わらべうた




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悲鳴を聞いた途端、総司は瞬時にどこから響いてきたのか察知して走り出した。立川は重い病で臥せっているはずの総司の行動に驚いて唖然とし、少し遅れて「先生!」と追いかけてきたが総司は構わずに駆けていき、二つ目の角を曲がったところで誰かと鉢合わせた。総司は咄嗟に身をかわしたがその者はバランスを崩してそのまま倒れ込み、手にしていた荷物をばら撒いてしまう。中身はほとんど金だ。
「盗人ー!盗人だー!!」
遠くから声が聞こえてくると、痩せた若い男は総司を睨んで「クソっ」と毒づきながら身体を上げて再び逃げようとしたので、総司は(この男が)と察して鞘のまま男の向う脛を強く打ち付けた。
「いてぇっ!」
「観念なさい」
「ぐぅっ…!」
弁慶の泣き所を叩かれて悶絶しながらも、男は諦め悪く散らばった金に手を伸ばしたので総司は蹴り上げようとしたが、くらっと眩暈がしてそのまま片膝をついてしまった。そこへ立川が追いついてきて状況を察して男に馬乗りになって取り押さえた。立川は体格が良いため男はようやく観念した。
「沖田先生、大丈夫ですか?」
「え、ええ…何とか」
病の身であることを忘れ、悲鳴が聞こえてすぐに行かなければならないと無意識に走り出してしまった。新撰組隊士としての名残だろうが、英に知られたら叱られてしまうだろう。
そうしていると金を盗られたらしい中年の男が息を荒げて駆け寄って来た。背中に『植甚』と書かれた藍色の仕着を着ており色黒で外の仕事をしているのだろうという風貌だ。
「はっはっ…どうも、ありがとうございやす!集金に来たところをまんまとやられちまって!」
「いえ…」
総司はそう返すので精いっぱいだったので、立川に視線を遣った。
「えっと…どうしますか、奉行所に突き出しますか?」
「いやぁ…いまは奉行所も仕事にならんでしょう。突き出したところで手間がかかるだけで何の意味もない」
商人風ではあるが腕っぷしの良い男は「あーあ」と苦笑しながらあちこち散らばった金を拾い集める。盗人の男は立川に組み伏せられて悔しそうにしていたが、次第に生気がなくなって項垂れてしまった。痩せ細っているので精魂尽き果ててしまったのだろう。立川はその様子を見てゆっくりと男から身体を引いて腕だけの拘束に留めた。すると被害者である中年の男は拾い集めた金のうち、二、三枚をその男の懐に忍ばせる。
「こういうご時世、互いに助け合いだ。もう悪いことをしちゃあいかん。…すまねえが、ほどいてやってくだせえ」
「は、はい」
「……っ」
中年の男が許すというので立川が力を緩めたところ、痩せた若い男は謝意を示すことなく慌てて逃げて行ってしまった。助けてやった甲斐がない結末だが、しかし中年の男はさほど気にする様子もなく金を巾着へ戻していく。
「私はしがない植木屋でねぇ。…いまは薩長が江戸の四方を取り囲んで戦しようとしてるでしょう。だから家を捨てて逃げちまう民が多くて…こうやって踏み倒される前に集金してねぇ。まあ家族と使用人の食い扶持には困ってねえんだから、情けをかけてやりました。まあ家内には嫌味を言われることでしょうが…」
「そういうことでしたか」
総司はこの男の人の良さをひしひしと感じた。おそらく今のような場面は何度もあって、そのたびに手を差し伸べて来たのだろう。
「とはいえお侍様が捕まえてくださったのに、申し訳ない。おかげさまで金は無事に戻りました。…ところでお侍様、何か重い御病気ですか?宜しければ手前の下男をお呼びいたしましょうか」
中年の男は総司へ目を向けた。ようやく息も落ち着いていたので、総司は立川の助けを借りながらゆっくりと立ち上がる。
「いえ…大事ありません。それよりお名前を伺っても宜しいですか」
「へえ、通称『植甚』柴田平五郎…千駄ヶ谷で植木屋を営んでおります。御用の際はどうぞご贔屓に」
「ええ、是非」
互いに会釈して別れた。


一方。五兵衛新田の屯所へ勝の使者がやってきて短い文が届いた。官軍との会談の結果を知らせるものだった。
「そうか…回避されたか…」
二度目の交渉は上手く行き、西郷は一旦恭順条件を都へ持ち帰ることに決したとの報告だった。
近藤は明日総攻撃の取りやめの知らせを知って肩透かしのような安堵するような複雑な心地になったが、土方はあまり表情を変えなかった。
「…とはいえ十五日の総攻撃が取りやめになっただけで東征軍が江戸を包囲しているのは変わらない事実だ。この五兵衛新田は地理的に奥州街道や水戸街道に近いし、軍備を整えて損ないだろう」
「そうだな。この広い敷地なら大砲の訓練もできる。…結局、隊士はいま何人になった?」
「百十五人だ」
総攻撃の噂が広まったせいか義侠心に駆られて入隊を希望する者が多く、日に日に隊士の数は増えていた。新撰組にとって久々に良い知らせで近藤も上機嫌だった。
「嬉しいことだな」
「だが、もうこの屋敷も手狭になってしまった。金子殿に頼んで近くに分宿できないか相談してみようと思う」
「ああ頼む。…どうも俺は怖がられてしまってな」
厳つい表情をした男が真夜中に五十名ほどを率いて突然やって来た…そのインパクトは相当だったようで、金子は近藤に相対するときは縮こまってしまうそうなのだ。近藤としては世話になるのだから八木家と同じように良い関係を築きたいと思っているのだが、まだまだ時間がかかりそうだ。土方は苦笑した。
「俺だって、近所から異国人のような目で見られている。田舎じゃ洋装は珍しい」
「なんだ嫌味か。島田君が言っていたぞ、近所のおなごたちが一目お前を見ようと集まっているらしいな。ここの女中たちだって騒いでいたじゃないか」
「知るかよ」
土方は話を切り上げて、金子の元へ向かった。
縁側から見渡す広大な敷地は近藤のと言っていた通り軍事調練には使えそうだが、新撰組が借り受けたのは母屋と土蔵だけでは隊士を収容しきれず二日でいっぱいになってしまった。
(総司をここに連れてきて療養する余裕はないな…)
離脱すると決めたのだから戦に同行させるつもりはないが、せめて近くにいてほしいと思うのは個人的な我儘なのだろうか。そして本人もそれを望んでいないのか、五兵衛新田への移転を告げても『一緒に行きたい』とは言わず、ただただ寂しそうにしているだけだった。
(落ち着いたら顔を出そう)
そんなことを思いつつ、金子家が身を寄せた離れへと向かうとちょうど外出するところだったようで、金子は昨日の下男を従えていた。
「金子殿」
「ああ…これは内藤殿…」
金子家当主の金子健十郎はまだ二十そこそこの若者で、名主見習いなのだそうだ。松本がどのように寄宿を依頼したのかはわからないが、近藤へは委縮してしまい土方に対してはまだ警戒心があるようだったので、土方はできるだけ物腰柔らかく接した。
「外出ですか。また出直します」
「近所の寄り合いに…まだ時間の余裕はありますから、立ち話で宜しければ承ります」
「では…」
土方はすでに母屋と土蔵が手狭になってしまったことと近所に収容できるような宛てがないかと訊ねたところ、金子は苦笑した。
「そういうお話だと思っておりました。…実はその件で寄り合いで会合を持つのです。静かな田舎が急に賑やかになってしまい、もう我が家だけの問題ではありませんので」
「…ご迷惑をおかけします。ところで松本法眼からは今回の件、どのようなお話で…」
「ハハ…松本先生はせいぜい十数名が一日、二日逗留するから世話を頼まれました」
「それは…驚かれたことでしょう」
全く話が違う、と土方すら唖然とするしかない。金子たち家族の戸惑いは当然で、突然押し掛けた身元の分からない集団に辟易としていることだろう。
しかし金子は「そういう御仁です」と笑った。
「いたずら好きで…きっと今頃会津で私が困っている顔を想像してほくそ笑んでいらっしゃるでしょう。でも腕は確かで信頼のおける方ですから…あなた方も松本先生のお知り合いならそう悪い方々ではないのだろうと思っております。これからの寄合でもそう申し上げるつもりです」
「…それは有難い」
「ただ、一つ…お約束いただきたいのです」
金子は名主として、この屋敷の主として土方を見据えたので、土方も身構えた。
「ここは江戸の外れとはいえ、徳川に恩ある民が暮らしております。官軍などと名乗る薩摩や長州などに奪い取られるなどまっぴらごめん…私は皆さんが忠実な幕臣の軍隊だとお聞きしたのでお引き受けしたのです。ですから協力できることがあれば協力いたします。宿場の件も皆を説得します。ですからどうか…ここを戦場にはなさらないようにお頼み申し上げます」
金子は頭を下げた。
どこが戦火に見舞われたとしても、自分の故郷だけは災いを避けたい…それは民の偽らざる本音であろう。勝手に戦を始めたのは武士たちで、変わらない暮らしを続けるだけの民には何ら関りのないことなのだから。
土方は金子の言葉を至極真っ当な意見として受け取った。
「…承知しました。大久保にも伝えます」
「あ…その…大久保殿のことなのですが」
「大久保が何か?」
金子が近藤を怖がっているという話を聞いていたので、土方は近藤が無意識に何かをやらかしたのではないかと勘繰る。すると金子は頭をかいた。
「実は…幼いころ父に叱られてはよく土蔵の中に放り込まれました。土蔵には先祖代々伝えられている品があるのですが…その中の一つに鬼の面が。薄暗闇にぼんやりと浮かぶそれが昔から酷く恐ろしく…。恐れながらそれが大久保殿にそっくりで…」
「は…?」
「つい委縮してしまいました。大久保殿に非はありませぬので、お伝えいただけますでしょうか」
金子の思わぬ話に土方は目を丸くした。どうやら近藤の厳つい顔立ちがその鬼の面に似ているせいで金子は縮こまってしまうらしい。
若き当主らしい素直な本音を耳にして、土方はふっと笑ってしまったのだった。









解説
なし


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