わらべうた
975
翌日。
五兵衛新田へ戻った土方は、総司が千駄ヶ谷に移ることを近藤に報告した。
「勝手に決めてすまない。だが、平五郎さんは新撰組とは何の繋がりがなく信用出来る人だし、家族も賑やかで明るい。それにおつねさんたちのいる成願寺も近いから総司にとっても心強いし、俺たちにとっても何かと便利だと思ったんだ」
土方は事後報告になったことを詫びたが、近藤は穏やかに頷いた。
「いや、歳と総司がそうしたいというのなら勿論構わない」
「ああ。ここからさらに離れるから嫌がるかと思ったが、総司も案外すぐに納得した。今から英に事情を話して荷物を運び出すつもりだ。小姓たちを借りていく」
「わかった。俺も近いうちに挨拶がてら顔を出そう」
「頼む」
土方は柴岡へひとまず二十両を渡して、総司の住まいとなる離れの座敷を整えるつもりだと報告する。近藤はうんうんと了承していたが、
「それにしてもとんとん拍子に話が進むが、その柴岡殿はどういう方なんだ?」
「植木屋のご主人だ。農民の出で俺よりも一つ下、妻と娘が二人いる。今年中にはもう一人生まれるという話だった。千駄ヶ谷に三軒ある植木屋うちの一つで何人か見習いを抱えていて…そういえば、そのうちの一人がどうも総司のことを知っていたようだ」
「へえ、知り合いか?」
「総司は思い出せないようだった。後になって覚えがないかと聞いていたが、俺も記憶にはない」
『会ったことがあるような気がするんです。でもどうしても思い出せなくて…多分とても昔の頃のことなんだろうと思います』
土方は全くの初対面だったが、総司は少し引っかかるようで考え込んでいた。総司が試衛館にいた頃の交友関係は限られていて、近所の住人か天然理心流の門人くらいしかいないはずだ。だとしたら土方の記憶にもあるはずなのでそれ以外ということになる。
『本人に聞いてみたらどうだ』
『いやあ…お世話になる身ですから、自分で思い出さないと失礼かなぁって。あちらも黙っていましたし…思い出されたくないのかも』
『変なところで気を遣う奴だな』
土方は少し呆れたが、総司がそうしたいというのなら思い出すまで待つしかない。
近藤は手にしていた書物を閉じた。
「…まあ、新撰組にいた頃の知り合いじゃないのなら危険はないだろう。長く関わればそのうち思い出すさ」
「そうだな」
そうしていると島田がやって来た。
「ご歓談中に失礼いたします。近藤先生、あの…軍事方の吉沢様がいらっしゃっております」
「…勝先生の御遣いか」
「おそらく…」
昨日に引き続き恭順派の幕臣が来訪したようだ。おそらくさらに江戸を離れるように説得されるに違いない。土方はため息をつきながら立ち上がり「あとは任せた」と言って部屋を出た。すると
「土方副長!」
声をかけて来たのは山野だった。元一番隊で医学方の一人である山野はこのところ新入隊士の世話係として隊務に勤しんでいた。
「どうした」
「申し訳ありません、先ほどのお話が耳に入りまして…僕も千駄ヶ谷へ連れて行ってくださいませんか。荷運びでもなんでもお手伝い致します」
「…構わないが、お前はちゃんと休めているのか?」
山崎が戦死し英が隊を離れてしまった今、山野は貴重な医学方の一人で、いつも休みなく忙しそうにあちこち駆けまわっていたのだ。引越しはあくまで土方の私用にすぎないのだから無理をさせるつもりはなかったのだが、山野は食い下がった。
「僕は平気です。大坂から江戸に戻ってからは怪我人の世話が忙しかったですが…斉藤先生が会津の松本先生のところへ怪我人を連れて行ってくださったので、少し楽になりました。それに…僕も沖田先生にお話したいことがあるのでぜひお願いします」
「…」
山野はかつて美男五人衆の一人として持て囃され皆に愛される隊士だが、もうすっかり古参隊士の一人であり黎明期を知っている貴重な存在となっていた。皆の弟分ではなく新撰組の一員として責任を果たす姿は立派に一角を担っている。
(時が経ったんだな…)
土方は内心しみじみとした。
「…わかった。お前が顔を出せば総司も喜ぶだろう」
「はい!ありがとうございます」
山野は嬉しそうに頭を下げた。
…そして土方の命令で小姓たちは支度が出来次第浅草から千駄ヶ谷までの荷運びを請け負うことになったのだが。
「鉄?どうかした?」
銀之助は他の小姓衆とともに空の行李箱を探して大八車に詰め込んでいたのだが、鉄之助は手が止まりぼんやりと立ち尽くしていた。このところそんな姿をよく見ていた。
「…あ、悪い。何でもない…」
「そう。じゃあこの縄を結んで」
「ああ…うん」
行李が落ちないように縄で固定しようとするが、鉄之助はまた心ここにあらずという顔をしていたせいで手元が狂いいつまでたっても結べない。銀之助は仕方なく横から手を出して結び、支度を終わらせた。
「鉄、しっかりしてよ。今日中に終わらせなきゃいけないんだから」
「…ごめん」
「じゃあ行くよ」
二人で並んで大八車を引き、他の小姓がそれを後ろから支えてくれた。まだ中身の入っていない行李は空なので楽だが、浅草から千駄ヶ谷までは引っ越し荷物を詰め込むので重労働になるだろう。
新撰組が幕臣に出世してから新たに設けられた小姓という役職は、当時は銀之助、泰助のみであとから鉄之助が加わってしばらくは三人であったが、いまは泰助が抜けて四人加わり六人となっていてしっかり者の銀之助が筆頭の小姓頭という立場だ。
「鉄、何かあった?」
「…」
「話したくないならそれでいいけれど…あんまり隊務に支障が出るようなら土方副長にご相談するよ」
銀之助としては上の者へ告げ口するような真似は不本意であったが、発破をかけるつもりで口にすると効果があったようで、鉄之助は渋い顔をしながらもようやく口を開いた。
「…実は…兄さんの姿が昨日から…見かけなくて」
「え?」
「昨日、兄さんと喧嘩をしたんだ。…いつも、喧嘩しても俺が怒るだけでいつも兄さんは何も言い返さない。それで終わり…なんだけど、昨日は少し言い過ぎた気がして。…謝ろうと思ったんだけど…どこにも、いないから」
大八車がゴロゴロと大きな音を立てている。鉄之助の声は次第に脆く小さくなっていき、その音にかき消されてしまう。
銀之助はいつも強気で真っすぐな鉄之助がこんなに弱気になっている姿を見たことがなかった。なので兄が脱走したのではないかと困惑する鉄之助を敢えて笑い飛ばした。
「ハハ、まさか!ほら、昨日から分宿して皆バラバラに休むことになったから、どこかに紛れているんじゃないのかな?」
「探し回った。でもいなかった」
「じゃあ別の任務を請け負っているのかも」
「兄さんは得意の銃調練には必ずいるはずだ。でも今朝はいなかった」
「うーん…じゃあ悪所通いをしているんじゃないかな。あんまり大きな声じゃ言えないけれど、皆夜になるとこっそり抜け出して憂さを晴らすために遊びに行っているし…昨日の今日ならどこかで寝坊しているだけかもしれない。まだわからないよ。ね?」
「……うん」
鉄之助は銀之助の励ましに頷いたものの、あまり納得していない様子だ。銀之助は(まだ一晩だけだから)と安易に思うが、兄弟の鉄之助には何か嫌な予感が過っているのかもしれない。
浅草まではまだ距離がある…銀之助はさらに事情を聴いた。
「言い過ぎたって、そんなに酷いことを言ったの?」
「…兄さん、花街の女と所帯を持つつもりみたいなんだ。新撰組に見切りをつけて一緒に来いって誘われた。でも俺はその気がないから拒んだんだ」
「そうなんだ…」
脱走する隊士は少なくはないが、誰よりも新撰組でも成長を誓う鉄之助にとっては寝耳に水どころか拒否感の強い話だろう。
「兄さんは甲府の時だって誰よりも一目散に逃げた。だからつい…『恥ずかしい』って言ったんだ。男として、兄として…自分のことしか頭にないんだと思ったらカッとなった」
鉄之助は兄の考え方に真っ向から反対して非難したこと自体に反省はなかったが、選んだ言葉はあまりに兄を侮辱してしまったのではないかと後から気がついた。
「突然のことだったから…兄さんの気持ちを受け入れられなかった。だから少し頭を冷やしてから…もう一度話そうと思ったのに…」
姿を消してしまった。鉄之助の言葉が引き金になったのではないか…兄は『恥ずかしい』と罵られても相変わらずへらへらと笑っていたけれど本心では深く傷ついていたのではないか。そう思うと鉄之助は後悔の念で何も手に付かなかったのだ。
行李を積んだ大八車は荒川を越える。小春日和という言葉が相応しい心地の良い陽気が今の鉄之助にはなんだか気まずくて俯いた。
二人はしばらく黙り込んでいたが、銀之助が口を開いた。
「…鉄のお兄さんの本当の気持ちはわからないけれど…少なくとも、自分のことばかりっていうわけじゃないんじゃないかな。本当に自分のことしか考えていなかったら、黙って一人で脱走すればいいし、わざわざ怒られるとわかっているのに鉄を説得しなくてもいい。なのにちゃんと話してくれたのは…やっぱり鉄のお兄さんが優しいからだよ。僕の兄たちはきっとそんなことはしない」
銀之助は苦笑したが、鉄之助は「そうかのか?」と首を傾げた。
「前にも話したけれど兄たちは…新撰組の人員不足を知って僕の入隊を申し出ただけで、きっと点数稼ぎの人数合わせでしかないんだ。だから別に兄から目を掛けられているわけじゃないし、屯所で顔を合わせても話なんてしない。なんていうか…個人主義なんだよ」
「…そんなことあるのか?」
「もちろん不仲ってわけじゃないよ。それにそれでいいと思ってるから互いに寂しくはない…でも鉄のお兄さんが羨ましくはあるかな。ぶつかり合ってもどこかで繋がっている感じがして。それは僕たち兄弟にはないものだから」
「…」
「だからもう少し待ってみたらいいんじゃないかな。優しいお兄さんだからきっとまた帰ってきてくれるよ」
「……わかった」
鉄之助は頷いた。
なし
拍手・ご感想はこちらから

