わらべうた



1011


土方が吉原に足を運んだ頃、総司は縁側へ腰を下ろして庭を眺めていた。春の陽気は連日続いていたが総司はその気配を寝床から感じていただけだったので、こうして縁側で直接温かさに触れると心地が良い。それに今日は目が覚めた時から久しぶりに身体が軽くなったように体調が良く息苦しさもなかったのだが楽観的に喜べなかった。
(きっとまた寝込む時がくる…その時までの猶予みたいなものだ)
悲観的になっているわけではなかったが、総司がそんなどうしようもない諦めのようなものをため息として吐き出した時、何も知らない英がやって来た。
「薬の時間だよ」
「…そういえば斉藤さんは?」
「今朝方出て行ったよ。野暮用だとか…夕方までには戻ると言っていたから…そろそろ帰ってくるんじゃないかな」
「野暮用ですか」
英は苦い薬とともに白湯と羊羹を持ってきて、ついでに総司の額に手を伸ばすと「良さそうだ」と頷く。
「英さん、私が寝込んでいる間に誰か訪ねてこなかったですか?」
「いや…あの気障なお坊ちゃん以来、誰の顔も見ていないよ」
「…伊庭君ですか?はは、お坊ちゃんだなんて」
「初めて会った時から別世界の人だって思ったんだ。今もそう思う…なんだかあの人の近くにいると落ち着かないんだ、余裕そうに見えるのに危うくて…」
英の言う通り、伊庭は幕臣の出で有名道場の御曹司だ。昔から彼の纏う雰囲気は試衛館食客のそれとは全く違ったが、なぜか馴染んでしまったのだ。しかし伊庭は表面上は大人びていても時折熱っぽく意固地で強気な一面がある。
「もちろん伊庭君にも会いたいけれど…なんだか久しく近藤先生や土方さんの顔を見ていないような気がするなぁ…話したいことは沢山あるんだけど」
「…忙しいと言っていたからね。それに沖田さんが長く寝込んでいるだけで実際は数日しか経ってないよ」
「なるほど、そうかもしれないな…時の流れ方が皆んなとは違うんだ」
総司は英の言葉に妙に納得した。任務に忙殺されている近藤や土方とこうして縁側で佇んでいるだけの自分とは忙しなさが違うのだ。だから自分のことは気にしないでほしいと思い、土方に懐中時計を贈ったのに。
(少し顔を見ないだけで寂しくなるなんて)
総司は己の弱さに苦笑した。
「もう少し落ち着いたら五兵衛新田に顔を出してみたいな」
「…五兵衛新田は遠いよ。まだまだ身体を治さないと医者として許可できないな」
「はは、どうかお手柔らかにお願いします」
総司は穏やかに笑う。
一方で英は取り繕いながらもいつまで誤魔化せるのだろうかと不安に感じた。総司は新撰組が五兵衛新田にいると信じている…さらに遠い下総流山に布陣したなど夢にも思わないはずだ。
(局長さんや歳さんの顔を見たいのは俺も同じだな…)
英は
「ほら、薬」
と薬を渡して話を切り上げる。漢方薬を呑んだ総司が渋い顔をしながら羊羹に手を伸ばして苦さを和らげていると、裏口の方からガサガサと音が聞こえた。
「あ…斉藤さん、お帰りなさい。ちょうどそろそろ帰るんじゃないかって話していたところですよ」
裏口から姿を現したのは斉藤だったが、縁側にいた総司に気が付くと視線が泳いだ。
「ああ…」
「何かありました?」
「…いや…城で朝廷との交渉が合意に至ったようだ。内容はとても幕臣たちの理解が得られるとは思えないものだが…」
「へえ…」
斉藤がその情報をどこから得たのかなんて野暮なことは総司は訊ねない。それに詳しく聞かなくとも旧幕府にとって不利なものだったのだろうと察することができた。けれどそれ以上に何か深刻な問題を抱えているような厳しい表情を浮かべていた。
斉藤は重い雰囲気で総司の横に腰かけて草履の紐を解きはじめたので、総司は「あの」と胸の内を訊ねようとしたが、
「悪いがもう休む。夜中に出入りするかもしれないが気にしないでくれ」
「…ええ、わかりました」
斉藤は遮るように断って、寝床へ向かってしまった。



翌朝、土方は赤坂の勝の元を訪ねた。勝は約束通り近藤助命のための嘆願書を用意し、若年寄の大久保一翁の一筆も添えられていた。内容は大久保大和は末端の幕臣であり、下総鎮撫のために送られた…穏便に解放するようにと綴られている。
土方は恭しく受け取ったが、勝からは
「あまり期待をするなよ」
と釘を刺された。
「板橋には薩摩だけでなく、土佐や長州がいる…近藤の顔を知っている者も多いだろう。『新撰組の局長』だと知れれば終わりだ」
「…はい」
(そんなことは重々承知している)
一晩眠り、ようやく立ち上がった土方にはたとえ事実だとしても勝の言い草はどこか腹立たしい。
土方は少し苛立ちながら嘆願書を懐へしまい、一刻も早く板橋へ届けようと腰を浮かしたのだが、
「待て。…土方、約束は覚えているよな?」
と引き止められた。
「…勿論です」
「だったら良い」
「…」
勝の一方的で不遜に見える振る舞いに土方は一言言い置かねば気が済まず、もう一度座り直した。そしてまっすぐに見据えた。
「…安房守様には近藤が愚かな男に見えるかもしれません。ですが、新撰組にとっては唯一無二の頭であり、近藤の男気に惚れて皆ここまでやってきたのです。…私にとっても近藤は親友であり尊敬する兄貴分です。近藤は何があっても決して徳川への忠誠心を忘れません。きっと今も」
「…何が言いたい?俺ァ俺なりに上様へ忠誠を尽くしているが」
「お言葉ですが、一点の曇りもない忠義を持って上様に仕えているのは近藤に違いありません。…必ずや遠ざけるには惜しい男だったのだとおっしゃることでしょう」
「…」
『惜しい忠義だったと言われたい』
近藤はかつてそんな風に自分の人生を振り返った。例え沈むとわかっている船に乗り続けたとしても、強く帆を張り続ける…近藤という男は愚かなのではなく、誰よりも強いのだ。
言いたいことを言った土方は「では」と今度こそ立ち上がる。勝の機嫌を損ねてしまっただろうと思ったのだが、彼は笑っていた。
「お前さんの近藤に対する忠義も相当だよ、似た者同士だ」
「…そうですか」
「近藤が助かるかどうかはわからねぇが…俺も助かってほしいと思っているさ。だが、人にはそれぞれ役目がある。俺は上様と徳川を守ることが使命だと思っているが、薩長を打倒することが必要だと考えている連中もいる。俺は戦なんてやったところで意味がないと思うが、二百五十年以上続いてきた政はそう簡単には幕を下ろせないってことなんだろう…死ぬことが本望だと本気で思っているもののふを止めることはできない。…だからお前さんは戦って戦って、華々しく死んでくれ…もののふの仇花となってな」
「…そのつもりです」
土方は勝に一礼した後は背中を向けて去った。
(勝手だ)
でも、誰に言われなくともここで引き下がったりはしない。
土方は迷うことなく屋敷を去った…それはこの先二度と会うことはないだろうとはっきりとわかる別れだった。

赤坂の屋敷を出た後、近くで待たせていた相馬と合流した。
「待たせたな」
「いえ、嘆願書は…」
「問題ない、受け取った」
相馬はほっと安堵したように息を吐いた。彼は流山で体調を崩していたがようやく回復して今朝から同行させていたのだ。
土方は相馬を連れて人目を避けながら近くの氷川神社へ移動し、赤茶色の社殿の前で手を合わせて戦勝を祈願する。土方は近藤の助命を請うて目を開けたが相馬はまだ深く目を閉じたままだった。
しかし人の気配を感じて二人は境内の隅へ身を隠す。
「…お前に頼みがある」
土方は懐から取り出した嘆願書を相馬に差し出した。
「板橋へ届けてほしい。危険が伴う任務だが…機転の効くお前ならやり遂げられるだろう」
「…」
相馬は所作に隙がなく賢く聡明な見目なので敵兵でも取り合ってもらえるだろう。土方としては当然の人選で相馬なら二つ返事で了承すると思ったが、しかしその顔は歪んだまま嘆願書を見つめたままでなかなか受け取ろうとしなかった。
「…気が進まないか?」
土方の問いかけに相馬はハッと顔を上げた。
「ち、違います!…そのような重要なお役目を私が引き受けて良いのかと…その、私では力不足ではないかと思うのです」
相馬は不安そうな様子だった。入隊時から他の隊士よりも真面目で熱心だった相馬は将来を嘱望されており貴重な人材だ。本人もその自覚があったが、しかし流山での一件で目の前で近藤が投降したことで己を役立たずだと責めていた。
土方はそんな相馬の胸に嘆願書を押し付けた。
「そんなことはない…お前は責任感がある。俺はお前がきっと目的を果たすと信じている」
「副長…」
「…近藤先生と野村を取り返して来い」
この嘆願書には二人の命がかかっている。相馬は受け取ると指先にグッと力を込め
「かしこまりました…!」
と力強く頷いた。その表情には迷いがなく、覚悟が決まっているように見えた。
相馬は土方に促されて背中を向けて駆け出していく。土方は相馬があっという間に姿を消したのを見送った途端、身体の力が抜けてその場に跪いてしまった。
「かっちゃん…総司…」
土方はもう何もできることがないという無力感に支配され、糸が切れたからくり人形のように項垂れてしまったのだった。











解説
なし

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