わらべうた



1007


近藤は野村と村上を連れて官軍に下り、隙を見て土方は相馬とともに加村山へ向かった。下総鎮撫隊・隊長大久保大和の投降によって一旦兵が引き流山の緊張は解けることとなる。
土方ともに周囲に気を配りながら小走りする相馬は顔を真っ赤にしていた。
「相馬、具合が悪いのか?」
「申し訳ありません…こんな非常時に、お役に立てず…」
相馬はか細い声だった。将来を期待される局長附きの隊士として投降する近藤の付き添いが出来なかったことを悔やんでいるようだったが、
「謝るな。終わったことはどうしようもない…いまは取り戻すしかない」
土方は落胆する感情に蓋をして前を向き、相馬だけでなく自分にも言い聞かせる。局長が敵に下るなど絶望の淵に立っているような状況だが、やるべきことが明確であることは唯一の救いだろう。
(安房守に何としても助命の力添えを頂く…)
二枚舌の勝だが、近藤のことは小馬鹿にしながらも気に入っている様子だったので無碍には扱わないだろう。どんな条件を突きつけられるのかはわからないがどんなものでも飲むつもりだ。
二人は気を取り直して、本来ならば本陣からさほど離れていないのだが遠回りをして加村山に辿り着いた。加村山は流山村を見下ろすような地形で砲台の設置に相応しい高台があり訓練に適しているが、いまは近藤が時間を稼いでくれている間に早くここを去らねばならない。
パーン、パーンと銃声が響くなか、訓練の陣頭指揮を執っていた島田が土方と相馬に気が付いた。島田の安穏とした様子を見て隊士たちは何も気が付いていなかったのだと悟る。
「土方副長、どうか…」
「島田、訓練は中止だ。安富や横倉たちを呼んできてくれ」
「は、…はっ!」
二人の険しい表情を見て島田に一気に緊張が走る。しかも今いる新撰組のなかでも古参の重要な地位にある隊士を呼べと言われれば何か問題が起こったのだと察することができるだろう。今は勘定方を任せている安富才助、天然理心流の門下生で油小路で伊東甲子太郎を斬った横倉甚之助、甲州勝沼の戦で加わっていまは探索方を務めている立川主税と、その知人で今は最年長として隊士たちの相談役となっている斉藤秀全も集まった。そして島田の傍らには山野の姿もある。
土方は彼らを見渡しながら重たい口を開いた。
「…本陣が敵軍に包囲され…近藤局長が官軍に捕縛された」
「なんと!」
「そ、そんな…」
「まことか?」
隊士たちはあまりに突然のことに愕然とする。特に島田は「信じられません…!」と声を震わせるが、土方の張り詰めた表情と深刻な語り口を見てそれが現実だと思い知ると途端に青ざめた。
「敵軍とは薩摩ですか、長州…」
「東征軍の先鋒隊、薩摩の有馬藤太と名乗っていた。おそらくどこからか我々が五兵衛新田から流山へ陣を移したという知らせが伝わったのだろう…しかし敵は我々の正体には気が付いていない。局長も『大久保大和』を名乗り、下総の鎮撫のために布陣したと主張して時間を稼ぐために投降した」
「…」
土方は動揺し落胆していた隊士たちへまだ望みがあるのだと伝えたが、彼らはまだ困惑して言葉を失っていた。この先を見据えて意気揚々と軍事調練を行っていた彼らにとってまさに青天の霹靂、信じられない出来事だろう。言葉さえ見つからない様子で皆が立ち尽くしていた。
(こんな時こそ、揺らがずに立たなければ…)
土方は敢えて淡々と口にした。
「俺はこれから勝安房守を訪ねて助命嘆願を依頼する。…島田、安富、横倉は隊士たちを率いて会津へ向かい、松本先生のもとに身を寄せている隊士たちと合流してくれ」
「あ…会津、ですか…」
「早々に流山を去る。一刻も早く会津へ辿り着いてほしいが本道は宇都宮へ向かっている官軍の目がある…かなり遠回りになるが、間道から向かうべきだろう」
「…我々だけで…」
「しかし…」
安富と横倉は不安そうな顔をした。安富は馬術指南役としてかつての暴れ馬だった池月を調教しその後は伍長、勘定方へと昇格している。土方は敗戦が続いても背を向けずに会計を担ってきた安富のことを信頼していた。もちろん天然理心流の門人で身内に等しい横倉のことを疑ったことは一度もない。
「会津へ辿り着けば斉藤がいるはずだ。それに会津公もきっと歓迎してくださる…気負わなくていい、お前たちの任務は皆を会津へ向かわせることだけだ」
「…畏まりました、何とか務めます」
安富は言葉少なく頷いた。しかし島田は
「自分は土方先生とともに江戸へ向かいます!」
と強く主張した。感情が昂りその目は真っ赤に充血している。
「島田…」
「自分の様に図体の大きな者は行軍の邪魔になりますし、局長の安否がわからぬままこのまま会津へ向かうなど自分にはとても…とても耐えられません!それに江戸も今は危険です。土方先生の身に何かあっては…どうかともにお連れください!」
島田は最古参の隊士で誰よりも近藤や土方に対して忠誠心が強い。山野は何も言わず島田の決断を尊重する様子だったので土方は彼を説得する時間はないだろうと思い、「わかった」と受け入れることにした。
今後の方針が決まっても古参隊士たちにはまだ動揺が残っている…彼らはずっと信じて来た主を急に見失ってしまったのだ。土方はその不安な気持ちをよく理解できた。
「…急にこんなことになってすまない。だが、近藤局長は必ずまた新撰組に戻る…そう信じて会津で待っていてくれ」
土方が会津へ向かう隊士たちを強い眼差しで見据えると、安富と横倉はようやく覚悟を決めたように頷いた。
「自分は会津へ向かう間道をよく知っています」
「隊士たちのことは私めにお任せくだされ。きっと会津で皆揃いましょう」
二人だけでなく立川と斉藤秀全も力強く鼓舞して皆が了解し、敵軍に見つかる前に一刻も早く流山を去ることになった。

安富と横倉の采配で隊士たちが一斉に流山から移動した。東征軍先鋒隊が進軍した北側を避けて南を抜けて小金から銚子方面を目指す。
「俺も副長のお供をさせてください」
相馬は会津へ向かう隊士たちには加わらず願い出た。
「…少しはマシな顔色になったな」
「山野先輩に薬をいただきました。…挽回の機会を!」
「言っておくが…局長が投降したことは、お前には何の責もないことだ」
相馬はたまたまそこに居合わせただけで、本来なら訓練に向かっていたのだ。けれど相馬は納得しない。
「野村と村上さんは命を賭して局長と共に投降して俺はあの場にいたのに、何の役にも立ちませんでした…ですから、お願いします」
「…わかった」
責任感故に自分を責めるいまの相馬にはどんな励ましも通じないだろう。それに体調不良の相馬には会津へ至る厳しい冬の間道を通る強行軍にはついていけないだろうと土方は許可することにした。
すると
「忠助、ただいま戻りました!」
と近藤の馬丁である忠助が三日月と共に合流した。三日月は本陣とは別の厩に預けており、忠助が秘密裏に引き取りに向かったのだ。日頃大人しい三日月だがいまは何かを察しているのか鼻を鳴らして「フンフン」と落ち着かない様子だ。
土方は手綱を引きながら残留した島田を呼んだ。
「二手に分かれよう。お前は相馬と忠助とともに探索方を務めている畠山や松沢、漢(かん)と合流して吉原で待っていてくれ。…近藤局長のことは誰にも話すな」
「吉原ですか?」
「客に紛れ込んだ方がいい」
「かしこまりました」
土方は三日月に乗り、「じゃあな」と短く告げて強く手綱を引くと三日月は飛び跳ねるように駆け出して加村山を駆け下りていく。馬上から眺める光景は何一つ土方の視界には入らなかった。
土方は今更になって手綱を持つ手が震えはじめていた。たった一人で江戸へ向かう…その事実がひしひしと身体を重くしていくようで、三日月がいなければあまりの重さに立ち止っていたかもしれない。弱音も本音も、悔しさも情けなさも…誰かに吐き出したいと思ったが誰に言えるはずもない。
すると懐からボタンに繋がれている懐中時計が零れ落ちて、三日月に合わせて上下に揺れていた。
(総司には…言えるわけないな)
そもそも流山に布陣することすら伏せていたのだ…この体たらくを話したらどんなに怒り、悲しむことだろう。
(あとでこんなこともあったのだと笑い合えればいい…)
土方は悪い考えに囚われてしまわないようにひたすらに江戸を目指すしかなかった。




















解説
なし

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