わらべうた
964
松本が去った後、近藤は永倉と原田、そして他五人の脱退を隊士たちに知らせた。もちろん皆驚き、動揺したものの長らく姿を見せていなかったので予想していた者も多く、またほとんどの隊士が会談前に永倉の招集に応えてその考えを聞かされていたため、交渉が決裂したのだとすぐに理解した。
そして近藤は明日には五兵衛新田へ向かうことを告げた―――。
日が暮れて。
土方は問題は山積みであるがようやく一息つけると安堵して、自室としている部屋に戻ったのだが。
「…何の真似だ?」
蝋燭を手にやって来た斉藤が深々と頭を下げたので困惑してしまった。
「この度の失態、お詫び申し上げます」
「失態?」
「永倉と原田のことです。甲府で仲裁できず、むしろ衝突し…まさか本当にこのような結果になるとは…」
「思わなかったのか?お前のことだから永倉が脱退を申し出ると察していたんじゃないのか?」
「…」
土方は責めるのではなく、単なる疑問として訊ねた。
斉藤は甲府ではそうではなくとも、江戸で一向に合流しようとしない彼らの行動や会談前に内密で隊士を集めたことを考えれば永倉たちが脱退を考えているということも選択肢の一つだと気が付いていたはずだ。
斉藤は率直に答えた。
「…あり得るとは思っていました。しかし永倉は融通の利かぬ男ですが義理堅く、誼を大事にするだろうと考え…もう少しは耐えるだろうと。ただ、約束の吉野宿に現れず『らしくない』とは思っていましたが、まさか…」
「俺も現実味がない。今まで俺と近藤先生がその食客の誼に甘えて『こんなことになるはずがない』と思い込んでいたんだ。だから永倉と原田の決断は俺たちの慢心が招いたことだ…お前のせいじゃない」
「…そうですか…」
斉藤はまだ自分を責めているようだった。
土方が援軍を求めるために引き返した際、斉藤へ『よろしく頼む』と何気なく言ったのだが、あの一言が彼にとって大きな命題となったのだろう。二人が脱退してしまったことに誰よりも責任を感じているのだ。
土方は苦笑した。
「存外、真面目だよな」
「…はぁ」
「ああ…ついでに、明日近藤先生から話があると思うが、お前には負傷者を連れて会津へ行ってほしい」
「…会津へ?」
斉藤はしおらしい表情から一転して、怪訝な顔をした。
土方は松本が負傷者と病人を受け入れてくれることや回復次第順次新撰組に戻すことを話し、会津との伝手がある斉藤がまず向かうのが最も効率的だろうと近藤と相談したことを話した。
「…しかし、すぐにでも江戸総攻撃があると聞いています」
「ああ。だからこそ負傷者を抱えて出陣などできない。お前は会津と所縁があるのだろう、適任だ」
「……」
斉藤は心底嫌そうな顔をした。
「お断りします。…所縁はありましたが既に切れました。ですから会津へ行くのなら別の者でも構わないでしょう」
「引率の役割だけじゃない、お前も負傷者の一人だろう。甲府では無理をしたはずだ」
「…俺を隊に置いてくださる約束では?」
「それとこれとは話が違う。負傷者を移動させて少し休んで戻って来いと言っているだけだ」
「……」
いつもの斉藤ならどんなに不本意な命令でも「わかりました」と渋々ながら受け入れて請け負うはずだが、今回ばかりは一歩も退かないと言う表情で土方を見据えた。
「…いま、江戸を離れるなど考えられません」
「だが…」
「失礼します」
斉藤は有無を言わさず拒むようにさっさと立ち上がるとそのまま部屋を出て行ってしまった。斉藤の中にある怒りのような感情に初めて触れたような気がしたが、彼がそれほどまでに残留にこだわるのは単に江戸総攻撃だけが理由ではないだろう。
「まったく…罪作りな男だ」
土方はここにはいない総司のことを思い出し、苦笑いを浮かべた。
翌、三月十三日。
江戸高輪の薩摩藩邸下屋敷にて勝海舟と西郷隆盛の第一回目の会談が行われた。主に薩摩から将軍へ嫁いだ和宮の処遇などの話題が中心となり、核心に触れることのないまま会談は終了することになる。
新撰組は今日中にこの大久保屋敷を出て次の屯所へ向かうため、朝早くから鉄之助は支度の雑用を引き受けていた。
鉄之助は局長附の召抱人…小姓衆の一人という立場である。鳥羽伏見では戦場を右往左往し役立てず、甲府では前線に立ったものの結局は足手まといとなった…その経験から自分にはまだ足りないものがあると自覚し、まずは小姓として目の前の任務に励むことにしたのだ。
(次の戦では…ちゃんと役に立つんだ…)
その思いを抱えつつ、三日月の毛を整える。前にいた池月はとても小姓たちでは手が付けられない暴れ馬であったが、三日月は真逆で大人しく人懐っこいので誰の世話でも受け入れた。鉄之助が桶に水を汲んで飲ませていると「鉄」と声をかけられた。
「…兄さん」
市村辰之助は鉄之助の兄だ。
二人は美濃大垣藩士の槍奉行に就いていた父を持ち、上士の子として暮らしに困っていなかったが、父が他界したことで状況が一変し、国を出て新撰組に入隊した。もともとは兄の辰之助のみ入隊を許可されたが身寄りのない弟と離れられないと訴え、鉄之助も強く希望したため兄は局長附の仮同志、弟は小姓として揃って入隊を果たしたのだ。
辰之助はひょろりと手足が長く細身で、槍をよく遣った父ではなく病弱な母に似ていた。剣術や槍術の稽古よりも銃に才を発揮しており、木刀を振り回す鉄之助とは違う道を歩んでいた。そのせいだろうか、入隊を果たしてから少しだけ心の距離ができていたのだ。そう思っているのは鉄之助だけだが。
辰之助は鉄之助の顔色を伺う。
「なぁ、まだ怒ってるのか?いい加減機嫌を直してくれよ。混乱して逃げちまっただけで、こうやってちゃんと戻って来ただろう?」
「…別に…」
鉄之助はふいっと視線を逸らした。
甲府から敗走する際、兄は近藤や島田たちの指示を聞かずに先んじて江戸へ脱走した。鉄之助はそのまま姿を晦ますのではないかとハラハラしたが、結局兄は何食わぬ顔で大久保屋敷で合流したのだ。
近藤は
『よくぞ戻った!』
と辰之助を褒めたが、鉄之助は不審を抱いていたのだ。
(兄さんのことだから…状況が不利になって逃げたんだ)
けれど江戸に戻ったところで宛てがなく、仕方なく素知らぬ顔をして新撰組に戻ったのだろう。鉄之助は兄の優柔不断なところをよく知っていた。
鉄之助は取り合う気になれず兄を無視して三日月の世話に勤しんだが、兄は去る気配がない。仕方なく手を止めて
「何の用?」
と訊ねた。辰之助は声を潜めた。
「昨日の話、どう思った?」
「どうって…なにが」
「幹部の先生たちが脱退したことだよ」
永倉と原田ら七人の脱退…当然、島田たち古参隊士たちはショックを受けていた。鉄之助も永倉の指導を受け、原田から可愛がられていたので道が分かれてしまったことは悲しくはあったが、『互いに新たな旅立ちだ』と語る近藤を信じるしかなかった。
しかし辰之助は違ったらしい。
「隊士たちの間じゃ、そろそろ新撰組は潮時だって話だ。安房守に遠ざけられて江戸から追い出されてお役御免だって。だから脱退しても何の処罰もないならこの機会に逃げちまおうって隊士も多い。実際、今朝になって何人かいなくなってた」
「…」
「お前の気持ちを聞いておきたいと思ってな。俺はお前を残してはいけないし、お前だって俺と離れられないだろう?」
辰之助が言う通り、父と母が死んで家族と言えるのは兄だけだ。国を出て心もとない旅路のなか、兄に頼り生き延びたことは間違いなく、また兄が新撰組に入隊すると言い出さなければ鉄之助がここにいることもなかった。これまでのことはもちろん感謝していた。
けれどいま、心の向かう先が全く違うことを見せつけられていた。鉄之助にはそんな考えすらなかったのだ。
「…兄さんはどう考えているの」
「俺か?俺は…そうだなぁ、ここにいれば一応飯は食えるし、屋根のあるところで眠れるだろう」
「それだけ?」
「ん?」
「…」
辰之助の答えは鉄之助の望むものではなく、早くこの会話を切り上げたいとしか思えなかった。そうしなければ口汚く罵倒してしまいそうで。
すると都合よく
「おはようございます」
と同じ小姓の銀之助が箒を抱えてやって来た。馬屋の掃除をするためだろう。辰之助は後ろめたいことなど何もないはずなのに、
「おっ、おはよう。じゃ…じゃあな、鉄、ちゃんと考えておけよ」
上擦った声を出してすごすごと退散してしまった。
銀之助は首を傾げた。
「ごめん、邪魔だった?」
「いや助かった」
「そう?…鉄のお兄さんは優しそうだよね」
「…いや、そんなことは…。銀のところは違うのか?」
鉄之助が話を逸らすために尋ねると、銀之助は少し考えこんだ。
銀之助にも田村一郎と田村録五郎という二人の兄がいて銀之助が入隊する前から在籍しているが、あまり兄弟が話し込んでいるのを見たことがなかった。
「うーん…僕は兄たちよりも齢が離れているし、昔から『何もできない弟』の扱いなんだ。まあ、それは本当のことで…僕が入隊を許されたのは先に兄たちがいて、人員不足だからっていう理由だろうから仕方ないんだけど」
「そんなことないだろう。銀之助は賢いし良く働く」
近藤の小姓として礼儀正しく雑用を何でもこなす姿は、鉄之助や泰助よりもよほど小姓に向いていた。彼が自分を卑下していることすら鉄之助には驚きだが、銀之助は苦笑した。
「まあ小回りは利くかもしれないけど、やっぱり新撰組の隊士だって言うなら戦えないと。…ほら見てよ、この腕。鍛えても鍛えても全然太くならない」
銀之助は袖を捲って力こぶを見せようとしたが確かに女の二の腕のように心もとない。鉄之助と同じ稽古をこなしているのに、体つきが一回りほど違うのだ。
「でもそれは成長の時期っていうか…まだこれからだろ?」
「ハハ、そうだといいんだけど。…でも僕はまだまだ一人前になれそうにない。この先、自分がちゃんと役に立てるって言えないのはもどかしいよ…もしいつかただ飯食らいの厄介者になっちゃったら、自分から出ていなくなくちゃ」
鉄之助のフォローを銀之助は柔らかく受け止めながらも現実を見る。まだ少年に過ぎないはずなのに、兄の辰之助よりもよほど大人びている銀之助を見ていると、兄へのどうしようもない気持ちが燻ぶってしまった。
なし
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