わらべうた
963
呼び出しに応じて、近藤は赤坂の勝の邸宅を訪ねた。
甲府での敗戦の顛末については、以前援軍を呼びに戻った時に勝が土方から報告を受けていたため話はすぐに終わった。
勝はいつにも増して急いた様子で、本題を切り出した。
「流山に行ってくれねえか。できれば今日明日に」
「…流山、ですか…」
「安房、上総、下総のあたりは昔から佐幕の考えが強い。俺が和平交渉を進めている間に挙兵されちゃ困るんだ。お前たちが鎮撫しろ」
近藤は返答に困った。それは確かに『鎮撫隊』として相応しい任務ではあるが、江戸を離れることになってしまう。近藤は江戸での再起、甲府での再戦を念頭に置いていた。
「しかし…総攻撃が十五日に迫っていると聞きました。上様をお守りするために兵を残すべきでは…?」
江戸での抗戦の可能性がある以上、離れるべきではない…近藤の進言に対して勝は鼻で笑った。
「聞いてなかったのか?俺は和平交渉を進めてるんだ。官軍の奴らの言い分を聞きながら、こちらの主張を通す上手い折衷案を探ってる…そんな最中に新撰組のような抗戦派に江戸で屯ろされちゃあ迷惑なんだよ。こちら側に抗戦の構えがあるように見えちまうだろう」
「しかし、万が一の際に上様の御身が!」
「お前こそ上様のお命を奪うつもりか?」
勝の眼差しが厳しく近藤を見据えた。近藤はグッと唇を噛む。
「甲府城を取られたあと、そのまま江戸へ引き返せばよいものを…戦を仕掛けたことで新撰組は官軍にとって討伐すべき明確な敵になった。そんなお前たちが上様のお膝元にいちゃあ徳川がまだまだ戦をする気だと勘違いされて困るってことだよ」
「しかしながら安房守様、我々は甲府で抗戦をすべきであるとご命令を受け出陣したのでは…!」
「ああ、そうだ。交渉材料になるかと思ったが…せめてあと何日か持てば良いものをあっという間に敗戦しちまって、どうやら俺ァお前たちを高く見積もりすぎていたようだ」
「…っ」
伊庭が示唆していた通り、新撰組は単なる駒の一つに過ぎない。勝てば持て囃され、負ければただの暴走だったという烙印を押されてしまう。
甲府城を奪取されてもこれ以上江戸へ近づけさせまいと抗戦を選んだ近藤にとって手のひらを返されるような気持ちだったが、しかし敗戦を喫したことは間違いなく新撰組の責である。勝の期待に応えられなかったという事実を突きつけられ近藤は顔を伏せたが、このまま飲み込むわけにはいかなかった。声を震わせ頭を下げて懇願した。
「…恐れながら、あまりに流山は遠すぎます。上様の御身に何かあった時に駆けつけられませぬ…せめて武州に留め置きください」
「では荒川の向こうだ。決して命なく橋を渡ることは許さぬ」
「…承知、しました」
近藤はどうにか自分を納得させて頷いた。
これほど尽力しながら、和平交渉を阻害するものとして追い払われている…勝の冷たい態度によってそれをひしひしと感じていた。もちろん官軍との交渉が上手くいっていないという八つ当たりもあったのだが、近藤はこのまま引き下がるわけにはいかなかった。
「…一つお願いしたきことがございます」
「なんだ。叶えられることには限りがある」
「甲府の戦で我々に加わった春日隊という部隊があります。これは私の故郷に所縁のある者たちが上様の御為に結成し主に後方支援や小荷駄方を務めましたが、此度のことで官軍に罪を問われ追われています。敗戦後は故郷に戻り解散して身を隠しましたが、いまは隊長の倅で土方の甥が八王子に連行されているという報告を受けました。この者はそもそも出陣しておらぬ若者…どうか御取り成しをいただけないでしょうか」
近藤は顔を上げた。
新撰組は荒川より向こうへ去る…その交換条件として春日隊の身の安全を求めたのだ。近藤は故郷に迷惑をかけた責任を感じ、この件については一歩も引くつもりがなかったが、勝は「ふっ」と小さく笑った。
「またあいつに貸しができるな」
「…土方ですか」
「悪くない。わかった、八王子に密使を遣ろう。これでお前たちは江戸を去るんだな?」
「…はい」
近藤としては手のひら返しのような態度をされて不本意であったが、勝の言い分はわかる。上様の恭順という意思を尊重するならば、今の新撰組は上様にとって邪魔な存在になってしまうのだろう。
勝は「すぐに行け」と言うので、明日には出立する約束をした。
勝の屋敷から戻り顛末を話すと、土方は顔を顰めた。
「…そもそも甲府は随分前から援軍を欲していてその件は一月から進言していたのに、ぐずぐずと出陣命令を出さなかったのは安房守の方だろう。俺たちにも非はあるが、負けた途端態度を変えやがって…」
「…仕方あるまい。ひとまず明日にはこの屋敷を出よう」
「出るって言っても…」
近藤も不満はあったが敗戦の将として勝に抗うつもりはないようで、命令に従うという。土方には勝からの扱いに納得できなかったが、
「安房守様は春日隊を取りなしてくれると約束してくださったんだ。今はそれを有り難く思わねば…」
義兄と甥、そして故郷の仲間たちの命が保障されるというのなら黙って従わなくてはならないだろう。土方も飲み込むしかなかった。
するとそこへ相馬がやってきた。
「失礼致します。大久保先生、松本先生がいらっしゃいました。急ぎのご用件があると…」
「なに?わかった、すぐに行こう」
近藤はすぐに立ち上がり、土方も続いた。
すると相馬と共に玄関へ向かう道中、近藤が彼に話しかけた。
「相馬君、次からは『近藤』に戻してくれるか?」
「え?…宜しいのですか?」
「勝手を言ってすまないが…やはり馴染まなくてな」
近藤は苦笑いする。
甲府行きから『大久保剛』と名乗り、土方や隊士たちにも拘って呼ばせたが結局はその名は敗将のものとなってしまった。近藤は上様から賜ったことは生涯の誉だが、今は分不相応だと悟ったのだ。
相馬は察して「承知しました」と答えた。局長附の彼が呼び方を変えれば隊士たちにも自然に広まり、戻っていくだろう。
そうしているうちに玄関に着くと、旅姿の松本がいた。
「おう、急に来て悪いな。…突然で悪いが、総攻撃の前に称福寺の医学所を畳んで会津へ行くことにした」
「会津…ですか」
近藤は永倉と原田の行き先と同じであることに目を丸くしたが、土方は事前に聞いていた。
「会津公から文が届いたのもあるし、南部とは以前に約束していたからな。俺の気持ちとしても会津を手助けしたい」
「…もしや今からご出立ですか?」
「ああ、善は急げというだろう?いや、兵は拙速を尊ぶか?まあ、どちらでもいいが俺ァせっかちだからな。それに安房守の相手も疲れた」
松本はハハっと笑い飛ばしたが、近藤は残念そうに眉尻を下げた。
「そうですか…寂しくなります」
「まあそう言うな。人は来て、去るものだ。それに俺は一旦挨拶に来ただけで別れを言いに来たわけじゃない。…お前たちに話しておきたいことがあってな」
松本はしんみりとした雰囲気をかき消すように玄関にドカッと腰を下ろしたので、二人も膝を折った。
「まず俺の身の回りのことだ。俺は弟子を何人か連れていくが、加也だけは江戸に残すことにした。義父の南部や本人もそれを望んでいる…住まいは南部の邸宅になるだろう、悪いがあのお転婆をよろしく頼む。…それから、いつ江戸に戻るかわからねぇから近藤の肩のことや沖田のことを最期まで診てやれそうにない。中途半端に投げ出すようになって不本意だし、土方には頼まれていたのに約束を果たせず申し訳ない」
松本は土方へ向かって頭を下げた。土方は頭では理解していても、名医の口から『最期』という言葉を聞くととても胸が痛かった。土方は気落ちする自分を誤魔化しながら松本よりも深く頭を下げた。
「…いえ…先生にはこれまで十分御尽力いただきました」
「散々任せろと言っておいてなんだが…英と加也は俺と南部でちゃんと鍛えてある。銃創や労咳の処置も叩き込んでる。俺の邸宅もしばらくは使えば良いから、どうか二人に任せてやってくれ。最善を尽くすはずだ」
「はい。ありがとうございます」
「それから、これは提案だが」
松本は悲壮感なく話を変えた。
「馬越に聞いた。先の戦で相当怪我人が出ているんだろう?」
「ええ…まあ…」
土方が懸念していたことはこの先の負傷者の扱いだった。不動堂村や鍛治橋屋敷、そしてこの大久保屋敷のように広さのある屯所を得られるとは限らず、さらには明日にはここを出なくてはならない。負傷者や病人はこれまで松本の好意で預かってもらっていたこともあったがそれもできなくなってしまい、常に負傷者を抱えなければならないのだ。
すると松本は意外なことを言い出した。
「だったらいっそ会津につれてこねぇか。江戸から離れた場所で一旦療養させて、回復したら戦地へ送る。その方がお前たちにとっても負担にならねぇだろう」
思わぬ提案に近藤と土方は顔を見合わせた。どこかで療養させようにも江戸の町を出ろと言われ宛てがない新撰組にとっては願ってもない話だ。
「しかし…宜しいのですか?先生のお働きの妨げになるのでは…」
「遠慮するな、俺は新撰組のお抱え筆頭医師だぞ。怪我人が十人二十人増えたって手間は大して変わらねえし、会津公が医学所の代わりになる施設をご用意してくださるそうだ。…まあ、すぐに決めなくてもいい。遅れて寄越してくれれば必ず面倒はみる」
松本にとって何気ない提案であったとしても、今の近藤と土方にとって遠く離れてしまっても支援を続けてくれると言う彼の申し出は有難い以上の何物でもない。松本の志はいつも真っすぐ貫かれ、揺れることなく在り続けている。拠り所のない新撰組にとって頼りがいのある存在だ。
近藤は「ありがとうございます」と繰り返し感謝を述べた。
「松本先生はいつも我々に光を差し込んでくださいます。先生との出会いは私の人生において最良の出来事の一つです」
「なぁに、大袈裟な。…俺は友誼を結んだ相手とは死ぬまで付き合いたいと思っているだけだ。それにたぶん俺の気性は近藤に近いんだろうなぁ、猪突猛進で融通がきかなくて周囲を困らせるんだ。そうだろう?土方」
「ハハ…」
「その通りです」
近藤が頭を掻き、土方が頷く…松本は笑い飛ばしたが彼の義理堅さは近藤の頑固さに通じるものがあり、出会ってたった数年の仲であっても深く結ばれていたのだ。
松本はひとしきり笑った後、近藤の表情をまじまじと見た。
「どうやら憑き物が落ちたようだな?」
「…はい。ご迷惑をおかけいたしました」
「俺は何もしちゃいない。…永倉たちは悪い奴じゃないし、会津へ行くという考えは俺と同じだ。つまりやり方が違うだけできっといつか邂逅できる」
松本が励まし、近藤は頷いた。
せっかちな松本は「もう行く」と言うので、二人は共に屋敷の外まで付き添った。春の兆しを見せ始める日差しが松本の門出を祝福するように明るく照らしている。
「近藤、この先のことは決まっているのか?」
「ええ…今日、安房守様から荒川より向こうへ陣を敷くようにとお達しを受けました。我々が江戸に留まると上様にとって不利益になるのだとおっしゃられて…」
「ったく、勝手な御仁だ。暗に戦をして来いと言ったくせに敗戦すれば掌返しか。官軍相手にどんな交渉をしているんだか…」
松本は二人の思いを代弁するように吐き捨ててため息を付く。
「実は、俺もあの御仁にいいように使われないようにさっさと江戸を離れようと思ってな。俺一人なら付き合ってもいいが、俺に預かっている大事な弟子がいる。…荒川か。宛てはあるのか?」
「いえ…」
「なら五兵衛新田の金子家を頼ってみろ。会津へ行く道すがら、話は通してやる」
「本当ですか…!」
松本は「お安い御用だ」と笑うが、二人にとって目下の課題であった次の行先があっさりと決まってしまう。
近藤と土方は何度も礼を言って松本を見送った。彼は大袈裟な見送りを嫌がって振り返ることなく去って行ってしまったが、土方は松本ほど頼りになる後援者はいないだろうと改めて感嘆した。
「…得難い御仁だよなぁ…」
近藤の呟きに、土方は頷いた。
飄々としながらも固く結んだ絆を確かに残して、松本は会津へと向かったのだ。
なし
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