わらべうた
982
勝五郎は目の前に現れた子どもをじいっと見た。非日常の景色のなかに突然姿を現した子どもが、これがまた見目の整った顔立ちで独特の雰囲気があったのでしばらくは言葉が出ず、(田舎にはいない可愛い娘っ子だ)と思った。
「こ、…ここはおなごの来るところではないぞ。早く家に帰れ」
勝五郎としては夕暮れ時に人気のない場所にいる幼い娘を慮ったのだが、途端にキッと睨まれてドンっと思い切り足を踏まれた。
「イデッ」
「てめえ、目ん玉ついてんのか?」
「えっ?ええ?」
口調がとてもおなごらしからぬものであったので、勝五郎はようやく前髪姿で袴を履いていることに気がついた。娘ではなく、少年だったのだ。
「す、すまん…でも、その…」
(それにしては女顔だ…)
勝五郎は寸でのところでその言葉を飲み込んだ。
「ったく…こんなところで何してるんだよ」
「ゆ…幽霊退治だ」
勝五郎はまだ動揺したままだったが、少年がさらに呆れた顔をして鼻で笑った。
「幽霊?お前にはあれが幽霊に見えるのか?」
「え?」
少年が指さしたのは納屋からバタバタと慌てて出ていく男女の姿だった。勝五郎たちの騒ぎに気がついてとるものもとりあえず飛び出したのか、男の方は裸同然で女も肩から羽織を掛けただけのあられも無い姿…思春期の勝五郎は顔を真っ赤にして顔を手で覆ったが、少年はにやにや笑っている。もちろん二人には二本の足がある。
「な…なんだ、あれは…幽霊じゃなかったのか?ここで夜な夜な変な声が聞こえるって…」
「あ?変な声?こんな場所の納屋ですることなんて決まってるだろ。差し詰め人妻との道ならぬやつだな」
「……」
少年は可愛らしい顔立ちとは裏腹に喋れば喋るほど真逆の中身だと気が付いてしまい、勝五郎はすでに何故少年をおなごだと見間違えたのかわからなくなってしまったけれど、ひとまず勝五郎は木刀を握っていた手を緩めた。幽霊退治は空振りになってしまったのだ。
「…おかげで大事にならなくて助かったよ。お前の名は?」
「歳三」
「歳三か。俺は勝五郎だ。…歳三はうちの村の子じゃないよな」
「石田村の土方だ」
「ああ」
石田村の土方家と言えば、近所では御大尽と呼ばれる豪農で薬売りをしているので有名だ。そこの末っ子が自分と年が近いとは聞いていたがまさかこんなに可愛らしいとは。
「…も、もう日が暮れてしまった。送って行ってやる」
「はぁ?さっきも言っただろう、俺は男だ、必要ない」
「しかし…いまから日野へ戻るのには夜遅くなってしまうぞ」
「いいんだ」
歳三は足元の大きな風呂敷の荷物を抱えると、先ほどの納屋へ向かって歩いていくので、勝五郎は驚いた。
「ちょ、ちょっと待て!家に帰るんじゃないのか?」
「誰がそんなこと言ったんだよ。俺は今晩はここで寝る。そのためにこの納屋に来たのにあいつらが邪魔だったんだ、でも勝五郎が追っ払ってくれてちょうど良かったよ」
年上なのに呼び捨てにされていることや、追っ払ったのは自分でないこと…歳三の言動に言いたいことは山ほどあったが、しかしそんなことはどうでも良い。
「もしかして家出でもしてきたのか?こんな納屋で寝泊まりするなんて親御さんが心配するだろう」
「しねえよ」
「なんで」
「なんでも」
歳三は曖昧に答えて勝五郎を置き去りにしてさっさと納屋に入っていく。外から見るよりは廃れておらず雨風は十分凌げ、茅葺屋根はすっかり吹き飛んでいて月明りが差し込んでくる…まるで秘密基地のようだ。しかし歩くだけでギシギシと床板が揺れるのが不気味で、さらに扉は壊れていて侵入者を防ぎようがなく、当然子どもが一人で身を置くような場所ではない。
歳三は風呂敷を開けてさっさと寝床を準備し始めるが、勝五郎はその細い手首を掴んだ。
「おいおい、本気か?」
「…本気だ、俺はここで寝る。俺の親は心配などしていないから問題ない」
「なんでだ、家出をしたんだろう?」
「家出じゃない。…奉公先を逃げ出してきただけだ」
「はぁ…?」
「だから親は俺が奉公先にいると思っているだろう。まあ、知らせの飛脚が届いたとしても明日か明後日か…それまでは俺が何処にいたって関係ない、束の間の自由だ」
「……」
勝五郎は唖然としてしまい、歳三はその隙に手を振り払って再び寝床を誂える。品の良い高価な着物を重ねて布団にして風呂敷はぐるぐると丸めて枕にする。不安に思う勝五郎とは対称的に歳三は楽しそうだった。
「勝五郎は家に帰れば?あ、わざわざ俺のことを家に知らせになんて野暮なことをするなよ、心配しなくても三日のうちには帰るんだから」
「…しかし、お前を置いて帰れというのか?」
「うん」
歳三は首をかしげて当たり前だろうと言わんばかりだったが、勝五郎は年長者として見過ごすことなどできない。歳三の肩を握った。
「そんな男が廃る真似は出来ぬ。俺の家に来い、上石原だからここからすぐだ」
「嫌だよ。せっかく堅苦しい奉公先を抜けてきたのに。もう人に頭を下げるのは御免だ」
「下げなくていい、俺の友達だといえばそれでいいんだ。こんなところに子どもを置いてもし人攫いなどに遭ったらどうするんだ」
「その時はその時だ。俺は足が速い」
歳三は男勝りで強情で聞き分けがない。勝五郎の説得には応じようとはせず、まるで邪魔だと言わんばかりに手を振った。
「さあさあ帰った帰った」
「だめだ、お前がここに寝泊まりすると知った以上、このまま置いて帰ることはできない。…じゃあ俺もここに泊まる」
「はあ?嫌だよ」
歳三はあからさまに嫌な顔をして即答するが、勝五郎は年長者として退かなかった。
「じゃあ俺の家に来るか、俺が一緒に寝るか、親を呼ばれるか…どれかを選べ!」
半ば脅すように叱ると、歳三は勝五郎の勢いに押されて舌打ちした。
「ちっ……わかぁったよ、勝五郎もここで寝ればいい。でも一旦家に戻って来いよ。お前こそ家出したと騒ぎになったら俺のせいだってことになっちまう」
「おう、わかった。すぐに戻ってくるからな!」
ここから駆けて帰れば半刻もかからないだろうし、勝五郎も家族に心配を掛けるのは本意では無い。
歳三に言われた通り勝五郎は急いで家に戻って「友達の家に泊まる」と親を説得してとんぼ返りした。勝五郎は一人で待つ歳三のことが心配だったのだ。
しかし、勝五郎が納屋に戻ろうとするとまた
「ヒィィィ」
「ふ―――」
という不思議な音が聞こえてきた。
(ま、まさか今度こそ幽霊か?!)
勝五郎は納屋を出る前に護身用にと歳三に木刀を渡していたので武器がない。恐怖で身が竦みサッと木の影に隠れたが、
(いや、俺が逃げている場合じゃない。歳三に何かあったらどうするんだ!)
勝五郎は己を奮い立たせて納屋に駆け込んだ―――が、そこには笛を吹く歳三がいた。納屋から漏れ聞こえていたのは幽霊でも、男女の喘ぎ声でもなく彼の吹く笛の音だったのだ。月明りの下で、納屋の片隅で片膝を立てて笛を構えている―――。
「う…牛若丸?」
「…頭がおかしくなっちまったのか?」
「なんでもない…」
美童の歳三が笛を吹く姿が伝記でよく見る牛若丸のそれに被ったのだが、残念ながら悲鳴に聞こえるほど笛の音は下手くそだ。
勝五郎は途端に力が抜けて「はぁぁ」とボロボロの床に大の字になった。
そんな姿を見て歳三は鼻で笑う。
「早く帰ってきたな」
「無事か?」
「この通り無事だ」
「良かった。…じゃあ飯を食おう」
勝五郎は竹籠に今晩の夕飯と握り飯を詰めてもらっていた。それまで憎まれ口をたたいていた歳三だったが、腹の虫は素直で目を輝かせて握り飯にかぶりつく。その姿はどこか浮世離れしていた見た目とは違って年相応の幼さがありもちろん牛若丸とは違う。
(食い下がってよかった)
勝五郎は歳三の隣で微笑んだ。
同じ飯を囲むと二人の距離はグッと縮まった。
「なぁ歳三、奉公はそんなに大変だったのか?奉公先はどこだ?」
「上野の呉服屋だよ。大変かどうかなんてわかんねえけど、とにかく俺には向いてなかった。親代わりの兄さんが行けというから仕方なく行ったけど…獄に入れられる方がよっぽどマシだ」
「…まあ、そうだよあ…」
豪農の末っ子が奉公することは珍しくないが、歳三のように勝ち気で自分を曲げない性格ではすぐに壁にぶつかることになるだろう。奉公に出たことのない勝五郎でもその光景が想像できて苦笑するしかない。
勝五郎は母自慢の漬物を差し出した。
「ほら、しっかり食え」
「…うん、美味い」
「だろう」
勝五郎は屋根にぽっかり空いた穴から星空を見上げながら、何気ない日常だったはずの今日なのに、どうしてこんなボロボロの納屋に知り合ったばかりの少年と飯を食っているのだろう…とどこか不思議な心地がした。
まるでこれが運命の巡り合わせのような。
竹籠が空になって、歳三は指についた米粒を舐めながら訊ねた。
「勝五郎は俺が女みたいに弱く見えるから心配しているのか?」
勝五郎は男として弱い者を守ってやらねばならないという思いを持って育った。だから最初歳三に出会った時、儚げな美少年を庇護しなければならないとは思ったが歳三は負けん気が強くてその必要がないとすぐに理解した。
それなのに納屋に残ったのは…
「違う。友として心配しているだけだ」
「…ふうん」
その時はまだ友、という言葉の意味を互いに深く理解しているわけではなく、勝五郎にとっては名を知った者はみな友であり特別な理由はなかった。歳三にとってもこの時ばかりの縁だと思っていたのだが、このほんの少しだけ交わった縁という糸は次第に強く結び合うこととなったのだ。
なし
拍手・ご感想はこちらから

