わらべうた




983


幽霊騒動は銀之助が千駄ヶ谷へ訪れたことで総司の耳にも届いた。
「はは、幽霊かぁ」
総司は笑ったが、すっかり気が滅入った銀之助は連日寝不足で顔色が悪く、ついには任務にまで支障が出てしまったのだそうだ。土方には頭を冷やして来いと言いつけられて一日休暇を与えられて、金子家から離れるために千駄ヶ谷にやってきたのだ。
銀之助は深刻に訴える。
「先生、笑い事じゃありません!今でも時々ヒューヒューって…しかも夜だけなんです、隙間風なら昼間でも聞こえるはずなのに!」
「それは確かにその通りですねえ。だったら本当に幽霊なのかも?」
「そうですよね?でも誰も取り合ってくれなくて、唯一野村さんが聞こえるって言ってくれたのに、正体は幽霊よりももっと怖いなんて意味深に…。先生には幽霊よりも怖いものってありますか?僕は考えれば考えるほど身震いがして…」
「そりゃあ沢山ありますよ。食あたりや火事、地鳴…でも私にとっては近藤先生の御義母上のおふでさんに叱られる方がよっぽど怖いなぁ」
今はすっかり丸くなったが実家で甘やかされて育った総司にとって、ふでは最初の『怖い人』だったので、刷り込まれたものなのか、今でもふでよりも恐ろしい存在はいないと思ってしまう。それに幽霊はそこに在るだけで、喋りもしないし見えもしないのだから気にしても仕方ない。
銀之助が共感を得られずに項垂れていると、追い打ちをかけるように英がやって来た。
「馬鹿だな、人間の方がよほど怖いに決まってる」
「そ、そういう曖昧な話では…」
「幽霊だって存在すら曖昧な話じゃないか」
「うう…」
二人から否定されてしまい銀之助はもう言葉がない。英は鼻で笑いながら、銀之助の額に手を当てた。
「熱はないようだけど顔色が悪い、早く休みな」
「…先生、ここには幽霊は出ませんよね」
「少なくとも私は見ていないな」
総司が苦笑すると、銀之助はほっと安堵した表情になって「休みます」と奥の部屋へ向かっていくと、すぐに静かになった。
「…まだまだガキだな」
「優しくしてあげてくださいよ。まだ十三なんだから」
今度は総司の番だと言わんばかりに英は額に手を当てた。
「…うん、今日は良さそうだ」
「そうなんです。あの子と鉄之助が来ると元気がもらえるんですよねぇ」
「中身の年齢が同じくらいなんだろう」
「そうかも」
梅の花はほとんど散った。しかし柴岡の妻、りつの好意でまだ数輪残っていた枝を一輪挿しに挿してくれているので、まだこの部屋には梅の香りが漂っている。
「幽霊か…」
「…まさかあの子の話を信じているの?」
英は呆れたように尋ねたが、総司は微笑んだ。
「五兵衛新田のお屋敷に本当に幽霊がいるのかどうかはわからないけれど…世間には人ではない何か、魂のようなものが漂っているような、そんな気はします」
「…魂ねぇ…」
英は幽霊と同じじゃないかと言わんばかりだったが、死者の強い信念を感じたことは幾度かあって、偶然とは言えない出来事も起こった。
(そう言えば…ここにはまだあの黒猫は来ていないな…)
あの猫にももしかしたら誰かの霊が取り憑いているのかもしれない。
総司が目を擦って欠伸をしたので、英が医者の顔をして「少し寝たら」と言うのでそうすることにした。
この屋敷に来てから眠気を覚える時間が増えていた。



納屋で朝を迎えて、勝五郎は家へ戻ることにしたのだが、歳三はまだこの納屋で過ごすと言う。
「本当に一人で大丈夫か?」
「しつこいな。昨晩だって何にもなかっただろ」
「たまたまかもしれないだろう。ひとりでこんな危ない場所に置いて行けない」
「…わかぁった、勝五郎がうるさいから夜までには帰る」
「本当に?」
「本当に!」
歳三は「帰れ帰れ」と勝五郎の強引に背中を押して手を振った。勝五郎は歳三にあしらわれたように思いながら家に戻る。母には事情を聞かれたが詳しい話はせずに「友達と一緒だった」と話して自室に向かい、横になった。
「ふぁぁ…」
勝五郎は大きな欠伸をした。歳三は寝心地の悪い寝床でもぐっすりと寝れたようだが、勝五郎は周囲の様子を警戒しながら休んだのであまり眠れなかったのだ。
(歳三の奴、ちゃんと約束を守るだろうか…)
少し休んで目が覚めたらまたあの納屋へ行こう…勝五郎はそんなことを思いながら目を閉じたのだが、気を張っていたせいで相当疲れていたようで目を覚ました時には日が暮れ始めていた。
勝五郎は「まずい!」と飛び起きた。木刀を手にして部屋を出て、驚いた母に何の説明もしないでそのまま家を出た。
(頼むから、誰もいるなよ!)
勝五郎はそんなことを念じなが全力で駆けて行き、四半刻ほどで納屋のある若宮八幡の入り口に到着した。すっかり陽が落ちて辺りは暗くなり、木々が風に揺れてザーッザーッと轟音を響かせている。勝五郎が生唾を飲み込んだ時…また「ヒュー」「ピュー」と音の外れた笛の音が聞こえてきた。
勝五郎は
(やっぱり帰ってなかったのか!)
と歳三への怒り心頭で納屋へ向かい、その扉を開けて怒鳴る。
「オイッ!約束が違うぞ、歳三…!」
…しかし、そこに歳三の姿はない。きょろきょろと辺りを見渡すが隠れる場所がないことは知っている。
「歳三…?」
納屋の空気はまだ暖かく、歳三の荷物もそこに残されている。そして屋内は勝五郎が去った時よりも荒れてあちこち穴が開いているように感じた。
「歳三!おい、どこだ?!」
勝五郎は嫌な予感がして納屋を出て辺りを駆け回りながら歳三の姿を探した。人攫いに遭ったに違いない、やはり歳三を置いて家に戻るべきではなかったと激しく後悔し、なんだか急に息苦しくなってドクドクと動悸のようなものを覚えた。
(俺のせいで…!)
納屋から祠を通りすぎて参道へ戻る…すると無人の本堂の方から人影が近づいてきたので、勝五郎は木刀を構えた。
「な…っ何奴!」
少々声は裏返ったが、勝五郎がその人影に向けて威嚇すると、「ゲッ」と言う反応があった。それは聞き覚えのある声だった。
「……歳三か?」
「チッ…わざわざ確認しにきたのかよ。クソ真面目だな…」
歳三が参道を歩いて、勝五郎の目の前にやってきた。
「どっ、どこに行ってたんだ!」
「厠だよ!」
「か…かわや…」
約束を違えた歳三がいっそ開き直るように答える…しかし勝五郎は怒るどころかすっかり安堵してしまい、身体の力が抜けてその場に腰を抜かして座り込んでしまった。予想外のリアクションを目の当たりにして歳三は驚いた。
「ど…どうしちまったんだよ」
「安心した…。俺は…てっきりお前が人攫いに遭ったんじゃないかって…」
「はあ?」
「よかった…無事だよな」
「…ああ」
歳三は困惑しながら頷いた。
結局勝五郎は約束を破られてしまったことがすっかり吹き飛んでしまい、歳三をギュウっと抱き締めた。一方で歳三は状況はよくわからなかったが、勝五郎が本気で自分のことを心配しているのだということはよく理解した。
けれども男同士で抱きしめ合うのは気恥ずかしい。
「わ…悪かったな。心配かけて…もういいだろう?」
「ああ。…ん?待てよ」
勝五郎は力を緩めながら歳三の顔を見る。
「…だったらあの音は何だったんだ?」
「音?」
「ピューって、お前の下手な笛の音だよ」
「下手だと?」
「俺は笛の音が聞こえたから納屋に飛び込んで…そうだ、納屋も少し荒らされていた」
「さぁ…狸でも入り込んだのかな」
勝五郎は歳三の手のひらや腰回りを調べるが手ぶらで笛を持っていないので勝五郎をおちょくっているわけでもない。
急に勝五郎はゾッと寒気を覚えた。
「…本当に…ゆ、幽霊か?」
「まさか。虎落笛じゃねえのか?」
幽霊など信じていない歳三は風が竹垣や柵にあたって鳴る音だと考えるが、実際に音を聞いた勝五郎は腑に落ちずに青ざめてだんだんと冷や汗までかいてきた。
「おっ 俺の家に帰るぞ!」
「はぁ?嫌だって…」
「幽霊の出る場所に置いていけるか!人攫いどころじゃないぞ!」
「おい、俺の荷物は?」
「明日取りにくればいい!」
勝五郎は歳三の手を引いて強引に歩き出した。一歳差の勝五郎の背中は何故だかとても大きい…歳三はまたその手を振り払って拒むこともできたが、なぜだかその気にはなれなかった。
(…俺は約束を破ったのに、俺を責めないんだな…)
約束を破った歳三を咎めず、ただただ友人の身を案じている…勝五郎が愚かなほどまっすぐで思いやりのある素直な人間なのだと歳三は理解した。
二人は山道を抜けて開けた田んぼ道を歩いた。
「…勝五郎は剣をやってるのか?」
「うん?まあ、始めたばかりで我流だけどな。いづれはどこかの先生に師事して道場に入門したいんだ」
「まあまあ、恰好がついてた」
「本当か?!」
勝五郎は喜び振り返って満面の笑みを向けたので、歳三は少しひねくれて返した。
「…でもお前、農民の子だろ?剣なんてやってどうするんだよ、何の役に立つんだ?」
「武士になるんだよ。将軍様の役に立つだろう?」
「…はぁ?」
「強くなったら武士になれるはずだ!」
「…それ、本気で言ってるのか?」
歳三が怪訝な顔で尋ねたが、勝五郎は「ああ」と自信満々に答えた。
「だってあの太閤様だって農民から将軍になったんだぞ?武士くらいすぐになれるさ」
歳三は勝五郎がどれほど本気でそう思っているのか図りかねたが、彼の表情は生き生きとして眩しく屈託がない。周りは陰で彼のことを嗤っているのかもしれないが、歳三は勝五郎らしいと思った。
歳三は彼の少し後ろを歩いた。
「…そんな天変地異が起きたら、俺が勝五郎の一番の家臣になってやるよ」
「本当か?約束だぞ!」
それは何気なく、半ば冗談のつもりで交わした約束だった。
けれどそれがずっと二人の間を結び続けていた。







解説
なし


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