わらべうた




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「幽霊のうめき声?」
翌朝、朝餉を終えた島田の元へ小姓の銀之助と鉄之助がやってきた。銀之助は手に汗握り昨晩のことを力説するが、鉄之助は仕方なく付き合っているだけであまり興味がなさそうだ。
「先輩は気づきませんか?!納屋の方でヒューヒュゥゥっておどろおどろしい音が響いているんです!」
「銀はずいぶん誇張してます。隙間風くらいの音です」
銀之助の大袈裟な物言いを鉄之助が指摘する。しかし島田には心当たりがなく、首を傾げた。
「…悪いが、隊士たちのイビキで外の音なんて何も聞こえないんだよ。お前たちの布団部屋は納屋に違いからよく聞こえるんだろう」
「そうか、きっとイビキだ。隊士の数が増えたから納屋まで響いているんだな」
鉄之助は腑に落ちたような顔をして手を叩いたが、銀之助は「違います!」と首を横に振り続ける。
「きっと成仏できない幽霊が呻いているんです。助けてくれーって!」
「銀之助、それは失礼だろう。こちらは名主のお屋敷をお借りしているんだぞ、幽霊だと決めつけて騒ぎになってご迷惑をおかけしたらどうする。たとえ恐ろしくとも空耳だと自分に言い聞かせる努力をすべきだ」
「それはそうですけど、でも…!」
銀之助が必死に熱弁していると、「どうしたんすか?」と野村と相馬がやって来た。鉄之助が状況を説明すると意外なことに野村は
「ああ、あれか」
と例の音のことを知っていた。銀之助はようやく同志にあったとばかりに喜んだが、野村はケラケラと揶揄う。
「そんなにビビらなくても少なくとも悪霊じゃなさそうだぜ」
「野村さんは正体を知っているんですか?」
「あ~どうかなぁ。でももしかしたら悪霊や妖怪よりも恐ろしいかもしれねえよ?それでも知りたいか?」
「ひぃぃっ!」
怖がりの銀之助が身を竦めたので、隣にいた相馬が呆れたように野村を窘める。銀之助は耐えかねて島田に懇願した。
「島田先輩、お願いです!金子家の方にお尋ねしてください!屋敷に幽霊や妖怪の類が出るというような謂れがないか!」
「はぁー?」
島田は心底(馬鹿馬鹿しい)と思ったのだが、普段は真面目で勤勉な銀之助が涙目で訴え出るので無碍にできず、さらに鉄之助も
「このままじゃ俺は寝不足で勤めを果たせません」
と訴える。島田は深いため息をついて
「わかった…とりあえず、局長と副長にご相談するよ」
引き受けるしかない。銀之助は深々と頭を下げて、鉄之助は「やっと寝れる」ともう一度欠伸をしたのだった。

島田は午前の大砲調練のついでに銀之助と鉄之助から聞いた話を報告した。土方は眉間に皺を寄せたが、近藤は面白がった。
「へぇ、幽霊か。我々に味方してくれる英霊の仕業だと頼もしいのだがなぁ」
「しかし…鉄之助曰く、隙間風くらいの小さな音だそうで…こんなことで金子殿のお手を煩わせるのもどうかと思い、ご相談を…」
「当たり前だ」
土方は腕を組んで島田を八つ当たりするように見据える。
「ガキどもの与太話をわざわざ取り合うな。幻聴か幽霊か知らないが、隊務に支障が出たら許さないと伝えておけ」
「は、はい…」
久しぶりの鬼副長らしい怒りの剣幕に島田は青ざめて背筋をピンと伸ばして去っていく。新撰組の法度で幽霊の類の話は禁じているが、今や廃れきったあの軍中法度を覚えている者などいないだろう。
近藤はまだ可笑しそうに笑った。
「あー…なんだか力が抜けたよ。幽霊騒ぎなんてなぁ?」
「…」
土方は仏頂面で腕を組んでいて…近藤はその横顔を見ていると不意に昔のことを思い出した。
「そういやぁ、俺たちが顔見知りになったのも幽霊の仕業だったよな」
「…そうだったか?」
土方はとぼけたが、近藤は鮮明に覚えていた。


近藤がかつて宮川勝五郎と呼ばれていた十三の頃のことだ。
宮川家は百姓であったがさほど暮らしには困っていない中流の家だった。特に勝五郎は三男として生まれ末っ子であったため皆に可愛がられ、何不自由なく過ごしていた。寺子屋では伝記物に興味を持ち、真似事のように剣術を学ぶ…適性があったのは後者で稽古に明け暮れていた。
まだまだ幼いところがあった勝五郎は
(俺は宮本武蔵のように道を極める!)
と心のうちに闘志を燃やしていた。
するとある日、勝五郎は独学での稽古を重ねていた隣で、近所の童たちがある噂話をしていた。
「あの祠でさ怪しい声が聞こえるんだ。幽霊なんじゃないかって」
「聞いた聞いた。夜になるとさ、あああ、あああって…人のような獣のような、恐ろしいって母ちゃんたちが噂してた!」
「父ちゃんは子供は近づいちゃダメだってさ」
(幽霊?祠?)
勝五郎は稽古の手を止めて、その童たちに近づいた。
「なぁ、祠って東の?」
「そうだよ。ボロボロで壊れかけの貧乏八幡だ」
「きっとご利益なんてないぜ」
童たちは馬鹿にするように嗤ったが、勝五郎は眉を吊り上げた。
「お前たち無礼だぞ!あの祠は日光の東照大権現さまをお祀りしている由緒あるものだ!それに近くには武士の棟梁の源氏を祀る八幡様だってある。将軍様を馬鹿にするような言い草は天領の民として恥ずかしいぞ!」
…この頃からすでに『武士かぶれ』と揶揄されていた勝五郎は近所の子たちに比べると正義感が強くて浮いていたので、童たちは「またか」と言わんばかりに口うるさい勝五郎に呆れて去っていってしまった。
勝五郎は仁王立ちで腕を組んだ。
天領の地で恩ある徳川家に関わる祠に幽霊が取り憑くなど不届千万。
「そんな幽霊、俺が退治してやる!」
猪突猛進の勝五郎は早速、木刀片手に例の祠がある場所へと向かった。
すでに陽が傾いていたが、勝五郎には『引き返す』という選択肢すら浮かばずにその幽霊を追い払うことで頭がいっぱいだった。
(木刀で太刀打ちできるか?いや、信心深い俺なら木刀で十分のはず!)
十三の夢見る少年に過ぎない勝五郎は己を過信して街道から近道である薄暗い林の中へ足を踏み入れる。鬱蒼とした木々が陽の光を遮って、ギシギシと雑草を踏む音だけがあたりに響いている…急に背筋が凍るような思いがして身が竦んだが、このまま後戻りはできない。
(男として…尻尾を巻いて逃げるわけには…!)
意地になった勝五郎は
「オオオッ」
と自分に喝を入れて叫び早足で林を通り抜けてそのまま参道に辿り着いた。そのまま進めば若宮八幡宮へ着くが、例の祠はその手前だ。古びた祠は雑草に囲まれていて誰も手入れをしていないのだろう、薄暗闇にすっかり同化してしまっていた。
勝五郎はそれまでの勢いを鎮めて、忍足で祠に近づいた…腰の木刀を常に握っている。
すると、
「あああ…」
「うううう」
という微かな声が祠から響いていた。勝五郎は「ひっ」と小さく悲鳴を漏らしながら咄嗟に物陰に隠れて祠の周囲を窺う…しかし誰もいない。
(まさか、本当に幽霊か?)
勝五郎が耳を澄ませると声だけでなく木板が軋むような音と荒い息遣いが聞こえてくる。だが、それは祠の奥にある、これまた古びて倒れそうな納屋で響いているのだ。
(どうやら幽霊が棲みついているのは納屋の方だ)
勝五郎は祠を一周して何も異常がないのを確認したあと、その納屋へと向かう。あちこち破れて覗き放題の納屋だ…幽霊の姿は外から見えるはずだ。
(よし俺が退治してやる…!)
勝五郎は強く木刀を握った、その時。
「わっ!」
後ろ襟を誰がに引っ張られた。前ばかりに意識を集中していたせいで背後に気が回っていなかった…勝五郎は咄嗟に『幽霊の仲間』だと思ったが、しかし振り向いて木刀を振り上げたところでハッと気がついた。
目の前にいたのは地面に二本の足で立つ、人間…しかも自分とは年は離れていないだろうという子供だったのだ。












解説
なし


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