わらべうた
968
三月十三日深夜、武州足立郡五兵衛新田(現・綾瀬)の金子家に鎮撫隊を名乗る隊士たちが訪れた。
「はぁ…あの、聞いていた話とは、ちょっと…」
金子家の金子健十郎は玄関で彼らを出迎えながら内心(話が違う)と嘆いていた。
彼は五兵衛新田の名主見習いである。以前、姪の病で世話になった松本良順から
『国元に帰る御武家様が宿がいっぱいで困っている。一日か二日ほど泊めてやってくれないか』
と依頼され、恩人の頼みならばと喜んで引き受けた。荒れ地を開墾した金子家は三千坪の敷地を有し周りは用水路で囲まれ松や欅が茂り、周囲からは『小さな城のようだ』と言われる立派な佇まいであった。松本は『十五人ほど』と言ったのでそれくらいならと余裕の面持ちで了承した。なんだったら客人として恭しくもてなすつもりだったのだが。
目の前に現れたのは隊長格であろう体格の良い男と、ゾロゾロと従う隊士たち。
(暗闇でよく見えぬが…とても十五人ほどとは思えぬ…)
近藤の後ろには屈強な隊士たちがずらりと並び、大八車には物々しい大きな荷物を沢山乗せている。まるでここを軍事拠点にしようとしているではないか。
「拙者は幕臣大久保大和と申す。すまぬが、できる限り迷惑をかけぬ故に屋敷に逗留させていただきたい」
「…大久保、やまと…様…」
金子はその名に聞き覚えはなかったが、目の前の迫力ある顔面の屈強な男はまるで承知してくれるまで梃子でも動かないという具合で仁王立ちしている。名主にすぎない金子より一回りも二回りも大きな体躯の男を拒むことなどできるはずがない。
(良純先生、謀りましたね!!)
金子は内心、この場にいない松本を恨む。そういえば松本良順という医者は冗談が好きで人を面白がるような質だった。
松本がここに立ち寄った時、会津に向かうと寂し気にいいながら
『最後の頼みだ。今生の別れのつもりで引き受けて欲しい』
と懇願された時は
『大袈裟ですねえ』
と笑って引き受けたのだが、つまりこういう意図があったのだろう……金子は苦笑いを浮かべた。
金子は観念した。
「は…はぁ、承知いたしました…ええと、お武家様は何名…」
「いまは四十八だが、後日五十ほど加わる見込みだ」
「は…?」
「どうぞよろしく頼む!」
大久保大和という男がその強面の顔を急に破顔して、大きな口から白い歯を見せて満面の笑みを浮かべるので、金子は「ははは…」とつられて笑ってしまう。十五人程度のはずが総勢百人にもなれば、おそらく屋敷を埋め尽くすことだろう。だが今更断ることもできず、彼らを泣く泣く屋敷の中に案内する羽目になったのだった。
翌、十四日。
「立派な屋敷だな」
少し遅れて三日月とともに金子家にやって来た土方はこの地域に君臨していると言わんばかりの屋敷を見回しながら近藤と立ち話をしていた。
「ああ、お前の実家よりも随分広い」
「比べ物にならないさ。…それで、ご当主とは話がついたのか?」
深夜の突然の訪問…さぞ驚いたことだろうと土方は想像すると、近藤は頷きつつ苦笑していた。
「ああ、それがなぁ…松本法眼がどう伝えていたのかわからぬが、とにかく若いご当主は俺たちをみて青ざめて目を回していたぞ。お前の言う通り我々が新撰組であることは皆にも黙っているように伝えているから、幕軍の反乱部隊とでも思っているのだろう」
「もしごねるようなら安房守様の書面を見せればいい」
鎮撫隊の駐屯地として貸し出すように、勝から書面を預かっていてこれがあれば徳川の威光を借りることができて鬼に金棒だ。しかし近藤は笑い飛ばした。
「ハハ、そう乱暴な真似をしなくていい。松本法眼のご紹介なのだからきっと悪い人ではない。それになんだか懐かしい感じがしてな…」
「懐かしい?」
「浪士組が壬生に入った時だよ。八木さんのところにお世話になって…壬生村の人が皆、金子殿と同じような顔をしていた。聞いていた話と違うと言わんばかりで、全然出て行こうとしない俺たちを迷惑がっていただろう」
「ああ…そういうことか」
近藤の話で、土方も金子の心情をすぐに理解できた。出て行ってほしいと思いながらも、旧幕臣であり迫力のある近藤には何も言えるはずがない。
「まるで同じだ。やり直しだなあ」
近藤の言葉には前向きな響きがあった。永倉と原田が去り、総司も浅草に置いてきた…いまは近藤と土方だけしかいない。寂しさは否めないが、しかしあの頃と違って自分たちは同じ苦境を超えて来たという自負がある。幸いにも壬生の頃から入隊した隊士たちも数名残ってくれている。
「…やり直すんじゃない、また一から始めるだけだ」
土方が頷くと近藤も微笑んだ。
すると「あのう…」と金子家の下男らしき老いた男が腰が引けた様子で声をかけて来た。
「母屋と土蔵の掃除が終わりましたのでそちらにご逗留くださいませ。ご主人様やご家族は離れにお住まいになられるとのことで…」
「そうか、世話を掛ける」
「ははぁ」
下男は深々と頭を下げて去っていったが、母屋の先で女中たちが群れになってこちらを見ていた。土方が視線を向けると一斉に色めき立って騒がしい。
「…歳、お前は相変わらずだなぁ」
近藤は呆れた。江戸のはずれの田舎では洋装が珍しくそれだけでよく目立つというのに、涼やかな目元で整った顔立ちの土方が馬に乗って颯爽と現れたのだから、女中たちは一気に夢中になってしまった。
しかし本人はどこ吹く風で聞き流して、話を変えた。
「昨晩、和泉橋の医学所の近くで榎本さんに会った」
「何?あの後か?」
「ああ。城から運び出した武具や弾薬を開陽丸に積みこんでいた…さながら、大坂の時のようにな」
「はは…あの御仁は相変わらずだな」
「今日、二度目の官軍との交渉があると聞いた。十五日までにまとまらなければ総攻撃になる…榎本さんは実現しないだろうと言っていたが」
「…俺にはわからないな」
近藤は用済みと言わんばかりに江戸から遠ざけられてしまったことで少し頭が冷えたのだろう、むやみに抗戦すべきだとは口にしなくなっていた。現実的に新撰組は兵が揃わず、態勢が崩れているのだから出陣の体裁が整ってはいないことを理解したのだ。
「…榎本さんや伊庭から何度も旧海軍との連携を誘われている。もし考えが変わったら教えてくれ」
「うん…わかった。だが、ひとまずは交渉の結果を待とう」
「ああ」
二人は頷き合い、そのまま母屋に歩いた。
そのころ、江戸・田町の薩摩藩邸(蔵屋敷)にて二度目の会談が行われていた。
幕府側を代表した勝は徳川が一大名として存続することを何よりの目的としたため、官軍側の条件を一部拒否する『諸有司之嘆願書』という対案を手渡した。
「上様は水戸でご謹慎、江戸城は田安へ預け城内居住の者は城外へ移る。武器・軍艦はまとめて置き、寛典処分のあとに石高相当分を手元に置く。…そして、罪なき民を苦しめる江戸総攻撃は中止すべきである」
勝だけでなく、大久保一翁や使者として遣わされた山岡鉄舟が交渉の場に臨み、官軍側には薩摩藩の西郷、村田新八らの姿があった。官軍の降伏条件とは大きな隔たりがあったが、勝のバックには英国公使・パークスの影がちらついていた。パークスは江戸総攻撃を非難し、無抵抗の慶喜に攻撃することは万国公法に反すると官軍へ圧力をかけていた。今後新政府は英国の支援を受けられなくなる…その脅しを背景に勝は強気で交渉し、西郷たちの判断を鈍らせた。
更に勝はだめ押しする。
「上様を助けた諸侯は寛典に処する。しかし今後暴挙に及ぶ者が場合は…改めて官軍による鎮圧を願う…これでいかがか」
勝はまっすぐ西郷の目を見つめた。逃げも隠れもしない、ただひたすらに恭順するーーー敗者とは思えない勝の歯切れの良い物言いに西郷は思わず息を呑み、そのまま承諾しかけた。
「…おいだけでは判断ができん。いったん、持ち帰らせていただこごたつ」
西郷は独断では返答できず、京に戻って朝議を行う旨を話した。
土佐の板垣退助が八王子、東山道鎮撫総督の岩倉具定と薩摩・参謀の伊地知正治が板橋に到着し、東征軍により江戸城包囲は完成しつつあって血気はやっていたが、十五日の江戸城総攻撃は中止となったのだった―――。
なし
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