わらべうた




958


朝早く、浅草の松本の邸宅へ斉藤が訪ねて来たので総司は驚いた。
「どうしたんですか?」
「見舞いだ」
斉藤は手土産をもってやってきたが、英はため息を付いた。
「見舞いって…こんな朝早くに何事かと思うじゃないか」
「起きていなかったら引き返すだけだ。…手土産がある」
斉藤は英へ卵の入った竹籠を差し出した。英は「珍しく気が利いている」と褒めて受け取り、土間の方に向かったので二人は部屋に入り、総司は座布団を差し出した。
「寝ていなくていいのか」
「へへ、今日は具合が良いんです。動ける時には動くように言いつけられてますから。…皆は元気にやってますか?」
「…昨日副長が来たんじゃないのか」
「ちょっとだけ顔を出してくれましたけど、すぐに大久保屋敷へ帰りましたよ。詳しい話はしていませんから皆無事に戻っているとしか聞いていません。…そういえば一昨日、永倉さんも訪ねてきてくれたみたいなんですけど、生憎私は寝込んでいて会えなかったんです。ちゃんと永倉さんと合流できたんですか?」
「…ああ、問題ない。島田や山野たちにも怪我はない」
「良かった」
総司の朗らかな様子を見て、斉藤は土方が何も話していないだろうと言うことを察した。もっとも永倉と原田が別行動をとっているという事実以外、確かなことはないのだが。
「近藤先生はいかがですか?甲府で敗戦されて…気落ちされているのでは?」
「…当然落胆はしていたが、江戸で再起するともおっしゃっていた」
「はは、先生らしい。徳川の御膝元ですから今度こそ負けられませんね」
総司は穏やかに受け取ったが、近藤の強硬な意見を温かく受け入れる者はおらず、土方でさえも難色を示しているのだ。いま近藤は孤立している。
「…局長にはここに来ていただいた方が良いだろうな」
「? 私もお会いしたいですけど…でもご心配をおかけするでしょうからもう少し顔色が良くなってからお会いしたいですね」
総司は笑い飛ばしたが、確かに一回りほど窶れて顔色が悪い。しかしこれでも『具合が良い』と本人が言うのだから、悪いときは相当なのだろう。
斉藤はどう返せばいいのかわからなかったが、総司は気にする様子はなく
「あの、刀を見せてくださいませんか?」
と頼んだ。
「構わないが…まだ研ぎに出していない」
総司は斉藤から彼の愛刀…国重を受け取り、真横にしてゆっくりと鞘から抜いた。
「…ああ、本当だ…ボロボロですね」
斉藤は柏尾で前線に立ち、白兵戦では真っ先に斬り込んだ。斬った敵兵の数はわからないが刀は激戦の証のように刃こぼれしていて、近々研ぎに出すつもりだった。そんな国重を総司は目を細めて愛おしそうに見た。
「…土方さんや松本先生から甲府で敗戦したと聞いたんです。でも二人ともその現場にいたわけじゃないでしょう?どんなに官軍が圧倒的で、敗走せざるを得なかったのか…言葉だけではなんだか実感が沸かなくて、どれほど大変な思いをされたのか…想像することしかできなかった。でもこの国重を見ればわかります。きっとみんな必死に戦って生き延びたんでしょうねぇ…」
「…」
甲府での出来事を詳細に彼に話すよりも、こうして刃こぼれを見せる方が彼にとって共感しやすいのだろう。この刃こぼれした国重の姿以上に証となるものはない。
総司は貴重な物に触れるようにゆっくりと鞘に戻したが、相変わらずそこに巻かれたままの組み紐に気が付いた。
「ああ…こっちもすっかりボロボロですね。やっぱり邪魔じゃないですか?」
「もう手に馴染んでいる」
「ふふ…なら良いんですけど」
総司は礼を言いながら斉藤に刀を返した。そして振り返って次に枕元に置いてある自身の刀…安定を手にした。
「…結局、まともに抜くこともないままです。せっかく斉藤さんが見繕ってくれたのに、勿体ないなぁ…」
「これから出番がある。江戸での徹底抗戦になればこうして寝床でゆっくりしている暇などないだろう」
江戸への総攻撃は四日後に迫っている―――斉藤はそのことは伏せたが、官軍は各街道を進軍し江戸を包囲し始めている。その空気は総司も感じているはずだ。
総司は訊ねた。
「…斉藤さんには、まだ私が安定を使えると思いますか?」
そもそも安定は細身の刀で技術が無ければ使いこなせない。以前山野が『自分には使いこなせない』と匙を投げたので、こんなに痩せ細った手では構えることすら危ういのではないかと、素人ですら危惧することだろう。
しかし斉藤は即答した。
「使える」
「…本当に?気を使わなくていいんですけど」
「あんたに気を使ったことなんかない」
「ふっ…確かに、斉藤さんは昔から私には言いたい放題だった」
総司は思い出し笑いをしたが、斉藤には心当たりがない。けれど確かに彼には本音で接してきたし、他の食客たちよりも率直に意見していた自覚はあった。
「…俺は、沖田さんの剣が好きだ。刀を構えた途端に空気が変わり、混じりっ気のない水面が揺れるように静かで厳かだった。それは俺にはない…だからいつも目が離せなかったんだ」
事情があり道場を渡り歩いた斉藤だが、そのどこにも総司のような存在はいなかった。他人に興味がない斉藤にとって唯一の存在であり、しかし同時に手が届かない、最果ての場所にいるような気がしていた。
総司は斉藤の言葉をゆっくりと噛み締めるように受け取った。
「へへ…照れるな。今まで色んな人に剣を褒めてもらったけれど…一番、褒められたような気がします」
「…一番か」
「え?」
「いや、なんでもない」
斉藤は少し口元を緩ませながら頷いた。
いつも最果てにいて手が届かない…そんな総司に『一番』だと言われるのはやはり気分が良かった。


昼過ぎ。
永倉たちとの会談のため、そろそろ屋敷を出立しよう…と土方は近藤の元へ向かった。昨晩から顔を合わせていないどころか、人払いをして小姓の銀之助さえ近づけさせていないらしい。
「…近藤先生、いるのか?」
襖の向こうから声を掛けたが返答はない。土方は不在かと思いゆっくり開けると、近藤は正座をして目を閉じていた。瞑想の途中だったようだ。
「悪い、出直す…」
「いや…良い」
近藤はゆっくりと瞼を開けた。
土方は近藤の表情が相変わらず硬いことに気が付いたが、どこか吹っ切れた風でもあったので、永倉との会談を前に力が入っているのだろうと思った。けれど重たく張り詰めた空気にはまるで敵将を相手にするような凄みがあり、土方でさえ息を呑む。
「…近藤先生、帰ったら時間を取ってもらえるか?」
「何の話だ?」
「…小難しい話じゃない」
「そうか…わかった」
二人で話したい…そう伝えることさえも儘ならない。こんなぎこちない状況を早く打開したいと思うがひとまずは永倉の件を穏便に収束させなければならないだろう。
近藤が支度を整えて土方の傍を横切って部屋を出る。土方はその背中について歩き始めた。
近藤は広間にいる隊士たちに声を掛けることなく、まっすぐ玄関を出て行く。局長の険しい表情を見て隊士たちは「何事か」と動揺していたので、土方は島田に目配せをして(後を頼む)と伝えた。
近藤は大久保屋敷を出て浅草へ歩き出す。まるで土方の存在など無視するような早足なので追いつくのに苦労したが、それよりも近藤の表情の意味が汲み取れない。
(かっちゃん…何を考えているんだ…?)
常に新撰組の裏方として隠し事をしているのは土方で、近藤はいつも赤裸々なくらい己の思いを素直に土方に吐露していた。幼馴染同士気の置けない間柄としてそれが当たり前であったが、今の近藤はまるで別人のようだ。
(昨夜、少し言い過ぎたか…?だが、そんなことでヘソを曲げるような男じゃないはずだが…)
土方がなかなか思い当たらず考えて混んでいると、突然近藤が「歳」と足を止めて振り向いた。
「あ、ああ…なんだ?」
「…今朝、大石君が屋敷を出て行った。彼に何か探らせているのか?」
今朝、大石は土方の甥である源之助が連行されたことを報告しにやって来た。彼には今は静観しつつ状況を見守れと命令したので彼はおそらく源之助が連行された八王子に向かったはずだ。だが、この件は近藤にはまだ伏せておきたかった。
(勘がいいな)
土方は曖昧に答えた。
「まあ…官軍の動きを報告するようには伝えている」
「…永倉君たちのことは?」
「いや…特には」
土方は何故そのようなことを近藤が尋ねるのか不思議だった。近藤はこれまで監察方への命令については土方に一任していて口を出すようなことは滅多になかったのだが、近藤はその返答を聞いた途端、眉をしかめて表情を歪ませた。
「かっちゃん…?」
「…お前も…。いや…何でもない」
「…」
土方はまた近藤の気に障ることを言ってしまったのか…と思ったが、近藤はどこか痛みを抱えたような悲しい顔をして、また前を向いて歩き出してしまった。










解説
なし


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