わらべうた




954


永倉は秋月とともに称福寺を訪ねた。
「永倉か?どうしたんだ、新撰組は…?」
松本は突然訪ねて来た永倉に驚いていたが、「まあ上がれ」と理由を深く尋ねることなく二人を招き入れた。永倉はさほど個人的に松本と付き合いがあるわけではなかったが、幕府奥医師という高い地位にありながらも新撰組に好意的で常に支援してくれている懐の広さは同じ男として尊敬できると思っていた。
永倉はまず隠すことなく甲府で鎮撫隊が敗戦したことを報告し、自分を含めた数名が近藤と距離を置いて先に江戸へ戻ったことを話したところ松本は苦い顔をしていた。
「そうか…。一昨日土方が訪ねてきて、先に甲府城を取られたとは聞いていたが…援軍は間に合わなかったのか」
「…はい」
「まあ、とにかく皆が無事なら良い」
と諍いについては触れずに一旦話を切り上げた。そして初対面の秋月へ目を向けて「こちらさんは?」と訊ねた。秋月は居住まいを正して頭を下げた。
「はっ…私は元会津藩士の秋月と申します。いまは脱藩し、幕府歩兵隊に加わっておりますが、先日国元から文が届き松本先生にお届けするようにと仰せつかりました」
「…会津公か?」
「はっ」
秋月は懐から大事そうに文を取り出して、恭しく頭を下げながら松本に差し出した。秋月は脱藩しているが、それは会津公も承知の上での脱藩であり江戸で会津との橋渡しをする役目も担っているのだ。
松本は丁寧に文を開き、さっと目を通したあとすぐに返事した。
「相分かった。必ず参じる」
「あ、ありがとうございます…!」
「先生、まさか…会津へ?」
永倉が問うと松本は頷いた。
「会津公は官軍の標的がいずれ会津となるだろうと危惧されている。南部は弟子を連れて会津へ向かったが戦となれば医者が足りぬ…故に助太刀してほしいと書いてあった」
「…」
松本の眼差しは何の迷いもない。さっと文机に向かい『承知した』との返事をしたためると秋月に渡した。
「ここの怪我人が養生し終えた後に向かうことになる…少し時間はかかるが必ず会津へ行くと伝えてくれ」
「はっ…我が殿もお喜びになられましょう」
「会津公とは親しくさせていただいたし、友人の南部にも手を貸したい。…それに俺はどうも会津が割を食っているようで不憫でならぬのだ。是非会津の力になりたい」
松本の力強い言葉に秋月は目に涙を浮かべながら深く頭を下げて、永倉にも礼を言った後に忙しなく出て行った。
会津のために奔走する秋月の背中は強く逞しく見える。永倉はなんとなく目が離せずにその後ろ姿を見つめていると、
「…それで、お前さんはどうするつもりだ?」
と松本が問いかけた。
「どう…とは」
「俺に近藤との喧嘩の仲裁を頼みに来たわけじゃねえのか?」
永倉としては秋月の道連れでここに来ただけなのだが、しかし松本の顔を見ていると何もかもを打ち明けたくなった。
「…喧嘩と言えるのかわかりません。数年前ならこれが『喧嘩』だと笑い飛ばして翌日には仲直りできていたのかもしれませんが…いまはそう思えず。どんな言葉を近藤局長にぶつけても、ただ虚しく跳ね返ってくるばかりで…どうも俺のような人間は不要のようです」
「不要か…。離脱を考えているのか?」
「…考えないようにしています。…しかし、近藤局長への不信感は拭えません。甲府への道中、脱走兵が相次ぎとてもまともに戦えぬ状況のなか撤退を訴える隊士たちへ会津の援軍が来ると欺き…結局無惨に敗戦しました。隊士たちは局長の指揮を受けたくないと失望しています」
「本当か?近藤がそんなことを?」
松本は潔白で正直者の近藤が、ととても信じられなかったが、それは永倉にとっても同じだった。
「近藤局長ではなく、『幕臣大久保剛』としての言葉だったのだろう…といまは己に言い聞かせています」
「…そうか、お前さんはできた男だな。賢くて冷静だ」
松本の飾らない称賛が身に沁みた。
永倉は褒められたいわけではなく、ただこのどうしようもない憤りを受け止めて認めてほしかっただけなのだ。
永倉はグッと唇を噛んで何もかもを吐露したい気持ちを堪えたが、どうしようもなく少しずつ零れていった。
「…近藤局長とは長い付き合いですが、俺にとって局長は命を捧げる主君ではなく同じ目的に向かって歩む同志だと思っています。でも鳥羽伏見から江戸へ戻って…ずっと疑問を抱いてきました。何故降伏を決めた徳川のために戦わなければならないのか…局長は『恭順のための戦だ』と言いましたが、それは『捨て駒』と同義ではないのか。…俺の命は、俺の剣技は、そんなことのために使わねばならないのか…その答えは甲府にはないと思いました」
圧倒的不利な状況でも、名誉のために命を散らすほど諦めてはいない。永倉の心の内で燻ぶり続ける官軍への怒りはずっとその身を焦がし続けている。だからこそ甲府で散るわけにはいかなかった。
すると松本が
「じゃあどこにある?お前さんの命を使うべき場所は?」
と問いかけた。
永倉は少し黙った。
(―――どこに…?)
甲府ではない、徳川でもない、新撰組でもない…そしてふと思い至った。
「…会津…会津には恩義を感じています。素性の知れぬ浪人であった我らを取り立て、『新撰組』という名を与えてくださったのは…会津公です。会津公がいなければ幕臣にまで上り詰めることはできなかった。我々は…そんな会津へのご恩返しができていません」
永倉はこれまで何度か忠誠を尽くす会津藩士の姿を目の当たりにしていた。何かに縛られるのではなく、心からの忠誠を尽くす彼らの飾らない姿に羨望を抱き新撰組も恩に報いるためにも会津の力になるべきだと進言したが、近藤はあっさり却下した。
(会津ならば…この命を捨てられるのではないか)
その思いはシンプルに永倉の心に沁みて、身体中の血となっていく。
松本は腕を組んで頷いた。
「…お前さんの命の使い方を決めるのはお前さん自身だ、好きにしたら良い。だが俺も会津の為なら死んでもいいと思える。俺たちは同じだな」
「松本先生…」
「本当はお前さんのなかで答えは出ているんだろう。近藤たちを見限って、自分の道を進みたいってな。でも人にはどうしようもなく情って奴がある。近藤や土方たち、そして新撰組ってものへの情だけがお前さんを繋ぎとめているんだろう。俺は近藤たちを気に入ってるし、お前さんにも本懐を遂げる生き方をしてほしいと思っている。だからどちらの味方でもない」
「はい」
永倉は松本がどちらにも肩入れしないということは理解していた。
「でも喧嘩別れになるのはどちらにとっても不幸なことだ。だから話し合え。俺の知っている近藤ならきっとお前さんの話に耳を貸してくれるだろう。それで情に流されて新撰組に留まるもよし、情を断ち切って思うままに進むもよし。…いまは新撰組じゃなくとも、誰もが立ち止って一度考える時期なんだろうと思う」
「…」
行くべき道を選ぶ…それは永倉だけの悩みではない―――そう諭されて心のどこかが安堵した。
松本は懐から金を取り出した。
「この金で吉原で遊んで来い」
「え?いえ、そんなつもりは…」
「吉原は皆が何もかもをさらけ出して本能のままに遊ぶところだ。…この先、明るい道を選びたいと思うなら、楽しい場所で考えろ。歌って騒いで、綺麗どころの女に囲まれて頭んなかを空っぽにして来い!」
「は…はは」
豪快に笑う松本につられて永倉も笑った。しかし妙に説得があり、その金を受け取った。


松本によるとそれから永倉たちは時折称福寺に出入りしながら、吉原の大黒屋という店で居続けをしているそうだ。
「遊んでるなんて叱るなよ?俺が金を渡して遊んで来いって言ったんだ。それに大黒屋の楼主は俺の娘婿でな…江戸の花魁たちに金を落としてやらねぇと」
「…そうですか…」
土方は松本の話を聞いて想像以上に永倉たちの心が離れかけていることを知った。それは近藤の振る舞いや『会津の援軍が来る』と口走ったことがきっかけではあるが、彼らの中に積もり積もったものがあったのだろう。
落胆する土方を見て、松本は笑った。
「そう落ち込むことはないさ。俺の目にはまだ永倉たちの気持ちは新撰組にあるように思えた。ただ、これから過酷な道を歩むなら行先はちゃんと話し合ったほうが良いだろ」
「…はい」
新撰組の行くべき場所はまだ決まっていないのだから、むしろこれは新撰組にとって必要な機会だったのだろう…土方はそう言い聞かせながら頭を上げた。
「先生、永倉へ明日話をしたいと伝えてくださいますか」
「わかった。場所はここでいいな」
「はい」
永倉たちの所在がわかったことで土方はひと段落して気が抜けた。やきもきしている近藤も少しは落ち着くことだろう。
「それで沖田だがな、昨日からこの近くの俺の寓居に住まわせている」
「そうですか…何から何までありがとうございます」
「早く行ってやれ」
松本に急かされて、土方は頷いた。











解説
なし


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