殿に話さないのだ…?」
「神保は…大殿様と父君に自分を切腹にしたという余計な重荷を背負わせたくないと言っていたそうだ。だから斬首を望み、使いの者にもこの件を誰にも知らせるなと念を押した」
「しかし殿は…」
「お前も言っていただろう。大殿様はすべてをご自分のせいだと思い込まれるところがある。今回の件を知ればどれほどのご心痛となるか…だから、神保を殺したのは俺と無恥で愚かな兵だったのだと、少しくらいは誰かにせいにするくらいの方が良い。…神保の最後の頼みだ、どうか大殿様には隠し通してくれ」
「…わかった」
浅羽はずっしりと肩に重たいものを背負ったような気がしたが、目の前の佐川の重荷に比べたら大したことはない。それに自分が望んだことだ。
逆に佐川は少しだけ表情に余裕が生まれ深く息を吐いた。
「…今日の夜、会津へ出立するのだろう?」
「ああ。御宸翰の持ち出しの件は義の当然としか思わぬが、勝手に江戸に戻ったことは責められるべきだ。…おそらく長輝が派手に動いたことで私の処分が軽くなったのだろう。長輝は…私を守ってくれた」
「そうかもしれぬな。…再び無事に会おう」
「佐川も」
二人は視線を合わせ、頷きあった。



夜、浅羽は最低限の荷物を抱えて部屋を出た。
「参りましょう」
見張り役の中年の兵とともに長い廊下を歩いて中屋敷を出る。会津に戻れば改めて量刑が決まるだろうが、おそらく小姓として会津公に仕え、二度とここに足を踏み入れることはないのかもしれない…そう思うと会津公とともに歩んだこれまでのすべての出来事が脳裏によぎり後ろ髪を引かれる思いであったが、振り切って足を踏み出した。
浅羽は門をくぐりしばらく歩いて振り返った。中屋敷は浜御殿に近く、海の眺望とともに歌川広重の「江戸勝景」に描かれるほど広大な屋敷である。その会津藩という存在を知らしめるような立派な佇まいとその逞しさは藩兵の誇りである。
(…夜はこれほど明るかっただろうか…)
月明かりが二月の夜空を照らしている。屋敷で謹慎している時よりもよほど夜道の方が明るく開放的だ。浅羽は遠い会津を目指し、歩を進めようとしたのだが、
「浅羽」
と呼び止められた。声の主は振り返らずともわかっていた。
「…殿…!」
後方の木陰から現れたのは会津公だった。浅羽は急いで駆け戻る。
「殿、屋敷を抜け出されたのですか…?」
「まさか。…あそこに梶原がいるだろう」
「あ…」
少し離れた物陰に浅羽を謹慎させていた梶原の姿を見つけた。彼の許可が出ているのなら咎められることではないのだろう。
会津公の表情はどう形容したらよいのかわからないほど物淋しげに憂い、けれど一方で月明かりに照らされて顔の造詣が強調され、麗しさが増していて浅羽はどうしてだか目が離せなかった。こうして間近で会う機会もないだろうと思うとますます惜しく、手の届かないものになるような気がした。
「…お前を見送ろうと思ったんだ。修理のことは聞いたか?」
「は…斬首に処されたと」
「悲惨なことだ。佐川は間に合わなかったと言っていたが、佐川自身がそう命じたのだという噂も聞いた。…けれどどちらでも構わぬ、もう修理は戻っては来ぬ…」
会津公は目を伏せ、落胆の色を隠せなかった。浅羽は佐川の思惑通りに会津公が認識していることに少しの安堵を覚えつつも、会津公の置かれている立場を思うと胸が張り裂けそうな思いだった。
「殿は…これからどうなさるのでしょうか」
「私も近いうちに会津へ戻ることになるだろう。兵装を解き、謹慎し、官軍へ恭順の意を示す…そして上様のご助命と東征の中止を嘆願し続ける。私の為すべきことだ」
会津公は悲しみに暮れながらも変わらない強い決意を口にした。
けれどこの先、会津公の御傍にどれほど理解のある者が侍ることができるだろうか。浅羽が離れ、修理が死に、佐川は遠ざけられるだろう…会津公は孤独なままもがき苦しむことになるのではないか。
浅羽は会津公に少し近づいた。
「殿…鳥羽伏見の際、敗戦が続くなかで上様が幕閣や兵たちの前で皆を鼓舞されたことがありました。あれは結局上様の策であったのか本音であったのかは今となってはわかりませぬが…皆の心に届き、一時戦線を取り戻したのは事実でした」
「ああ、そんなこともあったが…」
「どうか殿もご本心を兵の前でお話しくださいませ。会津藩兵は殿の言葉を必ず信じます。長輝の犠牲が無駄にならぬよう、どうか殿のお言葉でさらなる一致団結を」
「浅羽…私にそんなことができると?」
「殿でなければできませぬ」
浅羽の言葉にはもっともらしい根拠や理由はなく、ただそうであってほしいという願いだけが込められていた。
戦となるのか、恭順となるのか、いったいこれから会津がどんな道に進むのかはわからない。けれど会津の侍ならば、必ずや主君のために戦い続けるはずだ。
会津公はしばらく何も話さなかったが、ふっと表情を緩ませた。
「…お前がそういうのなら、やってみよう」
「はい」
「一つ、頼みがある」
「何なりと」
浅羽は即答した。もうその立場ではないとわかっていても、会津公が願うことがあるというのなら、なんでも叶えたい。
会津公は微笑んだ。
「…私はまたお前に…根付を贈りたい。同じ朝顔の根付を。…良いか?」
「…!」
「だから会津で再び会おう。…道中、気を付けてくれ」
朝顔の根付は変わらぬ忠心と、終わった恋という意味がある。
大坂から松阪への道中でそれを失った時、浅羽はまるで会津公との縁が途切れてしまうような気がして、江戸へ急いだ。しかし結局はこうして別れることになり、あの根付を喪ったのは必然だったのだろうと心のなかで納得させていたのだ。
(しかし、殿はまた紡いでくださるというのか…)
浅羽は目を滲ませ声を震わせて
「…ありがたき、幸せにございます…!」
と答えた。
それがしばらくの別れとなった。


会津への道中は険しい山脈が続いている。どこまでもどこまでも果てしなく続く道に時折、風が吹くことがある。冬に眠り春に向けて芽吹く青い草を揺らし、さやさやと鳴る。
浅羽はそのたびに
(殿…?)
と振り返る。しかし当然、会津公の姿はない。けれど浅羽はその気配に励まされ、また歩き始めるのだ―――。













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山竝に風は鳴る
最後までありがとうございました。
細かいところで時系列を入れ替えたりしていますが、神保修理(長輝)の切腹を中心としたお話となりました。
会津のお話はあまり書く機会はなさそうですが、浅羽についてはどこかで書いてみたいと思いますので、再び登場する日を楽しみにしていただけると幸いです。
あまり馴染みのない人物や展開でしたが、リアクションをいただけて嬉しかったです。最後までありがとうございました!