身を知る雨






土方は石田村の実家を出て、姉の嫁ぎ先である佐藤家へと向かった。
歩き慣れた道を踵から強く踏み込んで歩く。家屋の木造廊下なら『うるさい』と一蹴されてしまいそうな大音を立てていただろう。
『覚悟を見せろ』
為次郎の言葉をに背中を押されているようだった。
以前の土方なら、為次郎や喜六に認められなくても関係ない、自分のやりたいようにやる…そんな我儘を通していただろう。自由奔放に生きてきた末っ子なのだから、今更何をやらかしても同じだと嘯いていたはずだ。
だが今回は違う。将軍が上洛する迄のたった半年の警護のために結成された浪士組だとしても、『その先』に何かがある気がする。
それは土方の予感でしかないが、治安が乱れている都へ行けば、そのまま二度と会わない別れとなってもおかしくはないのだ。
だからこそ認めて欲しい。
(覚悟ってやつを見せてやる…)
しかし気持ちだけは流行っていたが、方法はわからない。
為次郎は盲目であるが頭が良く理解もあるため、浪士組に参加したい気持ちを熱弁すれば納得してくれるのかもしれない。けれど喜六は今までの土方の奔放ぶりをよく知っている。探し出した奉公先を何度も飛び出してきた末弟の言葉など耳を傾けてはくれないだろう。また商いばかりで時勢に興味のない喜六に『浪士組』の必要性などを説いても仕方ない。
(…義兄さんに相談してみるか)
血の繋がった兄弟よりもなにかと気にかけてくれている佐藤彦五郎なら良い案を提案してくれるかもしれない。
土方の足はさらに早まり、大股になった。冬だというのにこめかみにはじわりと汗をかいていた。

土方が佐藤家に到着すると、門前で総司に出くわした。
「何やってんだ、お前」
驚きのあまり声を上げると、総司の方が心外だという顔をした。
「何を言っているんですか、私は出稽古です」
「あ、ああ…そうか」
総司は稽古着の姿で木刀を肩に担いでいる。総司がここにやって来る理由はこれしかないのだから当たり前なのだ。
今度は総司が怪訝そうに見た。
「土方さんこそ朝食の時からいなかったですよね。みんな心配していたんですよ…どちらへ行っていたんですか?」
「…実家に戻っていただけだ」
「ふうん」
総司がジロジロと土方の顔色を伺う。普段は鈍感なくせにこういう時だけ勘が良いのだ。
察せられてしまうのが嫌で、土方は「行くぞ」とさっさと佐藤家の門をくぐり中に入った。玄関に入ると総司は「ごめんください」と挨拶をしたが、土方は勝手知ったる様子で草履を脱ぎ始めた。
「…あ、土方さん、もしかして浪士組のことご報告にいらっしゃったんですか?」
「まあ…そんなところだ」
「じゃあ余計なことを言わないように黙っておきます」
「殊勝な態度だな」
総司の珍しい物言いに土方はふんと鼻で笑った。普段はどんな『余計なこと』を話しているのだろうか。
そうしていると姉ののぶがやってきた。
「ご苦労様です…おや、今日は歳三も一緒なの?」
「ええ、すぐそこでたまたま会ったので。土方さんはおのぶさんに会いにきたそうですよ」
「まあ」
姉ののぶは驚きながらも嬉しそうに笑った。年の離れた弟のことを一番気にかけているのはのぶであり、それを土方や総司はよく知っている。
(さっきは余計なことを言わないと言ったくせに…)
姉の嬉しそうな顔を目の当たりにすると何やら恥ずかしい。土方はぶっきらぼうに返した。
「別に姉さんだけに用件があるってわけじゃねえ。…義兄さんは?」
「旦那様なら道場よ。誰よりも張り切って稽古をするのはいつものことじゃない」
「じゃあ待たせてもらう」
足を拭き終えると、土方は玄関を上がりいつものように奥の部屋へと向かった。そこはいつも土方が寛ぐ慣れた部屋であり、道場が良く見える縁側があるのだ。そこにゴロリと横になった。
佐藤が建てた道場には近所の男たちが集まっていた。そこに総司が姿を見せて早速稽古が始まる。
彼らの中でどれほど本気で剣に打ち込む者がいるだろうか。
(大抵は自衛目的だ…)
黒船来航以来、様々な流言が飛び交い、この田舎村でも治安が悪くなった。盗賊の類が現れて金品どころか命さえ奪われたこともある。その危機感から齧る程度でも剣術を身につけたいという機運が高まったのだ。
だから、佐藤は剣術に関して理解がある方だろう。商いをしていた土方が天然理心流に入門した際も喜んでくれた。けれどそれはフラフラとしてた義弟がついに住処を見つけたことへの安堵だったのかもしれない。
(バカなこと…と言うだろうか)
『半端にこなして自分はできるものだと思い込んでいる』
『自分のことがわかっていない奴に何ができるというんだ』
今朝方聞いた喜六の言葉が脳裏に響いていた。カッと血がのぼるような言い分だったが、それは土方にとって図星だったからだ。
「…くそ」
土方が人知れず嘆息すると、のぶがやってきた。
「歳三も稽古に加わったらどうなの?」
のぶは湯飲みと煎餅を持って差し出す。喧嘩をして帰ってきた夜も奉公先を逃げ出した時も姉は文句を言いながらもそうやって出迎えてくれた。
「…稽古はいい。朝からなんだか疲れたんだ」
茶を飲みながら再び稽古の様子を眺めた。人が変わったように稽古に精を出す総司と、早速汗だくになりながらその稽古について行く門下生たちの姿が見えた。近藤以上に厳しい稽古をする総司は、自分の力量以上に他人の力量がわかっていない。だからこそ『鬼稽古』と揶揄されてしまうのだ。
土方の隣に膝を折ったのぶはクスクスと笑い出す。
「総司さんは剣を持つとまるで別のお人のよう」
「あいつは剣以外興味がないんだ」
土方は相槌を打ちながら、(そういえば)と思い出す。浪士組の件ですっかり忘れていたが、総司は琴へ恋文を送っていたのだ。相手はともかく、年相応に女への興味があるということだろう。
(女か…)
門下生たちの前で悠然と竹刀を構える総司を見る。彼は天然理心流そのものとも言える型や技を十分に身につけながらも、『まだ足りない』と足掻くようにその道を邁進している。ふらふらとあちこちで道草をする土方とは正反対に、あの目はいつも剣の道だけを見つめていた。
そんな総司だからこそ、琴を思っているのなら素直でまっすぐな気持ちに違いない。
(話をしなきゃならねぇな…)
内心は理由のわからない苛立ちがあるが、兄貴分として許婚としてきちんと話をしなければならないだろう。
そんなことを考えていると、姉が「そういえば」と切り出した。
「歳三、江戸で将軍警護のための浪士組が作られるそうですね」
「え…?」
「知らなかったの?都へ向かうために浪人たちを集めているって、旦那様が」
もちろん知っている。むしろその話をするために来たのだーーーと言いかけたが、のぶの物言いは冷たい。
「過去の賞罰を問わないそうよ。罪人や浪人がお金目当てに集まって…そういう野蛮な集団らしいの。ほら、江戸は今、黒船が来てから治安が良くないでしょう?こんな田舎だって気を抜いていられないの。だから旦那様は都へ厄介払いのために送り込むに違いないって」
「…」
「歳三、そういう人たちに唆されないようになさい」
のぶは嫌悪感を交えて土方を諭した。人から聞き齧った尾鰭のついた噂話であり当然、それに末弟が参加するなど考えてもいない。
土方は手にしていた湯飲みをおいた。そしてのぶの方へ身体を向けて居住まいを正す。
「歳三?」
「…『浪士組』は姉さんの考えているようなもんじゃねえ。ちゃんと幕臣の幹部が率いて将軍の警護と京都での治安維持の為に働くことになっている。確かに身分や経歴を問わない有象無象の集団かもしれないが…俺たちのような農民風情が将軍のために働ける滅多にない機会だ」
「…なにを言っているの?」
「姉さん。試衛館はその浪士組に道場をあげて参加することになった。…俺も一緒に行くつもりだ」
のぶの顔色がみるみる変わっていった。信じられないから驚愕、そして
「駄目に決まっているでしょう!」
拒絶。真っ青になったのぶは縋るように土方の両襟を握る。
「都は危ないところなのよ!厄介払いだって…捨て駒のようなものじゃない!」
「剣の立つ仲間だって一緒だ。俺だってそれなりにできる。捨て駒になるつもりもない」
「あなたが行かなくったっていいでしょう…!」
「俺が行きたいんだ」
顔面蒼白状態ののぶは目尻に涙を浮かべていた。
「姉さん…」
「……私は許しません」
のぶは項垂れながらも頑なに告げると、逃げるように去って行ってしまった。


稽古を終えた義兄の彦五郎に事情を話すと、苦笑した。
「大音声でなにを話しているのかと思ったらそんなことか」
のぶはあれっきり部屋に引きこもってしまった。
「あれはなかなか強情だからなぁ…気持ちの整理がつくまでは誰の話も耳に入らないだろう」
「…でしょうね」
佐藤に言われなくとも、自分の血の繋がった姉なのだからわかっている。強情なのは兄弟みな同じなのだ。
「ひとまず出直して来てくれ。為次郎さんや喜六さんが反対しないなら俺はなにも言うことはないし、のぶも受け入れるだろう」
「…わかりました」
「すまないな」
佐藤に見送られて、土方は総司とともに家を出た。陽が傾き空は茜色に染まっていた。ただそれだけのことなのに物悲しい気持ちになる。
喜六に反対され、為次郎に背中を押され、のぶに拒まれ…今日はとんだ一日だったと嘆息すると
「ふふ…」
と隣にいた総司が笑っていた。
「…なんだよ」
「いいえ。家族っていいなあって思ってただけですよ」
「はあ?」
散々振り回された土方としては受け入れがたい感想だったが、総司は嬉しそうにしている。
「何だかんだ言っても、土方さんはとても愛されているんですよ。おのぶさんだって心配だから行って欲しくないんでしょう。そういうのは私にはないから…羨ましいなって」
「…面倒なだけだ」
土方は毒づいて返したが、総司の言葉に寂しさがあったことに気がついていた。幼い頃に家を出て家族と疎遠になった彼からすれば、『行くな』と止めてくれる存在は欲しくても手に入らないものなのだろう。
「じゃあ帰りましょうか」
「ああ」
総司はまるでなにもなかったかのように歩き出した。