わらべうた



998


総司が目を覚ましたのは元いた柴岡家の離れの部屋だった。
(夢…?)
あまりにいつもと変わりなく、ただ時間が経って陽が落ちているだけ。たねが駆け込んで来てあさとともに屋敷を飛び出したのが全て夢か幻なのではないかと思ったが、しかし母屋の方が騒々しい。
総司が気になって重たい体を引き摺りつつ寝床を離れて部屋を出たところ、タイミング良く英がやってきた。
「ああ沖田さん、目が覚めた?」
「…ええ。えっと、いまは…?」
母屋の方は普段は寝静まっている時間なのに部屋にら明かりが灯されていて、平五郎や娘たち、見習いの弥兵衛が心配そうに中の様子を窺っている。どうやら夢ではなかったようだ。
「おりつさんは…お産はどうなりました?」
「何も覚えてないの?」
「はい…情けないことに気を失ってしまって」
英は総司を寝床に戻しつつ、これまでの経緯を話し始めた。
「おあさと四ツ谷に行っただろう?おあさが産婆を連れて大急ぎで帰る途中、挨拶回りをしていた平五郎さんたちに偶然出会したそうだよ。事情を聞いた平五郎さんは産婆と一緒に急いで屋敷に戻り、例の弥兵衛が南部診療所に駆け込んで来たんだ。もう産気づいたらしいと言うから俺と姐さんが慌てて千駄ヶ谷へ戻ったってわけ。俺が戻った時には沖田さんは気を失って寝込んでいたよ」
「…そうですか。おりつさんはご無事だったんですか?」
「大丈夫。陣痛で苦しんでいたけれど俺たちが駆けつけた時には無事だった。沖田さんたちのおかげだよ」
「私は何も…おあさちゃんがしっかりしていたから。ああ、それにしても良かった…」
間近で母親が倒れる姿を見てあさも動揺したはずだが、気丈に振る舞いちゃんと産婆のもとへ辿り着いたおかげで全てがうまくいったのだ。総司はその背中を押したくらいで何もしていない。気が抜けて寝床で横になってしまった。
しかしその騒動の間、自分が一体どうなっていたのか…記憶にない。
「…私はどうやって屋敷に戻ったんだろう?」
「さあ…。平五郎さん曰く、その場に居合わせた旅姿の男が屋敷まで担いで送ってくれたそうだよ。礼をするつもりが慌ただしくて…いつの間にかいなくなっていたって。武家風の男だったららしいけど」
「…そうですか…」
総司は男の正体が気になった。胸の痛みを抑えるので必死でよくわからなかったが、肩を抱いたその強い掌の感触でその男をよく知っているような気がしたからだ。
英は火鉢に息を吹きかけて温かくする。
「調子は?喀血こそしていなかったようだけれど…」
「私は全然…久しぶりに走って眩暈がしてしまって、胸が痛くなって」
「全く無茶するよ。…とはいえ、おりつさんの命が掛かっていたから今回は大目に見るけど、しばらくは安静にね」
「逆子はどうなりました?」
「どうかな…男は中に入れてもらえないからさ」
英は肩を竦めつつ、母屋の部屋を指さした。蝋燭のほのかな灯が漏れる縁側で平五郎が二人の娘と一緒にそわそわと落ち着かない様子なのが見えた。お産は男子禁制で原田の時も縁側で知らせを待ち続けた思い出がある。
「熟練の産婆が逆子を何人も取り上げたことがあるって言ってたから、大丈夫だとは思うけど」
「…私もそう思います。なんせあのお加也さんがいますから」
「そうそう。女医で長崎帰りで、松本先生の養女で南部先生の妻だからねぇ。江戸中探してもなかなかいないよ」
「……え?」
英はごく当たり前のことのように口にしたが、あまりに寝耳に水のことに総司は目を丸くした。
「え?お加也さんは南部先生の養女ですよね?」
「…ああ、姐さんまだ言っていなかったのか。南部先生が会津へ向かうことなって江戸を離れる前にそういう話になったんだよ。でも自分の養女を嫁に迎えるのは外聞が悪いから、一旦良順先生の養女になってから縁組をまとめるって。だから正式に夫婦になるのは南部先生が戻ってからだよ」
「もしかして…お加也さんの思い人というのは、南部先生のことだったんですか…?」
総司はあまりのことに開いた口が塞がらなかった。
かつて総司との縁談が持ち上がっていた時に、彼女には慕う人がいるらしいとは聞いていたがそれが身近な南部だとは思いもよらなかったのだ。
(確かに難しい相手だとは言っていたけれど)
まだ飲み込めずに総司が混乱していると、英は鼻で笑った。
「なんだ、気づいてなかったのか。あんなに分かりやすいのに…相変わらず色恋沙汰には疎いんだな」
「全然わかりやすくないですよ。…でも、良かったです。ずっと昔から想っていたとは聞いていたのでお加也さんの思う通りに成就して…」
「成就するかは戦況次第だけどね。でもそれをわかっていて戦が始まるかもしれない会津へ見送ったんだ。約束の一つくらいなきゃ江戸に残る姐さんだってつらいだろう」
「約束か…」
加也と南部が夫婦の約束をしたように、自分は一体どんな約束をできるのだろうかと考えた。
かつて近藤に病が知られ、江戸へ戻って養生するべきではないかとなった時に土方が言っていた。
『一日でも長く俺の傍にいてくれ。お前のためだけじゃない、俺のためにそうしてくれ』
あの時はそのつもりだったけれど、戦が始まったことで結局その約束は守ることができなくなってしまった。周りの人々に迷惑をかけてまでその約束を優先して守るほど、互いに子どもではなかったから。
けれど今更、自分の人生の残りが少なくなっていることを知って彼にどんな約束ができるというのだろう―――。
そんなことを考え込んでいると。
―――…おんぎゃあ、おんぎゃあ―――…
遠くで静かな夜を払うような、赤子の声が聞こえた。
英はハッと表情を変えて立ち上がると先ほど閉めたばかりの障子を開け放つ。総司も寝床から身を乗り出して母屋の様子を窺うと、平五郎や二人の娘たちが明かりの灯った部屋へ駈け込んでいた。
「産まれた…」
総司が無意識に呟いた時、バタバタと激しい足音が聞こえて弥兵衛がやってきた。普段は無表情で淡々としている弥兵衛だが、今ばかりは頬を紅潮させて興奮気味に叫んだ。
「う、産まれました!元気な男の子です、奥様もご無事です!英先生、加也先生が手を貸してほしいと…!」
「わかった」
英は深く頷いて早速母屋へ向かっていく。弥兵衛もそれに続こうとしたが足を止めて総司の方へ振りかえり、その場に膝を折ると急に額が床につくほど深々と頭を下げた。
「弥兵衛さん?」
「まことに…まことにありがとうございます…!あなた様のおかげで奥様はご無事で、旦那様は跡継ぎに恵まれました…っ まことに…どのように御礼を申しあげれば良いのか…っ ありがとうございました、ありがとうございました…っ」
弥兵衛はまるで別人のように涙声になって感謝の意を伝える。弥兵衛は間近で平五郎の苦悩を目の当たりにしてきたのだろうし、彼自身にとって柴岡家という家はただの奉公先ではないのだろう。感極まった涙がそれを証明していた。
弥兵衛の背中の向こうで平五郎の咽び泣く声と、娘たちの喜ぶはしゃぐ声が響き渡っている。それを耳にするだけで新しい家族を迎える喜びと温かさに満ちる場所に触れているように感じた。
「…血は繋がってないのに良いご家族に恵まれて、私もあなたも幸せですね」
「…」
弥兵衛はゆっくりと顔を上げた。赤く腫らした目で総司をじっと見つめ、そして躊躇いながら口を開いた。
「…宗次郎…だよな」
「!」
それは柴岡家の呼び名ではなく、かつて江戸で出会った頃ぶっきらぼうに呼んだあの時のような響きだった。
だから総司も応えた。
「…弥彦」
「そう…俺は弥彦だ。本当は前から気が付いていたんだろう?」
「でも気づいたのは最近です。最初は思い出せませんでした。…でも弥彦は最初からわかっていたんでしょう?」
「お前、何にも変わらないよ」
「はは…そうかなあ」
出会った頃は互いに十三か、四でもう十年以上経っている。総司は思い出せないのは当然だと思ったが、弥兵衛はそうではなかった。彼は顔を上げて袖で涙を拭いた。
そして今まで我慢していたものを吐き出すように語り始めた。
「…俺は時々、お前のことを思い出してた。あの時、お前が仲間と騒ぎ立てたから俺はあの老いぼれの屋敷を追い出された。ほとんど監禁されていたようなものだったから最初は感謝したけれど…色々なことが上手くいかなくて、飯も食えずに身を落としていくうちにあの屋敷にいた方がマシだったと思った。だから正直、お前を恨んだこともあった…」
「…だから避けてたんですね」
以前英が売られてきた弥兵衛を陰間茶屋で見たと言っていたので、彼は苦労しているのだろうとはわかっていた。総司は心が痛んだが弥兵衛は
「今更責めたりしない」
と首を横に振って続けた。
「それに、行き倒れている俺を旦那様が拾ってくれた。浮浪者で行く宛のないのを知って迎え入れてくださって…給金をもらって家へ仕送りができて妹の身体も良くなった。今は他家へ嫁いで元気にやってる。旦那様と奥様には感謝してもしきれない、恩人なんだ。だから今では、ここに居るのはあの屋敷から解放してくれた宗次郎のおかげだってわかってるよ。だけど宗次郎が屋敷の前で倒れているのを見つけた時、どんな偶然なんだよって驚いた。しかもそれがまさか新撰組のお偉いさんだなんて…俺のことなんて忘れてるに違いないと思ってたんだ。それに宗次郎とどこで出会ったのか、旦那様たちに知られて軽蔑されるのは嫌だったんだ…」
「ああ…そういうことか…」
弥兵衛は口を窄めている。それがあの頃の子どもっぽい仕草と重なり、口ぶりと相まって懐かしい。
弥兵衛が頑なに他人のふりをしたのは、総司への当てつけではなく自分の過去を隠すためだった…総司は小さく笑った。
「忘れてましたけど最初に会った時からずっと気になってました。どこかで会ったような気がして。…でも幸せそうで良かった」
「ああ…この家で『弥兵衛』として生きていくことが今の俺の生き甲斐だよ」
弥兵衛が充実した笑みを浮かべた時、母屋の方からたねが「弥兵衛ー!」と呼ぶ声が聞こえてきた。
「たねお嬢さんは妹によく似てるんだ。お転婆でいつも泥まみれだよ」
弥兵衛は立ち上がりつつ、
「今度は宗次郎の話を聞かせてくれよ」
と言って母屋に戻って行った。








解説
なし


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