わらべうた




989


総司が目を覚ましたのは翌日の未明のことだった。
長く寝たつもりはなかったが、辺りはすっかり真っ暗で皆静まっている…思った以上に深く眠ってしまったようだ。総司が身体の向きを変えるともう一組布団が敷いてあるのに気が付いた。
「…起きたのか?」
「歳三さん…帰らなかったんですか?」
「お前がここにいろと言ったんだろう。それに雨が降っていたからな」
土方がさも当然だと言わんばかりに答えながら身体を起こして蝋燭に火を灯した。ぼんやりと明るくなった部屋で総司の顔を見て、土方は少し安堵したように優しく微笑んだ。
「もうそろそろ陽が昇るだろう…随分長く眠っていたな。人が出入りしても全然起きなかった」
「…あ、そうだ、お加也さんがいらっしゃったのでは?」
「夕方に診察して帰った。また近いうちに来ると言っていたが」
「そうか…悪いことをしちゃったなあ…」
わざわざ訪ねてくれたのにと総司は申し訳なく思うが、
「病人がちゃんと言うことを聞いて寝ているんだから構わないだろう」
と土方は苦笑しつつ、総司の額に掌を当てた。
「熱はないな」
「ええ、長く寝たおかげですっきりしました。…歳三さんは私が寝ている間、何をしていたんですか?」
「俺は…」
土方は少し言葉を選ぶように黙り込んで、総司の額に触れた指先をそのまま輪郭へと這わせてなぞる。
「…かっちゃんが、どれほど頑固で融通が利かない面倒な男だったのかということを思い出していた」
「へえ?でもそれが近藤先生の良いところですよ」
「良いところねえ…」
総司が即答した通り、近藤の屈託のない正義感と猪突猛進な性格こそ彼自身が幕臣まで上り詰める原動力となっただろう。けれどあの頃の土方にとって近藤はただの口うるさい兄貴分で、弟分の土方は少しひねくれていたので総司のように諸手を挙げて称賛できるほどできた人間ではなかった。そのため、あの後実家に戻り薬売りを手伝うようになってから幾度か試衛館に足を運んだが、なかなか正式に入門はせず近藤を困らせることになる。
そうして出入りするうちに出会ったのが宗次郎だった。
「まあ、あいつの強情さのおかげでお前と出会ったと言えなくはないか」
「……どうしたんですか?そんな夢見がちなことを」
「寝起きだからな」
土方は総司の後頭部に手を回し引き寄せて唇を啄んだ。かさかさに乾いた総司の唇が少し湿って紅くなる。
「…朝が来たら屯所に戻る。だからそれまでこうしていよう」
総司は土方の胸に身を預けて頷いた。


土方が三日月に乗って雨上がりの五兵衛新田へ戻ると、玄関先に近藤と金子がいた。
「歳、戻ったのか。待っていたぞ」
「ああ…何かあったのか?」
屯所として屋敷を貸し出してくれている金子は最初はある理由から近藤を怖がっていたが、いまは打ち解けて立ち話までする仲になった。近藤の人徳のおかげだろう。その金子が深刻な表情で腕を組んでいた。
「実は金子殿からご相談があってな…」
「はい。近頃この付近で怪しい人物が目撃されているようなのです。女中や近所の女たちが怖がって…どうもこの我が屋敷を覗いてはすぐに去っていくというので、薩長の浪人ではないかと噂になっています」
「…あり得ない話ではありませんね」
土方は頷いた。
勝の交渉によって一旦江戸での戦は避けられたものの、依然として大きな街道には官軍の兵が包囲しておりいつでも戦ができる支度を整えている。五兵衛新田は水戸街道に近く、攻め入られる可能性がないとは限らない。
(それに新撰組のことも…)
五兵衛新田に新撰組が陣を張っていることは知られているだろう。敵が偵察に来ていてもおかしくはない。
土方はちらりと金子の表情を窺った。彼らにはあくまで『幕府の軍』であるとして自らを『新撰組』と名乗っていないが、とうに気が付いているはずだ。金子はそもそも松本との誼で新撰組を受け入れてくれているが、その不審な浪人たちの正体によってはここを出ていくことも検討しなければならない。名主見習いの金子としてもこの地が戦火に遭うことだけは避けてほしいと以前話していた。
「とにかく、隊士たちへこまめに見回りをさせますのでご安心ください」
「どうかよろしくお願いいたします」
金子は頭を下げて、そのまま住まいとしている離れの方へ戻っていった。近藤は余裕の面持ちで引き受けたものの金子がいなくなると顔を顰めた。
「…薩長の奴らだろうか?」
「わからないが…おそらく誰かが新撰組のことを探りに来ているんだろう。今日から隊士たちにはこまめに巡回をさせて、俺もできるだけ屯所にいるようにする」
昨晩は総司の為とはいえ無断で外泊してしまったが、気の緩みが大きな失態に繋がることもある…土方は反省したが、しかし近藤は「気にするな」と首を横に振った。
「千駄ヶ谷に行くのもお前にとっては大切なことだろう。何かあったらすぐに知らせるから、お前は総司を優先したらいい」
「いや…そういうわけにはいかない。総司もそんなことを望んではいない」
「いいんだよ。これは俺の望みだ…お前が千駄ヶ谷に行ってくれると俺は安心できるんだ」
「だが…」
「いいから。もし総司が嫌がるなら、俺に命令されたとでも言ってくれ」
「…相変わらず頑固者だよな」
近藤がこうと決めたら梃子でも動かないのを昔から知っている。土方は折れて「わかったよ」と答えた。
二人は揃って玄関から中に入り、奥の部屋に入った。
「総司は元気だったか?」
「ああ。とはいえ昨日はほとんど一日中寝ていて、目が覚めたのは今朝方だった」
「そうか…まあ長く眠るということは総司の心が急くことなく安心しているということじゃないか?平五郎さんの離れは相当居心地がいいんだな」
「…そうかもな」
土方は曖昧に頷いた。総司が青白い顔で身動き一つせず眠る姿を見てしまうと近藤のように楽観的な気持ちにはなれなかったが、詳しい様子を話すことは総司は望まないだろう。
二人は向き合いながら座り、銀之助が用意した茶を飲んだ。
「怪しい輩のことも気がかりだが、そもそも事前にそう言った情報が掴めなかったのは監察方の手が足りていないことも原因だ。大石君はどうなった?まだ日野から帰っていないのか」
「…ああ。源之助も解放されたのだから、早く戻るように文を出したが…」
「彦五郎さんたちに恩があるのはわかるが、誰かを遣わせて呼び戻そう。彼のように信頼できる隊士は限られているのだから」
「…そうだな」
総司は大石を自由にしてやるべきだと言っていたし土方もそれが大石にとって最善の提案だと思っているが、現実的には近藤の言う通り彼のような貴重な人材を手放すわけにはいかない。山崎を失った今、彼の手ほどきを受けて隊に残っている者は数少ないのだ。
近藤は何気なく「三井君を迎えにやろう」と提案したので土方は特に異論はなく同意した。三井丑之助は大石と同じころに入隊した隊士だが、この三井がのちに大石の運命を大きく変えることになってしまうのはいまの二人にはわからないことであった。
近藤は
「良い話があるぞ」
と話を変えて、文箱から文を取り出した。
「松波様からの文…武総鎮撫方?」
「ああ。徳川の直轄領の治安維持や脱走兵取り締まりのために設けられているそうだが、このほど松波様が任じられたそうだ。それで、文によると歩兵隊の一部隊を五兵衛新田へ合流させたいという話だ」
「…それは良い話なのか?」
松波は勝の配下であり、新撰組を江戸から遠ざけようと説得するために何度か訪問していた。もちろん近藤は拒んだが、今回の歩兵隊の合流も新撰組を懐柔させるための策ではないかと勘繰ったのだ。
土方は文を返しつつ尋ねると、近藤はにこやかに頷いた。
「人員が増えるのは悪い話じゃないだろう。それにその歩兵隊隊長の近藤隼雄殿は芳助の親戚筋に当たるそうだよ」
近藤が芳助と気軽に呼ぶのは古参隊士の近藤芳助だ。彼は池田屋後に入隊したので確かに信用はできるが、彼の親戚までそうとは限らないだろう。近藤が血の繋がりを信用するのは以前からのことだが、土方は内心ため息をついた。
「ふうん…つまり、ほんの少しの縁があるだけで押し付けられたんだな」
「まあそういうな、百人規模だぞ。だから新撰組への合流というよりも同盟軍だと思ったらいい、心強いだろう」
「…そうだな」
土方は半ば諦めるような気持ちで頷いた。
(まったく…かっちゃんは昔から変わらない)
信用できるかどうかではなく、信用したいという感情が上回ってしまう。
(まあ…そんな奴を主君だと仰ぐ俺や総司も似たような者だな)
土方は苦笑した。











解説
なし


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