わらべうた
986
それから勝太は天然理心流の免許まであっという間に駆け上がって取得した。鍛錬を重ねるとこの道ほど自分に合うものはないと確信する…厳しい稽古でもひたむきに努力ができる、突き詰めれば突き詰めるほど面白く感じる…そんな日々だった。
ある日、勝太は周助と向かい合っていた。真剣な面持ちの義父を見て、(きっと大事な話だろう)と勝太も力が入る。
「お前を正式に近藤家の養子にしたい」
「…」
勝太は義父の言葉をゆっくりと受け止めた。
師匠であり養父である周助に請われて断る理由などなに一つもなく、いつかこの日が来るのは島崎家の養子になったときからわかっていたことだ。正式に近藤家の養子になれば天然理心流試衛館の跡取りとなり、田舎剣法とはいえいち道場の主…勝太の人生は盤石なものとなるだろう。
しかし勝太は深々と頭を下げた。
「有り難いお話ですが、お義父上…少し、お時間を頂けませんでしょうか」
「何故だ?まさか気が進まぬのか」
「いえ、私には勿体無いお話です。しかし近藤の者となる前に…どうしても説き伏せたい者がいるのです」
「説き伏せる?」
「入門させたい友人が」
勝太はどうしても歳三のことを諦められなかった。本人も周りも望んでいないのだとわかっていても、このまま近藤家の一員となってしまったらますます歳三との道が分かれてしまいそうで…それはどこかに大切な忘れ物をしているかのように居心地が悪いのだ。独りよがりだとわかっていても、歳三の本心はきっと自分と同じ方向を向いている…そんな確信があったからこそ、養子になる前に決して本心を教えてくれない歳三ととことん話し合いがしたかった。
傍にいた周助の妻であるふでは
「勝手な!」
と叱ったが、周助はそんなふでを宥めて理解を示した。
「お前は黙っていなさい。…大事なことは、我々が勝太を養子にしたいと思い、勝太も同じ気持ちだということだけだ。勝太に気掛かりがあるなら急くつもりはない…ただ、各所に話は進めておく。早めに片をつけよ」
「はい!」
周助もまた養子として試衛館を継いだからこそ、勝太の心情に理解を示した。ふでを怒らせてしまったが、普段から勝太のことを気に入らないようなので仕方ないだろうし慣れているので平気だ。
勝太は早速自室に戻り、稽古着を脱いだ。
(待てよ…歳三に会って、どうやって説得したら良いんだ?)
あれから数ヶ月経ち、佐藤道場に足を運んでも歳三の姿はないので奉公先でうまく馴染んでいるのかもしれないのに、そんな歳三を無理やり自分の道に引き入れて良いのか。今更、ほんの少しの迷いを感じたが、
(いや、俺の気持ちを素直にぶつけるだけだ。拒まれればそれまで…一念岩をも通ずって言うだろう!)
勝太は己を鼓舞しながら、試衛館を出た。
日本橋。以前、歳三に偶然出会した場所に足を向けたがそう何度も偶然は起こらずどこを見渡しても歳三の姿はない。
(…しまった、店が閉まる頃に足を運べばよかった)
周助に急かされたので勝太はつい道場を飛び出したが、今の時間だと商いのかきいれ時…仕事を邪魔してしまうだろう。勝太は歳三の奉公先の近くの茶屋でしばらく時間を潰すことにした。
活気のある日本橋で働く人々は泥臭く生きる自分とはどこか違う。店の軒先で飄々とした笑みを浮かべ、決まったやり方に則って店を回していく…我の強い勝太にはきっと生涯縁のない世界だろうが、世渡りの上手の歳三なら出世できるのかもしれない。
『席は一つしかないし、俺にはその席が用意されてない』
勝ち気な歳三らしくない、負けを認めるように言い放った言葉がいつまでも忘れられなかった。そんなことはない…と否定しようにも、勝太が歳三に示せるような確かな将来像など何もなかったからだ。それは今も変わらない。
(…やはり、貧乏道場主の俺に誘われたって嬉しくはないか…)
現実を目の当たりにして少し気が滅入ったが勝太は注文した大福を頬張って自分を誤魔化した。程よい甘さに自然を笑みがこぼれてしまう…すると目の端からすっと見覚えのある影が横切った。
「…!」
歳三だ…と気が付いたものの、勝太は大福を口いっぱいに含んでいたので声が出ない。歳三は足早に歩いて行ってしまうので慌てて茶を流し込んで飲み込み、銭を置いてその背中を追いかけた。日本橋の肩が触れ合うような人込みをかき分け、「すみません」「すみません」と先を急ぐが、歳三を見失ってしまった。
(そんなはずはない。脇道に入ったのか?)
勝太は踵を返してきょろきょろと辺りを見渡しながら歩くと、隅田川へ向かう小道を見つけた。妙な勘が冴えて、勝太はその道に入りしばらく歩くと…雑草だらけの河川敷で歳三が三、四人の男に囲まれている光景が目に入った。
「と…っ」
歳、と声をかけようとしたが余計な手出しをしては歳三に叱られるだろうし、相手は歳三と同じ奉公人のようだから内輪揉めに部外者が口出しはできない。勝太は近づいて草叢の影に身を潜めて聞き耳を立てた。
「おい、聞いてんのか?!」
「生意気な奴だ」
「新入りの分際でお春に近づくなっ」
…予想通り、女関係の揉め事らしい。歳三の相変わらずな様子に苦笑しつつもため息が漏れてしまう。
どうやら相手は先輩奉公人たちのようだが、歳三は偉ぶる彼らに諂うことはなく、むしろ余裕綽々の態度だ。
「…お春ってのは、誰でしたかね」
「ハァ?!」
「てめぇ、ふざけてんのか!」
「いや、本当に心当たりがなくて…この見目を気に入って騒いでいる女子は両手では足りず」
歳三は自分の顔を指さしながら揶揄うように笑う。確かに歳三の見た目は他の奉公人よりも秀でていて、同じ服装なのに一人だけ役者のような出立ちに見えてしまうのだ。それを自覚している歳三の振る舞いは当然、奉公人たちの反感を買い怒りを煽った。
「この野郎!」
「あっ」
勝太は小さく声を漏らした。一番恰幅の良い奉公人が堪えきれずに手を上げた。歳三は頬を殴られてふらついたが、敢えて避けなかったのだろう…そのまま身を翻して思い切りやり返すと、頬に的中した拳はパーンと小気味良い音を立てた。
「グゥッ!」
不意打ちを喰らった奉公人はその場に尻餅をつく。歳三よりも一回り以上大きな体躯が転げる姿に勝太は驚いたが、歳三は殴った拳を振りながら
「…喧嘩両成敗ってことで」
と不敵に笑った。ただの優男ではない…と察した他の奉公人たちはそれ以上はやり返さずに憎々しく睨んだが、歳三は意に介さずその場を後にした。
勝太は奉公人たちが去っていくのを待ってから草叢から出て歳三を追った。歳三は元来た道ではなく隅田川沿いを早足で歩いたので、勝太は走って追いついた。
「歳!おい、待て、歳!」
「…勝太?なんでこんなところに」
歳三は驚いていたが、顔の半分が引き攣っていた。
「歳、頰が腫れているぞ。すぐに冷やそう」
勝太は歳三の腕を引いて再び河川敷に降りて、川の水で手拭いを濡らしてその頬を冷やした。明日には赤く腫れてしまうかもしれない。
「どうだ?」
「くそ、当たりどころが悪くて口を切った。あの野郎…喧嘩も下手くそか」
「…すまん、歳、実は…」
「どうせどこかで見てたんだろう?」
「なんでわかった?」
「顔に書いてある」
「…」
勝太にはそのつもりはなかったが、めざとい歳三にはバレバレだ。
「あんまり大事にするなよ。あれは同じ店の奉公人たちだ」
「…お春というのは?」
「あの、殴り返してすっ転んでた奴の懸想相手だ。隣の隣の店の女中だよ」
「何だ、知ってるんじゃないか。まあ…顔が良いと何かと僻まれて大変だな」
歳三の容姿では周囲が勝手に騒いで片思いをしている女子など数えられないほどいるだろう。勝太は歳三が巻き込まれたことに同情すると、彼は「フッ」と笑った。
「勝太は相変わらずお人好しだな。あれはとぼけただけで、お春とは関係があって、少し前に別れたんだよ」
「はぁ?じゃあお前、もう既に手を出してたんだな!…あ、もしかしてこの間の女か?」
勝太は前回の別れ際に歳三を迎えにやってきた年増の女のことを思い出したが、
「この間の女ってどの女だ?」
と歳三は首を傾げた。勝太はますます脱力してしまった。
「お前なぁ…真面目に奉公人をやっているかと思えば、取っ替え引っ替え…」
「向こうからやってくるんだ。相客商売だから無碍にはできないだろう…少しは相手してやらねぇと」
「…いつか痛い目に遭うぞ」
「そうかもな」
歳三の日和見に呆れながら勝太は「もういいだろう」と頬を冷やしていた手拭いを取り上げた。
歳三は素行が悪いわけではないが、女関係だけはだらしなく彼の義兄や姉も心配していたので予感的中だということだろう。
(とてもおのぶさんには言えないな…)
二人はその場に腰を下ろした。川べりには心地良い風が流れていて、歳三の少しだけ乱れた髪が靡いている。日野にいた頃よりも奉公人らしく身綺麗にしているため、端正な顔がより際立って見える。
「勝太と会うのは…一年ぶりか?あの時よりもデカくなってねぇか?」
「そうかもな。前に会った時は目録だった」
「今は?」
「免許まで取ったぞ」
「へえ、すごいな」
歳三の飾らない賞賛は勝太にとってどこかくすぐったく、少し照れて鼻をかきながら報告を続けた。
「だから…近いうちに近藤家の養子になる」
「ふうん、ついに試衛館は勝太の道場になるのか」
「そうだな」
「暇があったら顔を出すよ」
「こ、これを機に入門してはどうだ?」
勝太は思い切って切り出したが、歳三はあっさりと
「嫌だよ」
と答えた。
「勝太もしつこいな。俺は剣術なんて興味ないんだ、性に合わない」
「だったら、ずっと奉公人のままか?」
「…どうかな。飽きたらまた別のことを考えるかもしれねぇ」
「じゃあ入門を考えてもいいだろう?少しくらい検討してくれよ」
「…」
それまで饒舌に返答していた歳三だったが、入門を誘うとだんだんと顔色が変わっていった。
「…勝太には向いてるかもしれねぇけど、俺にはそうじゃないんだ。何度も何度も言ってるだろう?何で諦めてくれねぇんだよ」
「わからん」
「おい」
「わからんが、ここでお前を諦めたら後悔するような気がしたんだ」
勝太はそう言い張ったが、歳三の方はついに
「それはあんまりにも無責任だろ」
と言い返した。
「…無責任?」
「勝太の言う通り、奉公やめたら今度こそ勘当される。実家に戻りたいなんて思わねえが、そのあと剣を身につけたところで俺は一体何者になれるって言うんだ。もし子分が欲しいだけなら他を当たってくれ」
「子分だなんて思っていないが…責任を取るなら、一緒に来てくれるのか?」
「はあ?」
歳三は話が通じない勝太にほとほと呆れていたが、勝太の方は目を輝かせた。
「責任だとかそう言うのは一旦棚上げして、つまりお前の本心は、やりたいことは、俺と同じってことか?そういうことだよな??」
「…」
「じゃあ、俺が責任を取ってやるよ!お前の人生を引き受ける!」
歳三はぽかんと口を開けて呆気に取られたが、勝太は歳三の肩を抱き、既に話がまとまったような口ぶりだ。
歳三は深いため息をついた。
「…勝太は女を口説く時もこんなふうに誘うのか?」
「俺は女なんて口説いたことはないぞ」
「じゃあ童貞か。確かに童貞の言いそうな夢みがちなことだよ…」
「童貞童貞うるさいな」
歳三はふん、と鼻で笑った後、思いっきり勝太を突き飛ばして離れた。そして立ち上がるとぱんぱんと草を払い、言い放つ。
「俺は店に戻る。しばらく顔を出すなよ」
「歳…」
「俺は女じゃねえ。てめぇに助けてもらおうなんて今まで一度も思ったことがねぇし、これからもそのつもりはない。…てめぇの人生はてめぇ一人で進め」
歳三は苛立って去っていった。
その場に残された勝太は「おい!」と呼んだが、歳三は一度も振り返ることはなかった。
なし
拍手・ご感想はこちらから

