わらべうた




988


歳三は頼まれていたお遣いをさっさと終えて、番頭へ「腹の具合が悪い」と嘘をついて暇をもらった。そして春に会わないように人目を気にしながら店を出て、小道を進み、川沿いにやってきた。
(かっちゃんとここで喧嘩別れして以来だ…)
先日のことを思い出しても今は怒りが込み上げることはなく、ひたすらに気味の悪い春の笑みだけが思い浮かんだ。歳三は頭をくしゃくしゃとかきながら、草叢に腰を下ろす。
(孕ったってマジか…?)
十七の歳三には現実味がない。もちろん『コウノトリが運んでくる』なんて子供騙しを信じているわけではなく、手を出したのは間違いないのだが、自分がその当事者になるなんて思いもよらなかったのだ。
(赤子ができたって…どうするんだよ、所帯を持つ?俺が??)
隣の隣の店の女中である春だが、確かその店の主人の親戚の娘だと言っていた。歳三の奉公先と比べると大きな店ではないが、このような醜聞が広まればどうなるか…自分の生き方すら曖昧な歳三はどうにか自分がそこから逃れたいと思うばかりで、情けないことに覚悟を決めて春と一緒になろう、とは微塵も思えなかった。
「…夫婦にならなきゃ、番頭に言いつけるって言ってたな…」
番頭から主人へ、そして実家の兄へと話が伝わる。今度こそ勘当されて…故郷にも江戸にも居づらくなるだろう。
「…っ、あーっ!くそ!」
歳三が感情を爆発させるように天を仰いで叫んだ時、
「おい、歳、どうした?」
「…?!」
顔を覗き込んできたのは勝太だった。いつの間にか歳三の近くにいたらしい。
「か、…勝太?なんでここに」
「うん、この辺りに用事があってな。今度こそお前を説得したかったから、会えてよかったよ」
「お前…まだ懲りてねえの?」
歳三は苛立ちを通り越して呆れてしまった。こっ酷く断ったつもりが、勝太には全く響いていなかったようで何食わぬ顔で笑っているので脱力してしまう。
「勿論だ。俺の気持ちは変わらないし、本気だってことをお前にわかってもらうまでは諦めないぞ。まあ、お前は頑固者だから俺が近藤の養子になるのが先になってしまうかもしれないが…」
「……」
「歳?」
歳三は唖然と勝太を見つめた。
「…勝太、お前は馬鹿なのか?」
「うん?」
「俺なんかを入門させてどうするんだよ。俺なんて大したことない…くだらない、下の下だ。それに好きでもない女を孕ませちまうような最低野郎だぞ」
「…は、孕ませただって?!」
勝太は目を剥いて驚き、「詳しく聞かせろ!」と促した。歳三はもうどうでも良い気持ちになって包み隠さず吐露した。
「例のお春だよ。今朝、突然…月のものがない、俺の子を孕んだから夫婦になれと言ってきた。夫婦にならなければ酷い目に遭ったと番頭に言いつけるそうだ」
「…身に覚えがあるのか?」
「なくはない。でもお春と恋仲だったのは五日ほどだ」
「五日?!たった五日か?」
「これでも長続きした方だ」
歳三の言葉に勝太は脱力する。女を取っ替え引っ替えしていると義兄の彦五郎から聞いていたが、言葉通りだったのだ。
歳三は深いため息をついて落胆していたが、勝太は冷静に考える。
「…お前がその、お春と別れたのは?」
「半月前だ」
「じゃあお前がお春と恋仲だったのは二十日前から十五日前の間のことだな」
「そういうことだ」
「だったら少なくともお前の子とは言えないぞ?」
「え?」
歳三は驚いて顔を上げたので、勝太は続けた。
「女子の月のものはだいたい一カ月周期だ。お前と別れて半月なら、赤子ができたかどうかなんてまだわからぬはず。月のものがないと大騒ぎするには早すぎるだろう」
「…お前、童貞だろ?なんでそんなこと知ってるんだ?」
「うるさいな、俺の母は月のものが重くて毎月癇癪を起こす時期があるんだ。だからなんとなくな」
「へぇ」
俗っぽいことは歳三の方が物知りなのに、勝太の知識が上回ることがあるのだと少し笑えた。しかしそう言われてみると春の様子は尋常ではなく、『赤子ができて夫婦になれる』というのに幸せそうではなくどこか鬼気迫っていた。
「…じゃあ俺はお春に騙されたのか?」
「さあな。お前以外に男がいたのか、まるっきり方便なのか…聞いてみたらいい。でもきっと歳が未練を残すような別れ方をしたんだろう。そのお春というおなごも大概だが、お前も悪いぞ」
「……」
女に騙されたからと慰めるわけではなく、間違ったことは間違っていると言える…正義感の塊である勝太らしい叱責だ。しかし歳三はその言葉がスッと心に沁みた。
「…そうだな、勝太の言う通りだ。俺が悪い」
「ちゃんと話をつけて来いよ」
「そうする」
歳三は素直に受け入れて、草叢で四肢を投げ出して脱力した。遊びのつもりが春に振り回され、奉公人たちに殴られた自分が酷く下らない人間のように思えて…自嘲するしかない。
「勝太、やっぱり俺なんて引き入れても良いことはないぞ。俺の性分は変わらないし、入門したところでお前みたいに剣だけに打ち込めるとは思えない。きっとふらふらして迷惑をかける…お前の評判を落とすだけだから、やめとけよ」
歳三は客観的な助言をしたが、勝太は笑い飛ばした。
「やってみないとわからないさ。それにお前、本当の本当は剣術の稽古をしていたんだろう?」
「…見よう見まねの、真似事だ」
「俺だって同じだ。最初は木の棒を振っていただけ…でも普通はそのうち飽きる。だからお前が本当にふらふらした適当な奴なら、こんなに逞しい二の腕を持っているはずがないんだ。お前の中に剣に対する熱意があったはずだ」
勝太は歳三の硬い腕を掴んだ。もちろん勝太の方がガタイが良いが、歳三も細身とは言えない体つきになった。
「…買い被りすぎだ。喧嘩をふっかけられることが多いから、鍛えただけだ」
「きっかけはなんだって構わないさ。どんな理由があってもいつか将軍様のお役に立つ…天領の民として生まれた者の使命だ」
「将軍様ねえ…」
(お前が生きようが死のうが、剣を鍛えようが槍を鍛えようが…将軍様の耳に入ることはないだろうけどな)
けれどそんな憎まれ口もきっと勝太には何の意味もなく、聞き流されてしまうだろう。
目の前の隅田川は流れ続けている。歳三が小石を投げ入れたがまるで何事もなかったかのように知らん顔で自分の行く道だけを見つめ続けている。
(こいつも一緒だな…)
何を言ったところでもう勝太の意思は変わらない。そして歳三自身のなかにほんの少しでも『勝太と生きてみたい』という思いがあることも事実であり、勝太は無意識にそれを見抜いているからこそ諦めずに足を運んでいるのだろう。
「勝太、ひとつ聞いていいか?」
「うん?」
「なんで俺なんだ?お前とは偶然あの納屋で出会っただけだ。お前の相棒になるほど親しくもないし、一緒に過ごしてきたわけじゃないのに」
「それは…上手く言えないなあ」
「上手く言えなくていいからちゃんと言え」
歳三がこっ酷く拒んでも、厳しく突き放しても勝太は諦めなかった。勝太は『何となくだ』と言ったが歳三は曖昧なまま人生の大きな決断はできない。
すると勝太は「うーん」と呻った。
「…歳は俺とは全然違う…俺の周りにいる者とも違う。俺よりも年下なのに世間をよく知っていて知恵が回る。俺とは見ている場所が違うような…そんな気がした」
「…俺もそう思う。俺とお前は全然違うよ」
「だからお前が良いって思ったんだ。…俺は今まで剣の腕だけを鍛えきた。養子に入って、いつか道場主になるだろう…確かにそれは喜ばしいことで恵まれているのだろうが、俺一人の力では田舎剣法の貧乏道場主が限界だ。何故なら俺にはその先の展望がない…世間のことがわからないからだ。だからお前のような視野の広い知恵者が傍にいてほしい。世の中のことをよく知って、俺の知らないことを知っている…お前が傍にいてくれれば俺たちは最強だろう?」
「…っ…」
(ちゃんと言えるじゃねえかよ)
勝太が嘘なんてつくはずがない。大袈裟に話したわけでもなく、彼の心の内にある素直な気持ちなのだ…それを理解した歳三は口ごもってしまうほど照れくささったが、勝太の表情は真剣そのものだ。
(本当の男前っていうのは、こういう男を言うのかもしれねえ…)
顔の造形ばかりを褒められる自分とは違う。その背中についていけば、自分の生きざまも少しはマシになるのではないか―――。
「…ん?どうした?」
「いや…どうやって落とし前を付けようかなと」
「そうだよなあ、おなごの名誉にかかわる話だ。お春が吹聴する前にちゃんと話し合った方がいい。今すぐ戻ろう」
「ああ」


―――この後。
結局、お春は勝太の真っ当な指摘によって半狂乱し、番頭どころか店の主人まで耳に入って大騒動となってしまい、歳三が女中を妊娠させた…という噂はあっという間に日本橋に広まってしまった。しかし当然ながらお春の懐妊は真っ赤な嘘であったため、彼女は気鬱を理由に実家に戻され、揉め事を起こした責任を取って歳三も店を辞めることになった。実家から兄が飛んできて主人に頭を下げる姿を見た時は(申し訳ない)とは思ったものの、歳三は清々しい思いで満たされていた。

数日後、勝太は荷物をまとめて店を出た歳三を迎えに来た。
「一緒に試衛館へ行こう!」
勝太は満面の笑みで歓迎したが、歳三は
「行くわけねえだろ」
とあっさり却下して、勝太を置いて去る。勝太は「ええ?!」と慌てて追いかけた。
「な、なんでだ?もう心配事はないだろう?これからは剣術の道を…!」
「心配事がないからってお前に世話になる義理はないだろう。今回のことで俺は兄さんにでっかい借りができたから、しばらく実家で家業を手伝うことになった。行商に出るからいまよりお前には会えなくなるからな」
「そ、そんな…入門してくれるんじゃなかったのか…?」
勝太はこれで歳三が晴れて入門してくれるはずだと期待していたので、がっくりと背中を丸めて項垂れてしまった。歳三はその姿を見て内心ほくそ笑んだ。
(まったく…素直な奴だ)
「…まあ、行商のついでに寄ってやる」
「本当か?」
「気が向いたらな」
「じゃあ、その時は一緒に稽古をしてくれるよな?」
「わかったよ」
歳三はそっけなく答えたが、勝太は嬉しくて飛び跳ねてしまう。歳三の顔を覗き込んで
「なあ、『わかった』ってそう言ったよな??な?言ったよな?」
「しつこいな。気が向いたらって言ってるだろう」
勝太は満足げに頷いて、軽い足取りで歳三の隣を歩く。
「今はそれで十分だ。俺はお前が来るのをずっと待ってるから、今度こそ変な女に手を出したりして身を亡ぼすなよ?」
「安心しろ、もう素人の女には手を出さない」
「ハハ、そうしろ」
日本橋の人込みをかきわけて二人は並んで歩く。ずっとずっとこの道はきっと長く、どこまでも続いている―――そんな気持ちを勝太も抱いていた。
「歳、前に…俺には席があるが、お前は自分の席が空いていないと言ったよな。でも俺の一番の家臣っていう席は空いてるぞ」
「…ずっと空けておけ。とはいえ、かっちゃんには友達がいないから埋まる心配もないか」
歳三がハハっと笑い飛ばして、駆けだした。勝太は目を見開いて
「かっ…『かっちゃん』って言ったよな?聞き間違いじゃないよな?」
と追いかけて来た―――。
















解説
なし


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