わらべうた




980


伊庭との会話が弾んでいた頃、近藤が相馬と共にやってきた。
「伊庭君、来ていたのか。元気そうで何よりだ」
「はい。近藤先生もお変わりなく。沖田さんとは随分久しぶりにお会いしたので長居をしてしまいました。そろそろお暇しますので」
「なんだ、もっとゆっくりしていけばいいのに」
近藤は引き止めようとしたが、伊庭は小さく首を横に振る。
「また来る約束をしましたから。…じゃあ沖田さん、ちゃんと養生してくださいよ」
「伊庭君こそ、ちゃんと顔を出してくださいね」
伊庭は爽やかな笑顔を振りまいて席を譲って去っていく。近藤は伊庭がさっさと去ってしまったので名残惜しい様子だったが、総司は伊庭が気を遣ったのだろうということがわかった。いま、幕臣として近藤と伊庭は必ずしも考え方が同じではない…ここが議論の場ではないと思い、早々に去ったのだろう。
近藤は伊庭と同じ場所に腰を下ろし、相馬も近くに侍った。
「さっき柴岡殿にご挨拶したぞ。歳から聞いていた通りとても気持ちが良い人だ」
「ええ、まだ知り合って数日なのにまるで古くからの友人のようです」
「そんな感じだ。得難い人に出会ったな」
近藤も柴岡のことを気に入ったようで話が弾んだという。しかし、
「やっぱりお嬢さん方には怖がられてしまった」
と近藤は頭をかいた。あさとたねが怯える様子が目に浮かぶ…相変わらずの近藤の嫌われっぷりに総司は小さく吹き出した。
「あの子たちは客人に慣れているようですからすぐに馴染みますよ。おたまちゃんはどうですか?」
「ここに来る前に顔を出したよ。少しは慣れたようだが…長く離れて暮らすとどう接していいのかわからないなぁ」
「そのうち慣れますよ」
近藤は「うん」と頷いてぐるりと部屋を見渡した。
「…どうだ、お前は?」
「私は変わりありません」
「たびたび熱を出していると英君から聞いたぞ」
近藤が心配して顔を顰めるので、総司は「ときどきですよ」と笑った。英のことだから率直に近況を報告したのだろうが、例え嘘でも近藤には心配ばかりかけたくないという思いが尽きない。もちろん近藤もわかってはいるだろう。
「…そうだ、歳からお前に伝えるように託されていたんだ。源之助が釈放されたぞ」
「え?!本当ですか?」
総司は声を張り上げた拍子に少し咳き込んでしまったが、それでも喜びはひとしおだ。
「げほっ……よかった、源之助は無事ですか?」
「ああ。そう聞いているよ。…源之助には悪いことをした、春日隊に加わっていないのにこんな目に遭わせてしまった」
「…でも源之助は父上の心意気はよく理解していたはずです」
鎮撫隊が日野の佐藤家に立ち寄った時、若い門弟たちが『加わりたい』と直談判したが、近藤は地元の後継たちを危険な目に遭わせたくないと断ったのだ。その中には源之助の姿もあった。
近藤は頷いた。
「そうだな。このまま春日隊が赦免されればせめて故郷への罪滅ぼしになるだろうかな…」
「…」
寒かった伏見での戦から甲府まで負け続けている…近藤は厳しい戦を経て少し疲れているように見えた。
「…近藤先生、伺っても宜しいですか?」
「うん?」
「先生はこの先…どのようにお考えですか。さっき伊庭君は一斉に蜂起するようなことを言っていました。陸軍だけでなく海軍も加わって…新撰組がそこに参加するということはお考えではないんですか?」
「…」
近藤は少し黙り込んで考えこんだ後、まじまじと総司の顔を見て小さく笑った。
「…総司にそんなことを聞かれるなんてな。試衛館にいた頃じゃ考えられないな」
「らしくないのはわかってますけど、考える時間が山ほどあるので」
「そうだなあ…お前相手なら、本音を漏らしても良いのかもなあ…」
近藤は不意に庭へと目を遣った。
「…伏見で負けた時、正直俺は官軍との戦力差がどれほどなのかわからなかった。戦に出ていなかったからな…不運な出来事が続いて、たまたま負けてしまったのだと現実を受け止めていなかったのだろう。だからこそ甲府で圧倒的に負けて、衝撃を受けた…官軍に及ばないのかもしれない。このまま徳川は大きな戦力で踏みにじられるのだろうと想像できたよ。伊庭君の言う通り、抗戦を考えるのなら共に戦うべきだろう」
「だったら…」
「でも上様はそうお考えではない。抗戦ではなく恭順を…そのご意思を無下にする行為は幕臣として相応しくない。その思いがどうしても捨てられないんだ、どうしてだろうな…」
頭ではわかっていても、心はまだ上様の元で跪いている。
他人は幕臣という地位と名誉に拘っているのだと誤解するのかもしれないが、近藤にとっては忠誠を誓った上様を裏切るなど選択しようのない行為なのだ。
「やり方は色々あるだろう。榎本先生や伊庭君たちが放棄することもまた徳川を守ることにつながるのかもしれない。でも俺は一人の幕臣として、天領の民として、上様のご恩を受けた身として…身を慎み、分を尽くしたいと思っている」
「身を慎み、分を尽くす…?」
「自我を出さず、与えられた務めを果たすということだ。上様の御命のご無事と徳川家の安泰が保証されるまで…動かず勝機を探る」
「保証された後は?」
「…思う存分、暴れるかな」
近藤は新撰組の隊長らしくずっと真摯な表情で語っていたのに、最後はまるでガキ大将のように破顔したので総司もつられて噴き出した。
「ハハ、よくわかりました」
「へえ、わかったのか?」
「はい。伊庭君も近藤先生も…皆、立派な武士なんですね」
やり方は違っても、恩を尽くすべき相手は同じ。どちらの正義も正しく、辿り着く場所は同じはず。だったら何も心配することはない。
「近藤先生のお話を聞いてなんだか安心しました。先生は試衛館にいた頃と変わらない…だから土方さんは先生についていくんです」
「ああ…あいつは俺にとっては出来過ぎの女房役だよ」
二人は顔を見合わせて笑い、総司は床を抜け出して近藤とともにそのまま縁側から庭に出て例の梅の木の前までやって来た。春の心地よい風が梅の花をぽろぽろと静かに散らして、これから桜の季節にとって代わる―――梅が散る寂しさを覆い隠すように。
「…先生、土方さんの発句集の最後の句、覚えていますか?どうしても下の句が思い出せなくて…。『梅の花 咲ける日だけに』…」
「『咲いて散る』、だ。大坂で療養していた時に何度も読み返した…あいつは梅が好きなようだが、句にするとどうも率直過ぎて安易なところもある。でもあの句は少し趣が違う…あれは浪士組出立前に詠んだものだろうなあ」
ほんの少しの瞬きのような美しさ―――それを自分の人生に重ね、咲いて、散る。土方はその潔さに憧れがあるのかもしれない。
総司は句作を通して土方の秘めた覚悟に触れた気がしたが、近藤は幼馴染の深い情意に感謝しながらも
「歳は…しぶとく生き抜いてほしいと思うよ」
と呟いた。
梅の散り際のようにぽろぽろと涙をこぼしながらも、踏みしめて生き続けてほしい。
総司はその気持ちが痛いほどわかる気がした。


夜を迎えた五兵衛新田で。
「…鉄、…ねえ、鉄ってば、起きてよ」
小姓衆に与えられた布団部屋で、鉄之助は銀之助に起こされた。兄の脱走の件が落ち着いてようやく穏やかに眠れるようになった矢先のことだ。
「…なんだよ…銀…」
眠たい眼をこすると銀之助が青ざめていたので、鉄之助の眠気は吹き飛んだ。
「なんだよ…怖い夢でも見たのか?」
「違うよ、そんな子供じゃない。…ちょっと来て」
「はぁ…?」
鉄之助は戸惑ったが、日頃大人しく気遣いのできる銀之助が青ざめているのだからそれなりの理由があるのだろうと思い、仕方なく付き合うことにした。
(幽霊を見たとか…?)
夜番以外の隊士は寝静まっている…二人は足音を立てないように布団部屋を抜け出して縁側に出て金子家の納屋の近くまでやってくる。するとどこからかひゅーひゅーと音が聞こえて来た。途端に銀之助は鉄之助の腕にしがみつきながら震えた。
「鉄も聞こえるよね?!」
「き、聞こえるけど…」
「だよね?!ここ二、三日、夜になると聞こえるんだよ…!」
「隙間風じゃないのか?」
「違うよ!」
鉄之助は恐怖のあまりに声を荒げる銀之助に「しぃっ」と唇に手を当てて声を潜めさせた。そしてもう一度耳を澄ます…確かにひゅーっぴゅーと音が変わるので隙間風ではないようだ。
「だ、誰かの断末魔みたいじゃない…?まるで息も絶え絶えの…妖怪かな?!」
「想像力豊かすぎるだろ。野良猫か野良犬あたりじゃないのか」
「でも…!」
「…とにかくわかった。明日島田さんたちに聞いてみよう」
鉄之助はふぁぁと欠伸をしてきた道を戻る。銀之助は納得していなかったが、一人残されるわけにはいくまいと慌てて後を追った。










解説
なし


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