わらべうた
969
緊迫した会談のことなど知る由のない総司は、松本の邸宅の小庭を眺めながら春の匂いがする風にあたっていた。
「具合、良さそうだね」
英は薬を持ってきたが、今日は必要がないくらいに体調が良く総司は笑顔で受け取った。
「そうなんです。散歩でも行ってこようかな」
「でもあまり外を出歩くのは危ないんじゃないの?」
官軍が江戸を包囲しているという話は英の耳に入っており、土方からも次の居住先が決まるまでは目立つような真似はせずに身を潜めてほしいと頼まれていた。しかし総司は
「散歩くらいなら何事もありませんよ」
と笑い飛ばす。英が思案していると玄関の方から「ごめんください」という声が聞こえて来た。この場所を知っているのは新撰組隊士しかいないはずだが、野太く聞き覚えのない声であったため二人は顔を見合わせた。
「…私が出てきます」
総司は刀掛けの安定を手にして玄関へと向かう。不逞の輩ならわざわざ礼儀正しく玄関からやってくるはずがないとわかっていたが、それでも警戒心は怠らなかった。総司が意を決して玄関を覗くと
「え?」
と別の意味で驚いてしまった。
(や、…山南さん?)
洋装と和装が混ざる新撰組の隊服に身を通してはいるが、そこにいたのは山南そっくりの顔立ちの男だったのだ。容貌だけでなく背格好まで似ていてまるで化けて出て来たかのようだ。すると彼は困惑する総司の顔を見た途端「あっ」と声を上げた。
「わ、私は新撰組隊士の立川主税と申します!甲府で入隊しました」
「立川…さん」
「はいっ その、顔立ちはかつての総長殿にとても似ているようで皆さんを驚かせてしまうようなのですが…その、なんていうか全く別人で、…あの、申し訳ありません…!」
声色までそっくりな立川は自分は山南ではない新入隊士であると力説する。おそらく近藤や土方、古参隊士たちから散々揶揄われているのだろう…総司はあまりに彼が必死に熱弁しているので噴き出して笑ってしまった。
「ハハ、あなたが謝らなくても似ているのは仕方ないことであなたのせいじゃないでしょう。…こちらこそ驚いてしまってすみません。甲府で入隊なら初めましてですね」
「は、はい!沖田先生のことは先輩方から伺っています。今日はご挨拶と新撰組の新しい屯所の場所をお知らせに…」
「あぁ、ちょうどいいや。ちょっと付き合ってください」
「え?」
総司は手を叩いて喜び、立川は首を傾げた。
英を説得して、立川を護衛役にして総司は散歩に出かけた。目的のない散歩は久しぶりで、目に映る光景や風の運んでくる草木の匂い…すべてが新鮮だった。
「ああ、やっぱり外の風は気持ちいいなあ…」
「そ、そうですか…」
最初立川は遠慮して総司の半歩ほど後ろを歩いていたが、「それでは用心棒にならない」と言って隣を歩かせた。手足が同時に出てしまいそうなほど緊張している立川は新しい屯所が五兵衛新田の金子家に決まったと話した。
「へぇ…名主さんのお宅に」
「は、はい。今日五十名ほどが加わって総勢百名ほどお世話になります。今後も続々と入隊希望者がいると…」
「それは有難いことですねえ…良かった」
甲府での敗戦によって永倉、原田が去り、脱走隊士も相次いだと耳にしていたが百を超えるとなると鳥羽伏見の頃まで人員は確保されることとなる。さらに江戸では徳川に味方する者も多いはずなので今後も増えていくだろう。総司は新撰組の明るい展望に嬉しくなった。
「立川さんは甲府の方ですか?」
「いえ…私は筑前の出で、町人の子です。家を飛び出して諸国を旅していたところ与瀬で新撰組に志願しました」
「筑前かぁ。遠いですね」
「はい…。若気の至りで家を出てから一度も戻っていません。どの面下げて…なんて、そんなことを考えてしまって」
立川は頭をかく。
そして彼は入隊した後、知人の斉藤秀全という僧を紹介したところ、秀全は近藤たちと意気投合して還俗して入隊してしまったのだと聞かされた。甲府の件は負け戦だったとしか聞かされていなかったが、立川や秀全のような異色の隊士が加わっているのだと初めて耳にした。永倉や原田が去ってもこうして新しい隊士やこれから入隊する者たちが新撰組を築いていく…その繰り返しが『組織が存続する』ということなのかもしれない。
次第に打ち解けて来た立川と雑談を交わしていると、遠くに江戸城が見えて来た。総司は足を止めた。
「…明日は総攻撃という噂ですが、静かなものですねぇ」
「土方副長は避けられるのではないかとおっしゃっていました」
「そうですか…」
「良かったです。江戸の町が焼かれてしまったら再び元通りになることは難しいでしょう…」
立川の言う通り、官軍との交渉がうまくいくことが新撰組にとって良いことなのか悪いことなのかよくわからないが、慣れ親しんだこの江戸の町が近いうちに戦火に遭うということを避けられるなら歓迎すべきだろう。
けれどその語りぶりが山南そっくりで、総司はぼんやりと彼の横顔を眺めてしまった。
(山南さんがいたら同じことを言っていたのかな…)
現実的でない考えを巡らせていると、立川はまるでその心情に気が付いたように「あの」と切り出した。
「山南総長のことですが…」
「え?…ええ」
「副長からお話は聞いています。博識で、温厚な総長であったと…組長の皆さんからも同じようにお聞きしました。皆に等しく親切な方だったと…」
「そうですね…」
「…でしたらどうして切腹をなさったのでしょうか。皆さん、口を噤まれて『わからない』とおっしゃり…局長や副長にお尋ねするのは気が引けて」
「…」
皆の記憶に残っている山南は人格者であり、鬼副長に対して仏の総長と呼ばれた穏やかな姿だろう。だからこそ最期を切腹という形で遂げたことがいまだに隊士たちにとって納得できないことなのかもしれない。
総司は答える前に再び歩き始めた。立川はその後を追う。
「…立川さんは、どうして山南さんのことが気になるんですか?皆が似ているというせいで?」
「最初は…そうでした。皆さんが私の顔を見てあまりに驚くので興味が沸いて…でも次第に慣れてくると皆が私の顔を見るたびにどこか物寂しげで、救いを求めるように感じてしまいました」
「…救いか…」
敗戦ばかりが続くなか、そっくりの立川を目にして山南のことを思い出すのだろう。特に追い詰められたとき、ずっと心の拠り所であった存在に不意に頼りたくなるのかもしれない。事情を知らない立川が気になるのは当然だろう。
けれど隊士たちとは違い、総司の脳裏にちらつくのは優しかった山南のことばかりではない。
「…山南さんは脱走を図ったんです。新撰組に嫌気が差したのか、山南さん自身の問題があったのか…理由は何も言わなかった。でも当時の新撰組には脱走を禁じる法度があって、違反すれば切腹という厳しい処罰で…山南さんはそれに従って切腹したんです」
「そういうことでしたか…」
「誰も山南さんを死なせたくはなかった。でも本人の意思があって引き止められなかった…結局山南さんは扇子腹を嫌い、見事な切腹をなさいました。介錯を務めたのは私です」
「沖田先生が…」
山南の死について詳細を語る者はいなかったのだろう、立川は申し訳なさそうに「すみません」と謝ったが決して彼のせいではない。
「首を切り落とす最期の一瞬を託してくださったことは私にとって有難いことでもあり、誇らしいことでもあり…でも言いようもない気持ちを抱えることになりました。だから私もこれから立川さんを見るたびに山南さんを思い出してしまうかもしれませんねえ」
「私は構いませんが…ご迷惑ではありませんか?」
「とんでもない。立川さんが気負うことなんて何もありません。でも…できれば長く新撰組に留まってくれると嬉しいな」
山南がいなくなったその先を彼に見てほしい。それは空想的で無意味なことかもしれないが、総司が皆に願うことでもある。
すると立川は「はい」と穏やかに笑った。まるで山南がそうしているようにも見えたが、同時にもう時が流れて過去の人になっていることも実感する。古参の隊士たちが立川の姿を見て『物寂しげ』にしているのはもしかしたらそんな故人を偲ぶような感情が沸きあがるのかもしれない。
総司は「さて」と話を切り上げた。
「ずいぶん遠くまで歩いてきちゃいましたね」
行く先のない散歩をしていつの間にか辿り着いていたのは人形町のあたりだった。娯楽の中心地であるが、いまは閑散としていて人通りも少ない。
「お戻りになられますか?」
「そうだなあ…あまり遠くに行っては英さんに叱られるかな…」
総司がそんなことを呟いていると、通りの向こうから「ぎゃー!」という悲鳴が聞こえて来た。
なし
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