わらべうた



1001


僕は知ってるよ。
諦めに打ち勝てるのは信じることだけだって。だから信じることさえできるなら、刀なんてなくても僕は強くなれるんだ―――。


慶応四年四月二日。
ある旅姿の男が五兵衛新田を訪ねた。ここには二百人規模の幕府歩兵隊が屯集しているという話であったが、村は不自然なほど閑散としていて静かだった。屯所にしていた金子家を覗いても家人がいるだけで兵士らしき姿はない。しかし嵐が過ぎ去った後のような抜け殻にも見えた。
仕方なく男は通りかかった中年くらいの女を引き止めて話を聞いた。
「すまない。ここに幕府の歩兵部隊が集まっているという話だったが知らないか…?」
「ああ…もうここにはいませんよ」
「…一体どこへ?」
「さあ…」
男の問いかけに対して女の目は泳いでいるように見えた。この辺りは徳川に肩入れする土地柄であるが故に幕府の歩兵隊に味方して村の皆が口裏を合わせているのだろうということが伺えた。
男は質問を変えた。
「いつ去ったのだ?」
「…知りませぬ。何故そのようなことをお聞きになるので?」
中年の女は少し睨むように言い返す。口を開けば村八分となるのか、これ以上は話さないという頑なさを感じたので男は諦めることにした。
それでもここを去った後の宛てがないので村中を歩き回り情報を収集する。すると観音院の前で屯するおなごたちが噂話をしているのが耳に入った。
「内藤様には良い方がいらっしゃったのかしら」
「いらっしゃるに違いないわ。だってよく江戸へ行かれていたでしょう」
「ええそうねえ。でも急に流山へ行ってしまって、お相手もお寂しいでしょうねえ」
「ほんとにねえ、一体どんな美女なのかしら」
声色の高いおなごたちの噂の的は内藤らしく、やはりおなご同士の井戸端会議で、口に戸は立てられないものだ。
男は(さもありなん)と内心苦笑して観音院を離れた。
(流山か…)
男は東へと目を向けた。
彼らに一体何があったのか―――男は推測しつつも流山へ向かう前に『行くべき場所』へ向かうことにした。


江戸、千駄ヶ谷。
「ゲホッ…」
沖田総司はこの数日は頗る体調が良く、このまま快癒するのではないかとほんの少し期待していたが、案の定今日は体調を崩して朝から起き上がれなかった。高熱が出て身体に力が入らないのだ。
「このところお産で騒がしくて無理をさせちまったか?旦那様が気にしてるんだ」
「…こんな日もあるから心配ないと伝えて」
世話になっている植木屋・柴岡平五郎の見習いである弥兵衛と、新撰組お抱え医者である英が総司の寝床の傍で話している。彼らは総司にとって友人に等しいだが、会話に加わる気力すらなく総司は目を閉じていた。
弥兵衛は伝言を受け取って「お大事に」と離れから去っていく。英は額の手拭いを取り替えて脈を測った。
「…姐さんを呼んでいるから、それまでよく休んで。きっと楽にしてくれるから」
「…」
総司は薄目を開けて頷いた。英が姉弟子の加也を頼るほど自分の具合は悪いのだろうか…。
総司はぐったりしながら「英さん」と呼んだ。
「なに?」
「…もし、歳三さんが来たら…起こしてください」
「うん…わかってるよ」
英が請け負うと、総司は安心したようにようやく寝入った。
英は脈を測っていた腕を掛け布団の中に戻して一息つき、足音を立てないように部屋を出た。
(熱が高い…意識が朦朧としているし、心配だな…)
治すどころか病状を遅らせること自体難しい病だとわかっていても、昨日までの明るい姿を思えば信じられないくらい弱って見えて、どうすれば良いのかわからなくなってしまう。総司の前で平静を取り繕うのでやっとだ。
(俺はまだまだだ…)
自分の無力さを嘆きながら縁側で立ち尽くしていると、不意に裏口の方から気配を感じた。総司を訪ねてくる関係者は人気のない裏口から出入りすることを決めている。総司が待ち詫びている土方歳三なのではないか…英は期待して裏口へと小走りで向かったが、しかしそこには誰もいなかった。
「あれ?気のせいか…」
英が裏口を出て辺りを見渡しても人影はない。勘違いだったのかと戻ると、柴岡家の娘あさとたねがやってきた。
「英、宗次郎は?」
「まだ寝てるの?もう朝だよ」
幼名の『宗次郎』と呼ぶ無邪気な娘たちは総司が重たい病だということを知らない。ただ子供好きで良く遊んでくれる若い男が突然離れに住み始めているのだと思っている。
英は子供の扱いが苦手だが、ほとんど同居しているようなものなので慣れてきた。
「…宗次郎はまだ寝てるよ。今寝たばかりだから静かにして、今日は遊べないから」
「ふうん、司郎と同じだねぇ」
産まれたばかりの赤子と同じだとたねが笑う。英はなんだか気が抜けたような気持ちになって、「ほらほら」と二人の背中を押して母屋に戻らせた。
すると再び人の気配がして裏口へ向かう。今度こそと英が向かうとそこには深く笠を被った伊庭八郎がいた。
「…なんだ、あんたか…」
「なんだとはお言葉ですねぇ、期待外れでしたか?英さん」
「まあね」
伊庭は英の正直な感想に苦笑するしかないが、英は彼の後ろにもう一人控えていることに気がついた。色男で美形な伊庭とは対称的に無骨で背が高く雄々しい雰囲気の男だった。
「ああ、紹介します。俺の友人の本山小太郎です」
「どうも」
「…二人とも沖田さんの見舞いに?」
英は裏口の扉を開けて二人を迎え入れる。伊庭は二度目の訪問だがまだ物珍しそうにキョロキョロと屋敷を見渡していた。
「そうですけど、小太は沖田さんとは初対面で。良い機会だから紹介しようと思ってきたんですが」
「残念だけど今日は会えそうにないよ」
「…良くないんですか?」
「体調の波があるから…ただ今日は良くない日っていうだけだよ」
「そうか…」
伊庭が表情を落としたので英は曖昧に言ったが、それは自分に言い聞かせる台詞でもあった。悪い日があれば、良い日がくる…そう信じて一日でも長く生きてほしいと願っているのだ。
伊庭は残念そうにしていたが、本山が
「八郎、出直そう」
と肩を叩いた。そして手にしていたみかんの盛り籠を英に渡して「よろしく伝えてください」と伝言する。二人は踵を返そうとしたが、伊庭は英の耳に顔を寄せて声を潜めた。
「…新撰組は昨晩流山へ向かったそうですが、聞いてますか?」
「ああ…俺のところにも知らせが来たよ。決して沖田さんには悟られないように…って」
伊庭は小さく頷いた。
「ご存じなら安心しました。俺も歳さんの思いを尊重したいですから。…また近いうちに顔を出します、沖田さんに宜しく」
「うん。…ああそうだ、ここに来る前に誰か見なかった?さっきあんたたちが来る前に裏口で人の気配を感じたんだ」
伊庭は少し驚いて本山へ振り返るが彼も覚えがないようで首を横に振るだけだった。
「…そうか。勘違いかな…」
「いや…しかしこの居場所を身内以外に知られると困るでしょう。警戒を怠らないようにしてください」
「わかった」
伊庭と本山は少し警戒しながら裏口から去っていき、英は二人を見送った。
そして離れへ戻って総司の寝床を覗くと彼は深く眠っていて伊庭たちの来訪に気づかなかったようだ。英は額に絞った手拭いをのせて
(警戒を怠らないようにって言われたって、俺は丸腰なんだけどな)
と苦笑した。外野から新撰組の一員のように扱われることがなんだか不思議で照れくさいような気がする。
するとギシギシという足音が近づいてきて、
「失礼致します。…英先生、お客様がいらっしゃってます」
と柴岡家の女中のかよの声が聞こえた。英は総司を起こさないように寝床を離れて部屋を出る。
「客?」
「ええ、英先生のことをご存じでしたから客間へお通ししました」
「…俺のことを?」
都から江戸へ帰還してまだ四か月程度で、前の前の名である『薫』ならまだしも『英』のことを認識している者は少ない。そしてそのほとんどが裏口から訪ねてくるはずなので尚、思い当たる人物がおらず英は怪訝な顔をした。
「悪いけど…帰ってもらえる?」
『警戒しろ』と言われたばかりだ。素性の知れない者に会うわけにはいかないと突っぱねると、みねは困った顔をした。
「いえ…旦那様が是非にと」
「柴岡さんが…?」
英はさらに首を傾げた。家主の柴岡と自分に共通の知人などいるはずがない。しかしかよに問い詰めたところで詳しい事情を把握していないようだし、柴岡の知り合いならそう警戒しなくても良いのかもしれない。
「…わかった」
英はかよとともに離れから母屋へ向かうことにした。一目見て覚えのない人物なら追い払えば良いのだ。
(それにしても、今日はなんだかせわしない…)
英は今日がいつもと違う日だと感じたのだった。













解説
なし


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