わらべうた
1002
総司は高熱に魘されるなか、断片的な夢を見た。現実と妄想が入り組んだ理解しがたい内容ばかりだったがそのどれもに近藤と土方の姿を見た。試衛館で微睡んでいたり、都で駆けまわっていたり。かと思えばたまが生まれたばかりの頃の思い出や、池田屋で刀を振るう姿、山南と別れを告げた時のこと…とにかく行き当たりばったりの続きのない夢ばかりだった。
その一つで、自分が川の前に立つ光景があった。きらきらと砂金のようなものが流れている透き通った美しく現実味のない川。
(これは三途の川かな)
総司は何故か楽観的で他人事のように思ったのは、自分の手には冥銭の六文銭が握られていなかったからだ。浄土へ向かうには三途の川の渡し賃が必要…姉のみつに散々聞かされていたせいか、
「今日は渡れないなあ」
なんて思った。
総司が立っているのは川べりの砂漠のような砂地だ。老若男女問わずその砂地を踏みしめて次々と三途の川へ向かっていくのをぼんやりと見ていると、足元にまとわりつくような気配を感じた。
「あ…お前…」
黒猫だ。芹沢を殺す前、山南が切腹する直前、藤堂が死んだ時…そして墨染で近藤が撃たれる寸前に現れた不吉な黒猫。一時、総司はその猫を殺したいと思っていたけれど、丸腰の夢の中ではそんな思いすら浮かばない。
(僕を迎えに来たのか…)
しかし三途の川までやってくるなんて酔狂な猫だ。足元を飽きることなくくるくると回る様子はまるで共に三途の川へ身を投げようと誘っているかのよう。
総司は膝を折ってその猫の頭を撫でた。
「だめだよ、今日は六文を持っていないんだ。今、渡ったら溺れて地獄行きだ…」
「にゃぁん」
―――地獄行き。
人が生まれてきてからずっと「行きたくない」と願い、誰もが手を合わせて「どうか浄土へ」と神仏に願う…けれどずっと自分に相応しい場所だと思っていた。今更すべてのことを許されたいなんて思ったことがない―――だとしたら、この黒猫がいざなうままに素直に身を投げてしまえばいいのに。
砂金の川は美しい。けれど流れていく先は果てしなく遠く、いつか奈落に落ちてしまうのだろう。
『総司』
「…近藤先生?」
総司は近藤に呼ばれた気がして周囲を見渡すと、三途の川の向こうに近藤の姿があった。晴れやかな笑みをうかっべて大きく手を振っている。
「先生…右肩は?もう宜しいのですか?」
『ああ、もうすっかり良くなった。刀が持てる、俺はもっともっと強くなれるぞ!道場を盛り上げて名を上げるんだ!』
心底嬉しそうな笑みを浮かべる近藤を見て、総司は何故か胸が苦しくなって痛んだ。満面の笑みも、その大きな口元から除く歯列も…何もかもが作り物のように感じたからだ。
「先生…!先生、どうしてそちら側にいらっしゃるのですか…?!歳三さんは?どうしてご一緒じゃないんですか…?」
『こちらに渡ればわかる。すべてのことがわかって、これが運命だったのだときっと腑に落ちる』
「先生…」
近藤の笑みの裏側に寂しさや無念を感じた。総司はすぐにこの川を渡って近藤の傍に駆け寄りたかったけれど、この川を渡る意味は分かっている。
『なぁ、総司。…お前はまだ何も知らなくていい。だから早く歳のところへ行け。俺たちのよすがへ戻るんだ』
「先生は…?」
『大丈夫だ、こちらの見物が終わったら俺もすぐに戻るよ』
近藤はにこやかに手を振って総司を見送る。総司は後ろ髪を引かれるような思いで、足元にまとわりつく猫を放って砂金の川と近藤に背を向けて歩き出した―――。
「…っ」
総司が目覚ました時、喉がカラカラに乾いていて目尻から涙が流れていた。
柴岡家の離れ。長く過ごしているこの部屋を見てすぐに夢から覚めたのだと頭ではわかったけれど、心の中に残る夢の忌々しい残像のようなものはなかなか消えそうもなくドクドクと身体中が強張っていた。
(なんて…嫌な夢なんだ…)
ただの夢だと教えてほしくて、英を探したが部屋にはいない。柔らかな日差しが部屋に差し込んでいるのでまだ昼間のはずだが人の気配がしないのだ。
「…は…!」
孤独感を覚えて英を呼ぼうとしたが喉が渇いて声が出ない。枕元の白湯に手を伸ばして一気に飲んだけれど潤うことはなかった。身体中に冷や汗をかいていて…火鉢のおかげで部屋が暖かいがそれが逆に熱く感じてしまった。総司はまるで自分が砂漠のど真ん中にいるような気がして、それがあの三途の川の光景と重なってまた胸が苦しくなる。
(夢だ…夢に違いない…誰かにそう言ってほしい…!)
総司は四つん這いになって寝床から離れ床の間の柱に背中を預けて、刀掛けにあった大和守安定を手にして抱きしめる。ひんやりとして冷たい鞘を指先でなぞりながら身体の熱を冷ましていると、障子の向こうに影がすっと横切ったことに気が付いた。それは人間ではない…きっと猫だ。
「…っ!」
総司は四つん這いのまま反射的にバンっと障子を開けてその姿を確かめた。片膝を突きながら刀の柄を握って猫を探すと、確かに黒猫が縁側を横切って母屋の方へ歩いていた。都で見た黒猫とは違い、一回り小さくまだ小さな子猫のようだったが、子猫は総司の剣幕に驚いて駆け出していってしまったので総司は虚しくそれを見送ることしかできなかった。
子猫がいなくなった途端に身体の力が抜けてその場に倒れ込む。
「はぁ…はぁ…っ」
(不気味な猫を殺せなかった…近藤先生のところへ行ったらどうしよう…!)
「せんせい…近藤、せんせい…!」
夢と現がぐじゃぐじゃになって、目の前が霞んだ。早く身体を動かして近藤と土方の元へ駆けつけたいけれど、心ばかりが焦って身体が付いていけない。もどかしくて息苦しい―――あの砂金の川で溺れたら、きっとこんなふうに踠きながら奈落へ落ちるのだろう。
だが、そんな総司を現実に戻すように、誰かが強く手を握った。
「総司!」
「……あれ…?」
「なにがあった?」
「…さいとう、さん…」
会津へ向かったはずの斉藤一がこんなところにいるはずがない。(また夢か)と自分のくだらない想像に呆れそうになったが、しかし彼は総司の背中に手を回して
「しっかりしろ」
と抱き起した。彼の冷たい掌が心地よくて、先ほどまでの悪夢がスッと消えていくようだった。だからこそ
「…ほんとうに?どうしてここに…」
「それは後で話す。…英、寝床に戻したらいいか?」
「うん…」
よく見ると斉藤の背後には英だけでなく、平五郎や娘たちの姿がある。彼らは総司が縁側へ倒れ込んだ物音を聞いて駆けつけてきたのだろう。
(夢じゃない…)
「宗次郎、大丈夫?」
「顔が真っ赤だよ」
娘たちが心配そうに覗き込むなか、総司は斉藤に抱きかかえられてもといた寝床に戻った。英はすぐに深刻な顔をして額に手をかざして脈を図ったが総司は自分でももう落ち着いているのだとわかったので、柴岡家の人々に
「…すみません、お騒がせして…ちょっと寝ぼけたみたいです」
と少し茶化して笑った。平五郎と娘たちは安心して「よかった」と母屋へ引き上げていき、部屋には英と斉藤だけが残った。
「斉藤さん…会津から戻っていたんですか…?」
「ああ。会津に負傷隊士を送り届けてからすぐにとんぼ返りして、少し前から情報を得るため江戸に潜伏していた」
「へぇ、無茶をしますね…」
斉藤自身が負傷していたから会津へ向かったのに、結局じっとしていられなくて療養せず江戸へ戻ったのだという。そんな斉藤を総司はまじまじと見て笑った。
「…斉藤さんも髪を切ったんですね…」
「…色々と面倒になったんだ。今ではこの姿の方が目立たなくて済む」
「そういうものですか…」
斉藤は土方と同じように短髪となっていた。総司にはまだ近藤や平五郎のような髷姿の方が見慣れているがこの屋敷の外では様子が変わっているのかもしれない。総司が物珍しく眺めていると居心地が悪そうに眼を逸らして「あまり見るな」と言った。
「でもどうして五兵衛新田へ行かなかったんですか?土方さんが信用出来る人手がいないって嘆いてましたよ」
「……会津から頼まれごとをされていたからだ。その用が済んだら合流するつもりだ」
「はは…どこへ行っても重用されて忙しいんですねえ…浅羽さんには会えましたか?」
「浅羽はまだ閉門の身だ。近藤局長から預かった文は渡したが…」
会津藩小姓頭の浅羽忠之助は、一月の江戸脱出の責を負って会津へ戻って閉門の処分を受けている。総司は残念に思ったが、斉藤は
「忠臣のなかの忠臣だ。そう冷遇はされないだろう」
とあまり心配していないようだった。
総司は改めてゆっくりと息を吐いた。斉藤を見た時はまだ目が覚めていないのかと思ったが、英や柴岡家の面々に囲まれてようやく悪夢から覚めたのだと安心できたのだ。
「…斉藤さんが会津へ行ったのは五兵衛新田へ移る前だったから、半月ぶりですよねえ…どうしてここに?」
「実は半月ぶりではない。…先日、道端で手を貸した」
「…道端?」
総司はすぐには思い出せずに考えこむと、傍らにいた英が呆れた顔をして斉藤へ茶を差し出しつつ、話に入って来た。
「沖田さん、この人は本当に素っ気ない人なんだよ。先日おりつさんが産気づいた時があっただろう?その時に四ツ谷で倒れた沖田さんをここへ運んだのが実はこの人だったんだ」
「え?あの時の…?」
総司は思い出して驚いた。
柴岡の娘のあさとともに産婆を呼ぶために屋敷を飛び出したとき、総司は途中で咳き込んでしまった。千駄ヶ谷に身を潜めている立場であったため野次馬たちに囲まれて困ったがその時に旅姿の男が近づいて
『この者は私の知人だ』
と言い放ち、事なきを得た。しかしその者は柴岡家に総司を送り届けた後に、いつの間にかいなくなっていたと平五郎から聞いていたのだ。
「なんだ、名乗ってくれれば良かったのに…」
「沖田さんが千駄ヶ谷にいるなんて聞いていなかったんだ。それにあの時は諜報中で時間がなかったし、どういう経緯でここで療養をしているのか調べてからの方が良いと思っただけだ」
「それからこの屋敷のことを嗅ぎまわっていたらしいよ。今朝、変な視線を感じたのも斉藤さんだったんだ。別に普通に声をかけてくれればいいのにさ、こそこそして本当に嫌な感じだよね」
「伊庭に会いたくなかっただけだ」
英はぶつぶつと文句を言うが、斉藤は素知らぬ顔で淡々として茶を口に運ぶ。英によると伊庭が訪ねて来たそうだが総司が寝込んでいるのを知って出直すと言って帰ってしまったらしい。
「ああでも…なんだか腑に落ちました。あの時、なんだか知っている人のような気がして…あのまま意識を失っても大丈夫だろうと思ったんです」
「…勝手なことを言うな。あの後、この屋敷の主人と騒がしい娘たちに囲まれて一体どういうわけかわからないまま担いで運んだんだから」
「ふふ、ありがとうございました」
総司が礼を伝えると、ようやく斉藤の表情が緩んだ。
「…元気にしていたのか?」
「元気です、と言いたいところですが…四ツ谷で助けてもらった挙句さっきはあんなところを見られてしまったから説得力がありませんねえ。でも毎日穏やかに過ごしているんですよ、平五郎さんたちは本当に温かくて良い人たちで…」
「そうか。…土方副長はここへよく来るのか?」
「ええ、たまに。でも少し忙しくなるから来られないと文が来たんですよね、英さん」
「ああ、うん…」
英は少し歯切れが悪く頷いたが、斉藤は気に留めずに続けた。
「結城の方で『世直し』と言って打壊しや一揆が多発している。日光のあたりでは官軍に恭順しない兵士たちが徐々に集まりつつあると聞いている…江戸は不戦のまま官軍の手に落ちるだろうが、そのあと息を吹き返すかもしれない。だから心配せずここで待っていればいい、きっと皆が戻ってくる」
「…斉藤さんはもう行ってしまうんですか?」
斉藤がよく喋るので焦っているのかと思い、総司はつい尋ねてしまったところ、彼は少し驚いたような顔をした。
「…そういうわけではないが…」
「じゃあもう少しここにいてください。話したいことが…いや、特に何かがあるというわけでもないんですけど、でも…その、なんていうか……」
傍にいてほしいと口にするには、気恥ずかしくて総司はもごもごとしてしまう。すると英が苦笑して口出しした。
「話し相手がいないと暇だからね。二、三日ゆっくりしていったら?」
「……わかった」
「へへ、良かった」
総司が子供のように喜ぶと、斉藤はつられて小さく笑った。
なし
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