わらべうた




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総司は英に了解を得て土方と共に屋敷を出た。三日月は土方に手綱を引かれてパカパカと優雅に歩いている。
「たまには英さんを休ませてあげないと。私のせいで毎日よく眠れていないはずなんです」
「…その為に?」
つきっきりで看病する英に気を遣ったのかと土方が尋ねると、総司は笑った。
「まあそれもあるんですが、今日は歳三さんが来てくれたから一緒に梅の花見がしたくて」
「今頃梅か?」
花見といえば桜で、そろそろあちらこちらで咲き始めるはずだが梅の季節にはもう遅い。しかし総司は嬉しそうにしていた。
「英さんに聞いたんですが、千駄ヶ谷の方に遅咲きの梅が見られるお屋敷があるそうなんです。塀越しにも通行人が足を止める見事な梅だそうで…歳三さん、梅が好きでしょう?だから次に会ったら行ってみようと思っていたところにちょうど来てくれたから、間に合いそうです」
「…千駄ヶ谷って、ずいぶん遠いな」
浅草からは江戸城を越えた先にあり、土方の足にとってはそう遠くはなくとも今の総司には容易い距離ではない。
しかし総司は自信たっぷりに頷いた。
「遠いですけど、このところは調子がいいし、いざとなったら三日月が乗せてくれるでしょう?」
「全く、調子がいい奴だな。…疲れたらすぐに言えよ」
「はい」
二人は揃って歩き始めた。
江戸の町は賑やかではあるが、しかしもぬけの殻となった城を囲んでいるせいかどこか不穏な空気が漂っている。民が逃げ出して空き家がいくつかあり、商売を閉じている軒先も多く活気がない。
だが長い冬を越えてようやく訪れた春は風が暖かく過ごしやすく、気分も良い。総司の具合が良いのもそのおかげなのだろう。
「…そうだ、立川さんが来ましたよ」
「ああ、俺が遣った。…驚いただろう?」
「とても」
立川は山南にそっくりの顔立ちをしていて、やはり土方は総司を驚かすために立川を向かわせたそうだ。
「あんまりに似てるから最初は山南さんの幽霊が現れたのかと思っていました。ほら、江戸にいるから命日の墓参ができなかったでしょう?だから化けて出たのかと腰を抜かしそうになりましたよ」
「あの山南さんがそんなことで化けて出るものか」
「ええ、でもこれも何か虫の知らせかと思って、おみねさんに文を書いてお墓参りを頼みました。…だけど話してみると顔や声はそっくりなのに全然違いましたね。あどけなくて、若くて…あちこち諸国を回ったそうですから、もしかしたら試衛館に来る前の若い山南さんに似ているのかもしれないですねえ」
「…そうかもな」
山南自身は北辰一刀流を修めた後は道場を回り己の腕を高めていたそうだ。あまり試衛館にたどり着くまでの話を聞いたことはなかったが、見聞を広めようという行動は立川自身の経歴とも被るところがある。
そんな話をしながら、土方が「休もう」というので茶屋の軒先に腰を下ろした。江戸城の南側までやってきて千駄ヶ谷まではまだ半分という行程だが、すでに総司の足取りは重くなっている。
「ハハ…情けないな。これくらいの距離で…」
「仕方ないだろう。三日月に乗せてもらえ」
「そうします」
総司の弱音を敢えて聞き流し、土方は三日月に竹筒を差し出して水を飲ませて総司が乗れるように鞍を整えた。三日月はされるがままに従っていて不思議なくらいに大人しい。
「…三日月のもともとの性格なのかな。それとも安富さんが上手く調教しているんですか?」
「そうかもな。池月よりも扱いやすいのは間違いない」
「きっと土方さんのことが好きなんですよ」
前にいた池月は誰をも拒むように獰猛な目をしていて馬術指南役だった安富が散々手を焼いたが、何故か総司にだけは懐いていた。しかし三日月はおっとりとした眼差しを向けており身を任せるように常に穏やかだ。
「馬に嫉妬するなよ、三日月は誰にでもすぐに打ち解ける。…ほら、手綱を引いてやるから楽な格好で乗れ」
「嫉妬なんてしてませんけどねえ」
総司は土方の手を借りながら三日月に乗り、土方がその手綱を持って再び出立した。
見慣れた江戸の町…しかし馬上から見下ろすとその光景はまるで違うもののように感じた。
(お城は…)
ゆらゆらと揺れながら江戸城を見上げる。かつてこの国でもっとも荘厳で堅牢な城はいまは敗者の象徴のようにそこに立ち尽くしているように見えて、総司の胸をざわめかせる。
「…鉄はどうだった?昨日来ただろう」
土方が唐突に話を変えた。
「…少し悩んでいるみたいですよ、お兄さんのことで」
「ああ、市村辰之助か。…甲府で行方不明になったあと大久保屋敷に戻って来たな」
「鉄之助はそのことを気に病んでいるようで…少し兄弟げんかをしているみたいです。…でもあの子はとても優しいけれど強いから、心配ないと思いますよ」
泰助のような子供っぽいところはなく、銀之助のように真面目過ぎて縮こまってしまう性格でもない。
「歳三さん、あの子のことちゃんと見てあげてくださいね」
「…お前がそう言うなら」
まだまだ幼い鉄之助が今後どうなっていくのか…今の総司にはわからないし、けれど彼が大人になるまで見届けられそうもない。だが総司にとって隊士の中でもっとも気がかりであり、見所があるのは鉄之助だったのだ。

しばらく歩き続けて千駄ヶ谷付近へ辿り着いた。北に行けば試衛館があって二人にとって慣れ親しんだ場所だが、この辺りはあまり足を運んだことがなく雑木林と畑、田畝が続く。
土方は西の方を指さした。
「もう少し先へ行けば成願寺があって、おつねさんとおたまを匿って貰っている」
「そうなんですね。時間があれば足を延ばしたいけれど…」
総司は馬上で少し咳き込んでしまった。三日月の背に乗せてもらったおかげで総司は随分楽に辿り着いたけれど、体力を消耗していないわけではない。
「…戻るか?また機会を改めたらいい」
「いえ…せっかくここまで来たし…散ってしまったら残念ですから」
土方は心配したが引き返すと二度と来られないような気がして、総司は首を横に振った。そして三日月から降りて土方の支えを借りながら歩き始める。
城下町の賑やかさがぱったりと消えて長閑な光景が広がっていた。初めてきた場所なのにそうでもないような懐かしさと心地よさがあって、不思議なことに総司は自分の身体が少し軽くなるような気がした。
「総司、あれか?」
土方は総司の腕を引いて前方を指さすと、そこには真っ赤に染まった梅の木が屋敷の生垣から飛び出るようにして咲き誇り、まさに満開を迎えていた。それが何本も並んでいるので壮観だ。
二人は三日月とともにその茅葺屋根の屋敷の前で吸い込まれるように足を止めた。
「ああ…綺麗だな」
土方らしからぬ素直な感想だった。まるでこの場所だけが天から祝福を受けたかのように紅く染まり、俗世と遮断されたように際立って美しい。
(今年、歳三さんと見られてよかった)
総司は指先を土方のそれと絡ませた。互いにほのかなぬくもりを感じてこれが現実の光景なのだとより深く没頭する。
悲観的にならなくても(これが最後になるかもしれない)と思うだろう。土方は戦へ向かい、総司は病に侵されているのだから。けれど総司は彼が好きだという美しい梅を二人並んで眺める…この時間が永遠に続いてほしいとは思うが、一方で心は満たされていた。
記憶に焼き付けて、あの世へ持っていく―――美しいうわづみだけを、掬って、胸の中に閉じ込めて。思い出の一つとして。
そんな日はそんなに遠くはない。
「…歳三さんの笛が聞きたいな」
「笛?」
「吹いてくれたでしょう?浪士組の出立前に…」
「ああ…」
土方は懐かしいと目を細めるが、
「もうすっかり腕が落ちただろうな」
と苦笑する。都へ向かってから笛を吹くような機会はなく、暇もなく、本人すらそんなことを思い出すことはなかった。
「また今度聴かせてください」
「ああ…」
土方が頷いた時、三日月が「ヒィン」といなないて足踏みし、手綱が引かれる。その少しのことで急に現実に引き戻され、総司は咳き込んだ。
「ゲホッゲホッ…!」
「総司…」
土方は総司の背中を支えるが、次第に肩を上下するほどの息苦しさを覚え、(喀血する)と思ったとたん、やはり吐き出してしまった。
「総司、大丈夫か?おい…」
「ッゲホ!ゲホッ…!」
土方は手を真っ赤に染めながら心配そうに顔を歪ませている…総司は彼を安心させたかったが答える余裕はなくて、そのまま視界が霞み意識が朦朧としてきた。
地面に落ちた真っ赤な血。
(ああ…梅の花とは違うなぁ…)
土方が好きな梅の花とは違う赤。そのことに何故だか安心して、総司は意識を手放してしまった。










解説
なし


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