わらべうた




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遠くであどけない女の子たちの手毬歌が聞こえた。澄んだ子どもの歌声はまるでどこかの子守唄ようでしばらくは夢うつつのままその心地よさに身を任せていたところ、かつて姉のみつと手遊びをしていた頃のことが浮かんで、これが夢なのか現実なのかよくわからなくなっていた。
(こんなこと今まで思い出したことすらなかったのに…)
「……」
総司はゆっくりと目を覚ました。心地よい風が吹き抜ける座敷…その風には嗅ぎなれない草木の匂いがして身体を起こして辺りを見渡した。
「ここは…」
確か梅見に訪れてそのまま喀血してしまったはずだ。そのあとの記憶がないが、見慣れない着物に着替えており楽になる香のようなものが焚いてあった。寝起きで考えがまとまらず呆然としていると隣の部屋の襖があいた。
「あ、目ぇ覚めましたか?」
「…あなたは…」
見覚えのない部屋、知らない風の匂い―――けれど土方と一緒に現れたのは記憶に新しい男だった。
「…確か、『植甚』さん」
「ああやはり!そうです、植木屋の柴岡です」
数日前、立川とともに盗人を捕まえた際に出会った植木屋の柴岡平五郎だった。柴岡は手を叩いて喜んだ。
「ハハハ、いやぁ我が家の前で急にお倒れになって、それがまさかあの時の御方だったとはびっくり仰天で!」
「我が家って…じゃああの梅の木は…」
「柴岡殿の梅だそうだ」
土方が総司の傍らに腰を下ろして軽く脈を取った。彼が軽くうなずいたので落ち着いたのだろう。
土方はあの後のことを教えてくれた。
「お前が喀血して倒れて…柴岡殿の見習いが気が付いて助けてくださったんだ。屋敷にお邪魔してもう一刻ほど経った、その間に医者も呼んでくださった」
「そうでしたか…ありがとうございます。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
総司は頭を下げた。医者を呼んだということは総司が労咳に侵されていることも柴岡は知ったはずだが、感染する病だというのに気にするそぶりは一切なくその色黒の肌に皺を寄せて笑った。
「とんでもない。早々にあの時のご恩返しができて良かった!」
柴岡は相変わらずの人の良さで微塵も他意がなく、総司が目を覚ます間に土方とも打ち解けたようだ。
「でも納得です。植木屋の柴岡殿が直々に手入れされていたからあの梅はとても見事で綺麗だったんですねえ」
「ハハハ、お褒めに預かり光栄です。しかし『柴岡殿』なんだかくすぐったい、もともとは農家の三男坊…私のことは平五郎で結構です。…あの梅はもともとここにあってそれを気に入ってこの屋敷を買ったんです。前の持ち主も大切にしていたようで…ちょっと手を加えたらみるみるこのあたりの名物に。私は派手な桜よりも静かに咲く梅の方が好きでねえ…」
柴岡が語る隣で、同じ梅派の土方も頷いている。よく喋る柴岡は何の気負いもなく話を続けていたが、それを聞きながら総司はちらりと土方へ視線を遣った。
(僕たちのことは話したのだろうか…)
見慣れない洋装に身を包んだ土方と、労咳の総司…柴岡や屋敷の者たちはきっと正体が気になるのではないかと思ったが、視線の意図に気が付いた土方は首を横に振った。柴岡の人の良さでは新撰組だからという理由で追い出したりはしないだろうが、それでも長居は気が引けた。
土方はそんな総司の遠慮に気が付いて、柴岡の話を遮った。
「平五郎さん、総司も目が覚めたことですしそろそろ我々はお暇します」
朝、浅草を出立してもう日が傾きかけている。しかし柴岡は「いやいや」と引き止めた。
「どうかご遠慮なく!それにそんなお身体ではすぐには浅草まで帰れますまい。帰りは駕籠を呼びます、どうぞごゆっくりなさってください。ああそうだ、縁側からも梅が見れますから是非もっと眺めてくださいませ」
「でも私たちは…」
「ああ…新撰組の御方だというのは存じてます」
「え?」
柴岡があっけなく言うので土方と総司は顔を見合わせた。今日だけでなく立川がいた初対面の時ですら、身分を明かしていないはずなのでしがない浪人にしか見えないはずだ。
柴岡は微笑んだ。
「うちの見習いが皆さんのことを存じておりまして…ああ、弥兵衛!」
ちょうど庭を通りかかった弥兵衛と呼ばれた若い男は、柴岡が手招きしたので箒を持ったままそのまま駆け付けた。
「へえ、師匠、何用で…?」
「お前さん、この方々とはお知り合いなのかい?」
「…へえ、その…」
弥兵衛と呼ばれた見習いはちらっと総司を見た。年の頃は同じくらいでよくよく見ると日中外の仕事で日焼けしていても整った顔立ちをしている。
(顔見知りなのかな…)
弥兵衛がじっと見つめるので、総司も同じようにまじまじと彼を見たが記憶にない。
「…どこかの宿場でお見掛けしまして、新撰組の方々だと教えていただきましたので見覚えが」
「そうか。このように目立つ方々だからさもありなんだな」
柴岡が笑い、「もういい」と言ったので弥兵衛は去ろうとしたがまた最後にちらりと総司を見た。
「あの…助けてくださったんですよね。ありがとうございました」
「いえ…師匠がそのようにしろと…そう言ったので」
弥兵衛はたどたどしく答えて小さく頭を下げて逃げるように去って行ってしまった。柴岡は「人見知りな者で」と言ったものの弥兵衛からは別の理由を感じたが、それ以上を尋ねることはできなかった。
土方が話を戻した。
「それで平五郎さん、江戸は薩長が包囲し我々とは敵対しています。いつ戦が起きるかわからないなか…少しでも我々との関係を誤解されては迷惑をかけてしまいます」
「ハハ…薩長が恐ろしいならばとっくに江戸を逃げ出しています。…私はね、庭師に弟子入りして文久二年に師匠の娘に婿入りし、この屋敷で独立しました。旗本や大名家のお屋敷を請け負いどうにか家業が上手く行き…こうしてつつがなく暮らしてきたのです。ただの植木屋風情に過ぎませんが江戸の庭木を美しく保ってきたという自負があります。ですから薩長の奴らが戦を仕掛けてもし屋敷ごと焼き払うのならば黙ってはおられません。だから私は徳川の皆さんにお味方したいのです」
柴岡の口調は柔らかだが芯には揺らがない意思を感じた。初対面の時も盗人に対して温情をかけ自分の信条を貫く姿が印象的だったが、彼は何者に対しても態度を変えないのだろう。
(信用出来る人だな…)
土方も同じように思ったのだろう、柴岡の言葉をかみしめるように頷いた。
「…わかりました。でしたらもう少し梅を拝見させていただきます」
「どうぞどうぞ」
「ところで文久二年に婿入りということは…?」
「へえ?天保七年申年の生まれです」
柴岡の返答に土方は目を丸くして、総司は「えっ」と思わず声を漏らした。中年だと勘違いしていたが土方よりも一つ年下だったのだ。

少し日が長くなってきたので、梅見を長く楽しむことができた。
総司は温かい茶を飲みながら縁側に腰かけてぼんやり真っ赤な花びらを眺めていると、ぽん、ぽん…と庭に毬が転がってきた。それを拾いに駆けこんできたのはまだまだ幼い女の子で、さらに慌てて頭一つ大きい姉と思われる娘もやってきた。
「すんません、毬が飛んでしもうて」
「…ううん。君たちは平五郎さんの娘さん?」
「うん。あさとたねだよ」
幼い娘が姉の後に自分も指さした。姉があさ、妹がたねというらしい。あどけない仕草に総司の表情は自然と緩んだ。
「そう…おあさちゃんとおたねちゃんか。ふふ、植木屋さんのお嬢さんに相応しい名前だね」
朝が来なければ花は咲かず、種がなければ芽が出ない…植木屋の仕事に誇りを持つ平五郎らしい名づけだ。
「いくつ?」
「たねは四つ、あさは六つ」
総司の口調が子ども慣れしていたおかげで妹のたねが近寄って話を続けた。
「もうすぐ赤ちゃんも生まれるの。かか様のお腹はとても大きいよ!」
「へえ、それは楽しみだ。弟かな妹かな」
「きっと妹だよ」
たねは赤子の誕生を心待ちにしているようで満面の笑みを浮かべたが、姉のあさは躊躇いがちにやってきて「たね、たね」と袖を引いた。客人に迷惑をかけないように平五郎たちに言いつけられているのかもしれない。
総司は二人を手招きして、懐に懐紙で包んでいた金平糖を差し出した。
「どうぞ。お近づきのしるしに」
「わぁ、飴?」
「金平糖だよ」
「これが金平糖かぁ」
二人は初めて見る小さな星のような砂糖菓子に目を輝かせた。たねは数粒口に入れて触感を楽しみ、あさは躊躇いながら一粒取ると恐る恐るなめ溶かしてその甘さに舌鼓を打つ。姉妹でもこうも反応が違うのかと面白く目を細めていると、「コンコン」と少し咳き込んでしまった。喀血の恐れがあるわけではない軽い咳だったが総司は彼女たちを怖がらせまいと顔を背ける。しかし姉妹は平五郎の子だった。
「大丈夫?お薬飲む?」
「お背中さする?」
総司を囲むように顔を覗き込んで様子を窺う。純粋無垢な彼女たちの慈悲に触れ、総司はこの優しい世界にいつまでも浸っていたいと思った。
「…ありがとう、もう大丈夫。ところで…少し前に歌を歌っていた?」
「うん、通りゃんせだよ」
「通りゃんせか、懐かしいな。…もう一度歌ってくれる?」
「いいよ」
あさとたねは息を合わせた。

通りゃんせ 通りゃんせ 
ここはどこの 細道じゃ 天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ 御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ


―――笑いの絶えない賑やかな光景を土方は遠くから眺めていた。
「おや、うちの娘がご迷惑をおかけしているみたいですな。普段は上の子のおあさは人見知りなんですが、まあよう懐いて…」
柴岡は幼い娘たちが楽しんでいるので喜んでいるようだった。土方は少し黙った後、柴岡へと身体を向けて居住まいを正した。
「…平五郎さん、頼みがあります」
「手前でできることなら…?」
「総司を…ここに置いてやってもらえませんか」
「へえ、ここに…?」
「いまは浅草で養生していますが、居所が知られると困ります。しかし我々に同行できる状態ではなく、総司は頼る身内もいません。…どうか、頼みます」
土方は深く頭を下げた。
縁もゆかりもない千駄ヶ谷という郊外、雑木林に囲まれた静かな場所は養生に適しており、またつねやたまが身を隠している成願寺にも近い。そして何より美しい庭木と明るい娘たちに囲まれている場所なら総司の気持ちが落ち込まずに済むのではないかと思ったのだ。
柴岡は少し返答に困っているようだったが、土方は食い下がった。
「金はまとまった額を払います。離れや納屋で構いません」
「いやいやそんなわけには。…手前は構いませんが、宜しいのですか。屯所にされている五兵衛新田とは遠いでしょう」
「…構いません。総司が心穏やかに過ごせることが一番肝要なのです」
浅草で英と二人で病に向き合い続けるよりも、静かで理解ある温かい人々に囲まれて過ごしてくれる方が有難い。それが柔和でありながら一本気な柴岡の元ならばどれほど心強いことだろう。
土方が「頼みます」と繰り返したので、柴岡は
「頭をお上げください。…わかりました、お引き受けいたします」
「…恩に着ます!」
「これも何かのご縁でしょう」
柴岡はただそれだけの理由で引き受けてくれた。
ここが総司の終の棲家になるのだろう…土方はそんなことを予感していた。











解説
なし


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