わらべうた




984


銀之助が屯所の金子家に戻ると、ぱったりと不思議な音は聞こえなくなっていた。
「もしかしてお祓いのおかげでしょうか?!」
銀之助は総司と英に勧められて、千駄ヶ谷からの帰路に神社へ立ち寄ってお祓いをしてもらったのだが、それ以来気分が軽くなって納屋から不気味な気配を感じるようなこともなくなり、眠れるようになったと言う。
そうしてあっさりと幽霊騒動は収まったのだが。
「銀之助は幻聴だったと納得したようだが、あれはお前だったんだろう?」
近藤は新入隊士の名簿を持ってきた土方に問いかけた。土方は最初はシラを切った。
「…何の話だ?」
「誤魔化さなくていい。前にも似たようなことがあっただろう。お前の笛の音が悲鳴のように聞こえた」
「…そうだったな」
土方は名簿を閉じて苦笑した。隠したところで近藤はすでに確信を持っている表情を浮かべていたので、観念する。
「久しぶりに吹いてみると不調法な音しか出なかった。だから人前で練習するのは気が進まなくて夜中に人気がない場所で吹いていたんだが…」
「それを銀之助が幽霊だと勘違いしたんだな」
「まったく、失礼なやつだ」
土方は少しずつ様になってきたつもりだったのに幽霊の悲鳴だと勘違いされ、怖がった銀之助が広めたものだから今更言い出せなくなってしまったのだ。もっとも野村はその音について『幽霊よりも怖い』と言っていたので土方が吹いていると察していたはずだ。折を見てネタバラシするつもりだろう。
近藤は手にしていた湯呑みを空にして茶托に置いた。
「ここにはお前の趣味が句作や笛だってことを知ってる者はあまりいないからなぁ。…でも、どうして笛なんて再開したんだ?お前だって忙しいだろうに」
「…総司が聞きたいと言ったからな」
「総司が…」
千駄ヶ谷の柴岡邸の前で、見事に咲き誇る梅を見上げながら総司が言った。総司にとっては何気ないことかもしれないが彼が言うことなら多忙でも気が進まなくとも何でも叶えてやりたい…そんな土方の切実な行動を知って、近藤は言葉に詰まる。
「……この間、千駄ヶ谷を訪ねたが随分痩せていたな。俺の前ではいつも通り振舞っていたが…それが逆につらくてなぁ…俺は気づかないふりをするので精いっぱいだよ」
「かっちゃんはそれでいいんだ。あいつだって隠し通せているなんて思ってない…だから励ましや慰めをわざわざ形にしなくていい」
「…だが、俺だって総司のためにできることなら何でもするぞ?」
「だったら会いに行ってやってくれ」
顔を見るのが辛くても、痩せ細る姿を直視できなくとも近藤が足を運んだという事実だけでどれほど総司の心が明るくなるのか、土方には手に取るように想像できる。総司にとって近藤は陽だまりのような存在なのだから。
近藤は「そうか」と少し考えこんだ後、
「だったらお前の発句集を持って行ってやろう」
と手を叩いた。当然土方は嫌な顔をした。
「…発句といい、笛といい…今日は俺を虐めたいのか?」
「ハハ、違う違う。この間総司とお前の発句の話になって…総司がお前の発句集の最後の句が思い出せないと言っていたんだ」
「梅のやつか…」
「ああ。『梅の花 咲ける日だけに 咲いて散る』…試衛館にいた頃ならただ梅の儚さを詠むにしては淡白だと笑っただろうが、いまはそうは思わないよ。お前の覚悟を感じる」
「…そんなたいそうな句じゃない。あれは…ただの真似事だ」
土方が昔のことに思いを馳せていると、ぽつり、ぽつりと雨の音が聞こえた。曇り空が耐えかねたように涙を漏らしていた―――。


勝太と歳三が出会った翌年、嘉永元年に十五歳の勝太は近藤周助(のち周斎)に入門し、数か月で目録の腕前に達した。勝太は兄二人とともに入門したのだがその抜きん出た腕前を見込まれて嘉永二年には養子に迎えられ、周助の実家である姓である島崎勝太を名乗っていた。
その間、二人の友誼は途切れることはなかったが、わざわざ熱心に連絡を取り約束してまで会うこともなかった。勝太は師匠の周助とともに多摩や日野一帯の出稽古に積極的に出かけていたため、日野の名主の佐藤彦五郎の義弟として顔を合わせる機会はあったが、会って話をしても歳三がすぐに切り上げてしまう。何故なら勝太が熱心に入門を誘うからだ。
「歳、あちこち遊び歩くくらいなら剣を鍛えたらどうだ。楽しいぞ!」
「嫌だ、興味ないね」
初めて出会ったときは白皙の美少年という風貌であったが、数年経って背丈が伸びおなごに間違えられるようなことはなくなったものの目立つ容貌は相変わらずで、歳三はあちこちで浮名を流していた。彼の義兄の彦五郎は苦笑するだけで強くは言わなかったが、勝太はふらふらと根無し草の歳三をどうにか剣の道へと導きたかった。なぜだか、そうすべきだと思ったからだ。
佐藤家の道場で稽古が始まろうとする頃、歳三が裏口からこっそり逃げ出そうとしたので勝太は追いかけてその腕をとって引き留めた。
「いい加減にしろよ、かっちゃん!」
「…稽古だけでも見ていけよ。俺も上達したんだぞ」
「俺はいい。人の稽古を見てるだけなんてつまんねえに決まってる。まるで僧の苦行だ」
「だったら竹刀を持って稽古に」
「お断りだ」
歳三は勝太を振り払おうとするが、握力の強い勝太はびくともしない。歳三は悔しそうに何度も腕を上下したが勝太に抑え込まれてしまう。
「くそっ」
「歳、お前、俺の一番の家臣になるんだよな?」
「まだその約束、覚えてやがるのか。だったらお前こそ本当に武士になってから言えよ。互いに同じ農民の子だけどな」
「…」
強くなれば武士になれる―――なんて甘い考えは流石に十六の勝太にはなく、どうしようもない身分の壁というものが遠くに聳え立っているのだと理解していた。だからこそ歳三の現実的な言葉は重く肩にのしかかる。勝太は島崎家へ養子入りしたがそれでも身分は農民のまま、試衛館を継ぐことができてもそれが限界だろう。その先の武士という夢は天がひっくり返られない限りあり得ないのだ。
「じゃあな」
歳三はようやく勝太から逃れて裏口から出ていった。勝太がしばらくその場に立ち尽くしていると、そのやりとりを見ていた義兄の彦五郎がやってきた。
「すまないね、義弟はひねくれ者で」
「…いえ」
「あの風貌だからおなごにちやほやされてあちこちで遊んでいるみたいだが、そろそろお灸を据えてやらないとどこかでやらかしそうだ。…別に剣をやれってわけじゃない、勝太君のように腰を据えて一つのことに取り組んでくれれば良いのだが…」
彦五郎は腕を組んで「ううーん」と義弟を憂う。しかし勝太には気になることがあった。
(歳の腕…太くなっている)
さきほど勝太が引き止めた時、細身の歳三の二の腕が少し鍛えられているように感じたのだ。
(あいつ、少しは考えてくれているのかもしれない)
勝太がそんな希望を見出した―――ところが、その数ヶ月後。勝太がまた日野へ出稽古にやってくると、歳三の姿がなかった。それどころか彼の私物も片づけられていたので不思議に思い、彼の姉で彦五郎の妻であるのぶへ尋ねると嬉しそうな顔でその理由を教えてくれた。
「ようやくまた奉公へ行ったのよ」
何でも土方の兄で家長の喜六が再び奉公先を見つけてきたのだそうだ。歳三はもちろん嫌がったが、親代わりの喜六に説得されて嫌々奉公へ出たらしい。喜六は歳三の十五年上の次男だが長男の為次郎が眼疾のため家督を継ぎ、土方家を支えている大黒柱だ。そんな喜六へ反発していた歳三だが、奉公先を逃げ出した前科があるので強く拒むことができなかったのだろう。
諦められないのは勝太の方だった。
「で…でも、歳は自分には向いていないと…」
「そうそう、我が強いから。でも前に奉公に出た時はまだ十二だったから、心境の変化もあるはずだと喜六兄さんは言っていたわ。それにあの子は末っ子…大作兄さんだって家を出て養子に出ているのだから歳三も自分の生き方を見つけないと」
「…」
のぶは至極当然のことだと語るが、勝太はぽっかりと心に穴が開いたような気持ちになってしまった。













解説
なし


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