わらべうた



1003


斉藤が千駄ヶ谷でしばしの逗留を決めた頃。
「着いたな」
四月一日に五兵衛新田を脱した新撰組は、二日の未明に流山村南の丹後の渡しから江戸川を渡り流山へ入った。そして本陣を加村山近くの醸造家・永岡三郎兵衛方に定め、部隊を南方の流山寺、光明院など数か所に分けて宿陣させた。本陣の規模は五兵衛新田の金子家より劣るが、幕府陸軍奉行の勝海舟から事前に話が通っていたようで布陣はスムーズであった。
土方は馬の三日月を近くの厩に預けてきた。
この辺りは味醂の製造で栄え、永岡家もまた大きな屋敷や酒蔵を構えている。どことなく酒の匂いが漂うものの土方はあまり嗜まないのでなかなか慣れなかった。
「相馬はどこだ?」
土方は屋敷を歩き回りつつ局長附の相馬肇の姿を探すが見当たらない。隊内でもっとも賢く気が利く彼に任せたい仕事があったのだが、屋敷を探し回っても見当たらず、かわりに相馬と親しい一番隊の野村利三郎を見つけた。
「野村、相馬はどこだ?」
「あ、はい。相馬はちょっと…寝込んじまって」
「風邪か?」
「たぶん…本人は元気だと言い張っていたんですが、周りに迷惑だしこれ以上悪化させないように布団部屋へ押し込んできました」
責任感の強い相馬は忙しいこのタイミングで仕事を離れることなど考えられなかったのだろうが、野村がどうにか説得して休ませたようだ。
「そうか。相馬は山野に任せておけばいい。…じゃあ仕方ないな、お前に頼みたい仕事があるんだが」
「俺で良いんですか?喜んで!」
野村は相馬の代役に張りきったが、その仕事は永岡家の蔵へ運び込む大砲や武器の類の数を数え、一覧にしてまとめろという内容で苦笑いしていた。野村の苦手分野だろう。
「弾薬一つでも間違えるなよ」
「へぇい」
土方は野村を揶揄って去る。
本陣は新撰組の首脳陣である古参たちが宿陣することとなり、まるで都にいた頃のような和気あいあいとした雰囲気があった。もちろん総司は千駄ヶ谷にいて永倉新八や原田左之助の姿はなく、井上源三郎は戦死して様変わりしているのだが、それでも五兵衛新田で加わった日の浅い隊士たちとは違い、負戦を経験してきた仲だ。
近藤は広間で土方を待っていた。
「歳、そろそろ休もう。明日は朝からあの山の麓で軍事調練だろう」
「ああ…そのつもりだ」
土方が頷きかけたところに、バタバタと急いで近づくある音が響き「失礼いたします」と立川主税が顔を出した。立川は甲府の戦の前に加わった隊士で関東に土地勘があるため探索を任せていて、彼の知らせによって急いで五兵衛新田からこの流山に移転したのだ。
近藤は彼を労った。
「立川君、ご苦労だったな。官軍の動きはどうだ?」
「はい、やはり東征軍の一部が千住宿に進駐したようです。宇都宮救援のために彦根や須坂など五小隊ほどが鹿沼や今市へ向かうとの情報を得ました」
「そうか…我々が流山へ布陣したことは伝わっていないか?」
「…おそらく」
新撰組は軍事衝突を避けるために流山に布陣した。上野の寛永寺に身を置く慶喜公の処分が決まるまでは戦を避けなければならない…それは故郷の春日隊を救うために近藤が勝と交わした約束だったのだ。
土方は
「江戸の方はどうだ?」
と訊ねた。立川は「大きな動きはありませんが」と前置きした。
「日に日に緊張感が増しているようです。寛永寺の彰義隊も千人を超える規模になり、徳川の恭順派は江戸市中取締の役目を与えてどうにか鎮めようとしているようです」
「そうか…安房守様はいつ爆発するか冷や冷やされているだろうな。…ご苦労だった」
土方は立川を下がらせたところ、近藤が「ふっふっ」と何故か嬉しそうに笑っていた。
「…なんだよ」
「いや…そもそも彰義隊は一橋の家臣が結成したと聞いたが、今は身分や罪歴を問わずに受け入れて大きくなって…徳川が仕方なく『市中取締』の任を与えた。…どこかで聞いた話じゃないか?」
「…俺たちとは違うだろう」
近藤がまるで壬生浪士組と名乗っていた新撰組の黎明期の頃のようだと言いたげだが、土方はあまり同意できなかった。
「俺たちは治安の悪い都で会津から必要とされて活動をしたんだ。彰義隊とは違う…それに俺たちは都の人々に嫌われっぱなしだったが、彰義隊は今や江戸の救世主だ。民だけでなく遊郭からも人気だと聞いた」
「なんだ、羨ましいのか」
「そんなわけあるか」
土方は笑い飛ばしながら屋敷の奥の客間に移動した。未明に到着したので隊士たちはあちこちで雑魚寝しているため二人も短い夜を同じ部屋で過ごすことにしたのだ。土方はコートを脱いで衣文掛けに乱雑に掛け、近藤も右腕を気にしつつも寝床を整えて「お前と二人で寝るなんてな」と子供のように嬉しそうな顔をした。
土方は蝋燭の明かりと火鉢を消して、近藤の寝床の隣に同じようにしつらえて横になる。ばたばたと慌ただしかったのがようやく落ち着く心地だった。
二人は月明りが差し込む部屋で、同じ天井を見上げていた。
出会ったときのあばら家で見上げた天井は、スカスカで今にも崩れそうだったけれど、今は違う。
「……かっちゃん」
「なんだ?眠れないのか?」
「いや…。これから先…上様のご処分が決まって、江戸での戦が完全に回避されて…身の回りが落ち着いたら、会津へ行かないか?」
「…会津か…」
土方は『内藤隼人』でも『副長』でもなく、一人の男として口を開いた。
「いま安房や上総、下総あたりで佐幕の兵が集まりつつある。榎本さんたちも蜂起するつもりだろう…彼らと共に徳川のために戦うのも悪くないが、俺はやはり『鎮撫隊』や徳川の一小隊としてではなく、『新撰組』として会津のもとで動くのが一番しっくりくると思うんだ。それに俺たちは会津へ恩を返し終えていない…あんな不本意な形で江戸を去った会津公に報いることができていないと思う。…このままだとかっちゃんも心残りだろう」
「…ああ、そうだな。都に上った時のように、会津のお預かりになれたなら心が昂る。まるでもう一度新撰組を始めるような気持ちだな」
近藤は嬉しそうに頷いた。けれど結局新撰組が会津を目指すとなれば、それは隊を離れた永倉や原田たちと同じ目的地ということになってしまう。
「永倉たちとの靖共隊と合流することになるだろうが…」
「そんなことはどうでもいい。むしろ彼らとともに共闘できるならこんなに心強いことはないだろう」
「…ああ」
永倉と原田とは後味の悪い別れ方をしたので気まずいのではないかと思ったが、近藤にはそのような様子は微塵もなくむしろ喜ばしいことだと思っているようだ。近藤の前向きな性格と一度仲違いしたとはいえ仲間を信じるという強い思いと懐の大きさにはいつまで経っても追いつけそうもない。
「かっちゃんには負けるよ」
「そうか?俺こそお前には負けてばかりだよ。美しい女はみんなお前ばかり見ていた」
「でもかっちゃんは二人も妾を持った」
「確かになぁ。でもお前が女に見向きもしなかったからだろうな」
「そうだな」
二人は軽口を叩き合う。
「歳…笛の調子はどうだ?」
「…暇がなくてな」
「早く上達して総司に聞かせてやれよ。あいつに黙って流山へきている…その罪滅ぼしにな」
「…わかった」
近藤が「寝よう」と言ったので、土方も瞼を閉じた。

そんな何気ない夜が明けて―――四月三日の朝が来た。

珍しく朝早く目を覚ました土方は、隣でまだ眠っている近藤を起こさないようにゆっくりと羽織を肩からかけて寝床を離れた。そして客間を出ると昨晩にはわからなかった箱庭があることに気が付いた。総司が療養している千駄ヶ谷の柴岡家には及ばないが手入れが行き届いている…しかしそこには赤い椿の花が咲いていた。
「…」
椿が落花する姿が打ち首に似ているため縁起が悪い―――ここは醸造家であるため関係はないのだろうが、けれども土方はなんだか新しい日に水を差されたような心地になった。
そこへ山野八十八がやってきて
「おはようございます。局長はまだお休みですか?」
と小声で尋ねた。彼は医学方を兼ねているので、近藤の右腕の調子を伺いに来たのだろう。
「…ああ。よく眠っている」
「そうですか。では、あとでまた診せていただくことにします。僕も朝の軍事調練へ参加しようと思いますので」
「わかった。相馬はどうだ?」
「相馬君は風邪です。軍事調練に参加するつもりだったようですが、説き伏せて今日は休ませることにしました。それから野村君は仕事が終わらず徹夜だったみたいで今はぐっすり寝てます」
「休ませたらいい」
弾薬を数えるのには苦心したに違いない。
「島田は起きているのか?」
「はい。先輩はもう支度を終えて…朝一番に起きて張りきっていらっしゃいました」
今朝の軍事調練は古参隊士の島田魁に仕切らせてすぐ近くの加村山で行うことにしている。大砲を二門使用し、二百名以上が参加するのでおそらく壮観な景色となるだろう。
新しい場所で、新しい日々が始まる…けれど土方がどうしても椿の花から目を離せずにいると、目ざとい山野が気が付いた。
「あれは…縁起が悪いですね。切らせてもらいましょう」
「ふっ…そこまでしなくていい。立派な椿だ、大事にされていたのだろう」
「…ではせめてお部屋を変えましょう」
「戻ってきたらな」
山野は頷いて「失礼します」と下がっていった。






 






解説
流山に駐留することになった理由は不明です。


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