わらべうた
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土方の指揮のもと、浅草今戸から千駄ヶ谷へ荷物を運びこんだ。総司の私物はあまりなかったが、松本から預かった医学書の類や道具が多く大八車はいっぱいだ。
「ふらっと散歩に出かけたと思ったら、こんなに良い引っ越し先を見つけて来るなんてね」
英は急展開に苦笑した。
松本に借りていた邸宅は居心地は良かったがやはり人通りが多く騒がしかったので、郊外の千駄ヶ谷の方が落ち着いて療養できるだろう。それに植木屋の庭はいつも季節の花が咲いていてまるで大きな花籠のようだ。
土方と総司は英とともに改めて挨拶をした。
「これからお世話になります、こちらは主治医の英です。新撰組の医学方を兼ねておりますので不在にすることもありますが、総司とともに居候させていただきます」
「どうぞよろしくお願いします」
土方が英を紹介すると柴岡家の人々はみな一様にぼうっと英を見た。剃髪姿の医者…火傷のあとは多少目立つがそれでも宝玉のような美形はなかなか巷にはいない。声をかけるのを躊躇われるほどだが、子供は容赦ない。
「お兄さん、本当におのこなの?」
下の娘のたねは好奇心の塊のような眼差しを向けた。慌てて柴岡が「これ」と窘めるが、英は
「そうだ…よ」
と答えた。英は笑顔を浮かべつつ眉はピクピクと動いている…どうやら子供が苦手なようだが、たねの興味は英に注がれ続けている。
今度は柴岡が家族を紹介しました。
「妻のりつと、上の娘のあさ、下の娘のたねでございます。あとは見習いの弥兵衛と通いの女中のおかよさん。他にも職人が出入りしますが、まあ離れの座敷までは来ますまい」
柴岡の妻らしく柔和でふくよかな顔つきのりつ、緊張した面持ちのあさと対照的に嬉しそうなたね、見習いと女中の二人は硬い表情で恭しく頭を下げた。
総司は見習いのことを気にしつつ
「あの…奥方様、私は労咳ですが本当に宜しいのですか?」
もう臨月が近いというりつに尋ねた。いくら柴岡が気にしないと言っても、三人の子の母親であるりつの気持ちは違うのではないかと危惧したのだ。しかしりつはにこやかだった。
「主人はお節介ですからこういうことには慣れています。それに義母もあさを身ごもっているときに労咳となり、わたくしが看病しました。それでも母子ともに健やかにおりますのできっと罹らない身体なのでしょう。気兼ねなくお過ごしください」
「…ありがとうございます」
りつには近藤の妻であるつねのような優しさと妾の孝のような逞しさを感じられた。夫に遠慮しているわけではなく本心から歓迎しているように見えたので、総司はひとまず安心する。
土方は懐から袱紗を取り出して、二十両を差し出した。
「こちらはどうかお納めください。当面の分です」
「…え?いやいや、こんなに頂いても何に使ったらええか…」
「あって困るものでもないでしょう。足らなければ遠慮なくお知らせください」
「いやあ、しかし…」
柴岡はしばらくは固辞していたが、最後には折れて受け取った。
総司が療養することになった離れの座敷はかつて多くの見習いを住まわせていたという。床の間のある八畳ほどの部屋には見晴らしの良い縁側があって、ここに居を移すきっかけとなった梅の木が目の前だ。
「沖田先生」
「山野君、来てくれたんですね」
「はい!先生がこちらへお引越しされると伺って同行させていただきました」
「でも忙しいんじゃないですか?」
「いえ、僕なんてそんな…」
山野は最初は満面の笑みだったが、次第に涙ぐんでしまった。
「山野君?」
「す、すみません。このところ先生にお会いする機会がなくて…つい、感極まってしまいました」
「大袈裟だなぁ。私はずっと近くにいるのに」
帯同しているわけではなかったが、遠く離れているわけでもない。総司は新撰組の存在を常に感じていたが常に傍にいた山野には寂しい距離だったようだ。
二人は作業を小姓たちに任せ、並んで縁側に座った。今日は朝からそよそよと風が髪をなびかせる穏やかな気候だ。
「…ここはとても静かでよい場所ですね。先生の配下としても医学方としても、とても安心しました」
「ええ。五兵衛新田とは離れちゃいましたけど、良い方たちと巡り会えたので良かったです。一番隊の皆にも心配しないように宜しく伝えてください」
「僕に伝言されなくても、是非先生も五兵衛新田へいらっしゃってください」
「…私が足を運んでも迷惑ですから」
永倉や原田たち食客が去り、いまは元の新撰組隊士よりも新たに加入した隊士が多いと聞く。引退した総司が顔を出したところで新たな輪を乱すだけだろうと首を横に振ったが、山野は「そんな」とまた悲しい顔をした。
「どんなに隊が変わっても、僕にとって師匠は沖田先生だけです。…もっと教えていただきたいことがありますし、本当は屯所で御静養されたら良いのにと思っています」
「でももう山野君に教えることなんてありませんよ。一番隊の隊士としてしっかり隊務に励んでいたし、泰助たちが入隊してからは彼らと一緒に初歩的なことから稽古も付けたでしょう?それに今は医学方としての勉強まで頑張っているのにこれ以上何を教えたら良いんですか?」
総司が揶揄うが、山野は相変わらず神妙な顔だ。
「全然足りません。僕は忘れっぽいんです、何度も何度も教えて頂かないと。先生のお側にいたいんです」
「山野君…何かあったんですか?」
「…」
総司には山野はどこか無理をして明るくふるまっているように見えた。けれど彼が口を開こうとしないので、総司は首をかしげるしかない。
「…島田さんと何かありました?」
「いえ、先輩は何も…。でも…むしろ先輩のせいなのかな…」
「え?喧嘩ですか?」
総司は長い間、山野と島田を見守って来たが二人の関係はいつも穏やかであまり波風が立つようなことがないように見えていた。しかし山野は「いいえ」と否定した。
「喧嘩ではなくて。…僕はなんだか、怖くなってしまいました」
「怖い?」
「戦に負けることが続いて…頼りにしていた先生方がいなくなって、急に恐ろしくなってしまったんです。恥ずかしながら…今までずっと強い盾のような存在がたくさんいてくださったのだとわかりました。…僕は今、自分が死んでしまうことと先輩に何かあったらと思うと…どちらも怖いんです。医学方として負傷者や戦死者と接してきたから猶更…すぐそばに死があるんだってよくわかってしまって」
「…」
「自分一人ならまだいいんです。先輩に何かあったら、僕が先に逝ってしまったら…考えるだけで怖いんです。だから僕が勝手に先輩とは少し距離を取ってぎくしゃくしてしまって…。こんなこと先生に打ち明けてしまってごめんなさい…」
労咳という病が迫る総司と、戦場がすぐ隣に在る山野。違うようで似ている状況に接し、さらに本人が語るように医学方として過酷な場面に向き合い続けたことで山野はどこか思い詰めているようだった。
総司は項垂れた山野がまるで子どものように思えてその頭にそっと触れて、ゆっくりと慰めるように撫でた。艶やかな髪はさらさらと指で梳かすことができた。
「先生?」
「…一年前くらいの私も同じことを思ってましたよ。自分が死ぬこと以上に、土方さんがどう思うか…だから離れるべきじゃないかと思って離れようとしたんです。だから山野君が怖い気持ちはわかります」
まるであの時の自分を見るようで総司は目を細めたが、山野はハッとして謝った。
「も、申し訳ありません。先生に比べたら僕なんて全然…甘えてます、こんなの…」
「いいじゃないですか、甘えたって。…離れようとしたけれど離れられなかった。それはきっと山野君も同じです…本当はわかっているんでしょう?」
「……」
「それに急に新撰組を任されることになって、たぶん島田さんも同じように悩んでいるはずです。だから怖いことは分かち合える。嬉しいことは喜びあうことができる…それが生きるってことでしょう?」
総司は山野の頭を撫でながら、同じ言葉を自分に言い聞かせているような気持ちだった。どれほど思い悩むことがあったとしても、もうそれは自分一人のものではない。そう信じているから進むことができるのだ。
山野の表情は次第に和らいだ。もともと幼顔で可愛らしいがこうしていると本当に子供のようだ。
「山野君って、いまいくつでしたっけ?」
「へへ…実は先生とそんなに変わらないんですよ」
「え?本当に?知らなかった、もっと下かなって思ってた」
「本当です。でもそれで構いません。僕にとって先生は…いつまでも手の届かない師匠ですから」
「こんなに出来の良い弟子なんてもったいないな」
二人は顔を見合わせて笑い合う。そうしていると深刻な雰囲気は薄れて、山野も笑顔を取り戻した。
「先生、またここに来ても良いですか?」
「勿論。島田さんと一緒に」
「はい」
なし
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