わらべうた
971
永倉や原田をはじめとした隊士と、斉藤に率いられ会津へ向かった負傷兵たちの離脱によって、新撰組は新たな土地で一旦崩れた体制を立て直すこととなった。
土方は金子邸の母屋で届いたばかりの文に目を通していた。差し出してきたのは日野へ向かった大石だ。官軍によって捕縛された佐藤彦五郎の息子で土方の甥である源之助に関する内容だった。
(まだ捕まったままか…)
土方は深いため息をついた。
近藤は永倉たちが離脱したあと、勝に日野の春日隊の赦免を願い出たがまだその成果が出ていない。大石によると源之助は酷い仕打ちは受けていないようだが、日野の人々が出陣していない源之助が責められる筋合いはないと訴えても取り計らって貰えないのだという。官軍はしきりに春日隊の隊長であった彦五郎の行方を聞き出そうとしているそうだ。
大石はひとまず姉ののぶと合流して知人の民家へ身を寄せているとあった。
(姉さんが無事であることは唯一の救いだが…彦五郎さんはどこへ潜伏しているのだろうか…)
倅の捕縛の知らせを耳にしても彦五郎が冷静な判断をしてくれれば良いが…と案じたところで義兄の居場所がわからないのだからどうしようもなく、土方にできることはただただ少しでも早く勝からの請願が敵方へ届くことを祈るしかないのだ。
土方は憂う気持ちで文を仕舞い、しかしその気持ちを引き摺らないように背伸びをしながら自室にしている客間を出た。
総攻撃の予定であった三月十五日の朝は久しぶりに春の日差しが差し込んで暖かい。まるで戦が避けられたことを祝うかのように和やかで、春日隊や源之助のことがなければ、新撰組にとって新たな門出に立っていることを喜べる日和だろう。
金子家の広大な庭では隊士たちによる軍事調練が開始されていた。金子の尽力で、近くの観音寺という寺と親戚筋の金子滝二郎宅へ分宿させてもらえることが決まったので、このまま隊士が順調に増え続ければ新撰組は二百人規模の大きな軍隊となる目算だ。
隊士たちは新たな仲間を得て銃の調練に励んでいたが、土方はそれを遠巻きに見ている鉄之助を見つけた。
「鉄!」
「は…っはい!」
身の回りの世話をさせている小姓衆は六名いるが、やはり都から帯同している鉄之助、銀之助が勝手をよく知っていて機転が利くので有望株だろう。土方は最近は「鉄」「銀」と呼んで雑用を任せていた。
鉄之助は伏見にいた頃は肩肘張って早く大人になりたいと言わんばかりに焦っていたが、甲府の戦を経て自分の分を弁えているように見えた。しかしこの頃は覇気がない。
「何かあったのか?」
「え…あの、別になにも…」
鉄之助は顔色を変えたが、誤魔化すように首を横に振った。土方は気に掛ったが無理に聞き出したところでこの年の子は意固地になるだけなので「そうか」と聞き流す。
「仕事は終わったか?」
「はい。洗濯と掃除…」
「だったら銀と一緒に今戸の総司のところへ顔を出してやってくれ。あいつがお前たちに会えずに寂しがっていた」
「は…はい!」
鉄之助は年相応に嬉しそうな顔をした。泰助がいた頃は銀之助と三人そろって総司が世話をしていてよく懐いているのだ。土方が
「くれぐれも市中で目立った真似はするなよ。それから…木刀を忘れないようにな」
と付け足すと少し苦い顔をしたがそれでもすぐに襷を外して「行ってきます!」と駆けて行った。
浅草、今戸。
「ああ、ちょうど良いところに来た!」
総司は言いつけ通り木刀を持ってやってきた鉄之助と銀之助を歓迎した。昨日に引き続いて調子が良く、床を抜け出して縁側にいた総司は良い遊び相手が来たことを喜んだが、別の用件もあった。
「実はさっき都から文が来たんです、近藤先生宛てにお孝さんから。たぶんどこへ送ればよいのかわからずに松本先生宛てにしたからここに届いたんでしょうねえ。近藤先生へ渡してくれますか。それからついでにおみねさんが都の干菓子やかりんとうを一緒に同封してくれたんです。皆で食べましょう」
「はい」
「喜んで」
鉄之助は文を預かり、銀之助は英と一緒に茶の準備へ向かった。縁側には総司と鉄之助だけになる。総司は若い彼らの訪問を心から喜んだ。
「へへ…具合が良いのに誰も訪ねてきてくれないから暇を持て余していたんです。二人は土方さんの命令で来たんですか?」
「は、はい」
「へえ、珍しく頼んだことを覚えてくれていたみたいですね。…昨日立川さんがいらっしゃって様子は伺ったんですが、五兵衛新田の方はどうですか?」
「その…お借りしている屋敷は広くて、飯も旨いです。新しい隊士も入って…あ、今日から軍事調練が始まりました」
「ハハ、早速ですね。近所の人たちはさぞ迷惑に思っていることでしょう」
総司の言う通り、土方は金子家へ大砲二門を持ち込んで調練を行っている。静かな田舎に突然轟音を響かせて、一体何事かと近所の住民が心配そうに覗いていて、鉄之助は迷惑そうな視線を浴びて肩身が狭い気持ちだ。しかし総司は嬉しそうに笑っていた。
「前に西本願寺に移った頃も、お坊さんが大砲の音で驚いて逃げ惑って…それを原田さんが揶揄って笑ってたなぁ。苦情が散々来ていたみたいだけど土方さんが全部聞き流して…結局、西本願寺の方が音をあげて頼むから移転してくれと、不動堂村に屯所を建ててくれたんですよ」
「そうだったんですか…」
「今は官軍に占拠されたそうですから残念ですが…。それで、何かありました?」
「え…あ、その…」
自然な雑談の流れで尋ねられ鉄之助は目を丸くした。普段通りふるまっているつもりだったが、総司にはお見通しだ。
「何か悩み事があるんでしょう?私は隊から離れているし、先輩隊士の愚痴とか土方さんへの不満とかなんでも承りますけど?」
「そういうのは…全然ありません。…でも、身内の…ことなので、先生に話すようなことじゃ…」
「身内?お兄さんのことですか?」
鉄之助はたどたどしく答え、目を泳がせつつ「はい」と頷いた。
総司は兄の市村辰之助とあまり接点がなく、銃の扱いが上手いらしいと土方から小耳に挟んだくらいだ。傍目には仲の良い兄弟に見えるが、鉄之助は兄のことで思い詰めていた。
「…兄は伏見で負けてからどこか…心ここにあらずで、甲府では江戸への帰還を告げられて一目散に逃げだしました。俺は兄がそのまま出奔するんじゃないかと思っていたんですけど、あっさり戻ってきて…。でも、心を入れ替えて勤めるのかと思っていたら……そうでもないみたいです」
「…隊を出たいと言ってますか?」
「……」
鉄之助は口ごもった。辰之助はまだそこまでのことを言い出したわけではないが、もう新撰組に対して未練や熱意はない様子で日々をやり過ごしているように見えた。
「…多分、兄は俺が承知すれば脱退しようと考えているんだと思います」
「鉄之助は?」
「そんなのは御免です。俺は新撰組で強くなって戦いたい…そう思ってます、けど、兄は…」
自分のことは即答できたけれど、兄のこととなると言葉が揺らいだ。鉄之助のように新撰組に留まりたいと思う者もいるが、将来に不安を抱いて脱走する隊士は後を絶たないのだから、兄のような考えもまた一つの道なのだろうとは思う。
(でも俺にはできない…)
鉄之助は俯いた。
「兄は俺に何も言わずに出ていけばいいのに…逃げ出したり、戻ってきたり、また逃げ出そうとしていたり…。こんなの身内の恥で……情けないのに、でも…気になって見捨てられません」
誰かに打ち明けることが憚られて、けれど兄がまたどこかへ逃げ出してしまわないかとずっと目が離せなかった。その姿を土方に見られてしまった時は内心狼狽したのだ。
総司はそんな鉄之助に優しく微笑んだ。
「それは当然です。一人だけのお兄さんなんでしょう?」
「…そうですけど」
「私には二人の姉がいて特に上の姉は親代わりだった。ずっと離れて暮らしていて、縁が薄いと思っていたけれど…私が病になって姉がいろいろ気を回してくれた時、やっぱり家族なんだと実感しました。もしかしたら新撰組を離れて姉と一緒にどこかで静養するなんて、そんな選択があったのかもしれないなぁ…」
結局、姉は家族とともに庄内へ行ったため叶わぬ夢となったが、姉弟だからこそ姉の親身な言葉は他の誰とも違うように心に響いた。
同じように鉄之助が兄に強く歯向かえないのはやはり情があるからなのだ。
「兄は…俺を産んで死んだ母の代わりにずっと傍にいてくれました。性格は真逆ですけど、通じ合えていると思っていたんです。だから…どうしたら良いか…」
「…うん、思う存分悩んだらいい。どんな道を選ぼうとも鉄之助は鉄之助の生きたいように生きればいい。でも…鉄之助のお兄さんはこの世界に一人しかいない」
「…」
「ちゃんと話せば案外わかりあえるかもしれないよ」
「…はい」
鉄之助は少しだけ表情を和らげて頷いた。そうしていると銀之助が温かい茶を持って来て、かりんとうを囲んだ賑やかなお茶会となったのだった。
なし
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