わらべうた




953


三月六日。
近藤の撤退命令を受け、永倉は原田と他の五人の隊士とともに鎮撫隊から離れて甲府街道を江戸へ向かって進んでいた。厳しい山道であったが永倉はひたすらに無心であったため、
「ぱっつぁん…少し休もうぜ」
と息が上がり疲れ果てた原田に声を掛けられるまで、日が暮れていることにも気が付かなかった。他の隊士たちは足元がおぼつかない様子だ。
「すまない、気が回らず…今どのあたりだ?」
「あー…大月宿くらいじゃねえか?結構逃げてきたよなぁ」
「そうか…敵の気配はないよな」
「ああ」
しかし常に闇に包まれている山道ではいつ敵襲に逢うかわからない…永倉を含めた七人は叢に隠れ身を寄せ合って身体を休めた。
完全に日が落ちて夜になり冷え込むと、原田は鼻を啜りながら永倉に訊ねた。
「…ぱっつぁん、確か去り際に近藤先生はこの先の吉野で合流だって言ってたよな?きっと俺たちのほうが先に着くだろう?」
「たぶんな。おそらく…吉野で土方さんを待って援軍と合流するつもりだろう。あの近藤先生の様子なら、迎撃を考えているんじゃないのか」
永倉はあくまで近藤ならそう考えるだろうと述べただけだったが、
「困ります、局長の指揮は受けたくありません!」
「もうこりごりです!」
と同行していた林信太郎や矢田賢之助が声を上げた。林は壬生浪士組、矢田は禁門の変以前からの同志で古参隊士である。二人の悲鳴のような嘆きは夜中の山間に良く響き、原田が「シィッ」と注意したが彼らの興奮は収まらない。そしてその怒りは他の三人にも伝播した。
「そもそも、甲府城さえ先に乗り込むことができていればこのような大敗にならなかったはず。その原因は明らか!」
「上石原や日野で悠長に宴など開いているからこのようなことになるんです」
「それを棚に上げて、局長は反省の弁ひとつなく…!挙句撤退が遅れ全滅の危機でした」
前野五郎や中条常八郎、松本喜次郎も今までため込んでいた愚痴を漏らした。前野と松本も池田屋以前の入隊で、中条は昨年の天満屋事件で負傷したが怪我をおして参戦した。皆、隊内でも古株で忠義者の隊士たちであり、鳥羽伏見を経ても新撰組を逃げ出さなかった信用できる者たちだ。そんな古参たちの鬼気迫る様子に驚きながら、永倉は彼らを宥めた。
「悪い、余計なことを言った。…俺も迎撃に賛成しているわけじゃない。たぶん近藤先生ひとりがそう考えているんだろう」
「しかし副長の援軍が合流すればまた戦になるのでは?副長は局長の命令には従うのでは…」
「どうかな…」
近藤は勇んで甲府へ向かったためまだ敗北が認められないようだったが、土方は冷静に物事を俯瞰するだろう。鳥羽伏見の経験がある土方なら、無事に合流できたとしても官軍との戦力差や隊士たちの様子を見て退陣すべきだと進言するのではないだろうか。
「…でもさぁ、やっぱり会津の援軍が来るってのは嘘だったのかな…」
「おい、左之…」
せっかく宥めたのに火に油を注いでどうする…と、永倉は視線で訴えるが原田はそのつもりはなくただ悲しそうに嘆いていた。
「会津って聞けば隊士たちの士気が上がるだろう…そんな単純な理由で嘘をついたってことか?近藤先生はそういう卑怯な真似は絶対にしないと信じてたんだけどな…」
「…」
原田の表情には失望があった。怒りではなく、義の人だと信じていた近藤に謀られた…その悲しみで落胆しているようだった。それは原田だけでなく古参の他の五人も同じで、ここにいない隊士たちも思うところはあるだろう。
五人のなかでも特に永倉と近しい矢田が思い切って
「…永倉先生はまだ近藤先生に付き従うのですか?」
と問いかけた。もう決別すべき頃合いではないか…そういう言い方だった。
「付き従う…か」
試衛館の食客であった頃、そこにいた者は皆『仲間』であった。
芳賀と分かれて辿り着いた田舎道場に長く居座るつもりはなかったが、日常の愉快なことや苦い経験、喜び、悲しみを共有するうちにこの先の将来も共に歩みたいと思えた。浪士組として都へ向かい、数々の苦難を乗り越えて名を挙げた…その時もまだ自分たちの『青春』は続いていたように思えたのに。
(いつから…近藤先生の言葉が『命令』になって、俺たちは『部下』になったのだろう…)
明確にいつからとはわからない。けれど仲間をひとり、またひとりと失ううちに彼らの分まで自分たちが功を上げ、律しようという気持ちが強くなり、上下関係が生まれたのではないか。
だとしたらこんなに虚しいことはない。失った仲間のために尽くしてきたのに、傍にいる仲間との絆を失いかけているなんて。
(でもまだ…繋がっている)
まだ諦められない、手放せない―――。
「…俺はまだ新撰組隊士だ。近藤先生のお考えに賛同できると思ったら…ともに戦う気持ちはある」
「…」
永倉の正直な返答に矢田たちは顔を見合わせて困惑していたので、永倉は苦笑した。
「悪いな、良い答えじゃなくて。…でも俺は簡単には見放すことはできないんだ。近藤先生に恩があると思っているから…」
「…俺もだ。一時の感情で喧嘩別れなんて悲しいからな…」
原田も同意して二人はゆっくりと立ち上がった。衣服の土埃を落とすことすら億劫だがどれほど身体が訛りのように重く、膝はがくがくしていても先へ進まなければならない。
「…行こう」
「吉野へ…?」
「いや…吉野へは行かない。甲府に近ければ近いほど近藤先生は官軍への迎撃を考えるだろう。そうすべきではないという俺たちの意思を言葉ではなく行動で伝えるために吉野には行かず、もっと先へ向かうべきだ」
約束を反故にすることは戦時下において一種の反乱、反抗ともいえるだろう。だが永倉は
(これは最後の賭けだ)
と決めた。
この行動を非難し、永倉たちの主張に耳を貸さず闇雲に官軍への抵抗を強要するなら…もうあの頃のような『仲間』には戻れないだろう。
(もう信じられないと思うまで信じぬく…)
永倉はその覚悟だった。


その後、永倉たちは甲州街道をひたすらに走り、ひと足先に江戸に戻った。
大久保屋敷を訪ねたが当然近藤の姿はなくおそらく数日は戻らないだろう。永倉は勝手に屋敷に上がり込むのは気が引けて、近くの空き家になった民家を寝床とすることにした。
「ぱっつぁん、これからどうする?」
「…近藤先生たちがいつ戻るかわからないが、待つしかないだろう」
「そうだな。…ひとまず休憩だ。寒さを凌げる屋根と壁があるだけで十分だよな、やっとよく眠れそうだぜ」
大きなあくびと背伸びをした原田は「俺ァ寝る」と言って横になった。疲れ果てた他の隊士たちも気が抜けたようでおのおの休憩しはじめたが、永倉は外に出た。
数日ぶりの江戸は曇天に包まれている。まるで永倉たちの帰還を歓迎していないように人気がなく静かだ。官軍が大きな街道から江戸へ迫っていることが伝わったのか、もしくは勝が言い出したという『焦土作戦』の噂が広まったのか…。
(芳賀はまだ深川にいるだろうか…)
旧友の芳賀は新撰組での在り方に悩む永倉に対して
『信じられなくなるまで信じてみろ』
と言った。ほんの少しでも信じてみたいと思えるのなら嫌気がさすまで進んでみよう…永倉は芳賀の言葉に背中を押されてここまでやってきた。そしてまだ、近藤たちを信じたいと思っている。
けれどそれは永倉ひとりの考えだ。近藤に対する原田の落胆、他の五人の憤りや失望を目の当たりにするとその思いが揺らぐ。
(俺の考え方は間違っているのだろうか…芳賀に会って客観的に聞いてみたいな)
永倉はまだ芳賀がいるとは限らないと思いつつ、深川に向かうことにした。深川は大久保屋敷から南へ少し下ったところにあってさほど遠くはない。
永倉は一歩、一歩踏み締めて歩く。考えなければならないことは山ほどあったけれど、歩いているうちに頭が空っぽになっていく。
少しだけ海の匂いがする風が通り過ぎた。
自分に必要なのはこんな時間だったのかも知れない…そんなことを考えていると目の前に意外な人物が現れた。
「永倉殿?…新撰組の永倉殿ではありませんか」
「…あなたは…」
永倉は目の前の男の顔に見覚えがあったが、曖昧で不確かだった。すると男はそんなことは承知の上だったようで気分を害した様子はなく、朗らかに挨拶した。
「元会津藩士の秋月です。以前は江上と名乗っていました」
「あ、ああ…江上殿…」
永倉は近藤の元に秋月が訪ねていたことを思い出した。上様が開陽丸で江戸に逃げ帰ったことで会津が窮地に立たされ国へ追われた時に、秋月を含めた数名が脱藩して幕府軍に加わったのだ。
「新撰組は甲府から帰還されたのですか?」
「は…はい、まあ…」
「…そうですか。ご苦労様でした」
秋月は新撰組の敗戦を察してそれ以上は尋ねずに、別の話を口にした。
「実は元幕府奥詰医師の松本良順先生のご所在がわからず…和泉橋を訪ねたのですがすでに去られた後で。ご存じありませんか?」
「…確か、松本先生は浅草の称福寺におられるはずです。臨時で怪我人を見ていると…」
「何と!そうでしたか!」
秋月は散々探し回ったのか、所在を知って喜んだ。
「ありがとうございます、では早速訪ねてみます。…ところで浅草とは…こちらで?」
秋月は江戸の地理に明るくないのだろうか…彼が指さしたのは真逆の海側で、その目は自信さなげに泳いでいた。
永倉は
「…いえ、反対です。宜しければご案内いたしましょう」
と申し出るしかなかった。秋月は「恩にきます」と頭を掻いて笑った。










解説
なし


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