わらべうた




978


五兵衛新田の屯所には日に日に入隊希望者が集まっていた。抗戦への機運がゆっくりと風船のように膨らむなか。
「はぁ…」
近藤が勝から遣わされた鎮撫方の幕臣との面会を終えて自室に戻ったところ、土方がやって来た。
「客人はお帰りになったのか?」
「ああ。ここは手狭になるだろうからもっと広い場所へ移れと。…まあつまりは遠回しに目障りだからもっと郊外に去れと言っているんだろう」
「遠回しでもないな」
近藤と土方は顔を見合わせて苦笑した。
三月十四日の会談によって官軍は総攻撃を中止し、一旦朝廷へと話を持ち帰ることとなった。そのため勝ら恭順派執行部は交渉を順調に進めるためにも新撰組のような過激な抗戦派は江戸から遠ざけたいのだが、しかし一方で解散しろとも兵を集めるなともお達しはなく、軍事調練にも目を瞑っている。近藤は勝の本心を図りかねていた。
「勝安房守様は幕臣たちへ官軍から寛典の沙汰があるだろうと見通しを示されたそうだが…確約するまで大きな衝突があっては困るのだろう。あちこち江戸を脱走する隊があるそうだが、とにかく今は動くなということだよな」
「ああ。だが何もしないわけにはいかない。徳川の威力を示すことが官軍の譲歩につながる…表向きは動くなというが、戦の支度は怠るなということだろう。勝先生の本心を察するべきだ」
「そうだな…少なくとも徳川の家名存続と領地が保証されなければここを動くわけにはいかぬ…」
手の届かない情勢がもどかしいが、しかし今は派手に動くべきではない。近藤はその現実を飲み込んでひとまず話を変えた。
「総司の様子はどうだ、千駄ヶ谷の住まいは?」
「ああ。さすが植木屋だ、風通しが良くて庭も見事なもので養生するには最適だろう。それに平五郎さんが総司が使いやすいように離れへ厠や湯殿を置いてくれることになった」
「それは有難い。そんな良い人とで巡り会って総司は幸せ者だな…それにしてもお前が初対面の柴岡さんをすぐに信用して任せる…というのも珍しいよな」
柴岡とのやりとりはまだまだ浅いものだが彼の懐の大きさのおかげであっという間に昔なじみのような関係になり、家族同然の扱いで総司を預かってくれるように頼んだ。だが土方には柴岡を信用出来る別の理由もあった。
「…あれほど見事な梅を咲かせた人だ。面倒見が良いし生き物を丁寧に扱う…俺はそれだけで信用に値すると思ったんだ」
梅の木だけでなく雑草一つない芸術のような庭はもちろん一日では為せず、毎日の手入れがなければ続けることもできない。どっしりとした幹のような心根を持つ柴岡は一時の感情でその生き方を変えないだろうし、一度決めたことを覆すこともない。加えて新撰組との縁もまったくないのだから総司を預けるには最適の人物だろう。
土方の物言いで、近藤はすぐに納得した。
「…俺も明日挨拶に伺うよ。おつねとおたまのところにも顔を出したい」
「ああ、そうしてくれ」


総司がそろそろ仕舞いの頃だという梅の木を眺めながら縁側に佇んでいると、柴岡家の末娘であるたねが母屋から人形を二つ持ってやってきた。人懐っこい四つの女の子はままごとを始めるようだ。
「男の子のお人形は父上、女の子は母上、たねはお姉さんで宗次郎は弟ね」
「ははは、私が弟?」
「うん、大きい弟」
「大きい弟かぁ」
総司は万が一のために柴岡家の人々には幼名である『宗次郎』と呼ぶように頼み、自分が新撰組の一員であることは忘れてあくまで居候の病人として扱ってほしいと頼んだ。柴岡やその妻のりつは最初は戸惑っていたが、無垢なたねがすぐに「宗次郎」と呼んで懐いていたので二、三日ですぐに慣れた。
たねは母役の人形を器用に動かして、ままごと用の茶碗に枯葉や枝を入れて総司へ差し出した。
「宗次郎、はいご飯の時間ですよ」
「おいしそうだなあ。これは何のご飯?」
「宗次郎、この子は母上だよ」
「ああ、そうだった。母上、今日の献立は何ですか?」
「今日はねえ、葉っぱご飯ですよぉ」
総司が茶碗を受け取るとたねは屈託のない笑みを浮かべていた。総司は壬生ではよく子どもたちと遊んでいたが外を駆け回る遊びがほとんどで、近藤の娘のたまがこれくらいの齢の頃はすでに都にいたので、たねのような小さな娘を相手にするのは新鮮だった。子どもの発想は突飛で、
「たねはお嫁さんにいくことになりました~」
と話が飛んだ。総司はふっと小さく噴き出しつつ付き合う。
「姉上、もう嫁入りですか?宗次郎は寂しいですよ」
「宗次郎もお嫁さんを探してください」
「ハハ、お嫁さんかぁ。どこにいるかなあ」
たねと人形を囲んでいるとなんだか童心に帰るような気持ちだ。するとたねは急に人形の世界から戻って来たように
「宗次郎にお嫁さんはいないの?」
と訊ねた。
「お嫁さんはいないよ」
「はなぶさは?」
「英さんはお医者さんだよ」
土方が柴岡夫妻には自分たちの関係を話したそうだが、もちろん子供たちに理解できるわけがない。そして英のことも男なのか女なのかもわかっていない。たねは首を傾げた。
「ふうん。じゃあ一人ぼっちなの?」
その質問には少し胸が痛んだが、総司は表情を変えなかった。
「…そうじゃないよ。遠くに家族がいるし、友達も仲間もたくさんいる。いまは皆…忙しいんだよ」
たねに対して事実ばかりを話さなくても良いのだろうが、純粋な眼差しで見つめられるとなんだか本当のことを吐露してしまう。もちろんたねがそれを深刻に受け取るわけではなく、むしろ
「じゃあよかったねえ。ここならいつもたねがいるよぉ」
と笑ってくれるので、総司は慰められた。
「そうだねえ…ありがとうね」
「じゃあ宗次郎は芝刈りへ行ってね、たねは洗濯に行くからねえ…」
たねはまたままごとの世界へ戻っていき、総司もそれに付き合う。
新撰組にいた頃を思えば嘘のように穏やかで別の世界のようにゆっくりと時間が過ぎていく。このままこのぬるま湯のような世界にいるとそのうち、新撰組にいた頃のことの方が信じられなくなっていくのかもしれない。
「たねお嬢さん」
しばらくままごとに付き合っていると、植木屋の見習い、弥兵衛が庭から顔を出した。
「そろそろ昼餉です」
「はぁーい」
弥兵衛は硬い表情だった。子どもが苦手なのか、大人に接するのと変わらない態度でたねに声を掛けていた。たねはいつものことなのか気にせずに
「宗次郎、また遊ぼうね」
と言って人形を抱えて小走りに去っていく。『葉っぱご飯』は縁側に置きっぱなしだ。総司は手を伸ばしたが、
「私が片付けます」
弥兵衛が縁側に近づいてままごとの片付けを始めた。さっと箒を手に取りたねが散らかした草木を塵取りにまとめていく。
「弥兵衛さんが庭の手入れをなさっているんですか?」
「はい。これも修行のひとつです」
「なるほど。でも梅もそろそろ見納めですねぇ」
「はい」
弥兵衛は淡々と返事をする。長いまつ毛と高い鼻梁…月代を剃っているので男だとわかるが、よく見るとまるで歌舞伎役者の女形のように端正な顔立ちをしている。彼の美男ぶりが目立たないのは外仕事で肌が焼けているせいだろう。
(どこかで会ったはずなんだけど…)
思い出せないのは子供の頃の記憶だからだろうか…総司はまじまじと弥兵衛を見つめた。
「…何か?」
「い、いえ…なんでもありません」
いっそ尋ねてみたいと思ったが、弥兵衛には距離を取られているようだったので気が引けた。柴岡一家が受け入れていても、見習いにすぎない弥兵衛にとっては迷惑な居候なのかもしれないのだから。
すると英が母屋から戻ってきた。
「沖田さん、薬の時間…」
英が縁側に足を向けると、弥兵衛は入れ替わるように軽く頭を下げてそのままそそくさと庭から戻っていく。英は視線で追った。
「…あの見習い、知り合い?」
「うーん、それが思い出せなくて…」
「…」
英は膝を折ったものの、手を止めて見習いの背中をじいっと見つめていた。
「英さんこそ、もしかして知り合いですか?」
「…いや、どうかな…」
英は曖昧に濁したように見えたが、追求するまもなく粥と薬を渡された。そして総司の額に手を当てた。
「少し微熱があるみたいだ。食事を済ませたら休んで」
「わかりました。じゃあもしおたねさんが来たら私の代わりに一緒に遊んであげてください」
「…子供は苦手なんだよ」
英が心底嫌そうにため息をついたので、総司は笑った。







解説
なし


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