わらべうた



996


梅と桜の狭間に冷たい風が吹く。
植木屋の庭は絶えることなく花が咲き、寒風に晒されても芽吹き続ける。この庭のなかでは小さな名もなき野草さえもこの舞台を彩る役者のようだ。
朝の柔らかな光に誘われて、総司は英の目を盗んで綿入れを着込み、縁側から庭に出た。両手を上げて背伸びすると新鮮な空気が身体に染み込んでいく。
柴岡家のあさとたねはまだ眠っているようで屋敷はしんと静まり返っていたので、総司は足音に気遣いながらゆっくりと庭を一周した。
(今日は…大丈夫そうだ)
日々機嫌の変わる自分の身体に様子を聞きながら歩く。今日は楽に呼吸ができるようだ。
離れの裏口に近づいた時、ふとその生垣の枝に文が括り付けられていることに気がついた。総司は自分宛のものだろうと察して、近寄ってその文を解く。
(…大石さん…?)
差出人は大石だった。彼が日野にいてなかなか戻らない…ということは土方から聞いていたが、ようやく隊へ戻ったのだろうか。
不思議に思いながら文を広げる。大石の筆跡に触れる機会はなかったが、柔らかく整然と連ねられた文字…そこには彼自身が近藤と土方の許可を得て脱退したことが書かれていた。
「…そうか…」
総司は同門の古参隊士が減って残念な気持ちと同時に、肩の荷が下りたような安堵する気持ちが湧き上がった。大石は死なないために生きていただけだったのだから。
文には淡々と近藤と土方の許可を得たことが簡潔に書かれていたが、文末には
『善人に戻るように努力する』
とあった。
かつて大石は己を『悪人』だと断じていた。武家から離れ、盗賊に身を落とし、弟を失って新撰組でも総司に刃を向けた。ただ周囲に説得されて死ぬことを先延ばしにしただけ…その結論が生き続けることだったなら、長い長い暗闇のなかでようやくその出口を見つけたのだろうーー。
総司の口元には自然と穏やかな笑みが浮かんだ。まだまだ新撰組に力を尽くして欲しかったけれど、同門のよしみとして彼が前向きに生きることがわかり、見送ることができる。
「よかった…」
総司は気が抜けてつい咳を「コンコン」としてしまった。すると英が肩掛けを持って縁側から駆け寄ってきた。
「もう。寝床にいないと思ったら…なに?朝から悪い知らせ?」
「…いえ、良い知らせですよ。寂しいけれど…」
「ふうん。まあとにかく中に入って、火鉢に当たろう」
英は散歩を切り上げさせて、離れに戻った。



流山行きを数日後に控えていた。
「副長…」
島田が何処か不安そうに顔を歪めて金子家を訪ねてきた。土方はすぐに用件を察した。
「…大石の件か?」
「は、はい。朝起きたら荷物が全てなくなっていました…」
「あいつは脱退した」
「…やはり…」
島田は散々探し回ったのだろう、残念そうに肩を竦めた。脱走者は少ないないが、古株がいなくなると胸の内にぽっかりと穴が開くようだ。
「しかし…山﨑先生の手解きを受けた監察方はもうほとんどいません。宜しいのですか?」
「良くないがもう去ったのだから仕方ないだろう。…それにしても監察方は人材不足で流山周辺の官軍の様子が掴みにくい。それにあのあたりに土地勘がある者は絞られる」
「…探してみます」
島田は新入隊士を取り仕切っているので請け負い、彼は話を変えた。
「実は偶然永倉先生たちの動向を掴みました。いまは和田倉屋敷にいらっしゃるそうです」
「和田倉屋敷に?」
土方は驚いた。彼らは新撰組が会津と合流することを望んでいたため、真っ直ぐ北上して会津へ向かうのだと思っていたのだ。和田倉屋敷は江戸城すぐ近くにあって元は会津の上屋敷だ。
「幕府の歩兵部隊や旗本、諸藩の脱走者を含めて百人ほどとなっているとか…会津へ向かうのか、榎本先生と合流するのかはわかりませんが、靖共隊と名乗っているそうです」
「靖共隊か…じゃあまた会うことがあるかもな」
「はい」
島田の表情には一度別れてしまった仲間との再会を望む期待があったが、しかし土方は今彼らとの共闘が具体的に想像できなかった。
島田は袖を襷掛けしながら続けた。
「また動向が耳に入りましたらお知らせします…今日はこのあと千駄ヶ谷へお伺いしようと思っているんです。流山へ向かったらなかなか顔を出せなくなりますから山野とともに沖田先生へご挨拶に…」
「待て。…話しておきたいことがある」
「はい?」
島田は首を傾げた。
土方は島田に頼んで、一番隊兼医学方の山野、そして小姓の銀之助と鉄之助を呼び出した。役職の違う顔ぶれが揃い、互いにどういう用件があるのかわからないまま顔を見合わせて困惑していたが、土方が
「重要なことだ」
と前置きしたのでいっそう皆背筋を伸ばした。年長で古参の島田がおずおずと訊ねる。
「重要とはい…一体どのような…?」
「総司のことだ」
「は…は、なるほど…」
一番隊伍長の島田、世話係の山野、稽古をつけてもらっている二人…四人の共通点は特に総司に近しい隊士ということだ。土方の用件が総司に関することということで少し緊張は和らいだが、しかし土方の表情は深刻だ。
「…今度の流山への移転の件だが、近藤局長とも話し合い、総司には伏せておくことにした。あいつには五兵衛新田に留まっていることにしてほしい」
小姓二人はすぐに「承知しました」と頷いたが、承服できない山野は声を上げた。
「しかし…!どこかから漏れ伝わるということはないでしょうか?」
「柴岡家の皆さんや英、加也殿には固く口留めをする、問題ない」
「でも…沖田先生のお気持ちは…!もし皆に口留めまでして移転を隠していたと知れたら先生はきっと悲しまれます!」
新撰組から離脱して療養することは仕方ないことではあるが、総司の心の内では離れがたく思っていることは山野も察していた。けれども山野以上に土方はよくわかっている。
「…総司には時間がない」
「!」
土方の言葉で山野や島田、小姓たちの表情が変わった。土方は客観的に口にしたつもりだったが彼らにはそう見えなかったのだろう…それは誰が見ても明らかな事実だからだ。眠る時間が増え、食が細り、何も身体に入れていないのに血を吐く…まだ治るなんて―――まるで遠くに見える蜃気楼のように儚い願いでしかない。
山野は愕然として青ざめ、島田がそれを支えるように肩を引き寄せた。
土方は冷静に続けた。
「俺は今の総司には…知っておくべきことと、知らなくても良いことがあると思っている。五兵衛新田から流山に移動したところでただ距離が変わるだけ…お前たちが総司を思う気持ちは変わらない。だったらわざわざ悲しませる必要なんてない。あいつには悲しむ時間よりももっと違う時間を過ごしてほしい。そう思って千駄ヶ谷で療養をさせているんだ」
「…副長…」
「巻き込んで悪いが、千駄ヶ谷へ行くことがあってもできる限り黙っていてくれ。もし尋ねられたら嘘をつけとは言わない…頼む」
土方に頭を下げられ、山野は唇を噛みつつも頷いた。
「…いえ、僕の方こそ差し出がましいことを申し上げました…お許しください」
山野が決定を受け入れて、総司には今までと変わらずに接することを決めた。
だが、島田は腕を組んで唸る。
「…しかしながら副長、山野の言う通り我々や関係者が口を噤んでいたとしても人の口に戸は立てられぬものです。五兵衛新田でもすぐに正体が知られましたし…」
「下総は遠い、江戸ほど俺たちの顔は知られていないだから大丈夫だろう。それに、俺たちは幕府の歩兵隊とともにあくまで下総の鎮撫隊として流山に駐屯する。隊長は幕臣大久保大和だ」
「そうですか…それにしても、自分にはまるでもう新撰組が何処にもないかのように感じます…」
島田は寂しそうに呟いた。
古参で伍長格以上の隊士は数えるほどおらず、さらに新撰組が名を上げた池田屋のことを知っている同志は数えるほどしかいない。はたして自分たちがあの都を騒がせた『新撰組』だと断言して良いのか…島田だけでなく古参隊士が皆同じように思っていることだろう。
しかし今はそんな寂しさを振り切って前へ突き進まなくてはならない。
「…俺たちは新撰組だ。心のうちでどう名乗ろうが、何を思おうが誰にも犯されない…そうだろう?」
だから自分たちの看板など何でも良い―――土方は彼らを鼓舞するために強く断言したところ、島田も目に光を取り戻して頷いた。
「そうですね…自分はあの頃の浅黄色の羽織を着て颯爽と都を駆け回る姿がすぐに思い出せます」
気を落としていた山野も島田の隣で頷いていた。














解説
なし


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