わらべうた
985
千駄ヶ谷でも雨が降っていた。
外で遊べずに暇を持て余していたたねが離れにいる総司の元へやって来た。
「宗次郎、元気?」
「…大丈夫、おいで」
総司はゆっくりと体を起こした。長く眠ったせいで身体が重たかったが、幼いたねに付き合うくらいならなんてことはない。たねはお手玉を持ってきてひょいひょいと投げるがなかなか受け止めることができない。
「宗次郎はできる?」
「どうかなあ…」
お手玉遊びなんて一体いつぶりなのだろうか。総司が二つのお手玉を高く投げると小豆の音がしゃんしゃんと小気味よく響いてぐるぐると回った。たねが手を叩いて喜んだ。
「じょうず、じょうず!」
そうしていると賑やかな様子に誘われて姉のあさが顔を出した。あさは恥ずかしそうにもじもじしてなかなか部屋に入ってこないので総司が手招きすると、ようやくあさがたねの隣に腰を下ろした。
「宗次郎、あさは三つでできるよ」
「へえ、すごい。見てみたいな」
あさは尻込みしていたがたねがお手玉を三つ渡すと、器用に回し始めた。
「本当だ、おあさちゃん、上手だねえ」
「ふふ…」
総司が褒めると普段は恥ずかしがり屋のあさから笑みがこぼれ、たねも自慢げに胸を張る。病の療養という暗い影が二人によって払われたように部屋になかが一気に明るくなって、総司の心も温かい。
(世の中にはこんな形の幸せもあるんだな…)
決して自分では得られない幸せな光景のおすそ分けをしてもらっている気分だ。
総司が二人の様子を目を細めながら眺めていると、庭の方から傘を差した訪問者が現れた。裏口から出入りするのは総司に会いに来る者に限られている。
「土方さん」
「どうだ、具合は」
「御覧のとおりです」
総司は寝床にいたが、二人の娘たちに囲まれて遊び相手をしている。土方は「良さそうだな」と小さく笑いながら縁側に腰かけて傘を畳みブーツを脱いだ。
内気なあさは土方を見て総司の背中に隠れるようになってしまったが、好奇心旺盛なたねは見たことのないブーツに興味津々で、躊躇なく土方に近づいていった。
「これ、なぁに」
「…靴だ」
「靴?重たそう。たねも履いてみたい!」
「…大人になったらな」
「大人になったら履ける?」
「たぶんな」
英と同様に幼い子供に免疫のない土方だが、世話になっている柴岡の娘たちなので気を使ってやりづらそうだ。たねは短髪で洋装の土方が物珍しいようでその大きな瞳で頭の先からつま先まで眺めている。土方の目が泳いでいたが、総司はその様子を見ながら笑いを堪えていた。
すると母屋の方から見習いの弥兵衛がやって来た。
「お嬢様方、書のお稽古のお時間です」
「はぁい」
あさとたねは総司に手を振って去り、弥兵衛は土方と総司に軽く会釈した。その視線には意味深なものを感じたものの弥兵衛は足早に去って行ってしまったので総司は引き止められなかった。
土方はようやくブーツを脱いで縁側から部屋へ上がった。柴岡の計らいで裏口から離れにはいつでも出入りできるようになっていて、まるで総司の小さな家のようだ。
土方は総司に寝床の傍に腰を下ろした。
「雨が降っているのにわざわざ来てくれたんですか」
「雨は嫌いじゃない。…英は?」
「今日はお加也さんの手伝いに行きました。終わったらお加也さんが一緒に診察に来てくださるそうです」
「そうか、久しぶりだな」
「はい」
総司は土方の肩口の雨粒を払う。
「それにしてもあの見習い…やはりお前の知り合いじゃないのか?何か言いたげな顔をしていた」
「土方さんもそう思いますか?でも思い出せないし、どうも話そうとしたら逃げられてしまって…」
いつか思い出せるだろうとたかをくくっていたがその兆しさえない。総司は降参して弥兵衛に問うてみたいような気がしたが、彼は総司との会話を避けているし、万が一弥兵衛との関りによって柴岡に迷惑がかかるようなことになっては…と思うと二の足を踏んでいた。それくらい総司にとってここは心地良い場所なのだ。
土方は「まあ気長に考えろ」と雨に濡れた上着を脱いだ。
「近藤先生から源之助のこと聞きました、無事でよかったですね」
「ああ…源之助には何も知らないし、何の罪もない。義兄さんや姉さんにも無事で元の暮らしに戻ってほしいが…」
「いま日野はどんな様子なんですか?大石さんは戻りました?」
土方は袖のボタンをはずしながら小さくため息をついた。
「…大石はまだ戻ってない。もう少し日野に残ると文を寄越した」
「へえ…」
「大石にとって義兄さんは恩人らしい。春日隊の処分が決まらないのが気がかりなようだが…やはり隊には斥候役ができる人材を置いておきたい。大石には早く戻れと返事を出したが…」
土方は大石がもう戻ってこないのではないかという予感があった。今まで紆余曲折あって監察方として黙々と働いてきた大石が初めて自分の意思を持って反抗しているのだ。
総司はこれまでのことを思い出した。
「土方さん…もう大石さんへの罰は終わりでいいんじゃないですか。 造酒蔵さんを殺した今井さんも伏見で戦死したんですから、互いに罪は贖ったと思います。もう自由にしてあげても誰も責められませんよ」
不運な出来事によって大石は弟を殺され、その復讐を企てたことで監察方へ異動となった。それから彼は己の感情を殺して新撰組のために裏方の仕事に尽くしてきたのだ…都を去ったこっとを一区切りとして、大石の気持ちを尊重しても良い頃合いだろう。
けれど土方はなかなか頷かなかった。
「…あいつのことをもう罰しているつもりはないし、責めるつもりもない。だが、いまは新しい隊士が増えて統率しきれない状況だ。俺はいち隊士として、監察として大石の存在が必要だと思っているだけだ」
「…そうですか」
土方には過去の因縁を越えて大石を認めていることがわかり、総司は隊を離れた自分が口出しすべきではないと悟った。
雨脚が弱くなってきた。春の雨はまるで移り気で雲の合間から優しい陽の光が差し込み、水溜まりを照らし始めている。総司は外から視線を移していると、土方がじっと見つめていることに気が付いた。
「どうしました?」
「いや…ここに来る前、かっちゃんと昔話をしていた。お前が試衛館に来る、ずっと前のことだが…」
「それは是非聞きたいな」
「…また今度な」
土方は総司に横になるように促した。柴岡家の姉妹たちと遊んで少し疲れていることに気がついていたのだ。
総司は土方の指先を自分のそれと重ねて
「…歳三さん、目が覚めるまでいてください…」
と頼んだ。
土方は「もちろんだ」と答えた。
勝太が歳三と再会したのは、江戸の伝馬町でのことだった。勝太が賑やかな日本橋へ足を運ぶ機会はあまりないが周助のお使いで反物を買い求めに来たところ、路地でばったり出くわした。
「歳!」
半年ぶりの再会に勝太は大いに喜んだが、歳三の方はクールに「おう」と片手を上げるだけだ。歳三は松坂屋の支店にあたる亀屋という木綿問屋へ奉公していて、老舗の奉公人らしく小奇麗な格好に身を包み、その整った顔立ちが余計に目立っていた。
「勝太は師匠のお使いか?」
「む?なんでわかった?」
「ハハ、お前が一人でこんなところに来るものか」
身綺麗な姿でも笑う顔は相変わらずで、勝太は少し安堵する。
「奉公はどうだ?前よりも続けられそうか?」
「…どうかな。つまらねえのはつまらねえけど…やりたいことはねえし…」
ぼやく歳三の腕を勝太は再び掴んでみた。突然のことに歳三は驚いて後ずさる。
「なっなんだよ!」
「…やっぱりお前、稽古してるんじゃないのか?」
「…なんの稽古を」
「剣術だよ!前よりも太くなってるじゃないか」
勝太ほどがっしりというわけではないが、細身に見えて歳三の腕には腕力がある。勝太は歳三が剣術のために鍛えてくれているのだと喜んだが、歳三は「ふん」と鼻で笑った。
「馬鹿だな、下っ端の奉公人なんだから重てえ荷物を持つばっかりだ。それで鍛えられただけだ」
「でも…」
「何度も言ってるが、俺は剣術に興味はない。農家の末っ子が剣術なんて身に着けてどうなるんだよ、それで食っていけるわけがない」
「そんなことはない!俺だって農民の出だぞ」
勝太は食い下がったが、歳三はまともに取り合わなかった。
「俺と勝太は違う。…お前は好きな剣術に打ち込んで、師匠に望まれて養子になって…いずれは道場主になるんだろう?その席は一つしかないし、俺にはその席が用意されてない」
「…歳…」
「言っておくが別に卑屈になっちゃいない。ただ俺にはその道が向いてないんだよ」
歳三は勝太の手を振り払い、着崩れた襟を直す。歳三にはそのつもりがなくとも、勝太には酷く拒絶されたような気がして落胆していた。
そこへ
「あぁん、歳さん。こんなところにいた!」
年増だが色気のある女が駆け寄って、歳三の腕に胸を押し付けるようにすり寄った。勝太は大胆な仕草に怪訝な顔をしたが、歳三はふっと笑って女の肩を抱くと
「じゃあな」
と手を振って去って行ってしまった。
なし
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