わらべうた



1005


永岡家の家人たちはすでに逃げ出しており、屋敷に留まっているのは近藤、土方、村上、野村、相馬のわずか五人だけだった。
敵陣からは首謀者の出頭を命じられ、五人は酒蔵の二階で話しあうことにする。
「…屋敷を一周して物陰の隙間から覗いてきました。とても逃げ出せるような数じゃねえ感じで囲まれて…二百はいそうです」
普段から明るい野村が厳しい表情で報告し、寝込んでいた相馬も風邪など吹き飛んで
「野村とともにどうにか隙を作ります、どうかお二人だけでも逃げてください!」
と今にも飛び出して行きそうな剣幕だった。一番最初に敵軍の包囲を知らせて来た村上は青ざめたまま押し黙っている。近藤は腕を組んで微動だにせず、土方が「落ち着け」と二人を諫めたが、土方自身もまるで早鐘のように動悸が激しかった。
(何故こんなことに…!)
新撰組は南側の丹後の渡しから流山へ駐屯し南側と西側を注視していたが、敵軍は北側の羽口の渡しから急襲したようだ。流山に転陣しただけで官軍との衝突が避けられたと安易に考えていたことがこの事態を招いたのだろう。
土方はこの状況を打破する手段が何一つ思いつかず、身体中に汗をかいていた。
「しかし…我々がここに布陣したのは昨晩未明です。それなのに敵陣は確信をもって包囲しているように見えます…早々に我々の情報を得ていたのではないでしょうか」
頭の回る相馬が言う通り、敵軍の動きがあまりに素早く、まるで新撰組を追いかけて来たかのように多くの隊士たちが出払っているタイミングで不意を突かれてしまったのだ。これは偶然ではなく官軍による用意周到な作戦なのかもしれない。
「そうだ!加村山に知らせて、いっそ戦を仕掛けちまうっていうのは…?!」
「何を簡単に。そんなことをすればこの地が火の海になる…そもそもこの状況で加村山に伝令できるかどうか不確かだ。捕まる可能性の方が高い」
「あぁ、クソ。そういや武器も弾薬もこの蔵のなかだ。加山村へ向かって隊士を呼び戻せるとしても、仕掛けたところで不利な戦になっちまう…」
「やはり隙をついてお逃げいただくしかありません」
「それだって不確かな作戦だ。当たって砕ければいいってものじゃねえぞ」
「しかし…」
野村が妙案を口にして相馬が否定する。相馬が先走ると野村が止める…二人の会話はまるで土方の脳内の葛藤のようだった。
戦を仕掛けたところであっという間にやられてしまう。敵に包囲され逃げ出す隙もない、部下を置いて逃げるなど近藤が選ぶはずがない―――。
今できることは一つしかない…彼らのおかげで土方はようやく考えがまとまり、努めて冷静に口を開いた。
「…とにかく、敵の正体を知ることが肝要だ。そして俺たちは下総鎮撫のための幕臣部隊だと話せば誤魔化せるかもしれない。それで何とか交渉を長引かせ、加村山の島田たちの帰営を待つ…どうだ?近藤先生」
土方は一言も発さない近藤に声をかけると、彼はゆっくりと頷いた。
「…そうだな。俺が行ってくるよ」
「馬鹿を言うな。近藤先生に何かあったらどうするんだ。俺が話してくる」
「…だったら『内藤隼人』を名乗り、決して新撰組であることを気取られてはならぬ。薩長は我らを憎んでいる…正体が露見すればその瞬間にすべて終わりだ」
「ああ」
近藤が口にしたことは頭の中ではわかっていたが、土方はここにいる五人の命だけでなく新撰組の命運すら背負うことになるという事実を突きつけられた気がして、ごくりと息を呑んだ。しかしそれを他の四人には気づかれないように
「近藤局長を頼む。必ずお守りせよ」
と強い口調で言い放つ。相馬と野村、そして青ざめたままの村上が「はいっ」と引き受けた。
土方は覚悟を決めて洋装の襟を正し、彼らに背中を向けて蔵の階段を降りようとした時。
「歳…お前も無理をせず必ず帰ってこいよ」
四面楚歌の絶体絶命と言える状況のなかであったが、近藤はどこか穏やかに土方に声をかけた。しかし土方は頷くことしかできなかった。


敵軍からの呼び出しに応じ、土方は『内藤隼人』の名で出頭した。多くの敵兵に刃を向けられ囲まれ緊張感に包まれるなか一人の男が現れる…男は小軍監の薩摩藩士・有馬藤太を名乗った。土方よりも少し若く、目元はつぶらで犬のようだったが口はきりりと引き締まり、土方の前に堂々と立った。
「我らは東山道軍先鋒隊。こん屋敷は包囲されちょる…投降されよ」
「…我々は下総の鎮撫のために派遣された幕臣の一部隊です。決して皆様に不敬を働くものではなく、江戸からの脱走兵や農民の一揆を取り締まるために参りました」
「隊長の名は?」
「…大久保大和」
土方が答えると、有馬は怪訝な顔をして両隣の兵たちに「知っちょる名か?」と訊ねたが皆が首を横に振った。その様子を見て土方は少し安堵する。
(どうやら俺たちが新撰組だということはまだ露見していないようだ…)
大久保大和が新撰組局長近藤勇の変名だということがまだ知られていないなら、まだ勝機はある。
「我々は陸軍奉行勝安房守様のご命令でここに布陣しています。安房守様の許可なくここを離れるわけには参りません…使者を送り、安房守様のご指示を仰ぎとうございます。お時間の猶予を頂きたい」
(理由はどうでもいい、時間さえ稼げれば…!)
しかし有馬は「ならぬ」と突っぱねた。
「援軍を呼ばれては困る」
「…でしたら、誠意を示すべく武器を差し出しましょう。どうかお時間を頂きたい」
「…」
有馬はまじまじと土方を見据えた。土方は負けじと微動だにせず有馬の答えを待ったが、その態度が彼に気づきを与えてしまった。彼らは只者ではないのだと。
「…そこらん世間知らずの幕臣なら慌てふためっはずだが、内藤殿にはそげんご様子がなか。こげん修羅場は幾度も潜り抜けて来た…そげん自信がある」
「まさか…」
「まあ、いい。武器を全部差し出しっせぇ、…そしたら半刻待つど。そい以上かかんならば一気に銃弾を撃ち込む…良かね?」
「…わかりました」
島田たちが隊士たちを率いて加村山に向かったのは朝方…そしてまだ正午、あと半刻で戻る可能性は限りなく低い。
(たった半刻…しかし…)
今すぐ投降を命じられ踏み込まれれば一貫の終わり。たとえそれがほんの少しの猶予だとしてもないよりはましだ。
土方は敵兵たちを蔵へ案内し、五兵衛新田から運び入れたばかりの武器弾薬の類を彼らに引き渡した。大砲・小銃…その数の多さに有馬はまた何か確信めいた眼差しを土方へ向けて
「こん膨大な数…今すぐ戦ができそうじゃな」
と吹っ掛けたが、土方は無視して土方は近藤たちの元へ戻った。
「副長…!」
「良かったです、ご無事で!」
相馬たちはひとまず土方の無事の帰還を喜んだが、すべての武器を差し出したうえで与えられた猶予が半刻しかないと知らされるとまた表情を落とした。
「半刻ではあまりにも短い…」
弱気になった村上が「もうだめだ」とため息をつく。その悲壮感は伝播して普段は無駄口の多い野村が黙り込み、相馬は青ざめ…重苦しい空気が流れるなか、ただ近藤だけが淡々と胡坐をかいて目を閉じていた。
本陣は二百の敵に囲まれ、武器を差し出してこちらは何の抵抗もできない。援軍が来る気配はなく時間だけが過ぎていく―――。
(何の策も思い浮かばないとしても…俺のやるべきことは、とうの昔から決まっている)
土方は己を奮い立たせるように近藤の元へ膝を折った。
「…近藤先生、俺が代わりに出頭する。どうにか都合をつけて、無理ならひと暴れして隙を作るから相馬たちと一緒にここを脱出してくれ。加村山へ向かえば勝機はあるはずだ」
土方は自分でも無茶を言っている自覚があったが、しかし相馬や野村も同じことを考えていた。
「何言ってるんすか!こんなことになってしまった以上、俺たちが斬り込み隊になって突破口を見出します。なあ、相馬!」
「はい。局長も副長もどうかここから逃げ延びてください。俺たちはもう覚悟を決めています」
「馬鹿を言うな。副隊長の俺が隊長を名乗って身代わりになれば…」
「副長こそ、そのような嘘が通じるわけないってわかってますよね?」
「わかっていてもそれが一番確率が高く、皆が生き延びる方法だ!」
「いけません!このあとの新撰組の舵取りはどうなるのです!?」
土方は野村や相馬と言い合いになってしまったが、
「皆、それまでだ」
とそれまでずっと黙り込んでいた近藤が重い口を開いて、ゆっくりと目を開けた。
「…俺は自分のために誰かを犠牲にするつもりはない」
「局長…」
近藤の眼差しには強い決意と揺るぎない意志が漲る。
「相馬君、野村君、村上君。すまないが、歳と二人きりで話をさせてくれ。いい策があるんだ…君たちに悪いようにはしない」
近藤が三人に微笑みかける。土方はその顔を見て近藤が考えていることがすぐにわかってしまった。













解説
なし

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