わらべうた




956


勝邸を訪ねて門前払いとなった近藤だが、江戸市中で情報収集を行っている大石から三月十五日の江戸総攻撃の報告を耳にした。
「官軍は無礼で無茶な要求をしているのだろう!こうなっては江戸で徹底抗戦だ!上様の御為に死力を尽くす!」
息巻く近藤に対し、敗戦を経験したばかりの隊士たちは困惑していた。隊士の半分が怪我や病で臥せり、ちらほら脱走する者もいる…とても戦えるような状況ではないのに、近藤が気を吐く姿はまるで見たくない現実から目を逸らすようだった。
(総司が知れば驚くだろうな…)
松本の邸宅から戻った土方は近藤がまるで人が変わってしまったように見えた。総攻撃の知らせを聞き焦って苛立ち、爪を噛み、貧乏ゆすりをする…総司はそんな師匠の姿を見たことがないだろう。幼馴染の土方でさえどう接したらよいのかわからなかったが、いつまでも遠慮しているわけにはいかなかった。
「話がある」
土方は意を決して近藤を屋敷の庭に連れ出した。夜風は寒いが閉塞した部屋にいるよりも胸襟を開いて話ができると思ったからだが、近藤の表情はまだ硬かった。会話を拒むように腕を組み、土方を見据えた。
「話とはなんだ」
「…松本先生を訪ねた。状況は概ね大石の報告通り、交渉が決裂した場合に官軍は三月十五日に総攻撃を仕掛けるというものだった。俺たちと同時に出立した梁田の戦も徳川側の惨敗だったそうだ」
「それで?」
近藤は早く話を切り上げたいのか本題を切り出せと言わんばかりに急かす。そのあまりの態度に土方は思わず眉間に皺を寄せて、声色に力が入った。
「…お前が聞きたいことはないのか?かっちゃん」
「…大久保だ」
「大久保じゃない。もう鎮撫隊は解散した…ここにいるのは新撰組の局長、近藤勇だ」
土方の言葉を挑発と受け取った近藤の眉がつりあがった。
「それは嫌味か?『幕臣大久保剛』の名前はお前には荷が重かったとでも?わざわざここに連れ出してお前のせいで負けたのだと、そう言いたいのか?」
近藤は必要以上に言い返した。それは今まで土方や永倉、あるいは他の隊士の視線を感じそんな風に思い込んでいるのだろう。土方は近藤に焚きつけられたように苛立ったが、同じ土俵に立って言い返すわけにはいかない。小さく深呼吸した。
「…正気に戻れよ。誰もかっちゃんのせいで負けたなんて一言も言っていないだろう」
「言わなくてもわかる!」
「わかってねえよ。敗戦ばかりに気を取られて何も見えていない。いい加減冷静になったらどうだ」
「俺は冷静だ!」
「冷静なものか。…聞いていたか?俺は松本先生を訪ねたと言ったんだ。冷静なお前なら…総司の様子を聞くはずだろう」
「…!」
近藤の瞳孔がカッと開いたが、痛いところを付かれたようにすぐに目を逸らした。
「……総司は…」
「総司は松本先生の邸宅に身を寄せている。昨日は危なかったそうだがさっき訪ねた時は、お前の身を案じて自分は元気だと言い張っていた」
「…」
「…お前の大事な愛弟子だろう、忘れていたのか?ずっとお前の一番近くに居て、お前を一番慕っている…総司のことすら怒りに囚われて思い出さなかったのか?……それで冷静だと?笑わせるな」
土方の指摘に近藤はぐうの音も出なかった。日野で引き返し、関田家で身を寄せた…その後江戸の松本の元へ向かわせたとは聞いていたが、その動向すら気に掛けることができないほど我を忘れていたのだ。
近藤はばつの悪い表情を浮かべていたが、土方は総司が病床で自分のことを差し置いて師匠ばかり慮っていることを思えばもっと強く怒鳴りたいくらいだった。けれど(俺まで正気を失ってどうする)とグッと飲み込んで、かわりに近藤に詰め寄った。
「…明日、永倉たちと会談する約束を取り付けた」
「何…?」
「永倉は先に江戸に戻り、松本先生の知人のところに身を寄せているそうだ。先生に頼んで明日の夜に称福寺に来るように伝えた…律儀な永倉は必ず来るだろう。もしかしたら最後の機会になるかもしれない…明日までに少しは頭を冷やしておいてくれ」
「…」
近藤はわかったとは言わなかった。けれど土方は彼を信じてその場を去った。


松本の娘婿の店だという『大黒屋』にいる永倉の元へ遣いが届いた。それは土方が松本を訪ね、会談を望んでいるという内容だった。
(近藤先生たちも江戸へ戻ったのか…)
援軍と合流した後迎撃するかと思われたが、流石に歯が立たないと土方に説得されたのだろう。
「ぱっつぁん、行くつもりか?」
ほろ酔いの原田が尋ねたので永倉は頷いた。
「願ってもないことだ」
「でもさ…」
原田の表情は曇っていた。会談に呼び出す…彼の脳裏に伊東甲子太郎斬殺の件が過ぎったのだろうとわかったが、永倉は笑い飛ばした。
「大丈夫、俺たちはまだ拗れちゃいない。流石に近藤先生でもそこまでしないさ。…それに俺は新撰組の一員としてこれからのことを話し合いたいと思ってる」
「そ、そうだよな…悪い、俺の考えすぎだ」
原田はぐしゃっと頭を掻いて笑った。
「矢田、頼みがあるんだが」
永倉にとって一番の腹心である矢田へ、大久保屋敷にいるであろう隊士たちを秘密裏に呼ぶように頼んだ。明日の会談で新撰組の行く末を決めるのだから隊士たちの意見を汲みたいと思い、声をかけたのだ。矢田は古参で隊士からの信頼も厚く島田と同じ兄貴分のような存在だが、近藤や土方に心酔する島田とは違い矢田は反骨心があり鳥羽伏見辺りから新撰組に対して懐疑的な意見を抱えている。
すると、数人は来てくれるだろうと思ったが予想以上に多く集まり、十五名が大黒屋を訪ねてきた。皆、それぞれに思うところがあり近藤の指揮に従うことに不安を覚えているようだった。
そこで永倉は彼らを前に自論を語った。
「今の近藤局長は幕臣という地位に囚われ、闇雲に戦を仕掛けるばかり。もし武士の本懐を果たすべきと考えるならば、武家の棟梁であることを投げ出した慶喜公のためではなく、恩ある会津のために戦うべきだと考えている。新撰組を引き立ててくださった恩に報いることがいま為すべきこと。俺はそう思うが、皆の考えを聞きたい」
永倉がなげかけると、隊士たちは一様に「その通り」「賛成する」と声を上げた。永倉の独りよがりかと思われた会津行きは、甲府での惨敗を目の当たりにした彼らにとって救いの手となる提案だったのだ。
「ぱっつぁん…」
隣にいた原田は嬉しそうに笑っていた。江戸に戻ってからずっと抱え続けた鬱憤が晴れるような気持ちで互いに頷き合い、永倉は結論を出した。
「安房守の二枚舌に付き合う必要はない。俺たちは再び会津の指揮下に入り、戦うべきだ!局長と副長を説き伏せ、新撰組は会津へ向かおう!」
永倉の言葉で、隊士たちの目に輝きが戻った。


月明かりの下。
屋敷の縁側に腰を下ろした土方は総司から贈られた懐中時計を取り出して、手慰みにパチン、パチンと蓋の開け閉めを繰り返していた。
「宜しいのですか」
斉藤の問いかけに「ああ」と答えた。
夜中、隊士たちが屋敷を抜け出して吉原に向かったことはわかっていた。近藤や声を掛けられず居残った数名の隊士は「妓楼へ行ったのだろう」と理解したが、その行き先は永倉がいる『大黒屋』だ。斉藤は目ざとく気がついて土方に報告したが、
「何もしなくていい」
と静かに受け止めた。
「永倉が良からぬことを企んでいるのではありませんか」
「…つくづく、お前は永倉と気が合わないんだな」
「そういうわけではありませんが…」
「大丈夫だ。少なくとも永倉が『良からぬこと』なんて考えるはずがない。あれは融通が利かないだけで生真面目で正義感があるんだ」
土方は何度か対立していたが揺らがない正論を持つ永倉を信頼していた。斉藤が危惧するような類のことを思いつくことすらないだろう。
「…律儀な男なのはわかっています。しかし夢見がちな正義感が隊士たちに必ずしも良い影響を与えるとは限りません」
「それでも…今の局長よりはマシだと思うかもな…」
つい土方が本音を漏らすと、斉藤も苦い顔をした。
「…局長は人が変わってしまったようです」
「敗戦を受け止められないだけだ。もう少し時間が経てば…元に戻る」
「…日野宿で局長を襲撃した少年のことですが」
「ああ…」
江戸へ敗走途中…土方が佐藤家に寄っている間の出来事で現場にいたわけではないが、近藤は故郷の少年に刃を向けられた。すぐに退けたそうだが近藤は酷くショックを受けていて、斉藤はその少年について調べたらしい。
「道中で徴兵した農民の子だったようです。父親は命からがら生き延びたようですが負傷して家業が滞り…その恨みで事に及んだと。捨て台詞の『嘘つき』は故郷で勝ち戦だと豪語した局長への非難だったのでしょう」
「嘘つきか…」
その場にいなかった土方は初めて知ることだったが、思いも寄らぬ子どもの罵倒に近藤はさぞ動揺し落胆したことだろう。その出来事を払拭したくて隊士の前で強く振る舞っているのだ。
(明日は…どうなることやら)
明日…その次、また次。
繰り返される毎日が決して当然ではないと実感する。都での日々が安息だったと思えるほど。
「…斉藤、総司は浅草の松本先生のお宅で厄介になっている。会いに行ってやってくれ」
「はい」
土方は懐中時計を懐にしまい、部屋に戻った。










解説
なし


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