わらべうた




967


斉藤たち負傷者二十名を乗せた船が会津へ向けて出港したあと、土方は銀之助を呼んだ。
「銀之助、総司を松本先生の邸宅まで送っていってくれ。そのあとは戻って移転の手伝いを」
「は、はい」
「土方さん、どこへ行くんですか?」
「ちょっと野暮用だ。すぐに屯所に戻る…お前はちゃんと休めよ」
土方は総司の問いかけを曖昧に誤魔化して、近藤に後を任せてその場を去った。
今戸から南へ下り、屯所となっている大久保屋敷方面へ来た道を辿る…行きがけの道中に気になることがあったのだ。浅草から日本橋方面へと川沿いをしばらく歩き続けると、バタバタとせわしない物音が耳に入り始めた。船宿の近くに船が何槽か係留していて続々と荷物が運び込まれている…松明は最低限しか灯っておらず傍目には夜逃げのように見えるだろう。
(一体何事だ…?)
土方は物陰から様子を窺った。江戸総攻撃を前に大店が品物を搬出しているのかとも思うが、それにしては物々しく近寄りがたい雰囲気がある。「早くしろ」「見つかるなよ」という囁くような声も聞こえてきて、謀反の企みのようにも察せられる。
(安房守に報告…いや、しかし…)
土方が迷っていると、
「誰だ!」
と見回りの兵士から龕灯が向けられてしまった。こちらの姿が明るく照らされてしまったが、そのおかげで相手の顔を見ることができた。
「…ひ、土方先生…!」
「大川君…」
伝習隊の大川正次郎だった。彼とは戦時中に伏見奉行所で知り合いその後は江戸へ向かう富士山丸で再会した。大川は平民から伝習隊入りし本人曰く隊内では弱い立場だそうだが賢く有望な若者で、話を取り合ってくれた土方に心酔していたのだ。彼は怪我があって品川へ着く前に横浜で降りたためその時以来だ。
大川は畏まって「失礼しました」と頭を下げたが、警備役なら当然の対応だろう。
「何をしているんだ、こんな夜更けに…」
「…その、榎本副総裁のお手伝いを」
「榎本さんの?」
「城から運び出した武器弾薬の類を船に乗せています。使い道は知らされていませんが…」
「…」
大川は素直に答えた。
榎本は大坂城から引き揚げるときも官軍にみすみす奪われてはならぬと城中の金や武器・弾薬を積み込んで江戸へと運んだ。抗戦派の榎本はそれで江戸での再起を考えていたが、上様のご意思と勝によって頓挫したことで不満を持っている様子だった。しかしこうして秘密裏に動いているということはまた何かを企んでいるのだろう。
「榎本さんはどこに?」
「は、はい。船宿のなかにいらっしゃるかと思いますが」
「案内してくれ」
大川は戸惑いがある様子だったが、しかし土方の頼みを断ることはできずに「こちらです」と歩き始めた。彼は支障なくすたすたと歩いていた。
「足は治ったのか?」
「はい。ご心配をおかけしましたが、横浜のフランス医師が優秀で…傷口を縫合するだけで足を切断するまでは至らずに済んで、すっかり良くなりました」
「そうか」
大川が掛かったのはおそらく近藤が腕の怪我を診てもらったのと同じ横浜病院だろう。そもそも彼の怪我は足を切断するほどの重傷ではなく無茶をして怪我を悪化させていた大川を英が脅しただけだったのだが、結果的には大人しく静養するための良い薬になったようだ。
「滝川殿の倅は?」
「はい、充太郎さんは御父上の元にいらっしゃいます。いま滝川様は逼塞に処されて御処分を待っていらっしゃいますから自由には動けぬと」
「それはそうだな」
「しかし必ず伝習隊に合流すると息巻いていました。官軍に借りを返すのだと…おそらく元気にしています」
大川は小さく笑いながら語る。滝川播磨守の息子である充太郎は父の戦場での振舞いのせいで周囲から責め立てられ、富士山丸でも意気消沈していたが大川の語り口調ではそれから己を奮い立たせているようだ。
土方は大川とともに船の傍までやって来た。次から次に運び出されていくのは酒樽で傍目には中に武器が入っているなどとわからないだろう。大川が船宿の中に入ったところ、榎本はいつもの洋装でたくさんの書物に囲まれていた。
「榎本副総裁、あの…」
「おや、思わぬ客人だ」
榎本は土方の顔を見た途端、手を叩いて歓迎した。そして大川を下がらせて土方を近くに座らせる。
「まさかこんなところで会えるとは。甲府の件はご苦労だったな」
「恐れ入ります…ところでこれは榎本さんの蔵書ですか」
土方はすぐに甲府の話を切り上げた。
榎本の背後に積みあがる本の山には英語とフランス語が書かれていて装丁も豪華で貴重な代物だとわかるが、何故だか土方には昔山南がこうして書物を読み漁っていた光景が目に浮かんで重なった。
「うん、留学中に買い漁ったものだ。万が一明日江戸が総攻撃になったら全部焼けてしまうだろう。だからさっさと船に積み込んでしまおうと思ってね…きっと今は海上の方が安全だろうし」
「…いま外で運び出しているのは城から持ち出した武器ですか?」
「そうだよ」
榎本は悪びれなく頷いた。
「上様の意思は変わらず、勝安房守は恭順のために官軍との交渉に臨んでいる。明日は二度目の会談だそうだ…皆は決裂した場合の総攻撃に備えるべきだと考えているが安房守のことだからうまくやるだろう…もし失敗した場合は焦土作戦に持ち込むなどと言っていたが、だったら尚のこと官軍に接取されてしまう前に船に積み込んでしまおうと思ってね。どちらにしても我々が持っている方が良い」
「…官軍との交渉はうまく行くと?」
「ハハ、安房守の二枚舌は身をもってよく知っているだろう?その何よりの証拠が私さ…徹底抗戦を決め込む私を副総裁に置いた。恭順に徹するはずなのにね。だから官軍も彼に騙されるに違いない」
「…」
確かに新撰組も勝の思惑に振り回されているので、土方は何も言えなかった。
「それで、土方君は何故ここに?」
「…道中に不穏な動きがあることに気が付いて様子を窺うために…しかし杞憂であったようです」
「へえ、止めないのか」
「お話はよくわかりました。それに弾薬の類を日の本一の軍艦の開陽丸に積み込んでおくのは徳川にとって最善策だと思います」
明日以降の交渉がどうなるにせよ、城内に武器の類があったとしても使う兵はもういないのだから運び出す必要はあるだろう。土方が理解を示したことに榎本は感心しながら頷いた。
「…やはり君はまだ戦いたいんだな」
「恭順のための戦です」
「恭順が叶った後は?」
「以前も申し上げましたが…近藤次第です」
「相変わらずだなぁ。八郎さんが君に遠ざけられたと嘆いていたよ」
「…」
榎本と伊庭は知己だそうで伊庭は寛永寺の警護を務めているが彼らは同じ企てのなかにいるようだ。伊庭は屯所を訪れて土方を誘ったが、彼への答えはいつも同じで揉めてしまうため『しばらくは来るな』と来訪を拒んだのだ。
「…伊庭は今の『上様』ではなく、徳川家への恩義のために動くと考えています。近藤は上様への忠誠を誓っていますから考え方が異なります」
「そうだな…八郎さんは八郎さんで苦悩したと思う。上様のためにその腕を磨き続けて来たのに、その上様に裏切られたのだから」
「…伊庭のことは昔から御存じで?」
「近所の子、という感じかな。詳しくは知らないが跡継ぎなのに本の虫で剣を稽古しようとしないから困っているらしいと、そんな噂話をよく聞いていた。とはいえ心形刀流は世襲ではなく実力主義なのだから嫡男がそれでも問題ないだろうと思っていたが、私が留学している間に頭角を現したらしいと聞いて驚いたよ」
「そうですか…」
土方が伊庭と知り合ったのは吉原に通っていた時のことで、そのころすでに彼は伊庭の子天狗として名を馳せていて遊郭でも相当モテた。いけ好かないと思っていたらあれよられよという間に試衛館に入り浸るようになり、鳥羽伏見では共に戦ったのだ。榎本が知っている伊庭の印象とはまるで違うだろう。
「伊庭のことは別に厭うているわけではありません…縁があればまたどこかで道が交わるでしょう」
「私とも是非そうしてほしいものだが」
「どうですかね」
土方がはぐらかすと、榎本は「ハハハ」と愉快そうに大声で笑った。出自や立場の異なる榎本に対して土方は何故だか素直に接することができなかったのだが、彼は気にする様子はない。
「では天命に任せる他ないか」
「はい。…では、屯所に戻ります」
「もうかい?ゆっくりしてはどうだ、ワインもある」
「いえ、今日中に屯所を出ねばなりませんので」
急遽負傷者たちの会津行きを見送るために遅くなってしまったが、今晩中には屯所を出なければならない。榎本は「今からかい?」と目を丸くした。
「勝安房守のご命令で…荒川の向こうへ拠点を移すようにとのことでしたので五兵衛新田へ向かいます」
「そうか…てっきり寛永寺の警護に戻らせるのかと思ったよ。彰義隊を鎮めるためにも」
「甲府での敗戦者が上様の近くに侍るなど承知できないとのことでした。まあ経緯はどうであれ言い分は御尤もなので仕方ありませんし、下総周辺の鎮撫を命じられました…移転の件、伊庭にも伝えていただけますか」
「わかった」
土方は立ち上がりコートの襟を直したところ、榎本はその様子を眺めながら小さく笑った。
「すっかり洋装が馴染んでいるな。ところでその懐中時計…沖田君からの贈り物だろう?」
「…ええ、まあ…」
榎本から総司とのことを匂わせられるのは少し居心地が悪いが、(そういえば総司は榎本さんに指南を受けたと言っていたな…)とそもそも懐中時計の件は彼が発案したのだと思い出す。
「世話になりました」
と礼を述べるのはなんだかおかしい気がしたが、頭を下げた。榎本は少し寂しげに笑って息を吐いた。
「…いや、あんな健気な頼みを断るなんてできなかったよ。君に贈り物をしたことがない、これが最初で最後になるだろうからとね…時代が変わっても長く使えるものが良いと」
「…」
「そんなことはないと励ましたが、彼は笑うだけだった。…どうか養生するように伝えてくれ」
「…ありがとうございます」
榎本の祈りのような伝言を受け取って、土方は船宿を出た。










解説
なし


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