わらべうた




965


その日の朝の内に近藤が土方とともに総司の元へ見舞いへ訪れた。
「近藤先生…!」
総司が日野で引き返して以来の再会だ。たった十日ほどのことであったが総司は近藤の身をずっと案じていたので無事の姿を見て涙がにじむほど嬉しかった。しかし近藤は少し居心地悪そうにして
「悪いな、心配をかけて…」
と頭を下げて謝った。総司と別れた時は意気揚々と去ったのだ…近藤は己を情けなく感じたが、総司は全くそう思わなかった。
「そんな…頭をあげてください、先生。私に謝ることなんて何もありません。…腕の具合はいかがですか?」
「ああ…大事ない。お前の方こそどうだ」
「私はこの通り…変わりありません」
元気だと口にするには窶れて見えるだろう。総司は苦笑しながら曖昧に答えるしかなかったが、近藤も察してくれて「そうか」と小さく笑った。一通り挨拶を交わしたところで、土方が「話がある」と切り出したが総司はその内容をすぐに察した。
「ああ、もしかして永倉さんと原田さんのことですか?」
「! 何故知っているんだ?」
「昨日永倉さんがここに来ました。隊を離れることになったと…詳しいことは何も話されませんでしたし聞きませんでしたけど、別れの挨拶に来てくれたみたいで…」
近藤と土方は顔を見合わせて永倉の行動に驚いたが、
「そうか…永倉君らしいな」
と近藤は寂し気に笑った。生真面目で真っすぐな永倉は総司へ何も言わずに去っても良かったのに、仲間へ義理を通すためにわざわざ足を運んだのだ。やはり得難い存在だったのだろうと再認識して肩を落とす。
「総司…こんなことになってすまない。全ては俺の不始末で、永倉君と左之助は何も悪くないんだ、彼らを責めないでほしい。…お前も仲間と離れ離れになってしまうのは不本意だろうが…どうか堪えてくれ」
「私は大丈夫です。…たとえ新撰組の一員でなくなったとしても友情が切れるわけじゃないと信じてますから」
落胆する近藤とは違い総司はさほど重く受け止めてはいなかった。永倉や原田と喧嘩をしたわけでもなく、互いを思いやる感情は離れていても心にはある。
それに、もう会えないのかもしれない―――そんな悲しい感情に付き合うのには慣れたのだ。
土方は総司のさっぱりした様子を少し複雑な気持ちで見ていたが、すぐに話を変えた。
「もう一つ話がある。…新撰組は今の屋敷から荒川の向こう、五兵衛新田辺りに移ることになった」
「へぇ、五兵衛新田。北の方へ行くんですね」
「ああ、安房守様の指示でな。そこでまた隊士を集めて再起するつもりだ」
「そうですか」
近藤の力強い言葉につられて総司は頷いた。二人は敢えて勝から遠ざけられたという旨の話はせず、あくまで新撰組を立て直すための移動だと話す。その件には松本が絡んでいるのだと付け加えると、総司は笑った。
「ああ、松本先生も昨日顔を出してくださいました。会津へ行かれるそうで…また江戸に帰った時は足を運んでくださるそうですが、もしかしたら最後の別れかもなんて笑っていらっしゃいましたけど」
「…そうなのか。先生もお忙しいのにわざわざ」
「ええ。でもわざわざというか、どうやら医学所の荷物を英さんに預けるために来られたみたいで。奥の部屋で山のように積みあがっていますよ。英さんが迷惑そうな顔をしてました」
松本は病人の総司にはあまり深刻な話はしなかったようで、ちょっと遠出をする程度の挨拶だったようだ。
近藤はぐるりと屋敷を見まわしながら唸った。
「ここは立派な屋敷だが…しかしいつまでもここに世話になるわけにはいかないなぁ。ここは浅草の一等地でよく目立つ。新撰組の沖田総司が療養しているなんて知れたら大変だ」
「そうですねぇ…私一人なら何とかなりますが英さんの身が危ないですし、松本先生にご迷惑がかかっては申し訳ないです」
「そうだな、どこか適当な住まいを探そう」
近藤は土方に提案し彼も頷いた。
そして二人はすぐ屯所にしている大久保屋敷へ戻らなければならないと言う。
「隊士の数がすっかり減ってしまったが、どこで聞きつけたのかひっきりなしに入隊希望者が集まってくるんだ。官軍を厭い、徳川に味方したいという者はやはり江戸には多い。だから俺たちはなかなか新撰組から離れられそうになくてな」
「そうですか…お忙しいんですね。私もお手伝いできれば良いのですが…そうだ、小姓の二人は元気ですか?」
「ああ。よく働いてくれているが、泰助がいなくなって少し大人しくなったかな」
あの三人組のなかで一番賑やかだった泰助が除隊となり、二人はさぞ寂しく思っていることだろう。総司は急に二人の顔が見たくなってしまったところ、土方がそれを察して苦笑した。
「ガキならどこへでも出入りできるだろう。見舞いに来るように伝えておく」
「やった。じゃあ稽古を見てあげるから木刀を持ってくるように言っておいてください」
「相変わらずだな」
稽古の鬼らしい伝言を受け取り、近藤は気を利かせて
「じゃあ先に出て待ってるよ」
と二人きりの時間を作った。師匠に気遣われると居た堪れないが、それがほんの少しの時間でも総司には慰めになる。
「…先生がお元気そうでよかったです。もっと落ち込まれていると思っていました」
「まだ空元気だが…なんとかやってる。…お前もまた具合が良い時は五兵衛へ来たらいい、甲府ほど遠くはない」
「そうします」
土方は細くなった総司の手に自分のそれを重ねた。指先からなぞるように這わせ、総司はくすぐったく感じていたが土方の表情は揶揄うものではなく、まるでここにいることを確かめるようだった。総司もその指先から伝わる温かさに触れて気持ちが安心した。
「…お前に一つ頼みがあるんだが」
「私にできることならなんでも」
総司は即答すると、土方は
「お前しかできないことだ」
と答えた。


次の屯所への出立準備が進む大久保屋敷だが、一方で噂を聞きつけて入隊を希望する者たちが次から次にやってきていた。人数を揃えたい新撰組は問題のない者は腕に覚えがなくとも来る者拒まず受け入れ、次第に活気を取り戻していく。
「斉藤先生」
斉藤の元へ部下の梅戸勝之進がふらふらとやってきた。彼は天満屋で負った顔面の怪我が長引きさらに甲府でも軽傷を負い今は負傷者の一人だ。
「怪我をした隊士は皆、今晩会津へ送られると聞きましたけど、ほんとっすか」
「……知らぬ」
「え?斉藤先生が引率されるのだと聞きましたけど」
「知らぬものは知らぬ」
斉藤はいつも以上に冷たく言い放った。梅戸はかつて三番隊の頃から部下として仕えていたため普段からそっけない斉藤の態度には慣れていたが、この時ばかりはあまりに露骨に不機嫌そうで少し怖気づいてしまった。
「えーっと…会津行きに何かご不満が…?」
「知らぬことに不満などあるはずがないだろう。…お前は休んでいろ」
斉藤は相変わらず療養を抜け出しておしゃべりな梅戸を注意したが、彼は斉藤の近くに腰を下ろした。
「じゃあ、えっと…斉藤先生が会津へ行かれるかどうかは置いておいて。一つ、お願いがありまして…」
「なんだ」
「実は、どうも右眼の調子が悪いようで…」
「…なに?」
斉藤はようやく梅戸の顔を見た。
彼は昨年の天満屋事件で斉藤を庇って顔面に傷を負い、生々しく痕が残っていた。梅戸は向かい傷だと笑い飛ばしていたが実はまだ完治はしていない。けれど無理を押して甲府へ向かったのだ。
「普段の生活には支障がないっすけど、調子が悪いと視界が翳ることがあって…甲府でもそのせいでしくじっちまいました。横浜で医者に診てもらった時におそらく天満屋の時に眼球の神経をやられたんじゃないかって…この先、もしかしたら失明するかもしれないらしいっす」
「…それは…」
「あ、先生を責めるわけではなくて、今でもあの時の俺は最善を尽くしたと思ってます!…でもその代わりと言ってはなんですが、頼みたいことがあるんです」
「なんだ、なんでも言え」
斉藤は罪滅ぼしでなんでも請け負うつもりで促した。脱退を願い出るなら穏便に済むように口添えをしよう…そんな思いでいると、梅戸は少し躊躇いながら居住まいを正す。
「…ずっと俺を先生の部下に置いてもらえますか」
「は…?」
「役立たずかもしれませんけど、弾除けくらいにはなります。絶対にお側を離れず逃げません。…片目が見えなくなっちまってもし先生の足枷になる時には腹を切ります。だからどうか遠ざけたりせず置いてやってください…!」
「…」
梅戸が深く頭を下げて懇願する姿を見て、斉藤は唖然とした。
梅戸に庇われて怪我を負わせたことを詫びて許しを請わなければならないのは斉藤の方であるのに、何故か彼の方がどうか近くに置いてくれと頼み込んでいるのだ。
「…何故そこまで?」
斉藤は自分が決して良い上司ではないことを自覚していた。隊士たちと腹を割って話すことはなく、淡々と指示を出すだけでさぞ部下たちはやりづらいだろうと思っていたのだ。しかし梅戸が三番隊から一番隊へ移動を願い出て、重傷を負ってまで懲りずに斉藤を追いかけ続けていることが、斉藤には不思議でならなかった。
すると梅戸はあっさり答えた。
「それは決めたことだからっす」
「…決めたこと?」
「はい。入隊した時にこの人について行こうって。…理由なんてないっす、でもそのおかげで今のところ何の後悔もない充実した人生を送ってます。だからこの先も先生のために働きたいんです。それが俺の人生だと思うんで」
「…怪我を負ったのに?」
「これは名誉の負傷っす」
梅戸はそれが当たり前であるように答え、斉藤は呆然とした。
失明の危険さえある負傷を名誉だと笑える彼が、今どれほど貴重な存在であるか…斉藤は悟った。
(きっとこの男はいつまでもそうしているのだろう)
いまは考えて立ち止り道を選ぶ時なのかもしれない。けれどそうではなく、余計な雑音なく前だけを見据えたいと決意する者もいる―――。
「…わかった。俺からはお前を遠ざけることはない。好きにすればいい」
「ありがとうございます!俺、会津でちゃんと治して戻ってきますから!」
「…」
梅戸は「いてて」と顔面の痛みで顔を顰めながらも笑みを浮かべている。その姿を見て斉藤は今までに何に苛立っていてのか…馬鹿らしく感じた。
すると土方がやってきて、手にしていた文を渡した。











解説
なし


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